こんにちは。江端智一です。

 今回も、前回の記事『妊娠という非効率的メカニズム~私達の体に書き込まれている「出産させないシステム」』に引き続き、少子化問題を引き起こす、出産年齢問題と不妊問題について説明させていただきます。

 前回は、妊娠に至るまでの人類の生殖メカニズムを説明しました。そして、妊娠に至るまでの中間プロセスが過酷すぎて、まるで自然が私たちの出産を妨害し、我が国の少子化に協力しているように見えることを示しました。また、自然は、「ほんのちょっとでも問題が見つかったら、産ませないよ」というポリシーで、出産のメカニズムを運用していることも、わかりました。

 このような「自然」の厳しい掟に対して、私たち人類も、指をくわえて座していたわけではありません。生殖補助技術(ART :Assisted Reproductive Technology)、いわゆる不妊治療の技術を進歩させてきたのです。

 今回は、「何がなんでも子どもが欲しい」と願う私たち人類が、絶望的に厳しい条件を課す生殖メカニズムに対して、その英知(医療技術)を結集して挑む、「自然vs.ART」の闘いと、その光と影についてお話し致します。

●不妊治療の方法

 さて、ARTの代表的なものとしては、以下の種類の治療があります。

(1)タイミングを測る方法

 要するに、卵管に卵子が排出(排卵)されない時に精子が到着しても、受精しようがありません。卵子と精子が「出会えない」のですから。ところが女性がマメに体温を測っていると、卵子が飛び出てくるタイミングを知ることができます。

 ところが、この体温の変化は、わずか0.5度上昇する程度で(この程度、日常生活では誤差でしょう)、非常にわかりにくい上に個人差もあり、排卵のタイミングをピンポイントで見分けることは難しいようですが、現在のところ、この方法が最もポピュラーです。

不妊治療、なぜ女性を蝕む?~卑怯な男性、周囲の無理解、医療の進歩が闇を深くする
 このタイミングを逆の目的に使ったものが、俗に言われる「安全日」というものです。

 しかし、女性の体はタイマー制御されたコンピュータシステムではありませんので、この方法の確実性には限界はあるようです。

(2)精液の精子濃度を上げて、子宮に直接注入する方法

 不妊治療というと、女性の治療というイメージがありますが、実は不妊の原因の半分は男性側にあります(後述します)。精子の数が少ない男性がいても今となっては珍しいことでもないですし、そして、ちゃんと対応方法もあります。

不妊治療、なぜ女性を蝕む?~卑怯な男性、周囲の無理解、医療の進歩が闇を深くする

 男性の精液を採取し、それを遠心分離機で濃度を上げた濃縮精子を、細い管を使って子宮に直接注入します。これを、人工授精法(AIH: Artificial Insemination by Husband)といいます。

生存率0.001%という「膣内の体液による虐殺 (前回の記事)」を免れて、子宮に到着させるという、まあ、早い話が「裏口入学」です。

(3)卵子と精子を体の外に取り出して、体外で受精させる方法

 これが、かつて「試験管ベビー」と呼ばれていた方法です。

 精子を、膣、子宮、そして卵管のどこも通過させず、卵子と精子を体の外で直接ランデブーさせる方法です。男性の精液は、マスターベーション等で採取できますが、女性の卵子を取り出すのは難しいです。そこで、膣壁から注射針を刺して(すごく痛そう)、排卵直前の卵子を卵胞内の液ごと吸い取ります。

 こうして強制的に体外に出した卵子と精子を、試験管(実際にはシャーレの中)で受精させ、受精卵(正確には「胚」ですが、今回も「受精卵」と表現します)になったものを、胎児を育てる為の最高級スイートルームである子宮に戻します(ですから、「試験管ベビー」は正確な表現ではありません)。

そして、受精卵が子宮の壁をがっちりつかんでくれること(着床)を「祈ります」。失敗すると流産になります。

不妊治療、なぜ女性を蝕む?~卑怯な男性、周囲の無理解、医療の進歩が闇を深くする
(4)精子を極細の注射針で、卵子に強制的に注入する方法

 (3)の場合であっても、受精しない場合は、力ずくで、卵子の中に精子を注入します。微細な針(精子注入用ピペット)に精子を吸引し、この針を卵の細胞の内に刺し、精子を直接注入して受精させます。受精卵になったものを、子宮に戻すところは(3)と同じです。

●卵子が老化するという事実

 ここで、前回ご紹介したグラフを再掲します。

不妊治療、なぜ女性を蝕む?~卑怯な男性、周囲の無理解、医療の進歩が闇を深くする
 青色の棒グラフは、母の年齢別の子どもの出産数の比率を示しています。母の年齢が上がるにつれて子どもの数が減っており、特に30代前半から後半にかけての下落は激しいです。赤色のグラフは、ARTを受けたカップルの妊娠の成功率です。

 強制的であれ、受精さえすれば不妊問題は解決したも同然――と考えていた私は、ARTのデータを見て愕然としました。一番可能性の高い20代ですら、ARTによる妊娠成功率は30%にすぎないのです。図3に示した体外受精に至っては、20代であっても、その成功率はたかだか20%です。

あまり知られていませんが、そもそもARTによる妊娠成功率は低いのです。

 ただでさえ少ない成功率なのに、20代→30代→40代→50代の順番で、およそ3→2→1→0という比率で減少しています。

 その中でも体外受精の成功率は、25歳:21%、30歳:20%、35歳:17%、40歳:8%、45歳:0.5%となっており、女性の年齢上昇とともに急激に下がることが明らかです。

 これこそが、「産みたいのに産めない」という悲劇の根源――「卵子の老化」によるものなのです。

 女性は原始卵胞を抱えて誕生し、その後、一方的に減少していき、さらに年齢とともに老化し、受精する能力を失って行きます。特に35歳を経過した後、卵子の老化は急速に進行します。

 今回の執筆まで「体外受精の技術さえあれば、年齢に関係なく子どもをつくれる」と思っていた私は、絶望的に無知だったと認めます。

 しかし、日本人の多くもまた(女性も含めて)、この「卵子の老化」の事実を知りません(参考:テレビ番組『NHKスペシャル 産みたいのに産めない~卵子老化の衝撃~』<2013年6月23日放送>)。

「閉経」まで受精や妊娠のチャンスが等しくあるわけではないのです。現在のところ、どのような生殖治療を施そうとも、「卵子の老化」の前には、打つ手がないのです。

●体外受精の成功率はまだ低い

 国内の20~49歳までのカップル1500万組中、不妊の治療や検査を受けたことのある夫婦は6組に1組(約250万組)です(http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou13/chapter5.html)。

 そのうち、実際に約50万組が不妊治療を受けており、そのうち平成23年度に、現時点での最終手段とされている体外受精を実施したカップルは27万組に達しています。しかし、27万組のうち、実際に出産した数は、わずか3.2万組(15%)です。これほど出産数が少ないのは、受精が成功しない、または成功しても受精卵が子宮に着床せずに流産してしまうからです。

 1978年、英国ランカシャー州オールダムの小さな病院で、世界最初の体外受精による女の子が誕生した時、それを祝福する者は絶無で、世界中が「試験管の中で恐ろしいモンスターが誕生した」と非難の声を上げていました。ちなみに、バチカンは今でも不快感を示しています(『デザイナー・ベビー―生殖技術はどこまで行くのか』<ロジャー・ゴスデン/原書房>)。

 それが今や、日本の約50組に1組のカップルが体外受精を行う時代になったのです。

 一方、WHO(世界保健機関)の調査によると、精液中の精子の数が少ない等の理由による男性側の原因による不妊は、約48%もあるそうです。不妊原因が男性にある場合、女性がどんな治療をしようとも、まったく無意味であることは言うまでもありません。

 しかし、男性の不妊への取り組みの意欲は、女性と比べて著しく低いのです。不妊クリニックに姿を現さず、妻に精子を運ばせて妻だけで人工授精を受けさせる、というひどい例もあるそうです。

 男性は、生殖問題に対して極めてナーバスなのです。不妊と診断されても治療や生殖手段はあるのに、「男として存在を否定される」かのように思い込み、一貫してクリニックでの診察を拒み続けるのです(「ニューズウィーク日本版」<阪急コミュニケーションズ/2013年11月26日号、P.48>)。

●不妊治療がさらに心を痛めつける負の連鎖に

 これらの事実は、子どもを強く望むカップルを、特に女性を、肉体的にも精神的にも追いつめます。

 残された時間は少なく、時間が経過するにつれ事態は悪化方向にしか進まず、排卵は月に1回しかなく、加えて、男性不妊を直視しようとしない「臆病」で「卑怯」なパートナーが、残された女性の貴重な時間を、いたずらに喰い潰します。

 そして、女性側の不妊治療は、多くの場合、激痛を伴うものであり、そして、その費用は高額です(例えば、体外受精の費用は1回当たり25~50万円)が、不妊治療を試みる多くの女性は許された期間中、妊娠に成功するまで何度でも不妊治療を繰り返すのです。

 この日本では、「子どもが欲しい」というごく普通の想いを、いつのまにか「子どもができないこと=自分が不完全な人間である」という思い込みに転じてさせてしまう仕組みができています(『生殖技術――不妊治療と再生医療は社会に何をもたらすか』<柘植あづみ/みすず書房>)。

 私たち日本人は、不妊の話題をタブー化して、例えば「卵子の老化」のような知識すら持っていません(フランスでは、普通教育過程で教えるそうです)。例えば、40歳以上になって初めて不妊クリニックに駆けこむ人数の多さでは、先進国中で最悪のレベルにあるそうです。

 加えて、生殖医療の技術進歩が、不妊治療をあきらめさせてくれなくなり、当事者たちを、さらなる闇に沈めていきます。

 このような、負のフィードバックに翻弄されながら、自分の心と体を蝕ませていく女性(男性も)が、今の日本に、10万人のオーダで存在しているのです。

 では、前回と今回の内容をまとめます。

(1)いわゆる不妊治療の代表的な方法としては、「タイミング調整」「人工授精」「体外受精」がある。
(2)不妊治療による出産の可能性は(当初私が考えていたよりはるかに)低い。
(3)女性の年齢の上昇に従って妊娠の可能性は低下し、「卵子の老化」というタイムリミットや周囲の無理解が、出産を望む多くのカップル(特に女性)を苦しめ続けているという現実がある。

 次回は、「これらの問題を解決する方法はないのか」という視点で、現状の生殖医療技術の可能性から現段階では存在していない方法(SF等)までも含めて、検討していきたいと思います。
(文=江端智一)

なお、図、表、グラフを含んだ完全版は、こちら(http://biz-journal.jp/2014/post_3825.html)から、ご覧いただけます。

※本記事へのコメントは、筆者・江端氏HP上の専用コーナー(http://www.kobore.net/kekkon.html)へお寄せください。