■防衛ラインを突破し、40年ぶりの円安
為替市場で円の下落に歯止めがかからない。昨年10月に高市政権が発足して以降、為替市場で円安が加速している。
これまで、1ドル=161円台が防衛ラインと見られていたが、6月末、あっさり162円を突破した。それは、1986年12月以来の約40年ぶりの水準だ。
その背景には、何といっても、わが国の経済の地盤沈下がある。
わが国経済のプレゼンスが落ちていることに加えて、高市政権の影響もあり、金融の正常化が後手に回っている。海外の投機筋から見ると、円を売ってドルを買う取引は、大きな収益源にさえなっている。
■インフレなのに積極財政を進める高市首相
国内では、人口減少により人件費は上昇傾向にある。海外では地政学リスクや主要国の政策によって、世界の供給網は不安定化し企業のコストは高まっている。
その状況下、高市政権はまだデフレ脱却型の経済政策に固執している。積極財政を進め、日銀の金融政策正常化にも難色を示しているという。これでは、海外投資家から政策の限界を見透かされるだろう。
現在の状況が続くと、国内からの資金流出が続くことが想定される。円売り圧力はさらに高まる可能性がある。
それに伴い、輸入物価が上昇してインフレが加速するなど、わたしたちへのマイナスの影響は大きくなるだろう。国民の安心、安定した生活のために、政府の経済政策の見直しが必要になるはずだ。
■いくら為替介入しても円安が止まらない
2022年後半から昨年秋ごろまで、ドル/円の為替レートは概ね150円を中心に、上下10円程度の範囲で推移した。
2024年7月には、一時、1ドル=161円88銭まで円安が進んだものの、政府のドル売り介入で鎮静化させた。財務省は米財務省の理解を取り付け、日本銀行にドル売り・円買いの為替介入を指示した。当時の政権・政府は過度な円安阻止の決意を世界に示したといえる。
昨年10月、高市政権が発足した。高市首相はアベノミクスの後継者を公言し、責任ある積極財政を進めると表明した。問題は、責任の内容が明確ではないことだ。歳出増加により、財政悪化が急速に進むと警戒する投資家は増えた。
高市首相の政策で、日銀の金融政策正常化が遅れるとの見方も増えた。消費減税の議論からも分かるように、政府は減税などの具体的な財源を確保していない。
プライマリーバランス(基礎的財政収支)の管理も複数年で行う方針という。財政規律は緩み、国債の発行が増える。金利上昇圧力が高まる中で、日銀の利上げや国債買い入れのペース調整は難しくなる。
海外投資家と話していると、高市首相の経済政策に関する不信感が高まっていることが分かる。政権の発足後、円売りを仕掛ける投資家が増加した要因だろう。今年4月末以降の為替介入の効果は長続きせず、6月後半、ドル/円は161円台に緩やかに下落し、7月1日には162円80銭台にまで円安が進行した。
■日本企業・日本人の資金はどんどん海外へ
高市政権の経済政策は、わが国の経済成長期待を一段と低下させる結果を招いている。1990年のバブル崩壊後、日本経済は長期停滞に陥った。台湾、韓国、さらには中国の工業化により、国内で生産し輸出して収益を得るビジネスモデルは難しくなった。
それに伴い、日本企業の海外進出は加速した。直接投資を行い、現地生産を進める企業は増えた。経常収支の第一次所得収支(海外子会社からの配当や利息)は増加したが、そのうち半分程度が現地で再投資されている。
つまり、わが国に還流しなくなっている。
生命保険会社など、典型的な内需企業も海外買収を増やした。個人の投資行動も円売り要因だ。2024年から始まった新NISA(少額投資非課税制度)を活用し、世界株式(オルカン)や米S&P500インデックスに連動する、上場投信(ETF)を購入する人は増えた。高市政権の政策は国内経済の先行き懸念を高め、資金流出を助長しているようにさえ映る。
■NISA民は喜ぶが、預金の価値は減る
円の下落は、わたしたちにプラスとマイナスの両方で影響する。
円安のプラス面として、海外投資からの利得は増える。米国の株価の値上がりと円安による為替差益の両方を狙い、NISAを使う人は多い。
円安は、企業の業績にもプラスになることもある。円安が進むと、輸出からの収益は増える。海外に工場などの資産を保有する企業であれば円安が進んだ分、資産の評価額は上振れて業績はかさ上げされる。
それに対し、マイナスの影響も大きい。
私たちが保有する円資産の価値が下落することを忘れてはならない。
また、日本はエネルギー資源や食料の多くを輸入に頼っている。7月初旬の時点で、イラン戦争によって原油価格は下落したが、国内で取引されるナフサの価格は年初から23%程度上昇したままだった。船舶航行なども不安定化し、コストは増えた。
その中で円安が進行すると、わが国の輸入物価は上昇しやすくなる。企業はコスト上昇に対応するため、販売価格を引き上げるだろう。塗料や接着剤、包装資材、肥料など広範囲に企業間の物価上昇リスクは高まっている。
■64%の企業が年内に値上げを検討中
企業間の取引(川上)の値上げは、最終的な販売価格に転嫁される。住宅設備、食品、半導体や自動車や家電など、製造・物流や飲食や宿泊と産業界全体で値上げは鮮明化するはずだ。企業経営者のアンケート調査によると、年末までに64%程度の企業で値上げを計画しているようだ。
円安によるインフレの高まりは、わが国の経済にとって最も大きな脅威の一つといえる。4月まで実質賃金は4カ月続けてプラスだった(消費者物価指数の持ち家の帰属家賃を除く総合で実質化した場合)。
春闘の賃上げに加え、高市政権のガソリン、電気・ガス補助金の影響は大きい。
しかし、補助金政策は、いつまでも続けられる政策ではない。しかも、総需要を押し上げ、物価上昇を助長する恐れは高い。円安の進行による輸入物価上昇が加わると、わが国のインフレは大方の予想以上に進行する恐れがある。特に、食料品や日用品の値上がりペースは加速し、個人消費は下押しされるだろう。
■専門家からは「1ドル200円」予想も
足元で、市場専門家の一部からは「目先は1ドル=170円近辺、中期的に200円程度までドル高・円安が進行する」との予想まで出始めた。経済政策への不信に加え、米国の金融政策が重要な転換点を迎えつつあることの影響も大きい。
イラン戦争の停戦合意により、米国などでインフレ懸念は低下した。それでも連邦準備制度理事会(FRB)は、物価安定には不十分とのスタンスだ。財政支出の増加や、サプライチェーン混乱の影響は大きいと考えられる。金融市場での、利上げ再開警戒感は高まった。それは、ドル買い・円売りの増加要因になるだろう。

円安に歯止めをかけるため、現在の経済政策の見直しは必要になるだろう。かつてアベノミクスを指示した専門家の一人は、「国内外でインフレ懸念が高まる環境で、デフレ脱却の政策を行うことは危険」との指摘まで出始めた。そうした指摘に政権は耳を傾けた方がよい。
■半導体産業に的を絞った成長戦略を
政府の積極財政では、財政赤字の拡大や国債の増発につながる可能性が高い。特に、財源なき消費減税で、現役世代の将来不安が高まると、消費意欲は後退するだろう。そうなると、日銀の金融政策の正常化は難しくなる。日銀の政策変更が後手に回ると、投資家による円売りは増えることも想定される。
政権が取り組むべきは、地道に、わが国の潜在成長率を高めることだ。現在、世界的にAI関連の半導体産業の成長期待は高まっている。政府が主要企業や高等教育機関と連携して先端チップの研究開発、生産能力の引き上げ方針を明確に示せば、日本経済の成長期待は高まるだろう。
国内外企業による対日投資は増え、消費者心理も上向く可能性がある。政府は、的を絞った成長戦略を実行すべきだ。それによって、為替レートを安定させることを考えればよい。その対応が遅れると、財政不安を反映した悪い金利上昇、株価の調整、円急落の日本売りのリスクの懸念は高まるかもしれない。

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真壁 昭夫(まかべ・あきお)

多摩大学特別招聘教授

1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授、法政大学院教授などを経て、2022年から現職。

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(多摩大学特別招聘教授 真壁 昭夫)
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