NHK「豊臣兄弟!」では、秀吉の転機として清洲会議が描かれる。一般的には、秀吉が三法師を担いで柴田勝家を出し抜き、天下取りへ踏み出した会議とされてきた。
実際はどうだったのか。昼間さんが、文献などから史実をひも解く――。
■江戸の軍記物がつくった「清洲会議の定番」
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」、8月9日放送の第30回は「清須会議」だ(ドラマ・書名のタイトルは「清須」だが、本稿では出典などにあわせて「清洲」とする)。そう、あの秀吉が天下取りの第一歩を踏み出したとされる日本史上最重要な会議の一つである。
この清洲会議、これまでも会議だけで多くのドラマが描かれてきた。映画化もされた三谷幸喜の小説『清須会議』はよく知られるところ。宮下英樹の漫画『センゴク』の第3部『センゴク一統記』でも、清洲会議には多くのページが割かれている。
今回のドラマでは秀吉が「信長の想いを継ぐ」という目的と共に手練手管を用いて、会議の主導権を握っていくことになる……。
さて、そんな清洲会議だが、この会議には以前から固定したイメージがあった。それは、秀吉が勝家を出し抜いて、会議の主導権を握って信長の後継者や領地配分を欲しいがままにしたというもの。多くの歴史愛好者は、こんなシーンを思い浮かべるのではなかろうか。勝家は信孝を推し、秀吉は幼い三法師を担ぐ。
膠着した評定に、秀吉が三法師を抱いて現れ、重臣一同が平伏する――。
実のところ、これは後世の創作が積み上がり出来上がったイメージである。こうしたイメージの元ネタともいえる江戸期成立の軍記物『川角太閤記』には、こう記されている。
若君様を秀吉御いたき被成上段に御打あかり被成候とひとしく御礼事はじまりぬ
筑前守殿は若君様を御ひさの上に被置少しうなつき被成迄にて誠々に上様の御礼御請被成様なるさはうにちつとも不違様に礼を御請被成候柴田修理亮滝川左近丹羽五郎左などへは猶以上様位の様に拝見申候
筑前守を上様にあがむるは則筑前こそ上様御一家衆又柴田と始とし皆々筑前にたらされたるよとて内証にて笑被申
筆者訳:
秀吉公は若君様(三法師)を抱きかかえて上段へお上がりになり、それと同時に祝賀の礼が始まりました。
筑前守(秀吉)殿は若君様をご自身の膝の上に置き、少しうなずくだけで、まるでご自身が「上様(主君)」としてお祝いの礼をお受けになっているかのような作法であり、まったく(殿様の振る舞いと)違いのない様子で礼をお受けになりました。柴田修理亮(勝家)、滝川左近(一益)、丹羽五郎左(長秀)などに対しては、なおさら「上様」のごとき高い位取りでお会いになっているように見受けられました。
(これを見た気の利く者たちは)「筑前守を上様として崇めているが、実に筑前こそが上様であり、御一族や柴田をはじめとする皆々は、すっかり筑前に一杯食わされたのだよ」と、内々で笑い合っておりました。

■三法師が跡を継ぐのは既定路線
とはあるが、これを裏付ける同時代史料は存在しない。そもそも『川角太閤記』は秀吉の死後に成立した軍記物であり、太閤の出世物語を劇的に演出するために書かれた性格の書物だ。あの「膝の上でうなずくだけ」という場面が、いつの間にか「颯爽たる登場と一同の平伏」に肥大化していったのは、後世の脚色が層を重ねた結果にすぎない。
では、創作を剥がした先に何が残るか。あの日、清洲で、男たちは本当は何を争っていたのか?
そもそもよく誤解されるが、「信長の後継者を決める」ことは、この会議の議題ではなかった。

ドラマの時代考証を担当している一人、歴史学者・柴裕之の『清須会議 秀吉天下取りへの調略戦』(戎光祥出版、2018年)が明快に整理しているように、信長はすでに天正3年(1575年)に嫡男・信忠へ家督を譲っていた。織田宗家の当主は信忠であり、その嫡男である三法師が跡を継ぐのは、争点でも何でもなく、既定の路線である。柴はこれを既に三法師は家督を継ぐ「若君様」であったと指摘している。
こうなるのは、いわば必然である。信雄は北畠家、信孝は神戸家にそれぞれ養子に出ており、宗家の家督相続においてそもそも三法師と競合する立場にない。「勝家が信孝を推し、秀吉が三法師を担いで対立した」という構図自体、後世が作り上げた物語の骨格にすぎない。
■「誰が名代を務めるか」で揉めた
では清洲で実際に揉めたのは何か。三法師が幼すぎるため、誰が「名代」つまり家督代行を務めるかである。
信雄か、信孝か。これは双方ともに譲らなかった。
結果、会議で出された結論は……名代をめぐる対立の先送りであった。結果として名代は設置されず、四宿老が連名で三法師を支える合議制で回すことが決まったのである。
三法師の身柄は、安土城が火災で使えないため、当面は信孝の岐阜城が預かることになった。
つまり清洲会議の結論は「大逆転」ではなく「先送り」だった。誰も勝てなかったから、誰も負けない形に落ち着けただけである。
なぜ信雄と信孝は名代の地位にこだわったのか。ここを丁寧に説明しておく必要がある。
ふたりとも「自分が信長の後継者になる」と主張していたわけではない。三法師が織田家を継ぐことに異論はない。問題は、その三法師が成人するまでの間、誰が「後見役」として織田権力の政務を実質的に主導するか、である。
幼君を支える名代の地位は、単なる「お守り役」ではない。三法師が成人するまでの数年間、織田家の政務判断を事実上担う立場である。諸将への指示も、領地配分の調整も、対外交渉も、名代の名のもとに動く。そして三法師が成人したとき、長年その傍らで権力を支えてきた者が有利な立場に残ることは、誰の目にも明らかだった。

■「信雄の血の近さ」か「信孝の功績」か
さらに御一門衆の序列という問題もある。名代になった方が序列トップとして確定し、もう一方は永遠にその下に置かれる。これは単なる面子の問題ではない。織田家中での発言力、諸将との関係、すべてが連動して変わる。
そのうえ信雄は北畠家、信孝は神戸家にそれぞれ養子として入っており、名代争いの結果は自分一人の問題ではなかった。養家の一族・家臣の繁栄がそのまま自分の立場にかかっている以上、譲ることなどできない。
つまりこれは「天下を取る」争いではなく、三法師という主君のもとで「御一門筆頭の座は俺だ」という争いだった。
しかも、ふたりの主張はそれぞれ別の根拠に立っていたために、議論をいくら重ねても決着がつかない構造だった。
信雄の根拠は「血縁の筋目」である。三法師の父・信忠の同母弟である自分こそが、家督継承の正統な順序からいって筆頭後見役にふさわしい。功績がどうこうではなく、血の近さが根拠だ。
対する信孝の根拠は「功績」である。
光秀討伐に加わり、三法師を清洲まで連れてきたとされる。現場で動いたのは自分だという実績論だ。
「血か、功か」どちらも正しいから、どちらも譲れなかった。
■清洲会議でもっとも得をした「池田恒興」
こうしてみると、清洲会議の本質が見えてくる。秀吉が勝家を出し抜いた天下取りの第一歩ではなく、信長・信忠という二枚看板を突然失った織田家を、いかに三法師体制へソフトランディングさせるかが本当のテーマだったのである。
遺領配分についても同様だ。柴裕之『清須会議』は「これまで各々が領有していた所領との関係や立場も加味して決められたうえ、落着としてはいけない」と指摘する。勝家が長浜を得たのも、秀吉が山城を得たのも、それぞれの既存の立場と関係性を踏まえた調整の結果である。
確かに、この所領配分で畿内の要所を握った秀吉が天下に一歩近づいたのは事実である。しかし、この時点ではそれは決して盤石なものではない。つまり「秀吉が鮮やかに勝家を出し抜いた」という像は、賤ヶ岳の結果から逆算して塗り重ねられた絵にすぎないといえる。
では、清洲会議で、もっとも得をしたのは誰か。

それは、池田恒興である。
恒興はそれまで「信長の乳兄弟」という属人的な近さを根拠にした重臣ではあったが、勝家・長秀・秀吉ら方面軍司令官クラスとは一段の差があった。それが清洲会議で突然、四宿老の一角として織田家の政務を左右する中枢に座った。しかも方面軍司令官として実績十分な滝川一益が間に合わずに座り損ねた席に、である。
■乳兄弟の「紐帯」に、山崎の合戦の「実功」が加わった
なぜ恒興にそれができたのか。馬部隆弘「山崎の合戦と池田恒興」(『中京大学文学部紀要』60巻2号、2026年)が明らかにしたように、山崎の実働主力は高山右近・中川清秀ら摂津衆であり、それを束ねていたのが恒興だった。秀吉本隊はむしろ遅参している。
光秀討伐の功績は秀吉の独占物ではなく、恒興との共同保有だったのである。乳兄弟という紐帯に山崎の実功が加わった時、恒興は一段下の重臣から織田政権の中枢へと一気に跳躍した。実際、山崎の合戦での功績は重視されていたようで、恒興の旗下に置かれていた高山右近にも、新たな所領が与えられている。
清洲会議の真の勝者を一人挙げるとすれば、秀吉ではなく恒興だったかもしれない。もっともその恒興は、2年後の小牧・長久手の戦いで秀吉方として戦い、命を落とす。清洲で手にした果実を、食べ切る時間がなかった。だが池田家はその後も大名として生き残り、恒興の次男・輝政は姫路藩主として大を成した。清洲の跳躍は、確かに次の世代へと受け継がれたのである。

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昼間 たかし(ひるま・たかし)

ルポライター

1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。

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(ルポライター 昼間 たかし)
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