【増田俊也 口述クロニクル「茶の間を変えたコメディアン 欽ちゃんのぜ~んぶ話しちゃう!」】#29


 作家・増田俊也氏による連載、各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。待望の第2弾は、「視聴率100%男」として昭和のテレビ界を席巻したコメディアンの萩本欽一氏です。


  ◇  ◇  ◇


増田「前に、萩本さんは神様に手を合わせたことがないと仰った。小中学生の頃、手を合わせない代わりに、空に向かって語りかけるっていう話を聞きました。それはどれぐらいまで?」


萩本「ずっとです。自分の子供が生まれたときもそう。生まれたけど、具合がよくない。亡くなりそうですって電話で聞いたときに、ちょうど福岡で仕事してたんです。で、窓を開けて、星空に向かって語りかけました。『今までどうもありがとうございました。いま視聴率30%いってるけど、あれ交換しません? 30%なくなっていいから、うちの子供だけちょっと助けてくれない? どんでん返しでよろしく』って言ってガッて窓を閉めた、そしたら、1週間経って、子供は死なないでひょっとしたら大丈夫かもしれないって」


増田「三男の子ですか?」


萩本「うん。案の定、番組がずーっとなくなってって。で、子供が助かりました」


増田「へー。それは天をイメージするんですか」


萩本「私が神様に手を合わせないっていうのは、人間というのはそれぞれ専属がいるっていう考えだから。

みんな専属がいるにもかかわらず、よその神様に手合わせてるから専属がうろたえてんの。『じゃあ私はいらないの?』って。専属がいるっていうのをみんな知らないんだよ。ひどい目に遭うとね、そういうきつい目に遭わせるっていうのはね、あなたの成功を倍にするためよって言ってるだけですから」


増田「なるほど」


萩本「うん。ひどい目に遭えば遭うほど、幸せや成功はでかいものになるんだって考えてる。そうすると、貧乏は悲しくないし、ひどい目に遭っても悲しくないでしょ。ときどき『悩んだときはどうするんですか?』って聞かれるんだけど、悩まないんだよね」


増田「なるほど」



家族がひどい目に遭う

萩本「だってさ、視聴率30%のテレビ番組を3本やったらさ、普通は辞めないでしょ。でも、30%がずっと続くわけないんですよ。引き換えにひどい目に遭うんですよ。それが、家族に出ちゃうんですよ。自分が成功するとね、家族になんかあるの。だからね、俺、結婚しちゃったのが良くないんだよね。

俺、貧乏したの何年だろうって考えたら16年ぐらい。それで有名になって何年だろうって考えたら30%までがちょうど16年だったんだよね。運を使い終わっちゃったな、またどこかひどい目に遭わなきゃダメだって思った」


増田「それで、休養宣言をしたわけですか? 視聴率100%の絶頂期にほぼすべての番組を降板した」


萩本「ええ、それで辞めることにしちゃいました。何かひどい目に遭いそうだなっていうんで、実際いろんなひどい目に遭い出して。運を使い切っちゃったんだね。全然いいことなくなったの」


※萩本の休養宣言:1985年3月、『欽ドン!』『欽どこ』『週刊欽曜日』などを抱え「視聴率100%男」と呼ばれる絶頂期にほぼすべてのレギュラー番組を降板し、「充電」を理由に半年ほど休養すると発表した。当時、理由について本人は「視聴率競争への疲れ」といった趣旨の発言をした。


増田「欽ドンが始まった頃ですけど、僕たち視聴者から見ると、コント55号で人気が沸騰して、萩本欽一個人としてつくる番組が次々にヒットして、まさに絶頂期という印象でしたが、実はいろんなご苦労があったんですよね。スポンサーをつけたりするのに。やっぱり運って言うんでしょうか。何も最初からうまくいってたわけではないんですね」


萩本「成功するっていうのは、いい人に出会うことって言ったけど、それだけじゃダメなんですよね。いい人に出会うっていうのと、プラスにしてそのいい人のいい言葉ってのがあった場合は100%成功する。

だからフジテレビでレギュラーをやる時に、フジテレビが『やりたいディレクターとかいますか』って言うから、俺より先に二郎さんがすかさず『常田さんでお願いします』って言ったの」


増田「常田久仁子*さんですか?」


※常田久仁子(ときたくにこ):1927年東京生まれのテレビプロデューサー。1952年に文化放送に入社、1958年にフジテレビに移籍。代表作に『お昼のゴールデンショー』(1968-72年)、『コント55号の世界は笑う!』(1968-70年)、『ラブラブショー』(1970-79年)、『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(1975-80年)、『アイ・アイゲーム』(1979-85年)、『TVプレイバック』(1985-89年)など。2010年没。


萩本「そう。それで『大将は? 欽ちゃんは?』って言うから『私も常田さんでお願いします』って。私が言ったんじゃなくて、二郎さんが先だったよ。で、『なんで常田さん?』って聞かれたから、『はい、リハーサルで笑ってくれるんだよ』って。他のみんながブスッとしている中でリハーサルから笑ってくれる。よく考えたら(ラジオのドキュメンタリー番組出身の)常田さんって、バラエティーは素人だから見たことないんだね。だから、面白いと本当に笑う。番組で『アハハハハハハハ!』って絶叫するディレクターって見たことあります? みんながシーンとしてる中で、1人だけ『アハハハハハハ、あーおかしい、あーおかしい』って笑うんだよ。

こんな幸せなことないでしょう。ずっとそうでしたよ」(つづく =火・木曜公開)


▽はぎもと・きんいち 1941年、東京都生まれ。高校卒業後、浅草での修行を経て、66年にコント55号を結成。故・坂上二郎さんとのコンビで一世を風靡した。その後、タレント、司会者としてテレビ界を席巻し、80年代には週3本の冠番組の視聴率がすべて30%を超え、「視聴率100%男」の異名をとった。社会人野球「茨城ゴールデンゴールズ」の初代監督、2015年には73歳で駒澤大学仏教学部に入学するなど挑戦を続け、25年10月にスタートしたBS日テレ「9階のハギモトさん!」は今年4月からSEASON3に突入した。


▽ますだ・としなり 1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。

現在、拓殖大学客員教授。


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