前編:村上宗隆とホワイトソックスの躍進
村上宗隆が本塁打を量産し、前評判の低かったシカゴ・ホワイトソックスを牽引している。過去20シーズンのうち13回の負け越しを記録していた古豪は、どのような背景のなかで村上を獲得したのか。
さまざまな関係者の視点から、分析する。
【ホワイトソックス今季の躍進に至るまでの背景】
大リーグ公式サイト『MLB.com』のスコット・メルキン記者は、シカゴ・ホワイトソックスを取材して24年目になる。筆者は2005年、井口資仁が同球団に入団し、チームが世界一になった年に、アリゾナ州ツーソンでのキャンプから取材していた。その時以来、メルキン記者とは旧知の間柄だ。
「私は2003年からホワイトソックスを担当しています。2005年の世界一のような本当にすばらしい瞬間もありました。一方で、苦しい時期や記録的に悪いシーズンも見てきました」
振り返れば、彼が担当になったのは最高のタイミングだった。ホワイトソックスは3年連続で勝ち越し、担当3年目の2005年には99勝63敗で5年ぶりにア・リーグ中地区を制覇。ポストシーズンではボストン・レッドソックスをスイープし、ロサンゼルス・エンゼルスも4勝1敗で退けた。ワールドシリーズでもヒューストン・アストロズを4連勝で下し、圧倒的な強さで頂点に立った。
しかし、その後の20シーズンで負け越しは13度を数える。とりわけ近年の低迷は深刻だった。
そして2026年、球団はさらにハードルを上げ、「競争力のあるチームづくり」を目標に掲げた。ゲッツGMと二人三脚で再建を進めるウィル・ベナブル監督は、こう話していた。
「2025年は若い選手にとって"メジャーチームに入ること"が目標だった。でも今季は違う。上のレベルで打席を勝ち取らなければならない。その競争がチームを成長させるはずだ」
とはいえ、現実的な目標は70勝前後だっただろう。
【トレードされることはない。99.99%、そう断言していい】
ホワイトソックスと日本人選手の縁は浅くない。高津臣吾は2004年にクローザーとして活躍し、井口資仁は2005年、2006年に二塁手のレギュラーを務め、2005年の世界一にも貢献した。筆者もその縁で、長年GMを務めたリック・ハーンと知己を得た。ただし、同球団が長年にわたって日本へ積極的にスカウトを送り続けてきたわけではないし、日本市場に特別詳しかったわけでもない。そう考えると、報道されているように、他球団が手を引いた末に村上を獲得できたことは、ホワイトソックスにとって幸運だったと言えるだろう。
ゲッツGMは、わずか2年総額3400万ドルの投資で、5月28日終了時点で20本塁打(MLB全体2位タイ)、43得点(同2位タイ)、41打点(同6位タイ)、OPS.947(同5位)を記録するMLB屈指のスラッガーを手に入れたのである。
村上のホワイトソックス入団が決まった当初、契約が2年だったこともあり、「期待どおりの活躍を見せるなら、トレード期限前に放出し、有望株との交換材料にすべきだ」という意見も少なくなかった。しかし、球団の内情に詳しいメルキン記者は、そうした見方を一蹴する。
「彼がトレードされることはない。
それは契約延長も視野に入れているということなのか。そう尋ねると、メルキン記者はこう続けた。
「そうですね。ただ、それが実現するかどうかはわかりません。彼には非常に優秀な代理人がいますし、村上側にも当然、考えがあります。球団が『この条件でどうだ』と提示したからといって、彼らが『わかりました。何でもサインします』となるわけではありません。
つづく










![Yuzuru Hanyu ICE STORY 2023 “GIFT” at Tokyo Dome [Blu-ray]](https://m.media-amazon.com/images/I/41Bs8QS7x7L._SL500_.jpg)
![熱闘甲子園2024 ~第106回大会 48試合完全収録~ [DVD]](https://m.media-amazon.com/images/I/31qkTQrSuML._SL500_.jpg)