今、都内の大型書店に行くと必ず平積みで置かれ、文芸、人文思想界隈で話題となっている本がある。佐々木中氏の『切りとれ、あの祈る手を <本>と<革命>をめぐる五つの夜話』(河出書房新社)だ。
今回、著者の佐々木氏に、「若者の活字離れ」「出版不況」が叫ばれる中で、出版点数だけは右肩上がりに増える日本での「本の消費のされ方」をテーマに話を聞いた。
――まず、思想界に衝撃を与えた処女作『夜戦と永遠』(以文社)以来、2年ぶりとなる本書を出版した経緯を教えていただけますか?
佐々木氏(以下、佐) 前作を出版してから、こんな不況のご時世にもかかわらず、ありがたいことに新書や入門書を書かないかというオファーをたくさんいただいたんです。ただ、そういうものを書くと、その後、すべてのものについて、気の利いた一言を差し込むようなワイドショーのコメンテーターのような知識人になってしまうという危惧があり、頑なに断ってきました。そんな中、今年の2月にライムスターの宇多丸さんと対談をする機会があり、その後、朝まで飲んだんです。ライムスターというグループは、ラップで飯が食えるなんて考えられない時代から、ハードコアなまま、いかに売れるかで戦ってきたグループです。
――日本の書籍の出版点数は、右肩上がりで伸びていて、2010年は8万点を超える勢いです。本書の中で、「本を読んでいてわからないと、自分の力が劣っていると言われるような気がしてくる。
佐 それについては、今度出る宇多丸さんとの対談でも詳しく語っていますが、ニーチェなんてきちんと原作を読めばわかるんです。難しいことなんて言ってないですよ。それを超訳などと言って、よりによってニーチェを搾取している。ニーチェの『ツァラトゥストラ』の最終第4部は自費出版で40部刷ってたったの7部だけ知人に送っただけですよ。
――新書ブームと言われている、この今の日本の出版をめぐる状況については、どう思われますか?
佐 よく言われることですが、雑誌に論説というものが載らなくなった、新書がそれを肩代わりしている。どこの出版社も自転車操業で、借金を背負っているから、出版点数を稼ぐために、くだらない本ばかり出している。それで読者の劣等感につけ込んで、入門書やビジネス書を売りさばくような搾取の構造を利用しているわけです。今の出版業界のシステム自体が間違っているんです。
――出版点数が多いことについては、いかがですか?
佐 出版点数が多い割には、若者が読むべき本が手に入らない。僕が、書店でブックセレクトをすると、半分ぐらいは絶版なんです。エズラ・パウンドやパウル・ツェラン、日本で言えば、西脇順三郎や金子光晴のような20世紀屈指の詩人たちの作品が全然手に入らないんです。
――ただ、今更、出版のシステム自体を変えることは、さらなる出版社の倒産を招くなど相当のリスクが伴うと思います。
佐 出版に限らず、皆、この現在が唯一の現在であって我々には変えられないと思っている。ところが、歴史をよく学ぶと、我々が動かしがたいと思っている現実、あり方、生き方、読み方、書き方なんてものは、たったの100年も巻き戻せば通用しない。今でも国境線を2、3個越えれば通用しない。変えられないなんて、何の根拠もないですよ。
――最近は、速読が流行っていて、いかに情報を多く持つことがすばらしいかというような風潮がありますが、どうお考えですか?
佐 たくさんものを知ってどうするんでしょうか。死ぬんですよ。いくら知識や金銭を稼いでも、生まれた時も裸、死ぬ時も裸なんです。ヘルダーリン(ドイツの詩人・思想家)が言っています。「死すべきものに 歓びは多く 知るべきことは少なく与えられている」と。佐々木はいろんなことを知っているじゃないか、と言われます。それは嘘で、全然知らないんです。僕の引く著者は実に限られている。今回の『切りとれ あの祈る手を』についても、ニーチェが繰り返し出てくる。あとは何人かの書き手と聖典だけです。仕事柄、ピエール・ルジャンドル(フランスの法制史家、精神分析家)は読んでいますが、それだけです。数としては圧倒的に少ないと思います。その割には、情報量が多いと言われる。でも、真の良書を繰り返し読めば、情報量なんてものはあとから付いてくるんです。
――今年は、電子書籍元年などと言われ、注目を集めています。
佐 昔からあることです。大した問題ではない。パピルス(古代エジプトで使われていた文字を書く紙のようなもの)の巻物が本になったみたいなものでしょう。印刷術の発明よりずっと小さなことで、売り方が変わるだけです。キーボードでは味気ないから万年筆で書くという人が少し前までいた。しかし昔、万年筆が出て来たときには、鉄ペンでなくては駄目だという人がいて、鉄ペンの前には、ガチョウの羽でなければ駄目だという人がいた。そんなものですよ。ニーチェは、意外にも新しいものが好きで、彼はMalling-Hansenのタイプライターを注文しているんです。彼はピアニストだったから、文章を弾きたいというのがあったんじゃないですか。現代に生きていれば、iPadとかで書いていたかもしれない(笑)。
――本書を出してからの反響は、どうですか?
佐 僕より後から来る人のために書いたわけですから、若い人に読んでもらうのは一番嬉しい。ですが、僕より年配の方に読まれているという事実が、何より心強いです。出版に限らずあらゆる状況が厳しい時代に、世代間闘争ほどくだらないものはないですからね。あと、作家や画家、ミュージシャン、デザイナー、劇作家のような、クリエイティブな仕事の現場に立っている人々が「勇気をもらった」と言ってくださるのが一番嬉しいですね。
* * *
『切りとれ、あの祈る手を』の帯に宇多丸氏が「背筋が伸び元気が出る」と書いているように、筆者もこの本を読んで、出版に関わる者として背筋が伸びた。本書の内容に関しては賛否両論あるようだが、まずは手に取ってみるべきです。お勧めです。
(文=本多カツヒロ)
●佐々木中(ささき・あたる)
1973年生まれ。東京大学文学部思想文化学科卒業、東京大学大学院人文社会研究系基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、立教大学、東京医科歯科大学教養部非常勤講師。専攻は哲学、現代思想、理論宗教学。著書に『夜戦と永遠ーフーコー・ラカン・ルジャンドル』(以文社、2008年)がある。
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