木村和司伝説~プロ第1号の本性
連載◆第22回:川勝良一評(4)

JSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車、Jリーグ発足後の横浜マリノス(現横浜F・マリノス)で活躍し、日本代表の攻撃の柱としても輝かしい実績を残してきた木村和司氏。ここでは、そんな稀代のプレーヤーにスポットを当て、その秀逸さ、知られざる素顔に迫っていく――。

川勝良一が振り返る大学時代の木村和司 日本代表では「かなり年...の画像はこちら >>

第21回◆関東大学リーグ2部の明治大に所属していた木村和司 それでも「同世代では中心」>>

 自他ともに認めるわがままで、何かと面倒なことも多かった木村和司は、今でいう"愛されキャラ"。だからこそ、決して周囲から疎まれたり、嫌われたりするようなことはなかったと、川勝良一は振り返る。

「もうみんながそれをわかってるんでね。敬語とか使わず、呼び捨てでも、別に先輩も気にしない。そういうのが、アイツなりのスキンシップだから。

 練習というか、走るのはそんなに好きじゃなかったと思うけど、変にサボることはなかったし、ブツブツ言いながらもちゃんとやってた。当然、(サッカーの)力はコンスタントに持ってたし、だから、誰も和司に怒るようなことはなかった」

 川勝いわく「人見知りが激しいでしょ」という木村は、初対面の人間と話すとなると、「向こうが一生懸命あいさつしてるのに、オレが一緒にいると、アイツはこっち(川勝のほうを)見てしゃべってるからね。『おまえ、あっち見ろよ』って(苦笑)」。

 それゆえ、「(ユース代表や全日本学生選抜の)合宿とかに初めて来た人は、選考期間中の1週間ぐらいでは、和司と仲よくなれなかった」という。

 シャイな木村なりのスキンシップは、グラウンド上でも見られた。

「学生選抜に初めて来た人を、和司とかがイジるんですよ。ボール回しで中に入れて、ずっと出させないとか。

 当時は本流の代表候補選手が20人ぐらいいて、その他にひとりか、ふたり、地方の大学の選手が選ばれて合宿に参加してたんだけど、周りにいるのは和司をはじめ、みんなうまい人ばっかりだったんで、ずっと『下手くそ!』とか言われながら、ボールを回され続ける。彼らは希望を持って選考合宿に来てたのにね。

 そうやってイジられたりするのが年下(の選手)だと、二度と和司としゃべれないぐらいになっちゃうヤツもいましたね」

 川勝が「昔だったら、遠征中や合宿中もよく飲んでいた」と語るように、かつては日本代表や全日本学生選抜の活動中に、酒を飲むことも珍しくなかった。

 なかでも、川勝が「繊細なとこもあるけど、まあ豪快ですよ」と評する木村は、かなりの酒豪だったという。

 とはいえ、木村は酒を飲んでも「ずっとおんなじ。別に人に気を遣う性格でもないし」とは、川勝の回想。酒が入ると人が変わるようなタイプではなかった。

 というより、酒の力など借りずとも、言いたいことを言えた木村は、それがたとえ先輩相手であろうと、変わることがなかったのだろう。

「だから、初めて代表(A代表)に入ったときはふたりとも大学生で、オレなんかは、落合(弘)さんとか、清雲(栄純)さんとか、かなり年上の先輩に気を遣ってたけど、アイツはあんま遣ってなかった。(同じく大学生だった)金田(喜稔)さんは要領いいから人間関係もうまく回してたけど、和司の場合、嫌(なもの)は嫌。そういうことも結構はっきり言うしね。だから逆に、上の人が(木村に)気を遣うというか、34、35歳ぐらいのベテランの人が、20歳ぐらいの大学生に遠慮してるみたいな雰囲気もあった」

 川勝が「でも、和司は試合に出てたし、なんだかんだ言っても、スポーツはやっぱり力を持ってる人が、ね」と語るように、若い木村が日本代表でもそれなりの影響力を持っていたのは、相応の実力を備えていたからに他ならない。

 だから、「(木村は先輩に)あんまり遠慮することもなかった」。というより、「逆に下手だと思ってたと思う。和司は上の人のことを」と、川勝は率直な見立てを口にする。

「オレらよりひと回り上の人って、やっぱり技術的には昭和のサッカー。オレらはちょうど(高校生の頃にテレビで)ワールドカップでブラジルとかの代表クラスを見てたし、(ヨハン・)クライフとかも見てたし。その後、(日本代表でボカ・ジュニアーズのディエゴ・)マラドーナともやってるんで、ちょうど技術的にグッと変わってきた時代だったから」

 木村だけではない。川勝自身、「代表の常連だったベテランの人たちを見ても、『ああ、あんまりうまくないんだ』って。実際に一緒にやってみると、『テレビで見てたのと違うんだ』って、オレも思った」という。

「まだ大学生だったけど、和司とか、金田さんのほうが速かったし、技術的にも全然うまかったと思います」

(文中敬称略/つづく)

木村和司(きむら・かずし)
1958年7月19日生まれ。広島県出身。広島工業高→明治大を経て、1981年にJSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車(横浜F・マリノスの前身)入り。チームの主軸として数々のタイトル獲得に貢献した。

その間、日本代表でも「10番」を背負って活躍。1985年のメキシコW杯予選における韓国戦で決めたFKは今なお"伝説"として語り継がれている。横浜マリノスの一員としてJリーグでもプレー。1994年シーズンをもって現役を引退した。引退後は解説者、指導者として奔走。日本フットサル代表(2001年)、横浜F・マリノス(2010年~2011年)の指揮官も務めた。国際Aマッチ出場54試合26得点。

川勝良一(かわかつ・りょういち)
1958年4月5日生まれ。京都府出身。京都商業高(現京都先端科学大附高)を経て、法政大に入学。卓越したテクニックを誇り、大学在学時に日本代表に選出された。大学卒業後、1981年にJSLの東芝(コンサドーレ札幌の前身)入り。

1983年に読売クラブに移籍。その後、京都紫光クラブ(京都サンガF.C.の前身)、東京ガス(FC東京の前身)でプレーし、1991年シーズンに現役を引退した。引退後は指導者として活躍。ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)、ヴィッセル神戸アビスパ福岡、京都などで手腕を発揮した。国際Aマッチ出場13試合。

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