『幸福の資本論』(ダイヤモンド社)では、金融資本(貯金)や人的資本(仕事)が小さくても、「友だち」の強いネットワークに支えられた生き方を「プア充」と定義した。“ジモティー”とか“ヤンキー”などと呼ばれる地方在住の若者がその典型で、ジャーナリストの鈴木大介氏が『最貧困女子』(幻冬舎新書)でこの言葉を使った。

 鈴木氏が紹介するプア充は北関東に住む28歳の女性で、故障寸前の軽自動車でロードサイドの大型店を回り、新品同様の中古ブランド服を買い、モールやホムセン(ホームセンター)のフードコートで友だちとお茶し、100円ショップの惣菜で「ワンコイン(100円)飯」をつくる。肉が食べたくなれば公園でバーベキューセットを借りて、肉屋で働いている高校の友人にカルビ2キロを用意してもらい、イツメン(いつものメンバー)で1人頭1000円のBBQパーティを開催する。

 家賃は月額3万円のワンルーム(トイレはウォシュレットでキッチンはIH)、食費は月1万5000円程度だから、月収10万円程度のアルバイト生活でもなんとか暮らしていける。負担が重いのはガソリン代だが、休みの日はみんなでショッピングモールの駐車場に集まり、1台に乗ってガソリン代割り勘で行きたいところを回るのだという。宮藤官九郎脚本のテレビドラマ「木更津キャッツアイ」で描かれた世界そのままで、彼ら彼女たちの生活は友だちの絆によって成立している――。

 しかし最近になって、「プア充の幸福」を疑問視する調査結果が次々と現われた。

といっても、「プア」の女性のなかに幸福度が(高いとはいえないとしても)低くないひとがたくさんいるのはまちがいない。問題は男性で、「プア」だと幸福度が極端に低くなるのだ。

非大卒より大卒の方がポジティブ感情が高い

 日本では社会学者を中心にSSM(社会階層と社会移動全国調査Social Stratification and Social Mobility)、SSP(階層と社会意識全国調査Stratification and Social Psychology)という大規模な社会調査が行なわれており、直近では2015年に実施された。SSMでは仕事、経済状態、資産、親世代や子ども世代との関係などの情報を自宅訪問で訊ね、SSPでは社会的態度(意見や価値観)、社会的活動や頻度などをタブレットPCを用いた技法で集めている。SSP2015の研究代表者である吉川徹氏(大阪大学大学院人間科学研究科教授)によれば、SSMは「現代社会システムの「ハードウェア」」、SSPは「現代日本人の「社会の心」」の実像を知るための調査だ。

 その吉川氏は『日本の分断 切り離される非大卒若者(レッグス)たち』(光文社新書)で、SSPを使って現代日本人の「ポジティブ感情」を比較している。

 ポジティブ感情は、以下の4つの指標で構成されている。

(1) 階層帰属意識 自分が「上層階層」に属していると思うか
(2) 生活満足度 生活全般に満足しているか
(3) 幸福感 現在どの程度幸せか
(4) 主観的自由 「私の生き方は、おもに自分の考えで自由に決められる」と思うか

 そのうえで吉川氏は、男女、年齢、学校歴で現代日本人を8つのカテゴリーに分ける。壮年層は(2015年時点で)40代と50代だった約3305万人(昭和育ち)、若年層は20代と30代だった2720万人(平成育ち)。学校歴は「学歴」ではなく、「大卒」「非大卒(高卒、高校中退など)」で区別している。

 詳細は『日本の分断』を読んでいただきたいが、4つの「ポジティブ感情」の得点を合計し、クループ別に高い順に並べると以下のようになる。

① 若年大卒女性 52.07
② 壮年大卒男性 51.81
③ 壮年大卒女性 51.72
④ 若年大卒男性 50.75
⑤ 若年非大卒女性 49.85
⑥ 若年非大卒男性 48.81
⑦ 壮年非大卒女性 48.69
⑧ 壮年非大卒男性 47.94

 ここからすぐに見てとれるのは、以下の3点だ。

(1) 同じグループでは男性より女性の方がポジティブ感情が高い(壮年大卒女性は例外)
(2) 非大卒より大卒の方がポジティブ感情が高い
(3) 壮年より若年層の方がポジティブ感情が高い(若年大卒男性は例外)

 より詳細に見ていくと、若年大卒女性(1位)は「上層意識」「生活満足度」「幸福感」「主観的自由」のすべての指標で得点が高いが、壮年(3位)になると「生活満足度」と「主観的自由」が下がる。

 それに対して若年非大卒女性(5位)は「上層意識」と「主観的自由」はかなり低いものの、「生活満足度」と「幸福度」が高いことで得点が上がっている。これはまさに「プア充」の定義そのものだ。ただし壮年(7位)になると、「生活満足度」と「幸福感」も低くなってしまう。

 若年大卒男性(4位)は、同じ年齢層の大卒女性と比較して「主観的自由」はそれほど変わらないものの、「上層意識」「生活満足度」「幸福感」が低いことで大きく差をつけられている。壮年(2位)になると「上層意識」と「主観的自由」の得点で壮年大卒女性(3位)を逆転する。

 若年非大卒男性(6位)は若者のなかでもっともポジティブ感情の得点が低い。これは、「主観的自由」は高いものの「上層意識」が極端に低く、「生活満足度」や「幸福感」も同年代の非大卒女性よりずっと低いからだ。壮年(8位)になると「主観的自由」の得点まで大きく下がり、ほとんど「ポジティブなもの」がなくなってしまう。

 ここで注意しなければならないのは、ポジティブ感情の変化を年齢によって説明できるわけではないが、だからといって「昭和か平成か」という時代で決まるわけでもないことだ。「若年大卒女性はすべての指標で得点が高いが、壮年になると「主観的自由」がなくなる」ということはできない。だからといって、「平成育ちの大卒女性は「主観的自由」が高く、昭和育ちの大卒女性は低い」ともいえない。

どちらの可能性もあるものの、因果関係の分析は慎重に行なわなければならないのだ。

「女性の方が男性より幸福度が高い」

 この調査で意外なのは、「女性の方が男性より幸福度が高い」という結果だろう。周知のように男女の社会的格差を示すジェンダーギャップ指数で日本は世界最底辺の110位で、家庭でも会社でも性役割分業があらゆるところに埋め込まれた「男性優位社会」であると批判されている。それにもかかわらず女性の方が人生を幸福だと感じているのなら、これには説明が必要だ。

 保守派の典型的な主張は、「男は外で働き、女は家庭で育児・家事に専念する」という“伝統的”家族(性役割分業)が女を幸せにしてきた、というものだ。アメリカではトランプ支持の白人女性がリベラルな(民主党的)男女平等を批判して同じ主張をしており、保守的な女性のあいだに一定の支持があることはまちがいない。

 日本(SSP2015)でも、「夫が家事や育児をするのはあたりまえのこと?」の質問に、「そう思わない」と否定的な女性は9.1%、「どちらかといえばそう思わない」(35.9%)を加えた「保守的な価値観」の女性は45%と半分ちかくいる。

 興味深いことに、「日本の男性は家事・育児に非協力」というのが定説になっているにもかかわらず、「保守的な男性」は32.9%と3人に1人しかいない。それに対して、「夫が家事・育児をするのはあたりまえ?」に「そう思う」と答えた男性は19.1%、「どちらかといえばそう思う」は48.0%で、合わせて67.1%が「意識のうえでは」イクメンだ。このデータを素直に解釈すれば、「日本の男は家事・育児を積極的にやりたいと思っているが、女がそれを邪魔している」ということになる。

 ほんとうにそんなことがあるのだろうか。

 さらに興味深いのは、「男性は外で働き、女性は家庭を守るべき?」という質問だ。ここでは、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と答えた「保守的」な男性は26.3%に対して、「保守的」な女性は19%しかいない。その一方で、「女は家を守るべき」という伝統的な価値観に反対な男性は73.6%で、女性は80.9%だ。

 あらためて指摘するまでもないが、これは同じ質問(性役割分業への評価)を肯定形と非定形で訊いただけだから、調査対象者が合理的ならどちらでも回答は同じはずだが、実際には質問の仕方で男女の回答は「逆転」する。

 これについて吉川氏は、性役割分業を肯定するかと訊かれると(男性は外で働き、女性は家庭を守るべき?)8割超の女性は否定的に答えるが、「夫が家事や育児をするのはあたりまえのこと?」では、「男性が(家事という)女性の領域に進出することを受け入れるか?」というように質問を解釈して、半数ちかくが肯定することを躊躇するのだろうと述べている。――それに対して男性は、実際に家事・育児をしているかどうかは別として、どちらの質問も約7割が「性役割分業に反対」という“リベラル”な回答をする。

 同じSSP2015で、「あなたはどの程度幸せですか?」の質問に「幸福」と答えたのは男性67.8%、女性74.0%、「生活全般にどの程度満足していますか?」の質問に「とても満足」「やや満足」と肯定的に答えたのは男性67%、女性74.1%で、現代日本では3人のうち2人超が自分は「幸福で生活に満足」と思っている。これは、「日本社会はどんどん劣化し、日本人はますます不幸になっている」という一部の「知識人」の悲観論(ルサンチマン)への有力な反証になるだろう。現代日本社会は、歴史的にも、世界のなかでも、「全般的には」とてもうまくいっているのだ。

 この質問からも、日本の女性は男性より6.2%多く自分を「幸福」だと思い、7.1%多くいまの生活に「満足」している。これはけっして小さくない差だ。

 ただしここから、保守派の「ジェンダーギャップが大きいほど(性役割分業がはっきりしているほど)女は幸福だ」との主張が正当化されるわけではない。男性より女性の幸福度が高いことは日本だけでなく世界共通で、共働きと共同育児が当たり前になった北欧諸国でも女性の幸福度が下がっているわけではない。

 だがそれでも、「女は社会的に抑圧されているのもかかわらず、男より幸福度・生活満足度が高い」という事実(ファクト)にはなんらかの説明が必要だろう。

男と女では「モテ」の仕組みがちがう

「女性は男性より幸福度が高い」というのは、フェミニストにとってよろこばしいことのはずだが、この事実はずっと無視されてきた。これには理由があって、「幸福なんだからいまのままで(女性が差別されたままで)いいだろう」という男尊女卑の肯定になりかねないからだ。そればかりか、「女性差別などささいな問題で、実際に差別されているのは男性なのだから、男の幸福度を上げるような政策を導入すべきだ」というより「反動的」な主張すら出てきかねない。――実際にこのような主張をする論者もいる(ワレン・ファレル『男性権力の神話――《男性差別》の可視化と撤廃のための学問』作品社)。

 社会的地位の低い女性の幸福度が高いという「パラドクス」はこれまでずっとタブーで、(私の知るかぎり)いまだに決定的な説明はない。そこでここでは、いくつか私見を述べてみたい(あくまでも暫定的な仮説だ)。

 ひとつは男女の性戦略のちがい。かんたんにいうと、男と女では「モテ」の仕組みがちがうのだ。

 進化心理学の標準的な理論では、男は繁殖のためのコストがきわめて低く、女はそのコストがきわめて高いと考える。当然のことながら、費用対効果が異なれば、それに最適化された戦略にも大きなちがいが生じるだろう。

 男は精子をつくるのにほとんどコストがかからないため、自分の遺伝子を後世により多く残すのに最適な性戦略は、「(妊娠可能な)女性がいたら片っ端からセックスする」になる。ユーラシア大陸の大半を征服して巨大なハーレムをつくったチンギス・ハンのように、とてつもない権力を持つ男はとてつもない数の子孫を残すことができる。モンゴル人のじつに4人に1人がチンギス・ハンの「直系の子孫」で、世界の男性(約37億人)の0.5%、すなわち1850万人が“蒼き狼”と男系でつながっているとの研究もある(太田博樹『遺伝人類学入門―チンギス・ハンのDNAは何を語るか』ちくま新書)。

 それに対して女は、いったん妊娠すれば出産まで9カ月かかり、生まれた赤ちゃんは1人では生きていけないから1~2年の授乳期間が必要になる。この制約によって、生殖可能年齢のあいだに産める子どもの数には限界があるし、出産後も男(夫)からの支援がないと母子ともども生きていけなくなってしまう。この「支援」というのは、旧石器時代を含む人類史の大半では動物の肉などの食料で、農耕社会以降は穀物や金銭に変わった。ここから女性にとっての最適な性戦略は、男性とのあいだで長期的な関係を築くことになる。

 進化論的には、「愛の不条理」とは、男の「乱婚」と女の「純愛」の利害(性戦略)が対立することなのだ。――こうした説明を不愉快に感じるひとはたくさんいるだろうが、これについては進化心理学者が膨大なエビデンス(証拠)を積み上げている。

「現代の進化論」は、「男女の性戦略の対立から、人間社会は一夫多妻にちかい一夫一妻になった」と説明する。甲斐性(経済力)があれば1人の男が何人もの女性を妻(愛人)にできるが、甲斐性がなければせいぜい1人だ。そして男女の数が同数なら(実際には多くの地域で男の方が多い)、小学生でもわかる単純な計算によって、生涯を独身で終える男が大量に生まれることになる。

 こうして男は「モテ」と「非モテ」に分断されるが、女は(「モテ」のレベルは異なるとしても)結婚可能性がずっと高い。男女ともに「ソロ化」が進んだ日本でも、(50歳時点でいちども結婚したことのない)生涯独身率は男性23.4%、女性14.1%(2015年)と大きな差がある。

 恋人もおらず、結婚もできないのなら、幸福度は高くならないだろう。これが男女の幸福度のちがいに反映しているというのが第一の仮説だ。

現代日本社会でもっとも幸福度・生活満足感が低いのは非大卒の男性(ヤンキー/ヤンチャ)

 第二の仮説は最初の説と重複するが、男女で社会的な地位(格差)に対する感じ方が異なると考える。

 サルや類人猿を見ればわかるように、一夫多妻(ゴリラ)や乱婚(チンパンジー)の種ではオスの権力闘争がはげしくなり、明確なヒエラルキーが形成される。動物園のサル山に行けば、素人でもどれがボスザル(アルファオス)か見分けることができるだろう。

 それに対して、メスのヒエラルキーはきわめて判別しにくい。チンパンジーでは、オスのような階級はメスにはないとされていた。それが最近になって、飼育環境や野生でのチンパンジーの詳細な観察によって、グルーミング(毛づくろい)の順位などからメスにもアルファがおり、ゆるやかな階層がつくられていることが判明した。

 このことは、人間社会にも当てはまる。ファミレスなどに男子高校生の集団がいると、そのなかで誰がリーダーかはすぐにわかる。それに対して女子は、ファッションのちがいなどでいくつかのグループができているものの、そのなかで誰がリーダーかを見分けるのは困難だろう。

 これは、(進化論的には)女は男よりパートナー獲得競争がはげしくないことと、欺瞞的な戦略をとる男から身を守るために、女同士の情報ネットワークを発達させる必要があったことから説明される。

「乱婚」を求める男にとって女とより多くセックスするもっとも効果的な戦略は、「純愛」を提供することではなく(これだと1人の女としかつき合えない)、「純愛」の空約束を振りまくことだ。これが(誰もが思い当たる)男の「欺瞞戦略」で、サピエンスは何十万年もこんなことをやってきた。

 しかしこれでは女は踏んだり蹴ったりなので、男の空約束に対抗する武器を手に入れたはずだ。そのひとつが「噂話」で、女集団のなかで「どいつが外面だけのチャラ男か」「イカサマ男はどんな手口を使うのか」の情報交換をすることはものすごく役に立ったのだ。――これは現代日本では「恋バナ」と呼ばれている。

 ここから、男は「階層帰属意識」がモテに直結し、自分が上層か下層かをものすごく気にするのに対して、女は階層をあまり気にしないのではないかと予想できる。そして、SSPにおける若年非大卒男性と女性のちがいは、まさにこの予想に合致している。

 社会学者の橋本健二氏が『アンダークラス 新たな下層階級の出現』(ちくま新書)で指摘するように、現代日本社会においては、非大卒(高卒/高校中退)が下層(アンダークラス)を形成している。非大卒の若い男性は自分の階層を強く意識していて、その結果、幸福度も生活満足感も低い。それに対して若い非大卒女性は、自分がアンダークラスであることを意識してはいるものの、そのことが幸福度や生活満足感の低下には直結しない。だからこそ「プア充」として、それなりに充実した生活を送ることができるのだろう。

 第三の仮説は、これまでの説と両立可能だが、「女性は生得的に男性より幸福度が高い」というものだ。

 近年の脳科学では、「ひとはそれぞれ異なった幸福度の水準を持っている」と考える。幸福度の水準が高いひとは、不幸な目にあってもあまり気にせずすぐに回復するが、幸福度の水準がもともと低いひとは、よいことが起きてもあまり幸福度が上がらない。これは幸福の「個人差」だが、男女による「性差」があったとしても不思議はない――ただし男女の生得的な幸福度のちがいを調べた研究は(たぶん)ない。

「女の幸福度は生得的に男より高い」との仮説は、「日本は性差別的な社会」というフェミニズムの批判とも整合的だ。遺伝的な優位性があるにもかかわらず、壮年大卒女性のポジティブ感情は壮年大卒男性を下回っているのだから、これは前近代的な「おっさん支配」だと考えるほかはない。

 いずれにしても、社会学の大規模調査が明らかにしたのは、現代日本社会でもっとも幸福度・生活満足感が低いのは非大卒の男性だという「事実」だ。この集団は一般に「ヤンキー」と呼ばれていたが、最近では「ヤンチャ」が使われるようになったようだ。

 ということで、次回は「ヤンキー/ヤンチャ」たちがどのような困難を抱えているのかを考えてみたい。

橘 玲(たちばな あきら)

作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本(新潮文庫)など。最新刊は、『もっと言ってはいけない』(新潮新書) 。

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