アニメや映画などにおける、いわゆる「エロ・グロ」と呼ばれる表現が批判に晒されたり、規制の対象になるといったことが多くなりました。また、最近はBLなどのマンガも規制の対象になるものが増えてきました。

そこで今回は、「表現の自由を守る」ことを活動方針として掲げる、前参議院議員の山田太郎さんにお話を伺いました。

右も左も極端な考え方は「表現の自由」を嫌う――前参議院議員、山田太郎さん

民間の自主規制は深刻

 
――ここ数年。漫画やアニメなどの表現に対する規制が強まったといわれています。

「背景として、インターネットやSNSの発展によって表現の手段は豊かになったことがあります。特にSNSの力はすごいです。今やSNS上で宣伝された漫画やゲームなどのコンテンツが、出版社など既存の流通ルートから発表されたもの以上に広く知れ渡る、ということも珍しくありません。すると必然的に、広告やサンプルも含めて『この表現は気に入らない』と感じる人の目に触れることも多くなりました。
『この表現は気に入らないな』と誰かが発信すれば、その発信は別の誰かに届き『あの人が気に入らないというなら私も気に入らない』という発信につながっていくので、『気に入らない』『こんなものは規制するべきだ』という人たちのグループも容易に形成されます。文句やクレームも表現の一種なので、こういった意見が出てくることも表現が豊かになっていることの現れでもあります」

――表現が豊かになったからこそ軋轢が生まれている。

「そうですね。表現自体は拡大して自由になりました。一方的に表現の規制だけが厳しくなったわけではありません。表現が豊かになり多様化したからこそ文句をいうひとも増えたということです。
ですが今は両者が拮抗している中で、少しずつ不自由さが高まっているという感じはしますね」

――規制は具体的にどのような形で行われるのでしょうか。

「規制のされ方には二種類あります。ひとつは政府や行政が法律で規制するやり方。もうひとつは民間の自主規制ですね。前者については、そもそも政府や自治体は、規制にそれほど積極的なわけではありません。『エログロ暴力の表現を規制しろ』という表現が自分たちの選挙で上がってくるのならやることもありますが、そういう程度です。
現在より深刻な問題になっているのは後者の方ですね。作り手も受け手も良いと思っているものであっても、その間にある出版社や通信会社が『こういう表現をすると誰かに文句をいわれる、炎上するからやめよう』と、自主規制してしまう。この自主規制がこのところ実行力を持ちすぎてしまっている。すると結果的に作り手の方も萎縮してしまいますから、表に出てくるコンテンツは昔に比べるとかなりマイルドになっていますね」


意見の多様性を認め、寛容になることが必要


「表現の規制を望む人たちは『好きか嫌いか』という物差しに依るところが非常に大きいです。そしてこの好き嫌いは、ある種の世代間抗争になっている部分があります。例えば昨今の若い子の中では、オタク文化は非常に強い市民権を得ています。そういう世代からは『規制しろ』という声はあまり上がりません。
一方で私たちのような、40代から50代の世代が強要されてきたバブル以前の価値観の中では、オタク文化は日陰の存在でした。そしてこの世代の人々は昔を良い時代だと思っているところがどうしてもあるので、今の若者たちとの生き方や考え方の違いに、秩序の乱れを感じてしまいがちです」

――好き嫌いや価値観の違いと、どのように向き合えば良いのでしょうか。

「寛容であることが大切です。例えばネット上の議論を見ていると、今や右翼とか左翼とかいった区分には意味がなくなっているとは思いますが、いわゆる左の極端な人たちはレイシスト発言のようなものを嫌い、そういった表現は徹底的に規制してもよいという立場に立ちます。逆に右の極端な人は軟弱な表現は規制して国家主義のひとつの価値観をきちんと教育するべきだという立場に立ちます。いずれも極端な考え方は表現の自由を嫌っているんです。
表現の自由はわりと中庸なところにあり、どちらからも攻撃されがちです。意見の多様性を認め、寛容になることが必要です」
右も左も極端な考え方は「表現の自由」を嫌う――前参議院議員、山田太郎さん


報道の自由とコンテンツの自由


「表現の自由が話題にあがる際、『報道の自由』と『コンテンツの自由』は混同されがちですが、このふたつは分けて考えなければいけません。どちらも大切なのですが、私が声を上げて守りましょうといっているのはコンテンツの自由の方ですね」

――具体的にはどのように違うものなのですか?

「報道の自由はノンフィクションを扱うので、事実を伝える努力をする必要があります。自由に報道できるのは、それが事実であると裏付けが取れる、確証が取れる場合だけです。フェイクニュースは駄目なんです」

――ではコンテンツの自由は。

「コンテンツの自由はフィクションの話です。フィクションである限り誰も傷つけません。
誰かを傷つけるのはそれがフィクションではなくなってしまった時です。誰か特定の人を表し、それによって傷ついたり、暴力を振るわれたりということがあれば、それはもうフィクションではないので規制や罰則がなければいけません。ですがそうでない限り、架空の世界の中で誰が何をどうしようと別に良い。……という話をすると、『強姦シーンを描けば強姦する人が増えるんじゃないか』という意見が出ることも多いですが、でも強姦する人はそういう表現を見なくても強姦したかっただろうし、そういう表現があることで発散される部分もあるかもしれない。逆にそういった表現が全くなくなれば事件を防げるかというと、それも分からない。仮にその表現が誰かを傷つけていることになったらそれはもうフィクションではありません。が、フィクションだとみんなわかっていて、誰も傷つけない限りは自由であるべきです」

表現の自由は大切だといい続けることが大切


――表現の自由を守るために、私たちにできることは何があるでしょうか?

「表現をし続けること。表現の自由は大切だといい続けることですね。どうしても世代間抗争になっている部分はあるので、世代を超えて話し合う必要があります。また世論形成というものもすごく大切です。為政者にしても世論は怖いですから、『規制しても支持にはつながらない』『表現の自由を守ろうといえば票になるんだ』ということになれば、世の中が変わっていきます。私自身も選挙に出た際、ああいった形で見せていったことは多少影響があったようで、あれ以降、表現の自由について堂々と言う議員が増えてきたことは間違いありません」


毎月第1・第3水曜日(選挙直前は毎週)。
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(辺川 銀)