現在公開中の「その夜の侍」。赤堀雅秋監督が、新藤兼人賞2012を受賞され、勢いづいています!(ちなみに銀賞は「へルタースケルター」の蜷川実花監督)
妻をひき逃げされた中村(堺雅人)が、加害者・木島(山田孝之)を殺そうと執拗に追いつめていく。
といって、正義が悪を駆逐するというような痛快な内容ではない。
山田演じる加害者はかばいようのないダメ人間で、出所後も、道で通行止めをしている女性・関(谷村美月)に言いがかりをつけたり、仕事先で一緒になった中年男性・星(田口トモロヲ)をこき使うなど、次々とんでもないことをしていくが、彼は彼なりに生きていこうとしている。一方、堺雅人演じる妻に先立たれた男は、生きているけど死んでいるみたいで、ただただ妻への思いに突き動かされている。「おまえを殺して俺は死ぬ」と加害者に突きつけた予告の日にちは、妻の命日だ。
堺雅人が、汗だらだら、ぶ厚いメガネ曇りまくり、ずっとうなだれている姿と、山田孝之が、周囲に傍若無人に振る舞い続ける姿を見ていると、胸をかきむしられるよう。
山田演じる木島の犠牲者ながらなぜか部屋にかくまうことになる関が、狭いアパートに黄色いソファを買いたいとささやかな望みを口にするシーンや、堺演じる中村が、義兄(新井浩文)が紹介された女性とキャッチボールするシーンなど、赤堀いわく「ザ・凡庸」なのだろけれど、かけがえない場面だとジワッと来る。中村の妻(坂井真紀)を轢いてしまう時の、木島と小林(綾野剛)の会話もたわいなさ過ぎて悲しさが増す。中村の鉄工所の工員(でんでん、高橋努)や関の生活者としてのたたずまいも、いろんなものがにじみ出ていて、いつまでも見ていたい。
けれど、監督・赤堀雅秋は言う。
「あの物語や描かれている事象について、対岸の火事みたいな見方をしている方も多いように思います。自分とはかけ離れた世界というか。
ーー奥さんが亡くなる前の留守電をずっと聞いている堺さんが演じる中村健一のやるせない思いが、台詞がなくても伝わってきます。そういう作品がいいなあと思います。
赤堀 どうしても一般のお客さんは、こういう作品に対して免疫がないようですから(笑)。でも、もっと小難しい映画はたくさんありますし、理解不能な映画も腐るほどありますよね。にも関わらず、この映画って、受け入れがたい部分もあるようで、いろいろな取材で「暴力映画」「復讐映画」とか書かれたり、ツイッターでは、「すごくグロテスクなんじゃないか」とか「悪の堺雅人」とか、「山田孝之は『闇金ウシジマくん』とはまた違う悪」だとか、そういうような見方をされているようです。入り口としては、それでもいいけれども、そういう、いわゆる偏見や紋切り型の見方ではなくて、もうちょっと純粋に物語として、目の前の出来事を感じていただければ……。どちらかと言えば、映画通の方よりも一般の方のほうが純粋に感じてくれるんじゃないかと、自分の劇団の作品もそうなんですけど、そう思っています。
ーー映画通の人たちも、悲しいとか悔しいとかすぐ言葉にしちゃう映画が増えてきている中、こういう作品の誕生を喜んでいるんじゃないでしょうか。
赤堀 そういう映画が多いというのも、どうしても商売を考えてしまうからですよね。どの企業でも、マーケティングして、どの層に需要があるのかわかると、そこに向けてやっていく。でもそうすると破綻していきますよね。
ーーこの作品は評価されると思いますが、この後も映画を撮っていこうと思いますか?
赤堀 そうですね、映画畑の人から見たら、ふざけるなって思うと思いますが、ホントに楽しかったんで、まあ、やらせていただけるならぜひやりたいですけど。
ーーこの映画はフィルムですか?
赤堀 そうですね。
ーーフィルムを選択したわけは?
赤堀 準備段階で、カメラマンや助監督や、あらゆるスタッフと、どういう方向性でいこうかと話し合った時に、僕自身は映画を撮るのははじめてなので、そのフィルムがいいと説得するボキャブラリーがないもので、例えば、資料として、あらゆる映画をもってきて、こんな雰囲気にしたいと言ったら、これは16ミリだねっていろんな人が言ったんです。それで、よくわからないけどフィルムがいいですって
言って(笑)。でも、当然初監督ですし、予算や撮影期間の問題もあって、一度はフィルムじゃない方向性で準備することになりました。それが、クランクインする前に堺さんと役について話し合う機会があった時、ちょっと方向性が違う部分があって、僕のほうも焦って、夢中で堺さんを説き伏せようと、約一時間くらい話し合いをしたんです。プロデューサーたちも立ち会っていて、僕の言っていることを聞いていたラインプロデューサーが、これはやっぱりフィルムじゃないかって言い出したんです。そこで、急遽、各スタッフさんがフィルムでやる時の可能性を話し始めて。フィルムになるってなった途端に、各スタッフのテンションの上がり方が違ってきました。
ーーああ、いいですね、映画人だ。
赤堀 ハハハ、そうですね、ホントにそう思いました。素人の僕が見てもそう思った。なんか「やったるぞ!」っていうような、なんか血が騒いでる感じが。それは、現場がまとまったひとつの要因かもしれません。
ーーフィルムが大事だから、何回もテイクを重ねることができなくなりませんでしたか?
赤堀 いや、でも、重ねましたけど(笑)。もちろん限られた時間の中で。
ーーテイク重ね過ぎて、フィルムを何ロールも使うことになると、プロデューサーに心配される監督いますよね。
赤堀 制作費のことよりも、出演者の皆さんが、本当に忙しい方ばかりで、スケジューリング調整が難航していることを知っていたので、限られた時間の中でやっていかないといけないのは重々わかっていました。だから、いろんな思いがあったにしても、どこで飲み込むのかっていう決断はしていたつもりです。ただ、もちろん納得いかない場合は何回も何回もやっていただいてました。
ーー最も何度もやったところはどこですか?
赤堀 テイクを重ねたというと、一番印象的だったのはラストシーンですね。まあ、これ、ネタバレになっちゃうからあれかもしれないですけど、最後に妻との思い出と向き合う時の堺さんの心情ですかね。
ーーそういうことってあります、しまったーって焦ること。
赤堀 僕は、そういうのが生々しい人間だと思っていて。そこで、何かしたからって、明日から晴れ晴れしく生きて行くっていう嘘はつきたくないなって。これは葛藤の物語ですし、ジレンマの最高潮の部分で終わるのが僕としては正しい方向性なんじゃないかなと、堺さんにはいろいろとああでもない、こうでもないと言っていた覚えがあります。
ーー役者というものはカタルシスを作りたいものなのですか。
赤堀 もしかしたら、堺さんがやろうとしたことのほうが、動員数が増える表現なのかもしれない。わかりやすくお客さんが全員泣けて、すっきりした状態で帰れることなのかもしれない。
ーー堺さんVS山田さんの決闘シーンもよかったですし、百歩譲って留守電を消すことが希望であったとしても、頭にかぶったドロドロのものは、心の中のドロドロにも見えたし、なんとももやもやして良かったです。言葉にできないものを観た時が一番幸せです。
赤堀 そういうふうに言っていただけるとありがたいです。
ーー舞台の再演はしないんですか? 舞台では、映画化と同時に再演するところもありますよね。
赤堀 そういう話はなくはないんですけど。僕自身がね、芸術家ぶった言い草ですけど、できないんですよね、そういうことが。2007年に初演した舞台作品を、撮影したのは去年なので4年後に映画にしたわけですが。2007年には2007年のいろんな思いや熱量で書いたものだったりして、それが4年後にまた、同じ熱やリアリティーで向き合えるかって言ったらできないんです。映画にしても再演にしても、そのために改訂する時、作品の根源的な部分をどういうふうにまた自分の中で沸き起こしていく作業が自分の中で一番大変なんですよ。映画の場合は、映画用にどういうふうに書き直すかという技術的なことももちろん大事でしたが。
ーーハハハ。また新しい作品を楽しみにしています。次回公演予定は?
赤堀 劇団公演は2013年4月です。今、構想中です。
ーー映画のほうも。映画界をぜひ揺るがしていただいて。
赤堀 揺るがしたいんですけど、なんか、ホント、かっこつけみたいですけど、ふつうに作品を純粋に作っているだけで。あ、じゃあ、揺るがしてくださいよ。
ーーえ。
赤堀 ハハハ。宣伝の協力してください。
(木俣冬)