にんげんのみなさんへ

ワシは、長野県の中央アルプスの山中に棲むツキノワグマじゃ。もうかれこれ30年近く生きておるから、かなりの老いぼれである。


今年の秋は例年以上に、日本のあちこちでワシの仲間たちが山から下りてきて、人間のみなさんにはえらい迷惑をかけたらしいのお。この場を借りて、けがを負った方、商売などに損害を受けた方たちに、お詫びとお見舞いを申し上げるしだいじゃ。どうも、申し訳ない。

しかし、あんたら人間のあいだでは、ワシらツキノワグマについて議論が起きとるみたいじゃな。なかには、山のドングリが減っとるから、クマたちは餌を求めて人里まで下りてくるのだと言う人たちもおるようじゃの。そういう人たちは、ワシらが絶滅の危機に瀕していると心配しとるようじゃが……。


ただ、ひとつだけあんたらの勘違いを指摘させてもらうと、ワシらが食べるのはドングリばかりではない。ツキノワグマは、人間が思っとる以上にグルメなのじゃよ。

宮崎学という動物写真家がこの夏刊行した『となりのツキノワグマ』という写真集には、ワシらの食べ物として、ドングリのほかタケノコ、クリ、ヤマブドウ、ノイチゴなど、四季折々の山の実りの写真がずらりと並べてあって、思わずよだれが出るわい。

この宮崎、ワシらの食生活をさらに深く知ろうと、糞にまでレンズを向けている。それによれば、初夏は山菜、夏はヤマザクラ、秋にはクルミと、糞にも四季ごとに異なる植物が混じっていたそうじゃ。さすがにここまでやられてはかなわんのお。


ついでにいえば、ワシらは何も植物系のものばかり食べておるばかりではないぞ。朽ち木や倒木を壊しては、そこに巣をつくったアリを食べることもあるし、なかには、養蜂場や魚の養殖場へ赴いては、ハチミツやニジマスを失敬する輩もおる。そういうところも、ちゃ~んと宮崎はカメラに収めていたのだった。まあ、クマだってできるだけ楽に食糧を調達したいのじゃよ。

ありがたいことに、人間の果樹園には売り物にならない果物が捨ててあったりするし、民家の庭にも果樹が植えてあったりする。いわば、クマにとっては穴場じゃな。
人里に下りることは、あんたらに捕まったり、ときには銃で撃たれるなどリスクはあるものの、やはり食べ物の誘惑には勝てんわい。

さて、先ほど紹介した宮崎学がワシらツキノワグマに注目したのは、40年近く中央アルプス周辺で野生動物を撮り続けるなかで、クマの数が増えているのではないかと気づいたことがきっかけだったそうな。

宮崎は、独自に開発した自動撮影ロボットカメラを駆使して、人里にかなりの数のクマが現れていることを“実証”してみせる。中央アルプスのふもと、駒ヶ根高原のとある遊歩道(夏にはハイキングの親子連れなどでにぎわう)で、2006年春から一年間定点観測を続けてみたところ、優に100頭を超すクマがカメラに写っていたそうじゃ。

中央アルプスでは1970年前後に大規模な伐採が行なわれ、そのあとカラマツが植林された。こうした山林の開発と植林地の拡大がクマを人里に追いやった、と考える人間もいるようじゃが、むしろ落葉樹であるカラマツを植えたことで林床(森林の地表面)の日当たりはよくなり、やがてクマの餌になるようなさまざまな植物が生い茂ってきた。
クマが“増えた”のはそのためではないか……と宮崎は推測する。

さらに宮崎は一歩進んで、現れるクマを個体識別するべく、手製の秘薬「クマクール」でワシらの仲間をおびき出し、立ち上がったところで股間を盗撮、性別を判断するという装置までつくってしまった。その名も「マタミール」……って、安易なネーミングじゃのお。

ともあれ、宮崎は日々、創意工夫を凝らしながらワシらの生態を追い続けている。彼が定点観測にとどまらず、クマの個体識別にまで踏みこんだのはそもそも、長野県やマスコミが発表するクマの推定生息数に対し、そんなに少ないはずはないと感じたからじゃ。たしかに、1頭1頭、識別できなければ、真の生息数などわかりっこないわなあ。


いっぽうで宮崎は、こうした調査は国や自治体、研究者をふくめた地元の人たちにもやってほしい、と書く。ワシらクマに対して「いない」「少なくなっている」と勝手に決めつけるのではなく、まずしっかりと調べた上で、クマが果たして減っているのか、それとも増えているのか見極め、現状やその地域(なかには、本当に生息数が減っているところもあるかもしれんからの)に見合った対策をとるべきである……というのが、彼の一貫した主張じゃ。

たしかに、ワシらの本当の事情も知らないで、勝手に“絶滅の危機に瀕したかわいそうな動物”などと同情されてもクマる。もとい、困るわい。さっきも書いたように、ワシらはあらゆるところから餌を調達してきたりと、案外したたかに生きておるのじゃから。

人間界では、「野生動物との共生」とお題目のように唱えられているようじゃが、共生なんてそんな簡単に言わんでほしいな。
野生動物はあんたら人間が簡単にコントロールできないからこそ、野生動物なのであって、ペットのように扱われてはかなわんよ。ましてや勝手に擬人化されては……そう、こんなふうにクマになりきって文章を書かれるなんてもってのほかじゃ(笑)。

ちなみに、長野県では11月15日から2月15日まで、クマ猟が解禁される。ワシらにとっては受難の季節じゃ。『となりのツキノワグマ』には、人間に撃たれた仲間が解体され、分厚い皮下脂肪やら“熊の胆”やら性器やら体のあちこちを撮られたあげく、焼いたり鍋にされたりと調理された写真まで収められている。ワシもこんなふうにならないよう、せいぜい人目につかぬよう行動しなければのお。(近藤正高)