オリックス・平野佳寿投手兼投手コーチ(42)が、今季限りで現役を引退することが8日、分かった。すでに意思を伝え、球団側も功労者の決断を尊重。

最終的に了承され、きょう9日に発表する予定だ。23年にオリックスの選手として初の名球会入りを果たし、日米通算250セーブ200ホールドは前人未到の大記録。唯一無二の歩みをたどるレジェンド守護神がオリックスで18年、通算21年間のプロ野球生活に区切りをつける。

 オリックス・平野がユニホームを脱ぐことを決めた。42歳はパ・リーグ投手で最年長。投手コーチ兼任として今季を迎え、3月29日の楽天戦(京セラD)で通算1000奪三振を達成した。250セーブとダブルで成し遂げたのは史上初の偉業。しかし4月16日に出場選手登録を抹消され、ここまで2試合の登板にとどまっていた。

 NPB4人目の通算250セーブをクリアした昨年も、1軍では3試合の登板。引き際は意識していた。マウンドに立ったのは、7月9日に行われたファーム・リーグのソフトバンク戦(みずほペイペイ)が最後。実は右太もも裏を肉離れしていた。

近年は右肘や腰の不安を抱えながら戦ってきたが、太もも裏は初めての負傷だった。現役の投手として、心が大きく変化した。

 「基本的にずっと、1軍の勝っている試合で投げてきた。それが徐々にできなくなってきて、僕が(投手の)一枠を取っていることはどうなのか…。そう思うことはあります」。ファームでは1軍や支配下登録を目指す若手を指導。冷静に現実を受け止め、胸中を打ち明けたときがあった。

 気持ちを固めたのが7月下旬だった。チームがCS争いを展開するシーズン中の決断。尊敬する福良GMや05年のドラフト同期で2学年上の盟友・岸田監督に思いを伝えた。

 06年の入団1年目は先発だった。右肘手術、逆流性食道炎を乗り越え、プロ5年目の10年が分岐点となった。

「若いし、球に勢いがある。いけるよ」とリリーフの道を切り開いてくれたのが当時の岡田彰布監督。翌11年の最優秀中継ぎ、14年の最多セーブと実績を積み上げた。

 17年のWBCは追加招集で日本代表入り。初の国際舞台で評価を上げ、メジャーでも3年間で150試合に登板した。21年からオリックスに復帰し、不動の守護神としてリーグ3連覇に貢献。「待っているから。いつでも帰っておいで」と米国時代、常に気にかけてくれた古巣への恩返しが、何よりの原動力だった。

 オリックスの選手として初の名球会入りを果たし、日米通算852試合で258セーブ205ホールド。球団は生え抜きの功労者へ引退試合を用意する方針で、平野自身は残りシーズンも「投手兼投手コーチ」として全力を注ぐつもりだ。常時150キロの直球と宝刀フォークで生き抜いた21年。座右の銘「一所懸命」を貫き、太く長いプロ野球人生を終える。

 ◆平野 佳寿(ひらの・よしひさ)1984年3月8日、京都府生まれ。42歳。京都・鳥羽から京産大を経て、05年大学・社会人ドラフト希望枠でオリックスに入団。11年に最優秀中継ぎ、14年に最多セーブのタイトル獲得。17年オフに海外FA権を行使。Dバックス、マリナーズを経て、21年にオリックス復帰。23年に日米通算250セーブを達成し、名球会入り。座右の銘は「一所懸命」。186センチ、90キロ。右投右打。

編集部おすすめ