広島県・第二の都市、福山市の市街地から車で南へ約30分。今回訪ねたのは、万葉集の時代から、瀬戸内海を行き来する船の「潮待ちの港」として栄えた鞆の浦(とものうら)です。

都会には珍しい豊かなコミュニティが話題となっている名物賃貸「高円寺アパートメント」(東京都杉並区)での暮らしを経て、このまちへの移住を果たした長田涼(ながた・りょう)さん、果穂(かほ)さん夫妻(ともに30代)に、移住を決めた経緯やリノベーションで実現した住まいづくり、多くの人とつながる鞆の浦での暮らしについてお話を伺いました。

“ご近所付き合いのある暮らし”を求めて辿り着いた「高円寺アパートメント」が原点

30代子育て夫妻の移住。東京から広島の港町・鞆の浦へ。空き家長屋をリノベし「まちに開く暮らし」始めた理由

石造りの常夜灯と、雁木(がんぎ)と呼ばれる階段状の船着場が鞆の浦の象徴(撮影/STILB 朝比奈千明)

30代子育て夫妻の移住。東京から広島の港町・鞆の浦へ。空き家長屋をリノベし「まちに開く暮らし」始めた理由

歴史を感じる風情ある街並みが残る鞆の浦(撮影/STILB 朝比奈千明)

結婚を機に、長田さん夫妻が新居探しのまちとして注目したのは、「整然としたまちじゃなく、下町の風情や独特な空気感のあるまち」と評する高円寺。「大好きな銭湯があったり、個性が光る個人商店が並ぶ商店街があったり、とても魅力的なまちで……。コロナ禍で人に会えない状況のなか、地域のコミュニティに関わってみたいと思っていたタイミングで、高円寺に住む友人に誘ってもらったのも大きかったですね」(涼さん)

そんななか、以前から興味を持っていたという「高円寺アパートメント※」に空室が出て入居を決定。「コミュニティに関わる仕事をしていることもあって、人のつながりこそが暮らしを豊かにしてくれると考えていたので、本当に魅力的でした」

おりしもコロナ禍真っ只中の2020年。「なかなか人と会うことが叶わない難しい時期にも、ちょっと外に出れば1階の店舗や芝生広場で住人同士のたわいもない会話が生まれる、“会える距離”のコミュニティには救われたところもあります」(果穂さん)

1階は全て店舗で、2階以上が住居。子どもを連れて、1階にある馴染みのカレー屋さんに出かけると、お客さんとして来ていた住人の方が気軽に子どもを抱っこして面倒を見てくれる。芝生広場にはいつも子どもたちの笑い声があふれていて、気が付くと子育て談議が始まっていたりする……。「ここに暮らしていなければ出会えないような業種の方とつながったり、時には、住人同士でマルシェやランチ会を楽しんだり、生活の中に根付いた緩やかなつながりが心地よかったですね」(涼さん)

30代子育て夫妻の移住。東京から広島の港町・鞆の浦へ。空き家長屋をリノベし「まちに開く暮らし」始めた理由

多くの住人が集う場所になっている高円寺アパートメントの芝生広場でパチリ(画像提供/長田さん)

※高円寺アパートメントについては以下の記事参照。
名物賃貸・高円寺アパートメント8年の軌跡。「住人同士は“ご近所さん”、その距離感が心地いい」マルシェ・食事会などで育てた日常は今

しかし、2LDKの間取りは、今後家族が増えていくことを考えると少し手狭。さらには、「アパート内の環境は最高でしたが、そこはやはり都心。子どもを連れて出かけるには電車移動も大変で……」と果穂さん。

そこから、「高円寺アパートメント」のような緩やかなつながりのある暮らしと、子育てをしながらも暮らしやすい環境を求めて、2021年9月ごろから長田さん夫妻の“住みたいまち探し”が始まります。

“まち”単位での暮らしやすさ、子育て環境を考えるなかで出合った「鞆の浦」

「幸いなことに、二人ともフルリモートで仕事ができたので、一つのまちを1週間くらいずつ、時間をかけてまわりました」と長田さん夫妻。訪れたまちは、青森県十和田市、宮崎県日南市、愛媛県の今治市や大洲市など全国に点在し、どのまちもそれぞれ魅力的だったといいます。

そして、広島県尾道市に滞在していたときに、「ちょっと足を延ばして」訪れたのが鞆の浦でした。「実は当初は候補としてはあまり上位ではなくて、ぎりぎりまで行くかどうか迷っていたんです」と振り返る涼さんですが、いざ訪れてみると、そこは二人の条件にぴったりのまちでした。

初めて行ったお店の人が気軽に子どもを抱っこしてくれたり、住民と話をする端々に「自分のまちが好き」という気持ちを感じたり。「子育てするなら鞆の浦じゃろ」と笑顔で話してくれる人もいて、「このまちなら、まちぐるみで子どもを見守りながら子育てができそうだなと感じました。こども園や小中一貫校が通いやすいところにそろうことも魅力でしたね」(果穂さん)

車で30分も走れば新幹線も止まる福山駅。駅まではバス便もあり、1日30往復以上と十分な本数が整っています。「フルリモートがベースとはいえ、出張がゼロというわけではないので、交通事情も重要なポイントの一つでした」(涼さん)

まちに滞在してみると、歴史ある港町の風情を残した鞆の浦は、歩くたびに新しい発見がある「散歩が楽しいまち」でもありました。「こんなところにこんな店があった!」と、細い路地をのんびり歩く時間は、移住して4年経った今でも、二人にとってかけがえのない豊かな暮らしのワンシーンになっています。

30代子育て夫妻の移住。東京から広島の港町・鞆の浦へ。空き家長屋をリノベし「まちに開く暮らし」始めた理由

風情ある街並みが残る鞆の浦は「散歩するのが楽しい」まち(撮影/STILB 朝比奈千明)

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歴史を重ねた建物も多く、のんびりした雰囲気も魅力(撮影/STILB 朝比奈千明)

さらに、「移住したらいつか夫婦で何かやりたいなと、当時から思っていて」と涼さん。「(鞆の浦含む)どのまちも先輩移住者の方が活躍していらっしゃって。

できることなら、自分たちがまちを盛り上げるために何かお手伝いできる、そんな余地のあるまちがいいなと思いました。活動的な先輩移住者がまだ少ないこのまちなら、一から始められる。それが鞆の浦を選んだ一番の理由かもしれません」

住民とのつながりを育む「場」をつくる、古民家カフェ「鞆の浦ありそろう」

2022年2月に東京の高円寺から広島の鞆の浦へ移住。鞆の浦の中心部からは少し離れた山手、港を見下ろす一戸建ての賃貸住宅に住まいを定めた長田夫妻は、そこで暮らしを整えながら、さらに10カ月ほどの時間を経て動き始めます。

舞台となるのは、かつて鞆の浦にあった遊郭の一つだという「ありそ楼」。築100年超という趣のある建物は、「私たちがこの物件に出合う3年ほど前まで喫茶店として営業されていたようで、内装を大きくいじる必要がなかったこともよかったですね」(涼さん)。飲食や雑貨・古道具販売、コミュニティスペースなど、さまざまな機能ももった古民家カフェ「鞆の浦ありそろう(以下、ありそろう)」を始めることにしました。

「私がコーヒーを淹れるのが好きということもあって、カフェという形をとったのですが、実は営業内容は何でもよかったんです。目的は、誰かと誰か、何かと何かのつながりを育む場をつくること。例えば、鞆の浦で暮らす人と観光などで遊びにくる人、鞆の浦の文化と都会的な文化……。そんな交わりが生まれる懸け橋のような場になればと考えていました」(涼さん)

「まちの人からの認識が、“移住者の長田”から “ありそろうの長田”に変化したのは大きかったですね」と笑う涼さん。「確実に、挨拶できる地元の人が増えた(笑)」
コミュニティスペースでは、ヨガ教室や、デニムのPOP‐UP、高円寺アパートメントから友人を招いてトークイベントなどを開催。鞆の浦を訪れた友人は180人を超えているといいます。

さらに、月に1度だけ夜営業
を始めたことで、普段はお店に来られない人との交流も生まれ、「たくさんの新しい芽が出てきましたね」と笑います。

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遊郭時代の面影を思い出す名称「ありそ楼」に、「なにかありそう」という期待感をかけて「ありそろう」という店名に(画像提供/長田さん)

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営業時の「ありそろう」外観(画像提供/長田さん)

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夜営業の様子(画像提供/長田さん)

「唯一の難点は、当時の住まいとお店が離れていて、行き来が大変だったこと」と振り返る長田さん夫妻。そんななか、知人の紹介で2022年10月ごろに出合ったのが、鞆の浦の中心部に位置する現在の住まい兼店舗でした。ただ、鞆の浦の中心部は「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されているため、建物のリノベーションの許可や補助金の申請などの対応で約2年。「ありそろう」の営業とともに、新居の構想を進める日々が続きました。

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まちと人を結ぶ「場」にもなる、現在の店舗兼自宅の外観(撮影/STILB 朝比奈千明)

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水・土のみ営業している1階のパン屋店舗にて(撮影/STILB 朝比奈千明)

元クリーニング店の長屋をリノベーション。職住接近のゆとりある暮らし

20年ほど前までは、クリーニング店として営業していたという店舗兼自宅。中心部ならではの、間口が狭く奥行きが深い長屋づくりで、10年ほど空き家になっていたため、改装のための片付けも大変だったといいます。店舗があった土間から、通り土間を経て中庭に続き、奥には居住スペース。「まちに開くスペースとして、土間は残して店舗に。中庭も活かす形で、暮らしをイメージしていきました」(涼さん)

2024年ごろになって設計を依頼したのは、高円寺アパートメントで知り合った建築家・石井航さん。「間口が狭いので、どうやって光を取り込むかが大きなテーマの一つでした」(涼さん)。

そこで、中庭に面した窓は大きくし、リビングの窓は全面ガラスを採用しました。中庭自体は二人の子どもたちが遊べるようにシンプルなデッキスペースに。庭に植えたもみじが季節の移ろいを知らせてくれます。

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木造にこだわった住まいの中で、中庭のデッキだけは熱さや耐久性を考えて樹脂製を選択。「夏にはプールを出して子どもたちと楽しめたらいいですね」(撮影/STILB 朝比奈千明)

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2階の床をルーバー状にして、店舗上部からも採光を確保(撮影/STILB 朝比奈千明)

さらに、日本の民家の良さを活かすため、「呼吸する家」をテーマに自然素材にこだわり、古材も再利用しながら天井や床を整え、壁にもクロスではなく漆喰(しっくい)を選択しています。
「SNSなどで友人たちに声をかけ、みんなで壁を塗ったのはいい思い出ですね。人づてに知り合った本職の職人さんが教えてくれたり、難しいところは作業してくれたりして、みんなでつくり上げたという愛着もあります」(果穂さん)

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通り土間があったスペースを室内に取り込み、書架とPCスペースに。写真右手はキッチンと店舗がつながっている(撮影/STILB 朝比奈千明)

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キッチンは、階段下を最大限に活用して収納を確保。写真奥が店舗につながる(撮影/STILB 朝比奈千明)

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中庭を挟んでリビングの反対側に位置する仕事部屋。幅の広いカウンターを造作し、作業スペースも十分(撮影/STILB 朝比奈千明)

「古い民家だけあって、飾りガラスなど、素敵な素材も多かったので、そうしたものはできるだけ残してもらいました」と長田さん夫妻。古いものは生かしつつ、そこに似合う照明や部材も自分たちで探したものが多いそう。木材も塗り壁も、時を経て変化していく様を見るのも楽しみだといいます。

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貴重なデザインガラスを活かした引き戸の向こうはサンルームのようになっていて、床をルーバー状にすることで、下の店舗の明かり取りに(撮影/STILB 朝比奈千明)

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リビングと仕事部屋を結ぶ廊下の一角に設けた飾り棚の上には、尾道で見つけた照明。波を描くシェードの影がお気に入り(撮影/STILB 朝比奈千明)

「いろんな人が関わってくださって、完成した住まい。閉じられた“得体のしれない家”ではなくて、まちに開かれた“顔と名前がわかる家”です」(涼さん)。新居の完成に合わせて、「ありそろう」は現在休業中。完成した新居では、果穂さんが焼くパンを販売する、水曜・土曜限定の小さなパン屋「緒(いとぐち)」の営業をスタートしました。月に一度はお酒も楽しめる夜営業を実施し、ここでも「新しい取り組みの芽」が次々と生まれています。

まちの暮らしと観光業を両輪に、「暮らし観光」で鞆の浦を盛り上げたい

「観光地では、観光客と住民の間で分断が起こりがち」と話す涼さん。観光に力を入れすぎると住民の暮らしに影響が出るし、力を入れないでいると過疎化などまちの衰退を招きかねない……。そのジレンマの中で悪戦苦闘している観光地は少なくないでしょう。もちろん、鞆の浦にとっても他人事ではありません。

鞆のまちに移住して、これまで数多くの友人・知人を案内してきたという長田さん夫妻。まちの魅力を知る長田さんが案内することで、初めて鞆の浦を訪れる人にもより深く、その魅力を知ってもらうことができるだけでなく、そこにまちの人が関わることで、新たなつながりが生まれているといいます。

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まちを歩くと知り合いに出会う長田さん夫妻。近所の福祉施設のスタッフもお店の常連さん。「パンがおいしいけぇ、食べてみんさい」とオススメいただきました(撮影/STILB 朝比奈千明)

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月に一度の夜営業は大盛況(写真はありそろう時代の夜営業の様子)。この日のためにわざわざ遠方から足を運んでくれるお客さんもいるそう(画像提供/長田さん)

今、長田さんが力を入れているのが「暮らし観光」という新しい観光のスタイル。「自分たちの暮らしをもっと楽しいものにしたい」、「大好きなこのまちがより豊かになるためにできることをしたい」という思いから、まちを訪れる人に、より深く鞆の浦を知ってもらうための活動を始めています。

「鞆の浦 暮らし観光」公式サイトには、こう書かれています。
“鞆の浦は観光地ですが、鞆の浦本来の魅力はそこにある暮らしやそこに住む人だと考えています。この魅力を伝えるためにも、観光と暮らしを接続することが大切。訪れた人に対して分かりやすい鞆の浦らしさを提供するのではなく、分かりにくくてもそこに確かにある暮らしを知ってもらうことで、暮らす人も訪れる人もつながっていく。鞆の浦が無理なく続いていくためにも、この繋がりが大切だと考えています”

具体的に今後の展望について話を聞くと、「今は観光の拠点となる宿づくりに注目しています。観光客だけが楽しめる宿ではなく、1階はまちに開かれたスペースを持つマイクロホテル。高円寺時代に大好きだった銭湯をつくるという夢も、あきらめてはいません。住民も観光客も入り混じって、愛着を持てる場所づくりは、時間をかけてでも実現していきたいですね」と生き生きと語ってくれました(涼さん)。

「暮らし観光」を通じて、まちのファンを増やし、繰り返し訪れる人、移住したいと思う人が増えていく未来。そんな人たちが共創して、進めていくまちづくり。それが長田さん夫妻の目指す将来のイメージです。もちろん、一朝一夕にかなうものではないのかもしれませんが、目標に向かって着実に進んでいくパワーを二人から感じました。
もっと深く、鞆の浦の暮らしの魅力に触れる「暮らしと観光」ツアーから、まずは楽しんでみたいですね。

●取材協力
「暮らし観光」
「暮らし観光」インスタグラム
関係編集舎「コト暮らし」
「小さなパン屋「緒(いとぐち)」
「高円寺アパートメント」

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