亡くなった人に使う「故」は、どんなときにつけられるのか?
彼のことを、わざわざ「故・石原裕次郎」などと呼ぶ人は、どこにもいないだろう。
「故・石原裕次郎」とか、「故・美空ひばり」とか、聞いたことありますか?
「そんな表現、フツウ、しないだろ」と思う人も多いはず。でも、故人であるのは確かなことなのに、なぜそれが奇妙な表現に聞こえるのか。


自分が記事を書くときに「故」を使うのは、たとえば「故○○社長」などのように、亡くなっていることが一般の人にはあまり知られていない場合などだが、厳密に「故を使うのは、何年前以内に亡くなった人」とか、何か基準はあるのだろうか。各新聞社の広報担当に、それぞれ基準を聞いてみた。

まず朝日新聞の基準はこうだ。
「"故"という言葉は『用語の手引き』に入っていませんし、取り決めは特にありません。ただ、その人物のある/なしがわかりにくい場合に、記者などが個人の判断でつけています」
毎日新聞の場合は、基本的には「書き手による」というが、おおまかな基準はあるそうだ。
「ある程度有名な人で、かつ亡くなっていることがわかったほうがいい場合に使います。
ご指摘のように、美空ひばりさんなどには使いませんし、夏目漱石や徳川家康などに"故"を使うのはあきらかにおかしいですよね?」
同新聞社では、記事をわかりやすくするために、一人一人の記者が「○年に事故死した」など、死因も記す工夫をしているそうで、その場合は「故」は不要となる。一般の記事などでは「故」を使うケースはあまりなく、学芸関係などで多いのでは? ということだった。

読売新聞もだいたい同意見で、
「できるだけ"故"は使わず、『何年何月に亡くなった○○さん』などと書くようにしようと決めています」
と説明する。さらに、使う対象などは、
「特に決まっていません。有名か無名かの区別もありません。むしろ有名で誰もが亡くなっていることを知っている場合にはあえて使わないこともあります。
"故"は、記事の中で、名前を出して触れる必要がある人がすでに亡くなっている場合で、亡くなっているという事実が特に大事な要素であるときにのみ使うようにしています。単に亡くなっていることを示すときは、できるだけ使用を避けるようにしています」。
3社とも、単に「亡くなった人の記号」として軽はずみに使うのは、避けているようでした。
(田幸和歌子)