■「避難所にエアコンがある」は幻想
前回の記事で、私は7月末に発生した令和8年熊本地震の被災地を歩き、猛暑と地震が重なることの恐ろしさをリポートした。繰り返しの地震も懸念される中、自宅で過ごせないという事態は、これまでの日本の防災が経験してこなかった「未知の脅威」であるといえよう。
しかし、この脅威は決して地震があった被災地周辺の局地的な問題ではない。もし、日本の中枢である首都圏を直下型地震が襲い、あるいは複数の大都市圏が被災する南海トラフ巨大地震が、「猛暑・酷暑」のなかで発生したらどうなるのか。
多くの人は「自宅が危険なら、近くの小中学校の体育館(指定避難所)に逃げ込めばいい」「最近は体育館にもエアコンの設置が進んでいるはずだ」と考えているかもしれない。だが、専門家の視点から言及すれば、それは極めて危険な「幻想」である。
今回は、真夏の巨大地震が引き起こす過酷なインフラ崩壊の実態と、避難所で被災者を待ち受ける「知られざる健康リスク」について解説したい。
■東京の設置率は95%だが、熊本は20%
近年、熱中症対策として全国の公立学校の体育館へ空調設備(エアコン)を導入する動きが加速していることは喜ばしい。文部科学省も交付金を設けて導入を促しており、2035年までに設置率95%という目標を掲げている。
しかし、その実態には、大きな地域格差が存在しているのをご存じだろうか。
文科省が公表した公立小中学校の体育館等における空調設備の設置状況(2026年5月時点)によると、全国で空調設備が設置されている割合は3分の1にも満たない31.7%に過ぎない。
都道府県別に見ると、東京都が95.6%と群を抜いて高いものの、それに続く大阪府で61.8%、兵庫県で56.9%にとどまる。今回の被災地である熊本県は20.4%と平均を大きく下回る。さらに恐ろしいことに、最も低い佐賀県に至っては0.8%、鹿児島県1.3%、長崎県1.4%と、九州や東北地方を中心に「エアコンがほぼ存在しない」という地域が広がっているのが現実なのだ。
事態を重く見た文科省は、令和8年熊本地震の発生を受けた7月29日、「空調のない体育館の代わりに、設置率の高い普通教室の活用を検討してほしい」という異例の通知を全国の教育委員会へ急遽発出したほどである。それでは、設置率が9割を超える東京都であれば安全なのだろうか。決してそんなことはない。ここにはさらに恐ろしい、巨大な落とし穴が待ち受けている。
■数百人が「巨大サウナ」にすし詰め
「電気が来なければ、いかに最新のエアコンがあってもただの巨大な箱に過ぎない」ということだ。
国が公表している首都直下地震の被害想定を紐解くと、驚きのシナリオが描かれている。発災直後、首都圏ではなんと約52%、軒数にしておよそ1600万軒が大規模な停電に見舞われると予測されているのだ。
とくに懸念されるのが、電力関係施設へのダメージである。首都直下地震の強烈な揺れや、湾岸部で懸念される大規模な液状化現象などにより、送電網が致命的な打撃を受ける可能性が高い。
最悪の場合、需給バランスが崩壊して広域が完全停電に陥る「ブラックアウト」という過酷事象(※)すら危惧されている。
(※)2018年9月6日の北海道胆振東部地震で起きたブラックアウトが記憶に新しい
電力が絶たれれば、避難所のエアコンも巨大扇風機も使用できない。非常用発電機があったとしても、その燃料の備蓄には限りがあり、長期間の稼働は不可能だ。何百人もの被災者がすし詰めになった真夏の体育館は、あっという間に「巨大サウナ」と化してしまうことも懸念される
■被災者の体力と気力を奪う「大断水」
猛暑の中で電気が止まったとき、私たちが次にすがるのは「水」である。水分を補給し、あるいはタオルを濡らして首に巻き、物理的に体を冷やすしかない。しかし、真夏の巨大地震は、その最後の命綱すらも無慈悲に切断しかねない。
都市の地下には、まるで葉脈のように上水道の管が張り巡らされている。だが、関東平野では、特に人口が密集する低地を中心に分厚い堆積層(軟弱地盤)で覆われており、沿岸部には広大な埋め立て地(人工地盤)が広がっている。巨大地震が発生すれば、液状化による地盤変動により、地下インフラへの甚大な被害が懸念される。
国の被害想定によれば、被災直後には給水対象人口の3割近く、人数にしておよそ1300万~1400万人もの人々が断水に直面するとされている。
■脱水状態で引き起こされる「血栓症」
さらに恐ろしいのは、極度の脱水状態が引き起こす「血栓症」のリスクである。
断水や不衛生なトイレ環境を恐れた被災者は、無意識のうちに水分摂取を我慢してしまいやすい。大量に汗をかいているのに、肝心な水を飲まなければ、血液はドロドロになり、血管内で血栓(血の塊)ができやすくなる。これが脳の血管に詰まれば「脳梗塞」、心臓の血管に詰まれば「心筋梗塞」を引き起こす。
狭い車内で避難生活を送ることで発症する「エコノミークラス症候群(静脈血栓塞栓症)」も、夏場の脱水環境下ではそのリスクが何倍にも跳ね上がる。
「暑さ」は単なる不快感ではない。被災者の体を内側から破壊し、持病を悪化させ、最終的に命を奪う「静かなる殺戮者」なのである。
避難所に関しては、さらに深刻な事態がある。「何かあれば避難所に」と思っている人は多いと思うが、それすら叶わないことが想定されているのだ。首都直下地震に際しては、膨大な数の避難者が想定されているものの、特に東京都区部においては深刻な避難所不足が懸念されている。
■水やエアコンを用意してくれるわけではない
政府は2026年6月に改定した「首都直下地震緊急対策推進基本計画」で、安全なマンションでは自宅にとどまる「在宅避難」を基本とする方針を打ち出している。避難所ではなく、我が家で地震に、暑さに、また水不足やトイレ不足に備えねばならないのだ。
私たちは今、過去の震災の教訓だけでは太刀打ちできない「猛暑×巨大地震」という複合災害の可能性がある時代を生きている。
国の想定は、あくまで「起きうる最悪のシナリオ」をデータで示したものに過ぎない。現実の避難所に行けば、誰かが魔法のようにエアコンを効かせてくれて、冷たい水を配ってくれるわけではない。
これから私たちが個人レベルで身につけるべきは、「行政頼みを捨てる」という覚悟である。断水と停電が長期化することを前提に、飲料水だけでなく「体を冷やすための水や冷却グッズ」を大量に備蓄すること。人口が圧倒的に多い大都市での大震災は、能登半島地震や令和8年熊本地震よりも、ずっとシビアな環境となることも想定される。
■プロが推奨する「4つの防災グッズ」
各家庭で、万全の太陽光発電システムが難しくとも、携帯型のソーラーパネルとポータブル電源、小型の冷風扇や扇風機、あるいは空調服などを防災セットに組み込むことを考えてほしい。
そして、熱中症等につながるトイレの我慢をしなくて良いように、非常用トイレの備蓄を少なくとも10日程度に増やすこと。自宅で在宅避難ができれば、水が出なくとも、流せなくとも慣れた自宅の便器が活用できる。出した後の排泄物の防臭や、置き場所なども考慮しておく必要がある。
まずは我が家が地震で倒壊して亡くならない備え、次に家具の転倒等で怪我をしないことを意識したい。地震から怪我なく生き延びた後は、猛暑から生き延びるということが必要な段階になる。直接死を免れたら、災害関連死に至らないことが重要になってくるのだ。
アウトドアやキャンプの技術を日常に取り入れ、いざという時にも「涼」と「衛生」を自分たちで確保する力――これこそが、真夏の巨大地震から命を守る唯一の防衛策となる。暑さとは対極にある極寒の真冬の備えとともに、住んでいる地域、住み方(戸建て・マンション)、家族構成などを踏まえた備えが不可欠だ。
来るべき「その日」が、過ごしやすい季節や凍てつく冬だけではなく、灼熱の夏にやってくる可能性に、私たちはもっと敏感にならなければならない。
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横山 芳春(よこやま・よしはる)
さくら事務所 地盤・防災コンサルタント
地形と地質、地盤災害の専門家。災害が起きた際には速やかに現地入りして被害を調査。平成28年熊本地震、北海道胆振東部地震、山形県沖地震、令和8年熊本地震などでは発生当日又は翌日に現地入り。
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(さくら事務所 地盤・防災コンサルタント 横山 芳春)

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