本物のお金持ちは普段着に何を選んでいるのか。富裕層マーケティングを長く手掛ける西田理一郎さんは「現代のラグジュアリー市場のターゲットは、“一生モノ”を求める人たちから、スマホ越しに自らの財力を誇示したい層へと移行した。
見せびらかし消費があふれる現代、本物のお金持ちは全く別の領域に向かっている」という――。
■「ただのロゴ入りTシャツ」に15万円
休日の都心や高級ホテルのラウンジを見渡すと、ひとつの奇妙な現象に気がつく。
かつて「富裕層の休日の装い」といえば、上質なウールのテーラードジャケットや、丁寧に編み込まれたカシミヤのニット、そして職人が丹精込めて作り上げた重厚なレザーバッグが定番だった。そこには、素材の良さと仕立ての美しさが醸し出す、確かなエレガンスが存在していた。
しかし現在、若きエリートや新興富裕層、あるいはインフルエンサーたちが身にまとっているのは、一見するとファストファッションと見分けがつかないようなコットン地のTシャツや、極端なオーバーサイズのスウェットである。違いがあるとすれば、そこにブランドの巨大なロゴがプリントされていることだけだ。
これらは決して安物ではない。
例えば現在のルイ・ヴィトンの公式サイトを開くと、胸元にブランドロゴがプリントされただけのコットンTシャツ(フロックド LV Tシャツ)に約16万円という強気な値札がついている。バレンシアガのロゴTシャツ(Tape Type Tシャツ)も同様に約15万円だ。ディオールやグッチといった他の名立たるメゾンも、こぞって10万円を優に超える巨大ロゴ入りTシャツを店頭の最前列に並べている。
少し前までなら、熟練のテーラーが仕立てた上質なウールのスーツが買えてしまった金額である。
これを見た昭和や平成の価値観を持つミドル世代のビジネスパーソンは、「最近のハイブランドはロゴばかりで安っぽくて理解できない」「ただのペラペラなTシャツに大金を払うなんて馬鹿げている」と眉をひそめるだろう。

「良いものを手入れしながら長く大切に使う(一生モノ)」という真っ当な美意識を持つ彼らからすれば、現代のハイブランドは正気を失ったように見えるに違いない。
自分たちが憧れた「高級品」の概念が、根底から崩れ去っていくような喪失感を覚える人も少なくないはずだ。
だが、勘違いしてはならない。ブランド側が迷走しているわけではないのだ。彼らは極めて冷徹な計算のもと、旧来の美意識を持つおじさんたちを切り捨て、意図的にターゲットと商品構成を変更しているのである。
■「服を大切に使う客」はお金にならない
マーケティングの視点から見ると、この変化の裏には資本主義の冷徹な論理が働いている。企業にとって最大の目的は、LTV(Life Time Value=顧客生涯価値)を最大化することだ。
この観点に立ったとき、「一生モノの高級時計やスーツを買って、何十年も修理しながら大切に使い続ける客」は、ブランドにとってどのような存在だろうか。結論から言えば、彼らは「一度しかお金を落とさず、アフターサービスの手間ばかりかかる、極めてコストパフォーマンスの悪い厄介な客」である。
企業が永続的に成長し続け、株主の期待に応え、莫大な広告費や一等地での店舗運営費を捻出するためには、顧客に常に買い替えを促さなければならない。そのためには「何十年も着られる普遍的なデザイン」はむしろ邪魔になる。
現代のハイブランドが次々と生み出す奇抜なデザインや、遠くからでも一目でわかる強烈な巨大ロゴアイテムは、実は「半年たてば、すぐに型落ち(時代遅れ)だと誰の目にもわかる」という非常に優れた集金機能を持っている。

ワンシーズンで消費期限が切れる強烈なデザインを投下し続けることで、ブランドは若年層に「最新の文脈をアップデートし続けなければ、コミュニティから遅れをとる」という強迫観念を植え付ける。これは事実上、SNSでの承認欲求に飢えた新興富裕層に対する「文脈のサブスクリプション課金」である。
ブランドは客に実用的な服を売っているのではなく、終わりのない課金ゲームに強制参加させているのだ。
■“本物の富裕層”はどこへ向かったのか
この過酷なルール変更に気づかず、「俺の服や時計は一生モノだ」と古い美意識にすがりつくミドル世代は、ブランドのメインターゲットから静かに、そして完全に外されていく。
一方で、新しいゲームに乗せられた若き富裕層たちは、ブランドの養分となり、次々と現れる「巨大なロゴ」に莫大な資金を投じ続けている。彼らにとって服は、スマートフォンの画面越しに自らの財力を誇示し、SNSの「いいね」を集めるための視覚的なノイズ(記号)に過ぎない。
では、本物の美意識を持ち、このグロテスクな大量消費のサイクルに組み込まれることを拒んだ「真の一流」の富裕層やオールドマネー(代々の資産家)たちは、一体どこへ行ってしまったのだろうか。
彼らは、SNSバズ至上主義の使い捨てビジネスや、巨大なロゴをひけらかす成金趣味に違和感と強烈な嫌悪感を抱き、現行の派手な新作を買うのをピタリとやめた。彼らが逃避先として選んだのが「クワイエット・ラグジュアリー(静かなる贅沢)」と呼ばれる領域である。
ユニクロに見えて数十万円
クワイエット・ラグジュアリーとは、ブランドロゴが一切入っていない、極めて上質でミニマルな無地の服を指す。イタリアの最高峰ロロ・ピアーナのビキューナ(希少動物の毛)を用いたニットや、ブルネロ・クチネリの柔らかなテーラードジャケット、アメリカのザ・ロウが展開する無駄を削ぎ落とした無地のコートなどがその筆頭である。
一見するとどこのブランドかわからないほどシンプルだが、素材の希少性と仕立ての技術は最高峰であり、価格は数十万円から、時に数百万円と目を見張るほど高額だ。

わかりやすい例で言えば、マーク・ザッカーバーグやジェフ・ベゾスといった世界のトップIT創業者たちが近年、公の場で着ている一見「普通の無地のTシャツやポロシャツ」がそれにあたる。ユニクロのように見えて、実はイタリアの最高級ブランドにカスタムオーダーした極上の素材であり、1着数万円~数十万円するという類のものだ。
また、ダニエル・クレイグやブラッド・ピットといった大人の色気を持つハリウッドスターたちも、プライベートや空港での移動時などにおいて、派手なブランドロゴを一切排除し、最高級のカシミヤニットや、完璧に計算されたシルエットのジャケットをさらりと着こなしている。
■「陰湿なマウンティング」という批判もあるが…
「一見どこのブランドかわからない無地の服に数十万を払うのは、下等な大衆と自分たちを切り離すための選民思想(マウンティング)だ」という見方もある。
確かに、巨大なロゴの入った15万円のTシャツは、街を歩けば誰にでも「ルイ・ヴィトンだ」「バレンシアガだ」とわかってしまう。それはある意味で非常に民主的で、わかりやすいステータスだ。だからこそ新興層はそれに飛びつく。
しかし、クワイエット・ラグジュアリーを愛好する層は、そうした「誰にでもわかる記号」を下品だと切り捨てる。彼らが好むのは、「ロゴがなくても、生地のドレープ(ひだ)の落ち感や、上質なカシミヤの質感、そして絶妙な色彩のトーンだけで、どこのブランドかを当てられる同階層」だけに向けた暗号(パスポート)としての服である。
その意味で、一見上品に見えるクワイエット・ラグジュアリーこそが、実は「わかる人にしかわからない」という究極の選民思想に基づく、最も陰湿で攻撃的な階級マウンティングとして機能している側面は否定できない。
「ロゴでしか価値を判断できない無知な人々には、私が着ている服の本当の価値は一生わからないだろう」という、強烈な知的優越感がそこには潜んでいる。
■根本にある“恐れ”の正体
しかし、マーケッターの視点から言えば、クワイエット・ラグジュアリーを単なる陰湿な階級闘争やマウンティングとして片付けるのは、あまりにも一面的だ。
彼らの選択の根本には、現代の社会構造に対する切実な防衛本能がある。
現代は、誰でもスマートフォンで写真を撮り、Googleレンズで検索すれば、1秒でその服の「正解(ブランド名と価格)」がわかってしまう残酷な時代である。そんな情報過多な社会において、わかりやすい巨大なロゴを身につけて街を歩くことは、自らを「資本主義の広告塔」に貶める行為であることに、教養ある富裕層は気づいたのだ。
他人に「私は15万円のハイブランドを着ている」と主張することは、裏を返せば「自分の価値を証明するために、ブランドの威光にすがりついている」という自信のなさの表れでもある。すべてを手に入れた本物の富裕層にとって、他者からの承認(いいね)はもはや必要ない。
彼らが恐れるのは、自分自身のアイデンティティや知性が、ブランドのロゴという「外部の記号」に乗っ取られ、消費し尽くされてしまうことなのである。
■「クワイエット」のさらに一歩先
マーケティングの世界では、消費行動が「モノ消費(実用品の所有)」から「コト消費(体験の価値)」へ、そして近年では「イミ消費(意味・社会的価値への共感)」へと進化していると言われている。
富裕層のクワイエット・ラグジュアリーへの移行は、まさにこの「イミ消費」の極致である。
事実、世界のトップトレンドはすでに「クワイエット・ラグジュアリー」からさらに一歩先へと進み始めている。2025年以降、ファッション業界で新たに語られ始めたのが、「ジェントル・ラグジュアリー(Gentle Luxury)」と「レイジー・ラグジュアリー(Lazy Luxury)」という2つのキーワードだ。
ジェントル(優しい)という言葉が示す通り、前者は単なる上質さだけでなく「人や環境への優しさ」や「精神的な豊かさ」に重きを置いたラグジュアリーの形だ。
イタリアの最高峰ブルネロ・クチネリなどがこのテーマを掲げており、生産者の労働環境に配慮して作られたオーガニック素材や、長く大切に着続けることができる天然素材が好まれる。
他者からの見え方よりも、「地球や社会、そして自分自身に優しい倫理的な選択をしている」という心の平穏を満たすことが、最大の贅沢とされている。
一方のレイジー(怠惰な・くつろいだ)ラグジュアリーは、最高級の素材をあえて「肩の力を抜いて、リラックスして着崩す」スタイルだ。極上のカシミヤで作られた、ゆったりとしたニットや、シルクのワイドパンツなど、まるでルームウェアの延長のようなエフォートレス(頑張りすぎない)なアイテムを主役とする。
一見すると無造作でルーズに見えるが、触れればその素材と仕立ての美しさが際立っている。「他人の目を気にして完璧に着飾る」のではなく、「自分が一番心地よく過ごせること」を最優先にする大人の余裕と自由の体現である。
■究極のラグジュアリーとは
方向性は違えど、この2つの新しい潮流に共通しているのは、「高級ブランドのロゴで他人にアピールする時代は終わった」という明確な意思表示だ。ベクトルが完全に「自己の内面」に向かっているのである。
彼らがロゴなしの上質なカシミヤを選ぶのは、他人に「すごい」と思わせるため(自己顕示)ではない。「肌に直接触れた時の圧倒的な心地よさ」や「代々受け継がれてきた職人の手仕事」といった、自分自身だけが感じ取れる『内的な充足(ナラティブ)』に対して莫大な投資をしているのである。
巨大なロゴは、常に「他者のための記号」である。それを削ぎ落とした無地の服を着るということは、他者の目を気にすることからの解放を意味する。服はもはや「見せびらかすための鎧」ではなく、「自分自身の内面と対話し、日常を心地よく過ごすための装置」へと回帰したのだ。

情報過剰で、誰もがSNSで他人の人生を覗き見し、記号(ロゴ)の多寡でマウンティングし合う現代社会。その狂騒から離れ、ロゴという虚無的な記号を捨てて、自らの哲学と心地よさを取り戻すこと。これこそが、資本主義の使い捨てゲームから降りた本物の富裕層が行き着いた、最も知的で切実な防衛策であり、現代における究極のラグジュアリーの形なのである。

----------

西田 理一郎(にしだ・りいちろう)

価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役

富裕層向けブランド体験の「物語」を紡ぐナラティブ・マーケティングをプロデュース。また、情報伝達を超えた行動を仕組化し、個の全盛時代において、ラグジュアリー市場での持続的成長を実現する知の「価値共創」戦略を構築する。プレミアムブランドの世界観を体現する戦略的プラットフォームの商品化を手がけ、ミシュラン・ガストロノミーから超高級ライフスタイルまで、文化的価値を経済価値に転換するマーケティング、ブランディングを専門とする。「to create a Real LIFE 敏腕マーケターが示唆するこれからの真の生き方とは」「Life is a Journey」「食と文化の交差点 ガストロノミーへの飽くなき情熱」などのメディア掲載・連載を通じて真のラグジュアリーとは「所有」ではなく「体験」であり、その体験に宿る物語こそがブランド価値の源泉である――という信念のもと、富裕層マーケティングの新境地を開拓し続けている。主要著書に『予測感性マーケティング』(幻冬舎)、『アフターコロナ時代のトラベルトランスフォーメーション』(ゴマブックス)、『GRAND MICHELIN ミシュラン調査員のことば[特別編集版]』(アンドエト)がある。個人サイト

----------

(価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役 西田 理一郎)
編集部おすすめ