Netflixの恋愛リアリティショー『ラヴ上等』シーズン2が、「ヤンキーファンタジー」を巡って大炎上しています。出演者の「人に火をつけた」という発言や法務省とのタイアップが物議を醸し、企画・プロデューサーを務めるMEGUMIの火消しコメントも逆効果に。

なぜ人々は「ヤンキーって実は優しい」という物語にイラッとするのか?番組が見落としていた視聴者の視点から、炎上の本質を読み解きます。(ライター 徳重龍徳)



元ヤン・MEGUMIが語った
仁義と人情



 8月4日からNetflixで配信されている恋愛リアリティショー『ラヴ上等』シーズン2への批判が強まっている。



 きっかけの一つは、出演者が過去を振り返る中で語った「人に火をつけ、捕まったことがある」という趣旨の発言だった。具体的にどのような状況だったかは説明されず、出演者も番組内で後悔も口にしているが、この場面を切り取った動画や画像がSNSで拡散され、大きな批判を浴びた。



『ラヴ上等』は元暴走族、少年院経験者などいわゆるヤンキーの男女による恋愛リアリティショーだ。シーズン1は2025年12月9日に配信されると日本では週間1位を獲得。香港、台湾、シンガポールなどでもTOP10入りを果たしている。タレントのMEGUMIが企画、プロデュースとして参加していることでも話題を呼んだ。



ラヴ上等、なぜ炎上?「こち亀」両さんの主張がぐうの音も出ない正論だった
声明が炎上に油を注いでしまった、『ラヴ上等』シリーズの企画・プロデューサーを務めるMEGUMI


 私のこの番組の印象は、日本のヤンキー漫画やヤンキードラマが描いてきた「見た目は怖いし喧嘩もするが、実は仲間思いで、女性には純情で、人間味がある」という「ヤンキーファンタジー」をリアリティショーに持ち込んだというものだ。



 実際、『ラヴ上等』の企画が発表された2024年2月のNetflixラインナップ発表イベント「Next on Netflix 2024」において、MEGUMIは自身も元ヤンキーであると語った上で、ヤンキーには「心に忠実に好きだ!嫌いだ!と感情をストレートに表現していたし、仲間は絶対に守る、愛する女は一人だけ。仁義、人情もすごくあった」と語っている(2024年2月8日 オリコンニュース)。



 このMEGUMIの狙いは、少なくともシーズン1ではうまくハマっていたように思う。



『ラヴ上等』は「不良×恋愛リアリティショー」という刺激的な入口で始まりながら、回を重ねるにつれて出演者たちの不器用さや優しさ、人間臭さが見えてくる構造で、最終的には「不良×恋リア」というより、「不良×人間ドラマ」と呼びたくなるような作品になっていた。



Netflixが見落とした
「ヤンキーファンタジー」の盲点



 恋愛リアリティショーをほとんど見ないというMCのお笑い芸人・永野が、次第に出演者たちに感情移入していく様子がスタジオで映し出されることも、その面白さを増幅させていた。



 ただ番組の面白さの中心である「ヤンキーファンタジー」を成立させるためにほとんど焦点が当てられてこなかったものがある。それが出演者たちの「加害者性」である。



 暴走族や喧嘩、少年院といった過去を現実の問題として掘り下げれば、その向こう側に迷惑を受けたり、傷つけられたりした人の存在も浮かんでくる。そこまで見えてしまえば「ヤンキーだけど実はいい人」という物語には乗りにくくなる。



 そこで『ラヴ上等』は登場するヤンキー以外を極力排除する演出が取られている。



 ヤンキーの男女が暮らすのは、シーズン1は山奥の学校、シーズン2は敷地のほとんどが海に囲まれている学校と、いずれも出演者を日常社会から切り離し、閉じた場所に置く。さらにドローンによる空撮で、外界から隔離されていることを強調するような演出も取られている。



 またセットは80、90年代のヤンキー文化や平成のギャル文化を現代風にアレンジした、ダサさとかわいさの絶妙なデザインで、ある種のファンタジー世界に見えるようにしてある。



 シーズン1では子ども食堂、シーズン2ではシークヮーサー農家やバナナ農園の手伝いなど、閉じた学園の外へ出て地域の人々と交流する場面も用意されているが、それはヤンキーたちの人間らしさを強調するための演出といえる。



『ラヴ上等』の出演者は、その閉じた世界の中では仲間を思いやり、恋する相手には優しく、悩む人がいれば寄り添う。まさにヤンキー漫画が描いてきた「実は優しい不良たち」であり、何も考えずにみれば「いい人」として見えてしまう。



 はたして本当にそうなのだろうか。



 以前、ギャルタレントのゆきぽよが「ヤンキーって実は優しい」という趣旨で「彼氏も爆音でバイクに乗るが自宅近くでは音を小さくする」と話した。その際、アンガールズの田中卓志が「町ではうるさくして人に迷惑かけといて、自分の彼女とか身の回りではいい顔する、それが嫌いなんだよ」と反論したという話が、SNSでも長く語り継がれている。



 これは、そのまま『ラヴ上等』にも重なる。



『ラヴ上等』の出演者は、身内には優しいかもしれないが、しかし、ヤンキーによる被害を受けた人間は、その輪の外側にいる。中ではいい人だと言われても、関係ない。むしろヤンキーの被害者にとっては「実は優しい」と美談にされれば腹が立つ人だろう。



 実際、私も中学時代にヤンキーに被害に遭い、修学旅行のバスで自分の席を奪われ、4時間の移動中にずっと立っているはめになったことがある。私の席を奪ったヤンキーは仲間内では「いい人」だったかもしれないが、被害者である私にとっては決してそうではない。



 ただ、日本には表現の自由がある。Netflixは有料の配信サービスであり、『ラヴ上等』も自分から見ようと思わなければ、見ることはない。たとえヤンキーに嫌な思いを感じる人でも、「Not For Me」(自分には合わない)と通常ならば見ずに済むものだった。



 ところが今回、この「ヤンキーファンタジー」が2つの方向から現実世界へ飛び出してしまい、本来見たくない人の元にも届いてしまった。



「更生上等!!」で失敗した法務省
40年前に本質を見抜いていた「こち亀」



 一つが記事冒頭に書いた「人に火をつけた」という発言のSNSでの拡散だ。番組内では一人の出演者の過去や後悔という文脈の中に置かれていた。



 しかし「人に火をつけた」という言葉だけが外へ出れば、当然その向こう側に「火をつけられた人」を想像する。それまで番組からは消されていた被害者が、突然現れたのだ。当然、批判は殺到する。



 もう一つが法務省による「『ラヴ上等』シーズン2」と更生保護とのタイアップポスターだ。



「更生上等!!」「立ち直りって、ラヴだ」というキャッチコピーとともに、シーズン2の出演者である小指のない全身入れ墨の格闘家が中央で座るインパクトのあるものだ。



ラヴ上等、なぜ炎上?「こち亀」両さんの主張がぐうの音も出ない正論だった
法務省保護局のXアカウント(@MOJ_HOGO)のスクリーンショット


 Netflixの中で「元ワルだけど実はいい奴」というエンターテインメントとして楽しむのは理解するが、法を所管する行政機関がそれを「更生」の象徴として掲げるのには個人的には違和感がある。ネット上でも疑問や批判が相次いだ。



 もちろん更生した人を社会が受け入れることは大切だ。一度過ちを犯した人間を永久に排除すべきだとも思わない。しかし、つらい過去や苦しい環境の中で育ったとしても、大半の人は犯罪にも走らず、歯を食いしばって暮らしている。

しかし、そうした真っ当な人たちはなかなか脚光を浴びることはない。



 漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』42巻に「仕事さがし!の巻」という有名なエピソードがある。不良から立ち直ろうとする少年に対し、周りの派出所メンバーは誉めそやすのだが、そこで両津がこう釘を刺す。



「えらいやつってのは始めからワルなんかにならねぇの! 正直で正しい人間がえらいにきまってるだろ!」



「こいつから金とられたまじめな学生やバイクとられた人の方が悲惨でしょう!? 『正直者がバカをみる』の手本を示しているこいつのどこが立派なんですか?」



 40年前の漫画だが、この両津の指摘した違和感は古びていない。本当に褒められるべきなのは、ドロップアウトしたあと戻ってきた人ではなく、そもそもドロップアウトせず、誰かを傷つける一線を越えなかった人でもあるはずだ。



「人に火をつけた」発言が炎上後、プロデューサーであるMEGUMIは出演者について「過去も今もすべてをさらけ出し、覚悟を持って」参加したとして、誹謗中傷や心ないコメントをやめるよう呼びかけたが、鎮静化どころかむしろ火に油を注いでしまう結果となった。



 そもそも「覚悟」とは何なのだろうか。過去の加害行為を自ら公の番組で話すのであれば、その行為について批判されることまで含めて「さらけ出す」ということではないのか。



 鎮静化を狙うのであれば、MEGUMIに求められていたのは、出演者の身内として彼らを守ることだけではなく、プロデューサーとして外側にいる人たちにも目を向けることだったのではないか。元ヤンキーであるMEGUMIのコメントは奇しくも、アンガールズ田中が批判した「身内には優しい」というヤンキーの論理そのものに見える。だからこそ、批判する人たちには届かなかったのではないだろうか。



『ラヴ上等』が描こうとした「悪そうだけれど、実は優しい」というヤンキー像が全く嘘だとは思わない。

彼らは本当に仲間思いで、恋人にも優しいのだろう。ただ、それと過去に誰かを傷つけたことは両立するものだ。



『ラヴ上等』がこれまで映してきたのは、ヤンキーたちが愛する人に見せる顔だった。そしてシーズン2で炎上しているのは、その画面の外にいた人々が見た、もう一つの顔が初めて可視化されてしまったからではないだろうか。

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