プリンスが2016年4月21日に急逝してから、早いもので10年の月日が流れた。そんな節目の年に、未発表音源で編まれた新しいコレクション・アルバム『Timeless』が登場。
再びプリンスが話題に上っているこのタイミングで、「彼の何がどう凄いのか、今やタイムレスな存在となったプリンスの魅力をわかりやすく伝えよ」というのが本稿のお題だ。

メインストリームで活躍しながらも、マニア心をくすぐる存在であり続けてきたプリンスは、うるさがたのファンが非常に多いため、ビギナーには敷居が高いイメージがあるかもしれない。これからプリンスの作品に触れようとしている人たちや、彼に対して苦手意識を抱いていた人たちのために、いくつか”ポイント”を挙げながら解説していこう。

作詞・作曲をこなすマルチ・プレイヤー

1stアルバム『For You』のレコーディングを開始した1977年9月の時点で、プリンスはまだ19歳。その若さで、クリス・ムーン(プリンスのデモ・テープ作りに協力したプロデューサー)と共作した「Soft And Wet」以外の全曲をひとりで作詞・作曲し、ピアノやキーボード、シンセサイザー、ギター、ベース、ドラム、各種打楽器にいたるまで、全パートをひとりで演奏した。もちろん最初から何でも弾けたわけではなくて、ピアノからスタートし、独学でそれらの楽器をマスターしていったのだ。

プリンス&ザ・レヴォリューションのドラマー、ボビー・Zに取材した際、プレイヤーとしてのプリンスについて「彼はミュージシャンとして非常に厳しい鍛錬を積んでいて、テンポの取り方から音の合わせ方まで、全て完璧だったんだ。絶対音感も持っていた」と教えてくれた。プリンスが天賦の才能を持ち合わせていたことは確かだが、ひとり多重録音が可能なレベルの演奏技術を得るまでの間、人知れず練習を重ねて腕を磨いた”努力の人”でもあることを忘れてはならない。

それを裏付けるのが、94イーストというグループでソロデビュー前のプリンスにレコーディングの機会を与えたペペ・ウィリーの証言。12時間みっちりリハーサルして別れた後、プリンスの家を訪れたが、中にいるはずなのに呼び鈴を鳴らしてもドアをノックしても返事がない。家の脇に回って地下室の窓から中を覗くと、鬼のような形相でドラムを叩くプリンスの姿があった。
「彼の実力は才能だけによるものでなく、ハードな練習に裏打ちされているということを、その時私は理解したんだ」とぺぺは語っている

「America」1985年のパフォーマンス、曲の後半でプリンスが本格的なドラムプレイを披露

プリンス最大の代表曲「Purple Rain」(1984年)。米Rolling Stone誌「史上最高のギターソロ100選」で第1位。2007年のスーパーボウルでは豪雨のなか同曲を披露し、伝説的なステージとなった

驚異のセルフ・プロデュース能力

10代ですでに「レコード会社の指図を受けずに自由に制作したい」という明確な意志を持っていたプリンスは、ワーナー・ブラザーズと契約する際にも自身がプロデュースできることを条件として提示し、破格の契約金を得てプロデビューを果たす。しかしスタジオで思い通りにアルバムを構築するだけでは飽き足らず、ライブ用のバンドを組んでツアーを開始してからは、露出の多い衣装に身をまとい、挑発的なパフォーマンスを繰り返して物議を醸す存在になっていった。

同じ58年生まれのマイケル・ジャクソンがそうであったように、ジェームス・ブラウンの強い影響下にあったプリンスが、フィジカルな表現を志向するのは自然な流れだったはず。実は学生の頃にバレエを習っていた時期もある。単にミュージシャンがステージに立って演奏するだけではなく、楽器を弾きながら肉体を躍動させ、踊り、時にはシアトリカルな演出を用いて観客を間断なく楽しませる……そういう総合的なショーこそプリンスが目指したものだった。

プリンスがプロデュースしたザ・ファミリーのフロントマン、St.ポールことポール・ピーターソンの兄で、鍵盤奏者/アレンジャーとしてプリンスの作品に貢献したリッキー・ピーターソンは、「みんな彼のことを天才と呼んでいたけれど、それを超えた存在だった。振り付けであったりライティングであったり、そういったものを全て含めたヴィジョンが常に彼の中にあり、彼の音楽を通してそれを表現してきたんだ」と説明してくれた。

セルフ・プロデュースによるアルバム作りと、それに伴うツアーをこなすだけでも物理的に大変なことだが、プリンスが常人と違ったのは、ハードスケジュールの隙間を縫って、ザ・タイムやヴァニティ6、アポロニア6、シーラ・E、ザ・ファミリーなどのアルバムも次々とプロデュースし続けたこと。しかも多くの場合、作詞・作曲や演奏にもプリンスが関与していた。
デトロイトにヒット工場のモータウンがあったように、地元ミネアポリスに自身の王国を築こうとしたのだ。彼が設立したレーベル、ペイズリー・パークでは、ジョージ・クリントンやメイヴィス・ステイプルズといったベテランのアルバムもリリースしている。

1987年の傑作ライブ映画『プリンス:サイン・オブ・ザ・タイムズ』予告編。音楽から舞台演出までみずからの美学で統合

膨大な量の未発表録音を残した多作家

自身のスタジオ・アルバムだけで39枚、金庫にはアルバム100枚分に相当する量の未発表音源が眠っていると伝えられるプリンス。ボビー・Zは「プリンスは20時間ぶっ通しでスタジオ入りしていることもあったし、ひどい時は48時間いることさえあった。スタジオにいる時のプリンスはエネルギーに満ち溢れていて、全く疲れ知らずだったよ。デビュー前も、『1999』を制作した頃も、それはずっと変わらなかった」と教えてくれた。

81年、ローリング・ストーンズの前座に起用されて観客からブーイングを浴びた事件以降、多作ぶりに拍車がかかったのでは、というのがボビー・Zの見解。それを機に何かのスイッチが入ったのか、「彼はごく短期間で『1999』用の曲を書き上げ、他にもヴァニティ6、ザ・タイムなどのアルバムを含む数えきれないほどの楽曲を書いた」という。

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©️The Prince Estate/Afshin Shahidi

エゴイスティックなイメージがあるプリンスだが、曲作りは常にひとりきりというわけでもなく、バンドのメンバーの意見を取り入れながら曲を作ることもあった。プリンス&ザ・レヴォリューションのキーボード奏者、Dr.フィンクの証言によると、「Dirty Mind」はリハ中に彼が弾いたシンセのインストゥルメンタルを基に、プリンスが組み立てて仕上げたもの。「Head」も彼が弾いたシンセ・ソロからアイディアを得て書いた曲だという。
「It's Gonna Be A Beautiful Night」はサウンドチェック用にザ・レヴォリューションとジャム・セッションしたときに生まれたそうだ。「『Purple Rain』の約半分は、ザ・レヴォリューションのジャム・セッションから生まれた曲、と言っていいと思う」とフィンク。つまり個人で練り上げるタイプの曲と、バンドとの化学反応から生まれる曲、両輪がうまく駆動していたわけだ。

自身の作品、プロデュース作品以外にも、プリンスは楽曲提供や客演を積極的に行なった。実はスティーヴィー・ニックスのヒット曲「Stand Back」でシンセを弾いているのは彼だし、一時交際していたマドンナの『Like A Prayer』に収められた「Love Song」ではふたりのデュエットが聴ける。アース・ウィンド&ファイアーの『Millennium』に提供した「Super Hero」、ギターで客演したスティーヴィー・ワンダーの「So What The Fuss」(『A Time To Love』に収録)など、レジェンドたちとの”夢の共演”も実現。アルバム単位の成果は生まれずに終わったが、マイルス・デイヴィスとのコラボも果たしている。

楽曲提供したケースでは、シーナ・イーストンの「Sugar Walls」(米9位)、バングルスの「Manic Monday」(米2位/英2位)などのヒットが生まれたし、カバーされてヒットしたチャカ・カーンの「I Feel For You」(米3位/英1位)やシネイド・オコナー「Nothing Compares 2 U」(米1位/英1位)もヒットチャートを賑わした。プリンス自身の作品と並行して、そのような形でソングライターとしての存在感を示し続けたことも、現象として忘れがたい。

タブーを恐れない革命家

プリンスの辞書にタブーという言葉などなかったに違いない。セルフ・プロデュースを認めさせたデビュー時の契約から始まり、80年代には時代遅れになっていた2枚組アルバムをリリースしてヒット(『1999』『Sign O' The Times』)。『Around The World In A Day』を発表する際はアルバムとしての表現を重視して先行シングルの発売を拒むなど、慣例にとらわれることなく我を貫き通していく。
『Lovesexy』をアルバムとしてまるごと楽しんで欲しいという意図から、CDは曲ごとにチャプター分けせず、1トラックで収録した件も語り草だ。

ヒット曲作りにおいても、プリンスに禁忌はなかった。「When Doves Cry」や「Kiss」といった代表曲は、通常のポップソングならそこにあるはずのベースが欠落している。彼が”不要”と判断したら、ベースパートごとカットしてしまうことも決して珍しくなかった。音の隙間を活かし、独特なグルーヴを生み出す手法のマジックについては、ボビー・Zも認めている。

プリンスが覆した最大の”タブー”は、18年間所属していたワーナー・ブラザーズからの離脱だろう。大メジャー・レーベルとの契約内容に不服を申し立てる人などほとんどいなかった時代に、プリンスは隷属することをよしとせず、アーティスト名を発音できないシンボルマークに改名。メディアは彼をThe Artist Formerly Known As Prince(TAFKAP)と称することになった。そしてついに自由の身となってからは、カタログを自身で管理するようになる。アーティストの原盤権に対する意識を大きく変えた事件だった。

プリンスは新たに自身のレーベル、NPGを設立。電話を使った通販を皮切りに、作品の新たな販売方法を模索していく。
今では配信のみで音源を発表することなど当たり前だが、プリンスは90年代前半から音楽産業の未来を見据え、動き始めていたわけだ。94年にはビデオゲームのマーケットに注目し、CD-ROM作品『Prince Interactive』も発表している。

早くからインターネットに注目していたプリンスは、2001年に公式サイトのNPGミュージック・クラブを発足。新曲公開やポッドキャスト、ライブの優先席確保が話題となり、40万人もの会員を獲得した。また、2004年のアルバム『Musicology』は、ツアーのチケットとアルバムをセット販売したことでセールスを伸ばし、ヒットチャートの算出方法に影響を及ぼしている。

2007年には『Planet Earth』、2010年には『20Ten』を新聞の付録としてリリース、有料販売が当たり前だったアルバムのあり方に一石を投じている。2009年には『LOtUSFLOW3R』『MPLSoUND』と、プリンスが手掛けたブリア・ヴァレンテのアルバム『Elixer』の3CDセットを、大手スーパーチェーンのターゲットが低価格で独占販売、全米アルバム・チャートの2位にランクインさせた。

2004年『Musicology』発売時のライブ映像。同作はツアーチケットにCDを付属する異例の販売方法でも話題を呼び、プリンスは音楽の届け方そのものを更新し続けた

社会的なテーマに取り組み続けた表現者

ブルーとピンクの中間、パープルをテーマカラーにしたプリンスは、有名なシンボルマークも男性(♂)と女性(♀)を掛け合わせたもの。セクシャルマイノリティが差別されていた時代から、多様性のシンボル的な存在として愛されてきた。また、彼自身が有色人種として差別を受けた経験から、人種問題も曲のテーマとしてたびたび取り上げている。”僕は黒人なのか、白人なのか/僕はストレートなのか、ゲイなのか”と問いかける「Controversy」は、極めて象徴的な曲だ。


社会問題に言及した曲では、米ソ冷戦が背景にあった「Ronnie, Talk To Russia」や、核戦争への不安を反映した「1999」、エイズやドラッグの蔓延に言及した「Sign O' The Times」、9.11事件の背景にあるものを取り上げた「Cinnamon Girl」がよく知られるところ。それらの曲ほど注目されていないが、ネイティヴ・アメリカンについて歌った「Right The Wrong」も、もっと知られていい曲だと思う。2015年4月にメリーランド州ボルチモアで起きた黒人青年フレディ・グレイ死亡事件に反応して、SoundCloudで「Baltimore」を緊急公開したこともプリンスらしいエピソードだ。彼が今も生きていたら、社会情勢に対して口をつぐむことは決してなかっただろう。

新たな未発表音源集『Timeless』全曲解説

今回新たに編まれた未発表音源集『Timeless』は、デビュー以前の77年に録音されたという「I Am You」から始まり、最後のツアー”Piano & A Michrophone 2016”からのライブ音源「How Come You Don't Call Me Anymore」で終わる全10曲。それらを録音年順に並べた構成は、作風の段階的な変化を見せていく狙いがあるようだ。1曲ずつの粒立ちが想像以上に良く、アルバムのタイトル通り、”タイムレス”と感じられる完成度の曲を選び抜いた印象。曲順の流れも決して悪くない。恐らくこれからさらに進む発掘音源の公開を前に、新しい世代へのリーチを意識して編まれたイントロダクション的なアルバムなのでは、と筆者は感じた。

77年録音の「I Am You」は、ダンサブルで若くてフレッシュ! 独特なエグ味が加わる前の、ファルセットで歌っていた時代ならではの輝きがまぶしい。トラック的にはザ・タイムの「I Don't Wanna Leave You」の原形と言えるし、レン・ウッズに提供した「I Don't Wanna Stop」とも似たところがある曲調だ。

81年録音の「Tick, Tick, Bang」は、インパクトでは一番かも。『Graffiti Bridge』に収められた曲だが、アレンジはまったく別もので、冒頭の絶叫を合図に突っ走る、プリンス史上最もパンキッシュなロックンロールだ。米英ニューウェイブからの影響抜きでプリンスの音楽が語れないことを改めて伝えてくれる、貴重な”証拠”のひとつである。

85年録音の「Heaven」は、交際していたスザンナ・メルヴォワン(ザ・ファミリー)が参加、ふたりの声が交わる甘さが、この時期特有のサイケデリックな曲調にフィットしている。それと比べると89年録音の「I Wonder」ではビートが一気に軽くなり、ゴスペル的なコーラスがグッと映える。

91年録音の「With This Tear」と95年録音の「Stone」はアルバムに先駆けて公開済み。前者はセリーヌ・ディオンが歌ったバージョン(92年)も素晴らしく、これまで広く注目されてこなかったのが惜しい、メロディの美しさが際立つバラード。後者はサンドラ・セイント・ヴィクターのお蔵入りアルバム『Sanctuary』に収められていた「Nothing Left To Give」をプリンスが気に行って改作したもので、今回リード・トラックに選ばれたのが頷ける、ポップな仕上がりだ。

2003年録音の「Calabama」は『Musicology』以前に予定していたと言われる未発表アルバムのタイトル曲。プリンスが弾いたと思われるスラップベースがジョン・ブラックウェルのドラムと見事に絡む絶品で、彼にFUNKを求める人には極上のプレゼントになるだろう。

2007年録音の「The Guilty Ones」はロックンローラー=プリンスの真骨頂。豪快に弾きまくるプリンスを煽るように、パワフルなドラミングを聞かせるコラ・コールマン・ダンハムのプレイが強烈だ。

2012年録音の「Bestest Friend」はデリケートな歌詞の内容もさることながら、『Purple Rain』の「The Beautiful Ones」を思い出させるキーボードの響きが印象に残る。Dr.フィンクがプリンスと2014年秋に会った際、開口一番「近い将来、ザ・レヴォリューションの再結成を是非実現させよう!」と言われた、と言っていたことを思い出しもした。そのリユニオンは、残念ながら実現することなく終わってしまったのだが。

最初に『Timeless』の曲目を見たとき、2016年のライブ音源「How Come You Dont Call Me Anymore」で終わる構成に首をかしげたが、なるほど全体を通して聴いてみると、これを締めに置きたくなる気持ちがわからないでもない。ファルセットの「I Am You」から始まったアルバムを、円環を閉じるように晩年のファルセットで締め括りたいという意図があったのかも……筆者はそんな風に感じた。

いずれにせよ、その”Piano & A Michrophone 2016”ツアーからのライブ盤や、アルバムごと、時代ごとの未発表録音が世に出る日を、ファンは首を長くして待っている。どこを切ってもタイムレスな音源であろうことがわかっているからこそ、リアルタイムでプリンスを追ってきた我々ファンが生きている間に、音源発掘のスピードが加速してくれることを祈るばかりだ。

プリンス完全入門──没後10年「タイムレス」な天才が今なお革新的である5つの理由

プリンス
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2007年録音の「The Guilty Ones」はロックンローラー=プリンスの真骨頂。豪快に弾きまくるプリンスを煽るように、パワフルなドラミングを聞かせるコラ・コールマン・ダンハムのプレイが強烈だ。

「America」1985年のパフォーマンス、曲の後半でプリンスが本格的なドラムプレイを披露

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