■夏の物価を上げている「犯人」
7月下旬、スーパーに買い物に行くと、野菜などの価格が高くなっているのに驚いた。猛暑は、私たちの健康だけではなく、お財布にも重大な影響を及ぼしている。
猛暑によって物価が上がる現象のことを「ヒートフレーション」と呼ぶ。ヒート=熱とインフレーションをかけ合わせた造語だ。
酷暑の影響で、野菜などの供給が減少する一方、需要はしっかりしているため、どうしても価格が上がりやすくなる。猛暑の必需品ともいうべき、アイスクリームやビールなどの価格も上がり気味のようだ。
猛暑による野菜の水膨れなど生育不良は増え、ものによっては収穫量が減少しているようだ。ところが、猛暑であっても、わたしたちが必要とする食品の量(需要)は大きく変わらない。食品などの値上がりはかなり目立っている。
■「命を守るエアコン」はお金がかかる
市場調査の一つによると、7月、飲食料品の値上げは2566品目に及んだ。1回あたりの平均値上げ率はかなり急速だ。
地球温暖化もあり、ヒートフレーションの影響は、今後、さらに深刻化することが想定される。食料品の値上げだけではなく、電気代にも押し上げ圧力がかかることも考えられる。今夏のヨーロッパでは、実際に電力価格が急上昇した。

わが国でも、空調などの電力需要が増え、電気代が上昇する恐れはある。電力需要を満たすため、液化天然ガスなどの輸入は増え、貿易収支が悪化することも懸念されるだろう。わたしたちにとって、ヒートフレーションは無視できない脅威になり始めている。
実際、庶民の食卓にマイナスの影響をもたらしていることがわかるデータがある。
■キュウリの価格は昨年に比べて約2倍
地球の温暖化による気温上昇の影響もあり、世界的に幅広い分野でモノやサービスの価格は上昇している。物価の番人である日本銀行は、猛暑・天候による食料品価格の上昇に警戒を強めている。ヒートフレーションは、ある意味で経済政策にも影響し始めている。
足元、値上がりが目立つ品目の一つはキュウリだ。東京都中央卸売市場での価格の推移を見ると、6月上旬ごろからキュウリの価格は上昇し始めた。6月下旬の卸値は前年同期比6割高だった。7月中旬、昨年の同じ時期に比べ、小売価格は2倍程度上昇したところもあった。
キュウリの値上がりの背景は、梅雨時の雨を蓄えた地面から水を吸い上げた後、気温が急上昇してキュウリが巨大化したことがあるという。
大きくなりすぎたキュウリは、サイズや食味など規格外品として扱われ、出荷できない。農家の中には、収穫したキュウリの3割程度を廃棄せざるを得ないケースもあるという。
■暑さをビジネスチャンスに変える企業も
カボチャでは、日光と地面からの熱の挟み撃ちで実が割れたり、日焼けしたりするといった被害が広がった。ナスも高温で実が割れる、花が咲かないなどの影響が出ているという。猛暑、そして40℃を超える酷暑が長引けば長引くほど、食品の価格には上昇圧力がかかるだろう。野菜だけでなく、鶏、卵、豚、牛の肥育にも影響は及ぶ。
それに伴い、食品の価格は上昇する。街中華の中には、キュウリの値上がりなどを理由に、冷やし中華の値上げを検討することもあるようだ。冷やし中華を気軽に食べられなくなるかもしれない。
一方、気温上昇を、ビジネスチャンスに変えようとする企業もある。清涼飲料水メーカーの中には、「アイススラリー」に商機を見いだすところがある。アイススラリーとは、細かい氷の粒子が液体に混ざったシャーベット状の飲料を指す。
通常のスポーツドリンクよりも、清涼感を味わえることが人気を集めているようだ。
小売業界では、エアコン設置コストの増加や工事待ち期間の長期化を逆手にとり、ノイズなどが生じる分、価格帯が低く、移動可能な簡易エアコンを発売しヒットさせるケースもある。ミクロのレベルでみると、ヒートフレーションは、ビジネスチャンスになっているところもある。
■「エアコンがない国」を熱波が襲った結果
ただ、ヒートフレーションのマイナス面は深刻だ。欧州の状況を見ると、強烈な猛暑の影響は、人々の生活面や企業の活動などにも深刻な影響を与えている。わが国にとっても他人事ではない。
7月22日、フランス公衆衛生局は、6月17日から7月2日までの間、熱波などによって亡くなった人の数が、平年を5764人上回ったとの暫定推計を発表した。独仏などを加えた欧州6カ国だと、1万9千人もの人が熱波によって亡くなったようだ。英国では、熱波の影響によって、MRIが停止するなど医療現場にも影響が及んだ。
その要因の一つとして、欧州の生活環境がある。従来の気象条件を念頭に、欧州では家庭にエアコンを置く発想が少なかったという。また、電力料金などエネルギーコストの上昇で、ヒートフレーションの打撃が拡大したとみられる。

エアコンの購入負担に加え、電気代値上がりの影響は大きいようだ。欧州環境庁などの調査によると、所得下位層の約3分の2が、「夏場に自宅を涼しく保つゆとりがない」と答えた。
ウクライナ戦争による天然ガスの供給減少、AIデータセンター向けの電力需要急増、イラン戦争によるエネルギー資源価格の上昇、輸送コストの高まりなどの影響が効いている。欧州では再エネや天然ガス由来の電力価格が上昇した。河川水温の上昇や渇水で原子力や水力発電の供給量も細っている。その結果、ヒートフレーションは価格だけでなく、人命にまで影響を及ぼし始めた。
■ヨーロッパ、アメリカの物流も止める
物流業界にも深刻な影響がある。7月、ライン川(ドイツ)の水位は、通航に影響が出る40センチのラインにまで低下した。ドナウ川(ルーマニア)は過去30年で最低だという。
米国でも影響が出ている。アメリカの内陸水運の大動脈と呼ばれる、ミシシッピ川では乾燥による水位低下で航路制限が発生し、牽引隻数が引き下げられたようだ。パナマ運河でも水位は低下しているようだ。

欧州中央銀行(ECB)は、ヒートフレーションを憂慮し始めた。ECBの分析によると、農作物への打撃だけで、中期的な物価変動の約3割をヒートフレーションが占める恐れがある。個人消費の減少、輸送コストの増加などで、企業の収益は悪化し信用力の低下リスクは上昇傾向と指摘した。
■物価高に拍車をかける「人材不足」
経済専門家の間では「ヒートフレーションは一時的な物価変動の要因ではない」との指摘が多い。ヒートフレーションが発生する頻度、その影響の範囲は拡大するとの懸念も高い。今後の世界経済にとって重大なリスクだ。
コロナショックをきっかけに、世界の物価は上昇しやすくなった。主要国の財政支出の増加、財政悪化・破綻の懸念はインフレ懸念を押し上げた。ウクライナ戦争やイラン戦争による、物流の混乱や原油、ガス、穀物、肥料、ナフサなどの基礎資材の価格上昇も物価上昇の要因になった。
人手の不足も労働コストを押し上げている。少子化、高齢化、人口減少が同時に進行するわが国では、人手不足倒産が増えた。推計の一つによると、2025年度、わが国企業の人手不足倒産件数は、前年度比約1.3倍の441件と過去最多を更新した。

■物価高、円安に加えて電力不足のリスク
また、わが国では円の下落圧力が高まった。円安の進展は、輸入物価を押し上げることになる。今後、ヒートフレーションは、国内の物価を追加的に押し上げる恐れが高い。
懸念される一つの要因は電力料金だ。異常気象による気温変動により、夏場の冷房、冬場の暖房といった空調のための電力需要は増えるだろう。AI成長のための電力需要にヒートフレーションが加わると、世界的に電力不足の懸念も高まるはずだ。
それに伴い、わが国が必要とする発電用の化石燃料輸入量は増加するだろう。円安が進む中で、エネルギー資源などの輸入増加は貿易収支の悪化要因になる。円売りは増加し、輸入物価は連鎖的に上昇することが予想される。
電力料金の上昇は、製造業、非製造業、行政サービスなど、経済社会の運営コストを押し上げる。そうした変化が現実に起きると、物価の上昇と個人消費の減速懸念は高まるだろう。今後、ヒートフレーションは、わたしたちの生活負担を高める懸念が高い。

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真壁 昭夫(まかべ・あきお)

多摩大学特別招聘教授

1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授、法政大学院教授などを経て、2022年から現職。

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(多摩大学特別招聘教授 真壁 昭夫)
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