■なぜ幼なじみの軍トップを粛清したのか
2026年1月24日、中国国防省が、中央軍事委員会副主席の張又侠と、連合参謀部参謀長の劉振立を、重大な規律・法律違反の疑いで調査すると発表した。人民解放軍の制服組トップと、作戦立案・指揮の中枢が同時に切られたわけである。
このニュースが多くの中国ウォッチャーを驚かせたのは、張又侠が習近平と極めて近い関係にあったからだ。
張の父・張宗遜と習近平の父・習仲勲は革命期からの戦友だった。張と習も幼い頃から近い環境で育ち、習近平にとって張は長年信頼を寄せてきた人物だった。また、だからこそ習は張を軍の最高位に据えたのである。
その張を、失脚説が広がってから短期間のうちに処分した。
問題は、張又侠という一人の軍人が消えたことだけではない。粛清によって軍の戦闘力が低下すると同時に、軍の実力について正確な情報を最高指導部に伝える仕組みまで壊れつつあることだ。
■実戦を経験した貴重な人材だった
軍の弱さは、本来なら戦争を思いとどまらせる要因になる。だが、自軍が弱くなっていることを最高指導者自身が知らなければ、その弱さは抑止要因として機能しない。そこに、現在の中国が抱える最大の危険がある。
張又侠が人民解放軍内部で大きな存在感を持っていた最大の理由は、その経歴にある。
張は1979年の中越戦争に従軍した。人民解放軍が大規模な実戦を経験したのは、この中越戦争が事実上最後である。それから半世紀近く、人民解放軍は本格的な戦争を経験していない。
張は、実際に砲弾が飛び交う現場を経験した数少ない最高幹部だった。バイデン政権の国家安全保障担当大統領補佐官が訪中した際にも、張との会談が重視された。それだけアメリカ側も、張を人民解放軍の実態を知る重要人物とみていたということである。
では、なぜ軍の要である張が失脚したのか。複数の報道で指摘されているのが、台湾統一をめぐる認識の違いである。
■「2027年までに」という目標と現実
習近平は人民解放軍に対し、「2027年までに台湾侵攻を実行できる能力を整える」ことを求めてきた。2027年は人民解放軍創設100周年にあたる。これに対し張は、2027年という時期に軍事的な準備を整えることは現実的ではないという趣旨の意見を述べたとされる。
台湾への大規模上陸作戦が容易でないことは明らかだ。台湾海峡を越えて大部隊を送り込み、制空権と制海権を確保しながら上陸させ、その後も継続的に補給を続けなければならない。しかも、米軍が介入する可能性まで考慮する必要がある。
さらに張は、ロケット軍をはじめとする人民解放軍内部の腐敗や装備上の問題を知り得る立場にあった。政治が求めるスケジュールと、軍事的に可能なスケジュールとの間に大きな隔たりがあると考えていたとしても不思議ではない。
問題は、こうした軍事的な異論が、習近平にどう受け取られるかである。
2027年という目標は習自身が掲げたものだ。その実現可能性を否定することが、単なる軍事上の意見ではなく最高指導者への異議とみなされれば、軍人は現実をそのまま報告できなくなる。
■米メディアが暴いた「水ミサイル」の衝撃
1959年、毛沢東が進めた大躍進政策の問題を彭徳懐国防相が指摘したところ、彭は廬山会議で失脚した。その後、毛に政策の失敗を率直に伝えることは困難になり、現場からは実態とかけ離れた報告が積み上がった。
組織にとって危険なのは、政策を間違えること以上に、間違いを指摘する人間がいなくなることである。現在の人民解放軍にも、同じ構造が生まれつつある。
人民解放軍内部の深刻な問題を象徴するのが、いわゆる「水ミサイル問題」である。
米ブルームバーグは2024年、人民解放軍内部の腐敗によって、ミサイルに使われる燃料の代わりに水が入れられていたケースや、ミサイルサイロの蓋が正常に機能しないなどの問題があったと報じた。
問題は、一部の兵器が使えなかったことだけではない。より深刻なのは、人民解放軍自身が兵器の実際の稼働能力を正確に把握できているのか、疑問が生じていることである。
■習近平が進める軍改革が逆効果に
装備調達の段階で汚職が起こり、検査段階で問題が見逃され、その結果が上層部への報告で修正される。これが積み重なれば、「書類上の戦力」と「実際に使える戦力」との間に大きな差が生まれる。
台湾侵攻のシミュレーションでミサイル1000発が使用可能になっていても、実際に何発が正常に発射できるのか。艦艇が増えていても、何隻が継続的な作戦に投入できるのか。こうした基礎情報が信用できなければ、精密な作戦計画を立てても意味はない。
習近平は軍改革を進め、従来の軍区を5つの戦区に再編し、ロケット軍を独立した軍種として強化した。目的は、陸海空軍などを統合して戦える近代的な軍隊をつくることだった。
ところが、その改革と同時並行で大規模な粛清が続いた。
軍隊の統合作戦能力を強化するには、改革と称して組織図を書き換えるだけでは不十分だ。指揮官同士が判断基準を共有し、部隊間の調整方法を学び、演習と検証を繰り返して初めて完成する。人事が頻繁に入れ替われば、そのノウハウは蓄積されない。
つまり、習は、人民解放軍を強くするために軍改革を進めながら、それを機能させる人的基盤を、自らの粛清によって壊しているのである。
■忠誠競争という「組織を殺す病」
さらに深刻なのは、粛清によって軍内部の行動原理そのものが変わることである。
組織が正常に機能するためには、能力を示した者が評価され、問題を発見した者がそれを報告できなければならない。最高指導者にとって不都合な報告をした人物が失脚すると、組織全体が「悪い情報を報告することは危険である」と学習する。
すると、合理的な軍人ほど次のような行動をとる。
一つ目は、悪い情報を上げなくなることだ。装備の故障、訓練不足、作戦計画の欠陥を報告すれば、自分自身の管理責任を問われかねない。だったら、問題を小さく見せる方が安全である。
二つ目は、最高指導者が聞きたい情報を強調することである。「準備が遅れている」と報告するより、「計画通り進んでいる」と報告したほうが評価される。結果として、報告が上に行けば行くほど数字が良くされていく。
三つ目は、同僚やライバルの弱点を探すようになることである。自分が粛清されないためには、自分の忠誠を示すだけでなく、他人の忠誠心に疑問を投げかけることが有効になる。
こうなると、組織全体にとっては全員が正直に報告した方が合理的なのに、個々人にとっては真実を隠した方が合理的になる。組織の利益と個人の生存戦略が逆方向を向き始めるのである。
■ハリボテの実力を信じたまま戦うと…
腐敗そのものなら、検査を強化し、処罰を厳しくすれば一定程度抑えることができる。だが、悪い情報を出した人間が危険になる組織では、検査制度そのものが機能しない。検査する側も「問題はなかった」と報告した方が安全だからである。
「水ミサイル問題」の本当の怖さもここにある。ミサイルに問題があったこと以上に、その問題が軍の意思決定システムのなかで正常に処理されなかったことの方が重要だ。
2025年12月、中国は台湾周辺で「正義使命2025」と呼ばれる大規模演習を行い、統合作戦能力を誇示した。もちろん、演習には実戦的な訓練としての意味がある。だが、使用する兵器や部隊は事前に選定され、計画されたシナリオのもとで動く。そこで成功しても、戦時の想定外の事態で同じ能力が発揮できるとは限らない。
まして「成功」という政治的な結論が最初から求められれば、演習は検証ではなく成果発表の場になる。軍隊に必要なのは「成功した演習」ではなく、「失敗を発見できる演習」である。
現在の人民解放軍で、その「失敗」を誰が習近平に報告できるだろうか。
■判断力を失った軍隊は実戦に弱い
張又侠と劉振立の失脚によって、中央軍事委員会は異例の状態になった。2022年時点で7人いたメンバーは、習近平と張昇民を中心とする極端に縮小した体制となった。
張又侠は軍の装備や組織運営に深く関わり、劉振立は作戦計画を担う連合参謀部の責任者だった。二人を同時に排除することは、人民解放軍の戦争準備を支えてきた人的な中枢を取り除くことになる。
残された張昇民は、軍事作戦の専門家というより、軍内部に共産党の統制を徹底する政治工作・規律検査の経歴を歩んできた人物である。
現在の人民解放軍では、戦争を遂行する能力より、軍を政治的に統制する能力が重視されるようになっているのである。ここに習政権の矛盾が集約されている。軍隊においても政治的統制はたしかに必要だ。だが、統制を優先するあまり現場の自律的判断まで失わせれば、実戦では逆効果になる。
現代戦では、通信が途絶し、予定していた作戦が崩れ、敵が予想外の行動をとったとき、現場の指揮官がその場で判断しなければならない。
ところが、判断を間違えれば政治的責任を問われる組織では、指揮官は独断を避ける。「命令されていないことをしない」ことが、最も安全な行動になる。恐怖による統制が強くなればなるほど、軍が自己判断力を失い、戦場では自立的に動けず脆くなる。
■合理的な指導者なら戦おうとはしない
そして、さらに深刻なのは、習自身が軍の本当の状態を把握できなくなっている可能性があることだ。誰かを任命し、問題が発覚すれば粛清し、さらに忠誠心の高い人物を登用する。
このサイクルを繰り返せば、粛清のたびに経験者が消え、残った人間はさらに慎重になる。その結果、最高指導者に届く情報はますます乏しくなる。習が人民解放軍を統制しようとすればするほど、人民解放軍の状況を正確に掌握するのが難しくなる。
では、人民解放軍が弱体化しているのなら、台湾有事の可能性は低くなるのだろうか。
普通に考えればそうなる。台湾への大規模上陸作戦は、現代の軍事作戦のなかでも最も困難なものの一つである。海峡を渡り、制空・制海権を確保し、大量の兵員と兵器を上陸させ、その後も補給を維持しなければならない。さらに米軍や日本の動向も計算に入れる必要がある。
人民解放軍に問題が多ければ多いほど、合理的な指導者なら慎重になるはずである。しかし、ここに独裁体制特有の危険がある。
■「自軍の実態」を把握できない独裁者
軍が弱いことと、最高指導者が「軍は弱い」と認識していることは同じではない。粛清によって軍内部の情報が歪められているなら、「台湾作戦の準備は順調である」「ロケット軍は予定通り戦力化されている」「アメリカは大規模な介入を避ける」といった、最高指導者が望む情報ばかりが上がってくる可能性がある。
ここで重要なのは、「アメリカが必ず参戦するかどうか」を断定することではない。台湾有事を決断する側にとって重要なのは、アメリカが介入する可能性をどれだけ正確に計算できるかである。
中国側がアメリカの介入可能性を過小評価し、自軍の能力を過大評価すれば、戦争を始めるハードルは下がる。これはロシアによるウクライナ侵攻でも見られた事象だ。
戦争を始める国家が、自国の能力と相手側の抵抗力を正確に認識しているとは限らない。大規模な戦争ほど、開戦前の重大な誤算によって始まることがある。だからこそ、人民解放軍の弱体化を「台湾有事が遠のいた証拠」とだけ見るのは危険である。
軍の弱さは、本来なら戦争を抑止する。だが、その弱さを最高指導者が正確に認識できなければ、抑止にはならない。
■軍事力と情報能力が弱体化した結果
習の粛清は、人民解放軍の戦闘力だけでなく、自分たちの戦闘力を正確に測り、問題を最高指導部へ伝える能力まで削っている。「軍事力の弱体化」と「情報能力の弱体化」という「二重の弱体化」が重なったとき、最も恐ろしいことが起こる。
それは、弱い軍を、強い軍だと最高指導者が信じ込むことである。実際、2025年秋に釜山で開催された米中首脳会談後、中国の政策決定層や共産党直属の研究機関の間では、「中国はついにアメリカと対等な大国になった」「アメリカの圧力に屈せず、逆に実利的な譲歩を引き出した」などの過剰な自己評価が国内では蔓延している。
正しい情報が上がらなくなった結果、習個人にとどまらず「アメリカに肩を並べた」「自分たちは強い」というセルフイメージが中国国内で形成されつつあり、ナルシズムが肥大化している状態にあると考えられる(詳しくは、プレジデントオンライン「習近平『われわれはトランプを屈服させ、高市を懲らしめた』…中国が突き進む『危険なナルシスト国家』の末路」を参照のこと)。
台湾問題において最悪のシナリオは、人民解放軍が弱体化しているのにもかかわらず、習自身がその現実を把握できずに有事に突入しかねないことだ。その結果、泥沼の戦争に入り込めば甚大な被害が出ることになる。
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白川 司(しらかわ・つかさ)
評論家・千代田区議会議員
国際政治や日本論など幅広いフィールドで活躍。YouTubeチャンネル「デイリーWiLL」コメンテーターを経て、文化人放送局コメンテーター。メルマガ「マスコミに騙されないための国際政治入門」が好評。新刊に『習近平は何を恐れているのか?』(ビジネス社)。既刊書に『14歳からのアイドル論』(青林堂)、『日本学術会議の研究』『議論の掟』(ワック)、翻訳書に『クリエイティブ・シンキング入門』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)などがある。
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(評論家・千代田区議会議員 白川 司)

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