いざ自分の身に起きたとき、その複雑さや大変さに戸惑う人は少なくありません。
イラストレーターの益田そよさんも、そんな一人でした。「将軍」と呼ばれるほど厳格だった父から、突然「遺産相続の話をするから」と招集をかけられたことをきっかけに、帰省のたびに家族で相続の勉強会を重ねる日々を送ることになったといいます。
その実体験をもとに、漫画『将軍が死んだ ~父の遺産を相続した日~』を執筆。第19回新コミックエッセイプチ大賞を受賞。現在はInstagram(@potemkin_mas)やXで作品を発信しています。
本記事では漫画から5話までを紹介。後半では益田さんに、勉強会が始まったきっかけや、遺産相続を通じて深まった家族の絆について聞きました。
※本記事は益田そよさんご自身の体験に基づく内容です。相続に関する制度・税制は改正されることがあるため、実際の手続きについては税理士等の専門家にご確認ください。
「これから遺産相続の話をするからな」
――お父様が、遺産相続についての勉強会を開くようになったのは、いつ頃だったのでしょうか。益田そよ(以下、益田):父が亡くなる13年前、私たち3人兄弟が30歳前後、父が60歳を過ぎた頃でした。その頃、祖父(父の父)が亡くなり、父自身が遺産相続をすることになったんです。
でも、祖父は終活をほとんどしておらず、相続の手続きにかなり苦労したそうです。その体験をきっかけに、「自分の相続ではしっかりと準備をして最期を迎えよう」と思ったようです。
――最初の勉強会の日、益田さんはどんな気持ちで実家に向かいましたか?
益田:遺産相続の話とは知らず、帰省前に母から「家族揃って、お父さんから話を聞くから」とだけ言われていたので、「なんだか不穏な空気だな……」くらいに受け止めていました。
――勉強会は、どんなふうに開かれたのでしょうか。
益田:初回は、父お手製のファイルが配られました。参考書くらいの厚みがあって、相続の基礎知識から生命保険・相続税の計算方法など、遺産相続に必要な情報がびっしりとまとめられていました。その後の勉強会では、法律や制度、またわが家の相続計画に変更があった部分のレジュメが配られました。
勉強会中、父は私たちの質問に対して嫌な顔せず、根気よく説明してくれました。事前にかなり勉強してくれていたので、だいたいのことはスラスラと答えてくれました。
ただ、ファイルの資料はすべて「裏紙」に印刷されていて、「大事な資料なんだから、こんなときくらい綺麗な紙に印刷してよ」と心の中でつっこんでいました(笑)。でも、倹約家の父らしいところが出ていたとも思います。
――お父様の勉強会を受けて、遺産相続に対するイメージは変わりましたか?
益田:当時の私は、相続といえばドラマで見るような、家族が財産をめぐって争う「揉めごと」のイメージしかありませんでした。
相続税がどれくらいかかるのか、節税という考え方があることも知らず。それに、わが家の資産状況について詳しく聞いたこともなかったので、「遺産相続をする」という想像ができていなかったです。
実際に勉強会を受けて、相続がこんなに複雑な制度だと初めて知りました。節税対策をしなければ、大きな相続税がかかるかもしれないと聞き、「大変なことに巻き込まれてしまったのでは……」と不安になりました。思っていた以上に奥が深く、知らないことばかりでした。
相続税の複雑な仕組みに驚き
益田:年に1~2回、子どもたちの帰省に合わせて開かれていました。場所はいつも家族が集まるリビングです。勉強会の日だけは、いつもの団らんとは違うピリッとした緊張感がありました。
――遺産相続について勉強したことで、驚いたことはありましたか?
益田:個人的には、生命保険の話が出てきたあたりから、理解するのが難しくなりました。
相続の話に生命保険が絡み、さらにそれが生前贈与にもつながっていく……。ひとつ理解したと思ったら、別の制度や仕組みが出てくるという感じなんです。
また、勉強会では計算式が何度も登場しました。
私は数字が得意ではなかったので、もし一人で向き合っていたら、途中で心が折れていたと思います。本当の意味で内容を理解できたのは、相続の準備が終盤に差しかかった頃だったと思います。
――3人兄弟で、勉強会への温度差はありましたか?
益田:お恥ずかしい話ですが、ぶっちぎりでやる気がなかったのが私だったと思います。当時は自分のことで精一杯な時期でした。父がどんな思いで準備してくれていたのか、当時はきちんと気づけず申し訳なかったです。
兄がどう感じていたかはわからないのですが、姉は勉強会の内容を毎回ノートに書き留めていました。兄弟の中で一番父に似ていたのが姉だったので、父の意図を誰よりも感じ取っていたのかもしれません。
――生前贈与も活用されたそうですが、いかがでしたか?
益田:一番大きかったのは、住宅購入の際に受けた贈与の特例でした。父が亡くなった後に相続するのではなく、あの年齢の私にまとまった金額を生前贈与してくれたことは、とてもありがたかったです。
ただ、「生前贈与は自分が働いて稼いだお金じゃない、将来、相続税を納めるために必要になるお金だ!」と自分を戒めて、簡単に使ってしまわないようにする必要がありました。
「基本は敬語」“将軍”のような父との思い出
――漫画では、お父様のことを「将軍」と呼んでいますが、どんなお父様だったのですか?益田:実際にそう呼んでいたわけではないのですが、小学生くらいの頃から、父に対して「将軍」のイメージを持っていたんです。
子どもの頃、父と話す時は基本的に敬語でした。父の一人称は「ワシ」だったのですが、友達のお父さんで「ワシ」と言ってる人はいなかったので、わが家だけ時空がねじれて昭和にいるのかと思っていました(笑)。
食卓では、父が上座、母が下座。そして父が箸をつけるまで、誰も食べ始められません。「父を敬う」ということが特別な教えではなく、当たり前の前提として生活の中にありました。
――かなり厳格な方だったのですね。
益田:ゲームやテレビ、買い物、友達の家に遊びに行くことも許可制でした。魚を食べるときは、食後に父による「骨の検査」があります。そのおかげで、魚を食べる技術が鍛えられたと思います。
あと、家族旅行から帰ってきても、すぐ家の中へ入れないんです。みんな一旦庭で待機し、父だけが先に家へ入って安全確認をして、「よし」となってから初めて家へ入ることができました。父なりのホームセキュリティーだったのかもしれません。
――お父様との思い出といえば、どんなことが印象的ですか?
益田:父は自然が好きで、休日になるとよく登山へ行きました。子どもを1人か2人連れて行くのですが、姉はたいていうまく逃げていましたね。私は、「お母さんとデパートに行きたかったなぁ」なんて思いながら山を登っていました。
父の山登りはストイックで、黙々と歩き続けます。お昼になると、小さなバーナーでお湯を沸かしてカップラーメンを作ってくれるのですが、それが驚くほどおいしいのです。食後には、サバイバルナイフで果物を切ってくれたり、山で見つけたアケビを採ってくれたり。おにぎりのご飯粒に針を付けて川魚を釣ったりもしました。
家に帰る頃にはめちゃくちゃ疲れているのですが、それでも「悪くない休日だったなぁ」という気持ちになりました。しかし、子どもなので、次の休日になるとまた「お母さんとデパートに行きたかったなぁ」に戻るという、その繰り返しでした。
――厳格な一方で、愛情を感じた瞬間はありましたか?
益田:父は、おいしいものをよく知っている人でした。外食に連れて行ってくれることも多く、ドラマで黒幕が密談でもしていそうな個室の中華料理店や、無限におすすめが出てきて制覇できない串カツ屋など、子どもながらに「いろんなお店を知っているな」と思っていました。
父の行きつけの肉屋で買ってきた肉を、七輪で焼いて食べる焼肉も格別でした。
また、「勉強しろ」とは言われましたが、進路について「この仕事に就け」「この学校へ行け」と言われた記憶はありません。最後まで「自分の仕事を継いでほしい」と言うこともありませんでした。
母によると、父自身が親に進路を決められ、自分で選ぶことができなかったそうです。「だからこそ、自分の子どもには自由に選ばせてやりたかったのではないか」と言っていました。
家族が同じ方向を向くきっかけに
益田:父は他界するまでの約2年間、とても苦しい闘病生活を送りました。その期間は、見ているだけで胸が痛かったです。
父の死は本当に悲しい出来事でしたが、「これでようやく苦しみから解放されたのではないか」という安堵にも似た気持ちもありました。また、意志を継いで最後まで遺産相続をやり遂げようという使命感もありました。
――お父様の勉強会で学んだことが、実際に役立ったと感じた場面はありましたか?
益田:相続税は、原則として被相続人(財産を残して亡くなった人)の死亡を知った日の翌日から10か月以内に納めなければなりません。しかし、大切な人を失った直後は、心身ともに普段通りでいられないものです。
わが家の場合、父が事前に勉強会を開いてくれていたことで、家族全員にある程度の基礎知識があり、相続に向き合うための土台がすでにできていました。さらに、相談できる税理士さんとも生前から関係を築いてくれていたため、手続きはスムーズに進んだと思います。
父は倹約家で物をあまり買わず、唯一、処分に困りそうな刀や槍などの骨董品についても、生前に整理してくれていたので、まったく問題はありませんでした。
――ご兄弟と、勉強会のことを振り返ることはありますか?
益田:父が他界してから、出来る限りのほとんどをやり遂げてから旅立ったので、「すごい人だったね」と話すことがありました。
兄弟でも、大人になると昔のように毎日顔を合わせることもなくなり、距離ができていくこともあります。でも、わが家は父の相続を通して、もう一度、家族として同じ方向を向く時間を持つことになりました。それは単なる手続きではなく、家族の原点に立ち返り、絆を確かめる行事のようにも感じました。
円満に遺産相続ができただけでなく、むしろ以前より家族の絆が深まったのは父のおかげだと思います。家族全員が父を尊敬し、感謝していました。
――お父様は、どんなことを大切にしていた方だったと思いますか?
益田:母に聞いてみたのですが、父は「真面目に生きること」を大切にしていた人だったようです。仕事も、相続も、まず自分で学び、考え、苦労を惜しまず準備をする。そんな姿勢を、父は大切にしていたのではないかと思います。
――益田さんご自身も、遺産相続について準備をしておこうと思いますか?
益田:それは強く感じました。実際に、父の遺産相続が終わってすぐ、エンディングノートを作成しました。
夫には「さすがに早すぎない?」と言われましたが、人の命の長さは誰にも分かりません。もちろん、これから状況が変われば内容も変わっていくでしょうが、その時々で更新していけば良いかなと思っています。大切なのは後悔しないように、少しずつ準備をしておくことなのだと思います。
いざという時のために、大事な2つのポイント
益田:「納得のいく相続」をするには、想像以上に時間がかかるのだと、父の姿を通して感じました。
わが家では、父が亡くなる13年前から相続について向き合い始めました。当時の私は「まだ先のことなのに、早すぎるのでは」と思っていましたが、結果的には必要な準備をほぼ終えた直後に父は旅立ちました。
健康な時に、自分の死や残された家族のことを考えるのは、簡単なことではないと思います。それでも、元気な時だからこそできる準備があります。
いきなりすべてを決める必要はなく、家族が集まるタイミングで少しずつ自分の考えや必要な情報を共有する時間を作ってみる。それが、残された家族の安心につながるのではないでしょうか。
特に財産については、何がどこにあるのかを確認するだけでも、想像以上に時間がかかります。「どんな財産があるのか」「どこに情報があるのか」を家族が把握できているだけで、いざという時の負担は大きく変わるのではないかと思います。
――今後の作品の展開について教えてください。
益田:現在は書籍化を目指して準備を進めています。まだ正式に決まってはいないのですが、書籍化する際には、専門家の方に監修していただき、より正確で分かりやすい情報として届けられる形にしたいと思っています。
<取材・文/都田ミツコ>
【都田ミツコ】
ライター、編集者。1982年生まれ。編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。主に子育て、教育、女性のキャリア、などをテーマに企業や専門家、著名人インタビューを行う。「日経xwoman」「女子SPA!」「東洋経済オンライン」などで執筆。
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