アメリカのミレニアル世代が「新しい情報をアップデートする」という意味で使う「Woke」をタイトルの一部に組み込んだ本コラムでは、ミレニアル世代に知ってもらいたいこと、議論してもらいたいことなどをテーマに選び、国内外の様々なニュースを紹介する。今週はインドで大きな社会問題となっている「カンニング」について取り上げたいと思う。
イタリア南部の採用試験で発生したカンニング騒動
事件の背後に犯罪組織がいたと伝えるメディアも
日本では大学受験のシーズンが終わりを迎えようとしている。希望の大学に進学することが決まった受験生もいれば、試験結果に悲しむ受験生もおり、この時期は日本各地で一喜一憂する受験生の姿を毎年目にする。「受験」は大学進学に限った話ではない。資格を取得する際や、新しい仕事、職場での昇進にも試験が用いられることがあり、大学受験を含めたこれらの試験の多くは世界中で現在も答案用紙が用いられ、行われている。
進学や就職といった、自身の目的を達成するために、試験でカンニング行為が行われるのは日本に限らず、世界的なものだ。珍しいケースから紹介すると、2016年5月にはイタリア南部のナポリで行われた刑務官採用試験で大規模な不正行為が発覚し、ローマの検察が背後関係について調査に乗り出す一幕まであった。調査がいつの間にかフェイドアウトしていくところにイタリアらしさを感じるが、400人を採用するために行われた刑務官試験に集まった受験者の数は8000人を超えていた。
無職のままでいるか、仕事を求めて国外に出るか。イタリア、とりわけ北部よりも経済的資源が乏しいとされる南部で、若者が仕事を見つけることは日本では想像できない難しさだ。話をナポリ近郊で行われた刑務官採用試験に戻すと、試験会場では同じ色とデザインをしたブレスレット、もしくはスマホのカバーを持つ受験生が多いことに試験監督らが気付き、どちらかを所持していた受験生の約9割がブレスレットかスマホカバーの裏にテストの解答を忍び込ませていたのだ。
地元メディアはナポリを拠点とするマフィア組織「カモッラ」の犯行の可能性が高いと報じ、ナポリのあるカンパニア州だけで数千人の構成員が収容されている各刑務所に、マフィアの息のかかった人間を配置させる目的で、地元の若者にカンニング・グッズを持たせて受験させたのではと見られている。カモッラの試験への介入は、イタリア国内のSNSでも話題となった。
「教育マフィア」が暗躍するインドの受験戦争
厳罰化が決まった州では約70万人が欠席
約2億人と、インド最大の人口を抱える北部のウッタル・ブラデーシュ州では、今月6日から高校卒業前の学生を対象とした学力テストがスタートしたが、州内に700万人いるとされる受験生のうち、約1割となる66万人が試験会場に姿を見せなかったため、地元では大きなニュースとなった。以前から受験生の家族がカンニングの手助けをするなど、試験会場を取り巻く環境にインド国内では批判が噴出しており、州政府が今年から不正行為の取り締まりを徹底的に行うと宣言した矢先の出来事であった。
インドの受験システムについて説明しておこう。今回ニュースで取り上げられたのは「ボード・エグザム」と呼ばれるテストで、日本のセンター試験と似たタイプのものだ。
現在も独特の身分制度(カースト)が残るインドだが、社会における階級差を乗り越えるための決定打として、高等教育は非常に重要視されている。多様なバックグラウンドが入り乱れるインド社会において、名門大学の名前が入った学歴は「成功」の手形になる可能性が非常に高いとされている。しかし、人口が13億人を突破したインドにおいて、国内の名門大学への進学は日本以上に狭き門である。
少しでも子供にいい点数を取ってもらいたいという親心が間違った方向に動いてしまい、親が子供のカンニング行為をサポートする光景はインドでは珍しいものではない。試験会場となった建物では壁をよじ登って2階や3階にいる子供に解答を記したメモを手渡す光景はニュースでも大きく取り上げられ、世界中に発信されている。そういった親心に付け入る形で、莫大な金額を手にしているとされるのが、地元の犯罪組織だ。
インドの犯罪組織には受験生のカンニング支援を専門に行うグループも存在し、地元では「教育マフィア」という言葉で知られている。
国内で続く「組織的なカンニング問題」が国外でも報じられるようになり、「世界で活躍する優秀なインド人学生」というブランドが崩壊することを懸念してか、インドの中央政府や地方政府はカンニングの防止にようやく重い腰を上げたが、不正行為をしてでも名門大学に子供を入れたいと考える親はインドに限らず一定数存在するのも事実だ。学歴があれば将来の生活は保障されるという考えが強く、実際にそういった文化が根強く残る国や地域では、教育マフィアの存在も含めて、カンニング擁護論が無くなる気配はしばらくはなさそうだ。
(仲野博文)