東京都・目黒区で5歳の船戸結愛ちゃんが、父親から日常的に暴力を振るわれ、十分な食事を与えられず衰弱して亡くなった事件。今回の特集では、結愛ちゃん事件のような凄惨な虐待事件が二度と起こらぬよう、虐待が起こる要因や予防策を探るために、5回にわたって専門家へのインタビューを掲載する。



 第5回は、神奈川大学心理相談センター所長、人間科学部教授である臨床心理士・杉山崇氏に、虐待をする親の心理を聞いた。虐待死事件が報じられるたびに、加害者である親へのバッシングが吹き荒れるが、その親の心理をまず“知る”ことが、虐待根絶の足がかりとなるのではないだろうか。

【第1回】「加害者の半数は実母」「幼児より新生児の被害が圧倒的に多い」――児童虐待の事実をどのぐらい知っていますか?

【第2回】児童相談所の権限強化や警察との全件共有は、本当に救える命を増やすのだろうか?

【第3回】悲しいことに結愛ちゃんが書いた「ゆるして」は珍しくない……子どもへの暴力を認めている日本の現状

【第4回】虐待した保護者、虐待された子のその後は――? 児童相談所の「措置機能」を考える

 “脳内動物”のバランスが崩れたとき、虐待が生まれる

――今回は、わが子を虐待する親の心理についてお聞きしたいと思います。厚生労働省は「児童虐待の定義」として、児童虐待を「身体的虐待」「性的虐待」「ネグレクト」「心理的虐待」の4つに分類していますが、親側の心理状況もそれぞれ異なるのでしょうか?

杉山崇氏(以下、杉山) この4つは、子どもの健全な発育を阻害する種別として分けられており、虐待する親の心理状況と結びつけられているものではありません。特にネグレクトや心理的虐待は、親が意図的に行っているわけではないことが多いため、「これも虐待ですよ」と啓発するために分けられている側面もあるのでしょう。ただし、それぞれに心理状況が異なるであろうことは考えられます。



――どのような違いがあると考えられますか?

杉山 心の重要な神経基盤となる「脳」に着目して、たとえを用いながら説明します。人間の脳は、乳幼児の頃から、いくつかの段階を経て進化していきます。もともとは【衝動・欲求・本能】だけが行動原理だったものの、次に【好き嫌い・不安】によって物事を判断するようになり、さらに【他者への関心・社会性の発芽】、最後に【目的・戦略・抑制】といったマインドを持つようになります。この4つは、大人になっても人の脳に存在し、私はこれらをわかりやすいように、4匹の動物になぞらえ「本能と快楽に従うワニ」「好き嫌いが激しく寂しがり屋の馬」「人目や立場を気にする猿」「計画性や目的に取りつかれるヒト」と言っています。

 普段はこの4匹がバランスを保って、人間の脳に存在しているのですが、虐待を行うときは、その均衡が激しく崩れていると考えられます。子どもを性的対象として見る性的虐待の場合は、“ワニの脳”が優位な状態。
子どもに興味を失くすネグレクトは、親としての立場を気にする“猿の脳”、親として「○○をしなければいけない」と考える“ヒトの脳”が欠落している状態と言えます。子どもを精神的に追い詰め、暴言を吐く心理的虐待は、親自身が“正しいことを言っているつもり”の場合が多く、“ヒトの脳”が過剰に前に出て、子どもに対して良し悪しをはっきりわからせようという思いが強くなっているのでしょう。身体的虐待は、“馬の脳”が高じて、子どもが敵に見える錯覚を起こしている上、自分の立場を気にする“猿の脳”が、敵を全滅させようといった心理を呼び起こすため、子どもを攻撃してしまうと思われます。

――4匹のバランスが崩れてしまうのには、何か原因があるのでしょうか?

杉山 1つは、自身が虐待されて育った経験です。虐待、特に激しい体罰をされた経験のある人は、ない人に比べて「人の痛みを感じにくく、自分の感情を抑えにくい」という大きな特徴があると言われていて、それにより、わが子への虐待がエスカレートしてしまうと考えられます。もう1つは生育環境。
人間は影響を受けやすい生き物なので、幼少期に良識を教えてくれる人がそばにいなかった場合、間違ったことでも「やっていい」と思い込んでしまう面があるのです。人間の脳は未完成な状態で生まれてくるため、脳の成長を阻害するような環境にあると、結果的に、脳内のバランスが崩れてしまいます。

――脳内のバランスが崩れた状態というのは、そのまま固定されてしまうものなのでしょうか?

杉山 いえ、脳内動物の特性やバランスは、状況や刺激で、その都度変化します。そのため、“溺愛しているわが子を、虐待する”といったことも起こり得ます。つまり“馬の脳”が「好き」に大きく傾いているときはすごくかわいがるけれど、子どもが言うことをきかないなど、何らかのきっかけで「嫌い」という感情が強くなると、攻撃してしまうわけです。



――虐待事件において、パートナーがわが子を虐待するのを黙認、または加担する母親の心理についてもお聞きしたいです。
世間では、そういった母親を「なぜ止めに入らなかったのか」「子どもを連れて逃げればよかったのに」などと、責める声が鳴りやみません。

杉山 母親がパートナーにおびえていることが多いように感じます。「恐怖」は、人間の感情の中で最も強力な感情なので、強い恐怖に支配された状況が続くと、一種の洗脳状態になってしまいます。一般的な思考なら、“恐怖対象となる人物”、つまりパートナーから「逃げよう」となるでしょうが、「逃げると、もっと怖い思いをする」と考えてしまうんです。これは裏を返せば、「パートナーのそばにいれば、今以上の恐怖にさらされる心配はない」ということですから、母親は次第に「パートナーのそばにいたい」と思うようになり、逃げたり離れたりできなくなります。

 さらに、母親が他人への依存が強い傾向にあったり、ほかに自分を守ってくれる人がいない場合、1人になることへの恐怖心も加わって、「パートナーの味方をしなきゃ」という心理が働きます。
パートナーを怒らせないことが目的となって、子どもを優先できなくなるんです。その結果、わが子がパートナーに虐待されていても、「母親としてこれでいいのか」などと考える余裕がなくなり、「パートナーと仲良くしていれば、私は安心」と思うに至ります。このように、“恐怖”と“安心”という心理を行き来するうち、虐待に協力的になり、止められなくなるわけです。なかには、パートナーに虐待されているわが子を「かわいそう」と思う母親もいるでしょうが、子どもを守りたくても、やはり恐怖心が勝って行動に移せないのでは。

――恐怖で支配するような男性を「嫌いになる」ことはないのでしょうか?

杉山 幸せな家庭で育った経験、また男性から大事にされた経験などがあれば、そのような男性を“嫌う”ことができると思います。しかし、そもそも家庭の温かさや愛情を知らないと、恐怖に支配され続けて思考がマヒしているので、“好き嫌い”よりも“恐怖”にウェイトが置かれてしまうんです。


――「親ならば、子どもを守ろうとするはずでは」といった見方をする人も少なくありません。

杉山 「母親には母性が備わっているから、子を守るはず」という考えは間違っていますし、そもそも“母性本能”の存在自体が幻想です。確かに、成熟した哺乳類には、赤ちゃん的な特徴(ベビーシェマ)を持つ生き物に対し、「かわいい」「何かしてあげたい」と感じるという本能が備わっているのですが、これは母親だけが持つものではありません。そもそも、なぜ母親が子どもを大切にできるかといえば、周囲から“赤ちゃんのママ”として大切にされるからこそで、母性本能によるものではないんです。母親自身が大切にされていない環境だと、ベビーシェマの働きによって、一時的に子どもをかわいがれるときはあっても、気持ちに余裕がなくなったり、負担に耐え切れなくなったりすると、子どもを大切にできなくなることがあります。



――パートナーの虐待を黙認、加担する母親の心をケアするにはどうしたらいいのでしょうか?

杉山 一番は、周囲のサポートによって生活を整えてあげることです。恐怖に支配されている場合は、その対象から引き離すだけでは、恐怖対象の元に戻ってしまう可能性があるので、「離れても安全」ということを実感させたり、1人でも生活できる自信をつけてあげることも大切。ただ、衣食住や金銭面だけでなく、ケースによっては、常に誰かがそばにいてあげる必要もあるなど、言葉で言うほどたやすくはありません。それに、いくつもの要因が絡んでいることが非常に多いため、必要となるケアはとても複雑になります。現時点では、児童相談所がその役割を担っていますが、十分に対応しきれていないのが実情でしょう。そのため、せめて子どもだけは安全な環境で養育すべきといった流れになっていますが、親が子どもを手放そうとしないなど、問題は山積みです。

――虐待しているのに、子どもを手放さないのはなぜでしょうか? 

杉山 先ほども言ったように、脳内動物のバランスは状況や刺激で変化するため、心に余裕があるときや機嫌のいいときは、心から子どもをかわいいと思っているんです。また、精神科医や児童相談所の職員と話をするとき、それが刺激となって気持ちが引き締まり、“猿の脳”や“ヒトの脳”がしっかり機能するので、きちんと受け答えできるし、いい親を演じようとする。恐らく、虐待をする親も、トータル的に見ると正常な時間の方が長いのではないでしょうか。脳内動物のバランスが崩れ、親としての責任を忘れてしまうそのわずかな時間に、子どもが敵に見えたり、パートナーの方が大事に思えたり、子どもの存在を忘れたくなるなど、いろんな心理が重なって、虐待へと発展してしまうんです。

――“正常な時間”や“機嫌がいいとき”に、虐待している自分を振り返って反省することはないのでしょうか?

杉山 人間には、いい気分を保つためにイヤなことを考えない「防衛機制」という自我の働きがあります。虐待をしている親にとって、正常な時間や機嫌がいい時間は幸せなひとときなので、無意識のうちに、虐待のことを考えないようにしてしまうんです。あとは、我に返ったことによって、自分の社会的立場などに不安を感じて、反省よりも、虐待を隠す方に思考が働く、また、現実逃避して“なかったこと”にしてしまうこともあります。2010年に起こった「大阪2児餓死事件」(母親が長期間にわたって家を空け、子ども2人を餓死させた事件)の母親は、このような心理状況だった可能性があります。

――虐待する親は、世間から“モンスター”のように見られがちですが、その心理をひもとくと、親側もまたケアされるべき多くの問題を抱えていることに気づかされます。

杉山 脳内動物のバランスが常に完璧な人などいません。つまり、誰にでも“虐待する親”になる可能性があるんです。まずはそれを知ることが、虐待をなくすために必要なのではないでしょうか。

杉山崇(すぎやま・たかし
神奈川大学心理相談センター所長、人間科学部教授。公益社団法人日本心理学会代議員。子育て支援、障害児教育、犯罪者矯正、職場のメンタルヘルスなど、さまざまな心理系の職域を経験。『心理学者・脳科学者が子育てでしていること、していないこと』(主婦の友社)など著書多数。