幻の「納豆売り」を探して
「がんこおやじ」のキャラクターが描かれた納豆販売車。納豆売りの歌を聞きつけ、駆け寄ってきた女性に商品説明をする伊藤さん。
「なっと〜♪ なっとなっと なっと〜♪」
東京・練馬のマンション6階にある友人宅に遊びに行ったとき、そんな歌を耳にした。慌てて駆け下り、声の行方を追ったが、もう姿はない。

そもそも納豆売りなんて、『ひみつのアッコちゃん』のエンディングの曲ぐらいでしか知らない、ほとんど幻の存在だ。しかも、アッコちゃんの歌ですら「用もないのに来る」人扱いなのに。「納豆売り」って本当に実在するのか。

気になってネットなどで調べてみると、埼玉のほうに「矢口納豆」という納豆屋さんが出没するらしいことがわかった。私が聞いたのは、ここなのだろうか。
矢口納豆に電話してみると、
「確かに当社は納豆の引き売り(移動販売)をしています」。
さらに、私が納豆の歌を聞いた場所を伝えると、次に現れる日、だいたいの時間を教えてくれ、営業部の田島さんが立ち会ってくれることになった。
取材当日。
「なっと〜♪ なっとなっと なっと〜♪」
例の声が聞こえてきた。イメージしていた自転車ではなく、車体に可愛いイラストが描かれた軽自動車だ。

「矢口納豆は代々、納豆造りをしてきた血筋で、会社は創業昭和29年。現在2代目の社長がやっています」と田島さんは説明する。

かつては八百屋など、いろんな引き売りがあったそうで、先代の頃は“納豆売り”も当たり前。それが今では全国でおそらく唯一となっているとか。
「当時は1軒1軒を自転車でまわっていたんですが、今は軽自動車16台で埼玉を中心に都内などもまわっています」(田島さん)
現在、顧客総数はなんと7000〜7500軒前後。直接お客さんの玄関先に行って、納豆や豆腐、佃煮などの和惣菜を売るほか、移動の際の通りがかりで、また、路上で数分停まって売ることもあると言う。

「通りすがりの女性が、財布を持って追いかけてきてくれることもあります。『移動が早い』と言われることもあるんですけど、お客さんのご家庭にお届けしているので、一か所にずっととまっていられなくて……」(販売員の伊藤さん)。

第9回全国納豆鑑評会優秀賞を受賞した「鶴の子納豆」(300円)ほか数種類があり、最もポピュラーな「小粒納豆」は160円からと、手ごろ。さらに、配達の手数料もかからないそうだが、それで商売になるのか?
「正直、採算は合わないですよ。ガソリン代がどんどん上がる一方ですからね(苦笑)」。それでも……と田島さんは言う。
「作るだけではなく、作りたてを直接お届けし、お客さんとふれあいながら、手ごたえを感じていきたいんです」
あくまで昔ながらの「引き売り」にこだわる、まさに「がんこおやじの納豆」なのだった。
(田幸和歌子)