今月12日に開かれた「子どもの貧困問題」を話し合う議員会合で、支援団体の代表らが、奨学金制度の拡充を要望したのに対し、自民党の赤枝恒雄議員は、「がっかりした。高校や大学は、自分の責任で行くものだ」などと主張。
その上で「親に言われて仕方なく進学しても、やっぱり駄目で、女の子はキャバクラに行く」などと発言し、与野党から批判を浴びています。

さてこの赤枝氏、2008年に死去した飯島愛さんの主治医であり、彼女が亡くなる直前も診察していたようです。

一緒に買い物も 飯島愛と赤枝氏の仲


元々赤枝氏は2012年に出馬して初当選するまで、産婦人科医をして主に活動していました。1977年から六本木に赤枝六本木診療所を開業しています。
赤枝氏と飯島さんの出会いは2004年。体調を崩していた飯島さんが当時の所属事務所から紹介されたのが始まりだったそうで、赤枝氏の診療所の2階に住んでいたこともあったとのこと。

飯島さんと赤枝氏は一緒に買い物に行ったりするなど、信頼関係で結ばれていました。
飯島さんが死去した際も赤枝氏は「娘をいきなり亡くしたようで、本当に残念です」というコメントを残していました。

飯島愛の死去2日前にも診察!?


強い信頼関係で結ばれていた赤枝氏と飯島さん。赤枝氏は後に、週刊誌でのインタビューで死去の2日前に彼女を診断したと語っています。
「死亡推定日は(2008年)12月18日と発表されましたが、私は、最後に会った14日の2日後、16日ではないかと思っています」

また、同じ週刊誌上のインタビューで、最後となってしまった飯島さんとのやり取りについても言及。
「愛さんはいつものように診療所へやってきました。 『先生、なんかとっても疲れちゃった』と……。(中略)その日は、栄養剤の注射をして彼女は病室に泊まっていったんです。
(中略)すると、朝になって彼女は『先生、ぐっすり寝たから元気になったよ!』と、帰っていきました。そんな彼女の言葉に私は満足だったのです」

赤枝氏が語る飯島愛の死因


そんな赤枝氏の安心をよそに、それからわずか数日で亡くなってしまった飯島さん。死因もいまだはっきりしておらず、彼女の死については様々な憶測が広がりました。

死因について赤枝氏は、薬物などが原因ではない不慮の事故であり、突然に近い形だったとする一方で、飯島さんは幻聴が聞こえるなど精神的に追い詰められていたと当時振り返っています。


飯島さんとの深い関係が窺える赤枝氏ですが、その一方で批判もありました。
というもの、医師には患者に対する守秘義務があるのにもかかわらず、飯島さん最期の様子をマスコミに語っているため。

今回の「キャバクラ発言」騒動と同じように、赤枝氏は口を滑らせて語ってしまったというところだろうか……。

※イメージ画像はamazonよりなんてったって飯島愛