■駅直結ビルに現れた空き区画
6月下旬の平日午前11時すぎ、水戸駅の改札を抜けた。東京駅から特急で約1時間20分。駅前は県都の玄関口らしく人の流れが途切れない。そのまま歩を進めると、駅ビル「エクセル」の入口が現れる。
1985年に開業した駅ビルで、開業時には年商95億円を目標に掲げていた。滑り出しは目標を上回る好調ぶりで、初年度の売上高は約106億円。2年目も前年比17%増のペースで伸び、周辺の大型店が対抗して一斉に店内改装に走ったほどだった(日本経済新聞1986年9月19日付)。駅前の勝者として出発した駅ビルである。
ところが、館内に足を踏み入れてすぐ、意外な光景が目に入ってきた。本来なら来館者を迎える一等地、いわばウェルカムテナントの区画が空いたままになっていたからだ。
次に上の階へ向かう。エスカレーターを乗り継ぐたび、フロアの奥に空き区画が見える。広い床を埋めているのは、期間限定の催事スペースやカプセルトイ、マッサージ機のコーナーだ。いずれも本来のテナントを埋める暫定的な使われ方である。6階のレストランフロアまで上がると、営業中の店舗の間に照明の落ちた区画が挟まり、昼どきにもかかわらず通路を歩く人はまばらだった。
一方で、人が集まっている場所もある。地下の食品フロアだ。平日の11時半、買い物かごを手にした高齢者が通路を行き交う。改札前には成城石井もあり、かつて百貨店の地下食品売り場が担っていた役割の一部を、駅ビルが引き受けているようにも見える。
地下には人が集まり、上層階では空き区画が目立つ。
■「12の大型店」が競い合っていた
そもそも水戸は、大型店の激戦地だった。1975年の住宅地図を開くと、水戸駅北口から大工町にかけての国道50号線沿いに、少なくとも12の大型商業施設を確認できる。京成百貨店(志満津百貨店)、伊勢甚、丸井、西友、ダイエー、高島屋ローズランド、十字屋、田原屋――。百貨店、ファッションビル、総合スーパーが、約2キロの通りにひしめいていた。
このうち京成と伊勢甚は、百貨店を名乗った地場の2店である。丸井は月賦販売から発展した「月賦百貨店」の流れをくむ店で、高島屋ローズランドは百貨店・高島屋の系列会社が運営した総合店だった。
さらに1988年、西友が百貨店業態の「水戸西武店」へと転換する。名乗った店、ブランドを掲げた店、業態として営んだ店。本稿では、これらをまとめて「百貨店」(*1)と数える。
これほど大型店が集まったのか。理由は、水戸が県内有数の商業集積地だったからである。1965年の茨城県総合振興計画によれば、水戸市は県全体の小売販売額の27.6パーセントを占める「県商業の中心地」と位置づけられていた。当時の人口は約20万人だったが、業界誌『商業界』(1977年)は水戸の商圏を72万人、実質商圏を41万人と見積もっている。市の人口を大きく上回る買い物客が、県内各地から水戸へ集まっていた計算だ。
良いものは百貨店で、日常の買い物はダイエーで――。そんな消費の受け皿として、大手チェーンは競うように出店した。
ただ、その繁栄の陰で、すでに警鐘は鳴らされていた。同じ『商業界』は、水戸を「オーバーストア」と評している。商圏に対して店が多すぎる状態を指す業界用語だ。賑わいの絶頂にあった一方で、その過剰さはすでに専門誌から指摘されていたのである。
(注)
(*1)本稿における「百貨店」の定義は、衣食住にわたる複数の商品部門を一体的に運営した大型総合店のうち、百貨店を名乗った店、百貨店企業またはその系列会社がブランドを掲げて運営した店、百貨店業態として運営された店、月賦百貨店の系譜に連なる店のいずれかを指す。日本百貨店協会への加盟の有無は問わない。総合スーパーやファッションビル、専門店は含まない
■2000年代から相次ぎ撤退、7つが消えた
2000年代に相次いだ大型店の閉店は、突然始まったわけではない。1993年8月にユニー水戸店が、翌1994年には高島屋ローズランドが閉店した。ただ、この時点では、まだ「一部の大型店が撤退した」段階だった。本格的な閉店ラッシュが始まったのは2000年代である。
2000年にはまず、水戸西武店が百貨店の看板を下ろし、総合スーパーの「リヴィン水戸店」へと転換した。そして2003年2月、ボンベルタ伊勢甚水戸店が閉店した。1724年創業の呉服商を起源とし、水戸徳川家の御用商人までさかのぼる老舗百貨店である。その後も閉店は続く。2005年10月にダイエー水戸店、2007年5月にサントピア、2009年3月にはリヴィン水戸店が姿を消した。
サントピアは、1978年5月の開業当時、渋谷パルコに次ぐ「日本で2番目のファッションビル」として注目を集めた施設だった。
2003年から2009年までの約6年間で、4つの大型店が相次いで閉店したことになる。そして2018年9月には丸井水戸店が閉店した。ピークだった1994年に156億円あった売上は、2016年度には24億円まで落ち込み、約85パーセント減少していた。最初のユニー閉店から数えると、25年間で7つの大型店が水戸の中心街から姿を消した。
7つのうち、百貨店は高島屋ローズランド、伊勢甚、丸井の3つである。これに、2000年にリヴィンへの転換で百貨店の看板を下ろした水戸西武店を加えると、消えた百貨店は4つになる。1994年、2000年、2003年、そして2018年。5つあった百貨店はこうして1つずつ姿を消し、最後に残ったのは京成百貨店だけになった。
■70年代から「苦難の歴史」は始まっていた
なぜ、これほど急速に崩れたのか。水戸市史によれば、1977年の時点で、すでにダイエーと西友は苦戦していたという。理由として挙げられているのが、どの店も似たような売り場構成で、同じような商品を扱っていたことだった。
この構図は、1993年のユニー閉店を報じた記事にも表れている。ユニー本社は敗因を「建物がもともと多層階で百貨店的な構造となっており、効率が悪かった」と説明し、地元の関係者は「スーパーになりきれず、かといってデパートにもなりきれなかった」と評した(日本経済新聞1993年8月25日付)。330台収容の駐車場を備えていたにもかかわらず、立体式で使いにくいと敬遠されたという指摘もある。
広域から人を集める力があったからこそ、大型店は集積した。しかし、似た業態が集まりすぎたことで、自ら競争を激しくしてしまった。『商業界』が指摘した「オーバーストア」は、20年以上の時を経て現実になったのである。
その結末を象徴する場所がある。伊勢甚の跡地だ。閉店後の再開発で建てられたビルには、2006年、国道50号を挟んだ向かいにあった京成百貨店が移転してきた。消えた店の跡地へ、最後に残った百貨店が移ったのである。かつて大型店が軒を連ねた通りは、多くの店が競い合う街から、一つの百貨店が残る街へと姿を変えた。
■駅前でも主要テナントが撤退
大型店が姿を消した後も、駅前には商業施設が残っている。しかし、その中身は大きく変わっていた。駅ビルのエクセル、駅南口の水戸オーパ、そして駅北口の旧丸井のマイムビル。それぞれを歩くと、かつて大型店が担っていた役割が、少しずつ別のものへ置き換わっていることがわかる。
水戸オーパは2026年7月31日をもって「オーパ」としての営業を終了する。開業は2017年。わずか9年あまりで看板を下ろすことになった。入居する水戸サウスタワーでは、2015年にも前のキーテナントだったヤマダ電機が撤退している。同じビルで二度、核となる店が姿を消すことになる。
もっとも、ビル自体が閉鎖されるわけではない。2026年8月1日からは新たな運営会社が引き継ぎ、一部テナントは営業を続ける予定だ。それでも、駅直結という最高の立地でさえ、大型商業ブランドが定着しなかったという事実は残る。
■駅前ビルにも空きテナントが…
取材日は、オーパ前ではご当地バンドの屋外ライブが開かれ、人だかりができていた。ところが館内へ入ると、上層階へ進むにつれて人影はまばらになり、空きテナントも目立つ。建物の外の賑わいは、そのまま館内へは流れ込んでいなかった。
旧丸井のマイムビルも様変わりしている。水戸市が4割を出資する第三セクターが管理してきたビルで、丸井閉店後は不動産開発会社マリモの主導で、クリニックやeスポーツ施設などが段階的に入居してきた。
現在の商業フロアに入るのは、アニメイトや楽器店、各種教室など。上層階はオフィスとして使われている。一つのファッションビルだった建物は、商業施設から複合型オフィスへと姿を変えていた。
では、人はどこにいるのか。
■「なんとなく買い物」はもう成り立たない
空き区画が目立つ施設のなかにも、人が集まっている場所はあった。マイムビルのカードショップでは、ショーケースを真剣な表情で見つめる客の姿がある。地下のアニメイトにも、迷いのない足取りで店へ向かう人が次々と入っていく。そのほかのフロアを埋めるのは、クリニックや英語塾、オフィスだ。共通しているのは、目的が明確なことだ。
フロアからフロアへ、店から店へと歩き回る「施設全体を回遊する消費」は影を潜め、「特定の店だけを訪ねる消費」へと変わっている。エクセルの地下食品売り場も、マイムビルも、その意味では同じである。
その傾向は、県内唯一の百貨店となった京成百貨店でも見て取れた。水戸駅北口から北西方向に徒歩で20分。平日の昼間にもかかわらず、立体駐車場は最上階の7階まで車で埋まり、ほぼ満車に近かった。「車で来る百貨店」として、いまも高い集客力を維持している。
一方で、館内は変化を続けていた。「ルイ・ヴィトン」や「ティファニー」が相次いで撤退し、その後には「コーチ」や「マークジェイコブス」が入った。テナント構成は、高価格帯中心から、より裾野の広い価格帯へと変化していた。
また、取材当日は人気キャラクター「ちいかわ」の催事が開かれていた。今回歩いた商業施設の中では、最も人が集まっていた場所である。それでも、館内全体が賑わっているわけではなかった。催事会場には人がいても、その流れがほかの売り場へ広がっているようには見えない。人は「京成に来た」のではなく、「ちいかわを見に来た」。目的を果たせば、そのまま帰っていく。
■最後の百貨店はどこを向いているか
京成百貨店から駅へ戻る途中、立ち寄った喫茶店の店主に水戸駅周辺の変化について聞いてみると、少し寂しそうにこう語った。
「自分の買い物は郊外のモールで済ませちゃうかな。京成には、水戸市外から来る人が多い印象だよ。昔はここも百貨店がたくさんあったんだけど、いまは少し寂しいね。水戸で賑わっているのは、駅前と泉町(百貨店周辺の地名)くらいだろうね」
最後に残った百貨店もまた、「街を歩かせる店」ではなく、「目的があって訪れる店」へと姿を変えつつある。
京成百貨店は2025年から2027年にかけて、2006年の移転開業以来初となる全館リニューアルを進めている。県内唯一の百貨店は、これからも時代に合わせて姿を変えながら営業を続けていくだろう。
ただ、その変化は、かつての駅前商業の復活を意味するものではない。京成が目指しているのは、「県全体から、わざわざ車で訪れる店」としての魅力を磨くことだ。かつて伊勢甚やダイエーが担っていたような、「水戸の日常を支える店」の役割とは、すでに異なる。
最後に残った百貨店もまた、街全体を引っ張る存在ではなく、目的があって訪れる場所の一つになった。大型店が一棟で街の日常を支え、歩く人の流れを生み出していた時代は終わったのである。
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杉浦 圭(すぎうら・けい)
街歩きライター
街歩きライター。街歩きを趣味とし、全国各地を巡り歩いてその街ならではの魅力を発見することをライフワークとする。旅行メディアでライターとしても活動し、旅行者の視点を交えながら、街の魅力を多角的に伝えている。
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(街歩きライター 杉浦 圭)

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