4月、第一三共は、ついにランバクシーの全株売却を発表。
第一三共によるとランバクシーの買収額が4900億円(08年当時の為替レート)だったのに対し、取得するサン・ファーマ株9%の価値は2100億円。第一三共は単純計算で2800億円を失うことになる。
第一三共は後発薬事業を大幅に縮小する。ランバクシーを通じて進める予定だった世界市場での後発薬事業の拡大戦略は挫折した。
第一三共はランバクシーの工場の品質問題で、最大市場の米国に輸出できなくなっていた。インド・パンジャブ州にある、医薬品のもとになる原薬を生産しているアンサ工場が今年1月、米食品医薬品局(FDA)から禁輸措置を受けた。第一三共は、禁輸措置となった原因を明らかにしていない。ランバクシーは08年にもインドのパオンタサヒブ、デワスの2工場がFDAから問題があると指摘され、さらに13年には最新鋭のモハリ工場も禁輸措置を受け、米国への後発薬の輸出ができなくなっていた。
●相次ぐ米国への輸入禁止措置第一三共の海外M&Aは、なぜ失敗したのか。
第一三共はランバクシーの買収で、いきなり地獄を見た。08年6月、ランバクシーの子会社化を発表し、同年8月からTOB(株式公開買い付け)を実施。ランバクシーの株式の63.4%を4900億円で取得した。
ところが思わぬ事態が発生した。TOB期間中の08年9月に米国のFDAがランバクシーの前出の2工場で抗生物質の取り扱いや製造器具の洗浄状況、生産管理、品質管理などに関する記録の保存について問題が改善されていないとして、30種以上の医薬品の米国への輸入を禁止する措置を取った。
売上高の3割を占める米国市場を一時的に失ったことで、ランバクシーの株価は08年12月末に買収価格から66%も大暴落した。
ランバクシーの買収発表の直後、当時社長だった庄田氏は「先進国を中心とした新薬開発に軸足を置いてきた海外戦略を修正し、新興国市場への進出や安価な後発医薬品も提供する『複眼経営』に乗り出す」方針を打ち出した。ランバクシーは特許が切れたジェネリック(後発医薬品)メーカーで49カ国に拠点を持ち、13年12月期の売上高は1060億ルピー(約1833億円)。従業員は約1万4600人で、インド国内に10工場があるほか、米国にも工場を持つ。
ランバクシーの6割の株式を買うのに5000億円近い巨額な資金を投下したことから、当時「高すぎる」との指摘も上がった。
しかしその後、わずか半年で7割近い企業価値が消えてしまったが、当時から買収する際のデューディリジェンス(資産査定)が甘かったのではないかと指摘されていた。
また、今回ランバクシー株の譲渡先であるサン・ファーマも、実は3月に西部グジャラート州の工場がFDAから禁輸措置を受けており、品質管理の問題を抱えている。ディリップ・サングビ社長は「(ランバクシーを吸収合併して誕生する)新会社では法令順守を徹底する」としているが、早くもランバクシーの二の舞いになることを懸念する声も上がっている。
●買収で分かれた明暗今回のランバクシー株譲渡は、サン・ファーマのサングビ社長が第一三共の中山譲治社長に打診したのが発端だった。
今回の売却交渉を主導したのは、中山社長や財務担当、研究開発担当の取締役。いずれも旧第一製薬出身だった。旧三共の庄田会長は、交渉の当事者ではなかった。ランバクシー買収は「旧三共案件」と呼ばれていた。05年に対等合併したはずの第一三共だが、旧第一と旧三共の融合は進んでいなかった。むしろ、ランバクシー問題をめぐって対立は尖鋭化していた。こうした縦割り意識が、ランバクシー買収失敗の底流にある。
ランバクシーの創業者一族は、FDAから禁輸措置を受ける直前にランバクシーを第一三共に高値で売却して逃げ切った。会社の売却で億万長者となったシン兄弟は、祖父から受け継いだインドの病院大手「フォルティス・ヘルスケア」を経営。現在はインド最大の病院チェーンを展開する「病院王」といわれている。
一方、第一三共の14年3月連結売上高は前期比11.2%増の1兆1100億円、営業利益は同4.5%増の1050億円を予想。円安が利益を押し上げたほか、国内の医薬品販売が好調だったが、ランバクシーの減益が足を引っ張り、最終損益は650億円と2.4%減になる見込みだ。
ランバクシーのM&Aでは、売った側と買った側が明暗を分けた。同社関係者の間では、早くも社長時代にM&Aを主導した庄田隆会長の経営責任を問う声が出始めている。
(文=編集部)