森保一監督の来年1月までの続投と、その後の大岩剛監督の就任......ワールドカップを終えたばかりの日本代表の新体制発表に何を思うか。ジャーナリストの小宮良之、浅田真樹、杉山茂樹の各氏はこう考えた――。

合理性より組織内の融和を重視した、戦略なき代表監督人事

小宮良之●文 text by Yoshiyuki Komiya

「またか」

 そんな感慨しかなかった。

 8年間、日本代表を率いてきた森保一監督の続投が発表された。来年1月のアジアカップまでの半年間限定とはいえ、北中米ワールドカップ後の貴重な代表戦やアジア王者のタイトルを争う大会の指揮を執り続けるわけで、森保ジャパンは9年目を迎えるのだ。

サッカー日本代表はどこへいく 識者は森保一監督続投とその後の...の画像はこちら >>
「継承」「方向性」「積み上げ」......サッカー協会の宮本恒靖会長や山本昌邦ナショナルチームダイレクター兼技術委員長が、そんな言葉でこの人事の意図を語る続投の記者会見だったが、肯定的に捉えられる要素は見つからない。

「優勝」を目標に据えた北中米ワールドカップにおいて、森保ジャパンはベスト32で敗れた。前回のベスト16を下回った。それも最後のブラジル戦は、腰が引けたように守りに入って、無残にも"玉砕"した。結果も内容も、4年前から何の進歩もなかったのである。

 これは控えめに言っても「失敗」で、その指揮官が半年間でも代表で指揮を執るのはどういう了見なのか。

 気になって、今回のワールドカップの各国代表監督の経歴を調べてみた。森保監督よりも長く代表監督を務めている人物がふたりだけいた。ひとりがフランス代表のディディエ・デシャン監督、もうひとりがクロアチア代表のズラトコ・ダリッチ監督だ。

 前者は2018年大会で優勝、2022年大会で準優勝、2026年大会はベスト4。後者は2018年大会準優勝、2022年大会が3位である。ちなみに森保監督の数カ月後に就任したアルゼンチン代表のリオネル・スカローニ監督は2022年大会が優勝、2026年大会が準優勝だ。

 9年目に入る森保監督は「ワールドカップ優勝クラス」の監督たちと肩を並べたということか。

 今回の決定には、突っ込みどころがありすぎる。真剣に外国人監督を探した痕跡がないし、代表コーチの昇格案は明らかに不人気そうだ。結局、「誰がマシか」での消去法だったのではないか。

「アジアカップまで森保監督が続け、優勝してFIFAランキングを上げる。大岩剛次期監督はU-21代表で出場するアジア大会があって、当面はそこに集中する」

 それが今回の決定の骨子のようだが、これもあとづけの感は否めない。そもそも代表活動が最重要課題なら、大岩監督が代表監督に就任してアジアカップでの優勝を目指すのがスジだろう。日程が重なるならアジア大会は臨時で別の人物に託せばいい。さらに言えば、森保監督はアジアカップをこれまで二度とも逃しており、彼でアジア王者になれる根拠は特にない。

 そこには「去就問題になりかねないアジアカップまでは一定の人気のある森保監督に請け負ってもらい、来年3月から大岩次期監督が指揮を執ることで、批判など圧力も避けられる」という甘えが透けて見える。

 そこに組織としての戦略は見えない。そもそも今回のワールドカップの「失敗」を「失敗」と認めず、同じ指揮官が続投するなどあり得ない。そこに合理性はなく、組織内の融和、調和のみを重視した形だ。

 これでは選手が一番気の毒である。新たな体制がスタートするわけでもなく、宙ぶらりん。代表活動で成果を上げても、アジアカップまででひと区切りになる。

 今や欧州の最前線でプレーしている選手にとって、実はアジア王者など何の称号にもならない。しかし、そこで少しでも所属クラブ重視の姿勢を見せれば、来年3月からの大岩体制でもマイナス評価だけは残るのだろう。森保監督の"盛大なお別れ会"のため、選手は粉骨砕身しなければならないというのか。

「またか」

 失礼を承知で言えば、ウンザリするような感慨しかない。在任期間は「ワールドカップ優勝」級の監督に、夢のバトンはまた渡された。

代表監督の任期延長より気になる「FIFAランキングを上げる」戦い

浅田真樹●文 text by Masaki Asada

 日本代表監督の後任人事が発表になった。

 本気でワールドカップのベスト8進出を目指すなら、このまま日本人監督でいいのか、という疑問もあるが、外国人監督を呼びたくても、"ない袖は振れぬ"のだろう。日本人監督から選ぶという前提に立てば、大岩剛監督は有力候補のひとりであり、この結果は妥当な選択ということになるのかもしれない。

 しかしながら、今回の件についてのメディアの反応を見ていると、むしろ後任の人選どうこうより、その"付帯条件"に批判的な視線が向けられているようだ。

 すなわち、退任が決まった監督が、なぜ来年1月のアジアカップまで指揮を執り続けるのか。なぜすぐに新監督が就任しないのか、である。

 だが、これについて、「あり」か「なし」かで言えば、答えは「あり」。今回の件より前から、なぜ日本代表監督の契約期間をアジアカップで区切らないのか(少なくとも、その議論がなされないのか)、疑問に感じていたからだ。

 というのも、ユーロやコパ・アメリカがワールドカップの中間年に開かれるのと違い、アジアカップはワールドカップ翌年の開催。しかも、このところは1月開催が続いているため、ワールドカップが終わって約半年で大会を迎えることが多かった。

 もちろん、その難しさも含めて強化と考えるなら、それでもいい。だが、あくまでもアジアカップを大陸連盟王者決定戦として重要視するのであれば、当然対策を講じるべき必要があった。

 今回は、その後の退任が決まっている森保一監督の短期契約延長という特殊な条件が加わったため、このことに違和感を覚える人が多いのかもしれないが、ワールドカップでの体制のまま、約半年後のアジアカップに挑むこと自体、大きな問題があるとは思えない。

 むしろ、今回の日本代表監督人事にまつわる発表のなかで一番引っかかったのは、FIFAランキングを上げることの必要性がうたわれたことだ。つまりは、次回ワールドカップへ向けて、「絶対にポット1に入ろう!」キャンペーンが展開されてしまうのではないか、という心配である。

 ポット1とは、ワールドカップの組み合わせ抽選の際に、FIFAランキング順に4つのポットに分けられるうちの最上位ポットのことだ。日本は今回のワールドカップではポット2(日本のグループのポット1はオランダ)だったため、キャンプ地の選定、試合前日の練習時間の割り当てなどで、さまざまな不利益をこうむった、というのである。

 そのため、ポット1に入ることがワールドカップを勝ち上がるためには重要だ、という理屈なのだが、これでは、さもポット1に入れなかったことが、日本の主たる敗因のひとつであるかのように聞こえてしまう。

 今回のワールドカップではっきりしたのは、日本はもっと選手個々の能力を上げる必要がある、ということ。だとすれば、ヨーロッパ組、なかでもチャンピオンズリーグに出場するようなクラブに所属する選手には、可能な限りクラブでの活動に集中できる環境を与えることが重要だろう。

 にもかかわらず、「ポット1に入る」=「FIFAランキングを上げなければならない」という大義名分が、どんな試合でも常にベストメンバーを集め、結果にこだわることを正当化してしまえば、むしろ代表強化を妨げかねない。そんな不安を感じてしまうのだ。

議論なき代表監督発表 日本サッカーの進歩を遅らせている理由が見えた

杉山茂樹●文 text by Shigeki Sugiyama

 誰を代表監督に起用するか。これは各国のサッカー協会にとって最も重要な決断事項である。

その就任会見はサッカーファンのみならず、多くの国民の関心を集める一大セレモニーである。

 日本も例外ではないはずだ。何といっても代表監督がワールドカップ優勝を目標に掲げてしまう国である。会見場はこれ以上ない熱気に包まれるのが普通である。ところが7月24日、森保一氏の代表監督続投の会見の舞台となった都内のホテルの大ホールはスカスカだった。埋まったのは半分程度。新しい4年間への期待感をそこに見て取ることはできなかった。

 日本サッカー協会からの会見の案内を筆者が受信したのは前日の夜7時。会見の開始時間が翌日の午後2時なので、わずか19時間前ということになる。前日の午後、ワールドカップから帰国したばかりの筆者にはあまりにも急な話だった。

 そもそも手順が違うのだ。まずすべきは大会の総括だ。

森保監督率いる日本代表は何ができて何ができなかったか。反省、検証をしっかりと行ない、今後に向けた課題を明確にすることである。それなしに次期代表監督探しは始まらない。

「こういう理由で大岩剛氏です」「こういう理由で森保監督にはアジアカップまでお願いしたい」という手順でなければならないはずだ。後ろめたさがあるのだろうか。肝心な箇所をすっ飛ばし、先を急ごうとする協会の姿勢に、筆者は何より違和感を覚える。 

 実は会見場が埋まることを願っていない、大きく報じられることを願っていない。それが19時間前に会見の案内を送ってきた理由ではないか。晴れの舞台を、自らつまらないものにしている。サッカー協会の姿勢が相変わらずであることが見て取れた。それこそが日本が強くならない原因のひとつでもある。

 反省、検証すれば、失敗を認めなければならない部分も生じる。協会の責任を追及するメディアも現れるだろう。波風を立てたくないからササッと会見をやってしまいたかったのだとすれば、トップに立つ人間の器が小さいという話になる。熱や活気は批判のなかに生まれる。世界の列強は喧々囂々(けんけんごうごう)の議論を避けなかったからこそ現在があるのだ。

【自由に意見を言える環境はあるのか】

 1986年のメキシコワールドカップ後、スペイン国内で論争が起きた。当時のスペインは勝てなかった。欧州の列強国ではなかった。そこで「このまま攻撃的なサッカーを続けるより、イタリアのような守備的サッカーでいったほうが勝てるのではないか」という意見が台頭。スペインを二分するような熱い議論に発展した。決め手となったのは「攻撃的に行こう」というヨハン・クライフの意見だった。そこからスペインのサッカーはゆるやかに右肩上がりに転じていった。今日のスペインを語る時、その礎となっているこの論争を外すことはできない。

 日本のサッカー界にその手の議論はない。「欧州路線か、南米路線か」という対立があった昔のほうがまだましだった。議論を好まない国民の気質がサッカー界も覆っている。集団のなかで自己主張できない。その"なあなあ"体質が進歩発展にブレーキをかけている。

「サッカーにはいろんな考え方があります。自由に意見してもらって私は全然構いません」と筆者に語ったのは、ほかでもない森保監督だ。だが、協会の内部に自由に意見を言える環境はあるのだろうか。森保サッカーについてダメ出しをした人はどれほどいたか。いるはずなのに、実際の声は聞こえてこない。組織内に同調圧力が働いているとすれば、組織のトップの責任は重い。

 継承と進化が今回の人事のコンセプトであると、会見の冒頭で山本昌邦ナショナルチームダイレクター兼技術委員長は述べた。何を継承し進化させるのか。それは8年にわたる森保サッカーを徹底的に総括しないと浮き彫りにならないものだ。宮本恒靖会長も会見の席で、このフレーズをたびたび口にした。

 森保監督から大岩監督へ何を継承するのか。「夢フィールドで我々は常に顔を突き合わせているのでわかっている」と山本氏は語っているが、見えてくるのは空気感の共有に過ぎない。外国人監督を避けた理由も、仲間うちで波風立てることなくうまくやっていきたいという話にしか聞こえなかった。森保監督が筆者に語った言葉と、協会内は真逆のムードに包まれているのではないか。

 もっとも、森保サッカーと大岩サッカーは水と油と言いたくなるほどの関係にある。前者が守備的なら後者は攻撃的だ。後方で守る森保サッカーに対し、大岩サッカーは高い位置からオーソドックスにプレスを掛けに行く。布陣も大岩監督は4-3-3がメインで、森保式5バック(3-4-2-1)では絶対に戦わない。

 これでも継承なのか。疑問に包まれたまま、会見は終わろうとした。だが、その最後の最後になって、山本氏はこうつけ加えた。

「この継承には戦術は含まれません。大岩監督には大岩監督の色を出してもらって......」

 継承って何だ。波風を立てず、議論しない日本サッカー文化の継承ということなのか。

 山本氏は森保サッカーの成果として「世界の列強と互角に戦えることを証明した」とし、固い守備を挙げた。「世界の強豪を相手にしても守りきることができるチームを作った」と。都合のいい解釈にもほどがある。「守りきれなかった」の間違いではないか。「守る」の定義がそもそもあやふやだ。後方に人数を割いて低い位置で守るのか。高い位置から攻撃的に守るのか。これも欧州では大激論になった。

 何も語ろうとしない日本は、2026年ワールドカップで、スペインとは対極のサッカーを披露した。森保監督はどんなサッカーで向こう7カ月間、日本代表の指揮を執るのかは見えないままだ。物事をあえてウヤムヤにし、やり過ごそうとする日本サッカーの縮図をそこに見ることができる。これでは100年経っても優勝は難しい。進歩を鈍らせている理由が筆者にはハッキリと見える。

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