500万枚突破のベスト盤、20万人動員のライブなど、ケタ違いのスケールでミュージックシーンを席巻した国民的ロックバンドGLAY。
YOSHIKIプロデュースにより華々しくデビューするも、大ヒットまでの道のりは意外と長く険しかった。
その足跡を振り返りたい。

YOSHIKIプロデュースでデビューしたGLAY


ビジュアル系ブームの絶頂期となる1994年5月25日、X JAPANのYOSHIKIプロデュースの楽曲『RAIN』によりメジャーデビューしたGLAY。
当時は、黒を基調としたコスチュームに耽美なメイクの “ザ・ビジュアル系”といった出で立ちだった。

元々、TAKUROがアマチュア時代に作詞・作曲したものをYOSHIKIがアレンジした曲であり、特に作詞に関しては大幅にテコ入れが入ったためか、GLAYらしからぬ英語多めの仕上がりとなっている。
デビュー2日後には『ミュージックステーション』に出演するが、ピアノ参加のYOSHIKIのカラーが強すぎ、「YOSHIKI率いるGLAYのみなさん」といった趣に。世間的にはYOSHIKI率いるビジュアル系バンドと誤解するようなデビューだった。

当時、TBSが力を入れていたアニメ『ヤマトタケル』のタイアップが付き、インディーズ版のアルバム『灰とダイヤモンド』も同日販売。
YOSHIKIプロデュースの看板も大きく約10万枚のセールスと、上々のスタートを切った。
ちなみに、「限りなく漆黒に近い純白」という伝説のキャッチコピーは、このアルバムのものだ。
このまま順調に行くかと思われたが……。

向いていないのにビジュアル系 GLAYのジレンマ


この頃、LUNA SEAやラルク アン シエルがメジャーデビューし、ビジュアル系の競争は激化していた。河村隆一の「ナルシシズム」やhydeの「神秘性」のような強烈な個性もないGLAYには、正直分が悪い勝負だった。
そもそも、TERUの目指すところはチェッカーズであり、「音楽的原点は70年代ニューミュージックであり『ザ・ベストテン』」とTAKUROが語るように、ビジュアル系でいること事態に無理があったのだ。

1994年6月15日には、またも大物ミュージシャンの土屋昌巳プロデュースにより、2nd『真夏の扉』をリリースするが、約4万枚の売上にとどまってしまう。

それもそのはず、ロックバンドに「やんちゃ」な部分を求める土屋にとって「真面目で礼儀正しく、破壊的な部分が皆無」なGLAYのメンバーは方向性が真逆。水と油の組み合わせは、セールスで証明された形となった。
ビジュアル系の呪縛に悩まされながら、「真面目」なバンドの模索は続いていく。

佐久間正英と待望の出会い しかし、低迷続くGLAY


1994年11月16日リリースの3rd『彼女の“Modern…”』では、プロデューサーに佐久間正英を起用するが、ノンタイアップだったこと、インディーズ時代にできた曲だったことも影響してか、売上的には約2万枚と最低の落ち込みを見せる。
しかし、名プロデューサー佐久間正英はGLAYについて「音も歌詞もすごく素直」「人間性からすべての魅力が出ている」と本質を見抜き、その長所を伸ばす方向で“脱ビジュアル系”に舵を切り始めた。
これより佐久間は長きに渡って、「5人目のGLAY」といわれるほどの役割を果たしていく。

続く4th『Freeze My Love』は約7万枚、5th『ずっと2人で…』は約4万枚と、やはりセールスは振るわない。
もっとも、『ずっと2人で…』は後のベスト盤に収録されたことで一気にファンが拡大、GLAY史上でも屈指のバラードとして再評価されるのだが。

8枚目のシングル「グロリアス」でついにブレイク!


1995年8月9日リリースの6th『Yes,Summerdays』は、『銀座ジュエリーマキ』のCMソングに起用されたド派手なナンバー。
当時深夜でヘビロテされていたこのCMは、GLAYの音楽性を広く知らしめることに多大に貢献。ついにセールスは20万枚を突破。オリコンでも最高となる13位をマークするに至った。

11月8日リリースの7th『生きてく強さ』をはさみ、翌96年1月17日には8th『グロリアス』をリリース。

「音も歌詞もすごく素直」と佐久間が評したGLAYの強みを生かしたビート・ナンバーであり、土屋昌巳が評した「破壊的な部分が皆無」の爽快な青春ソングだ。
初登場4位でついにオリコントップ10入りを果たし、セールスも60万枚に迫る勢いとなった。

待望の大ヒットを迎え、人気に一気に火が付いたGLAY。
続く9th『BELOVED』は80万枚を記録。さらに、同名の3rdアルバムでミリオンを達成する。そして、1997年5月14日リリースの11th『口唇』で、ついにオリコン1位を獲得。
シングル初のミリオン達成となった。
この頃にはビジュアル系の呪縛から完全に解き放たれ、ロックやポップスといったカテゴリーにも縛られないGLAYならではのスタイルが確立。国民的スターへの階段を一足飛びで駆け上がっていくのだった。

「人生、山はあっても谷はなし!」
TERUの座右の銘である。
現在は「人生、山はあっても谷は気付かない!」に微妙に変わったみたいだが、いずれにせよ、今回の記事を執筆するにあたってこのポジティブさあってこそのGLAYだと、あらためて実感した次第だ。
(バーグマン田形)
レイン