肉じゃが発祥をめぐる旧海軍港・仁義なき戦い!?
以前、私の故郷である広島県呉市の名物メロンパンを紹介したが、もうひとつ忘れてはならない名物が、「肉じゃが」である。

帰省した際に訪れた大和ミュージアムのおみやげコーナーで、「肉じゃが物語」という商品を見つけた。
これ1本で簡単に肉じゃがが作れるという煮物用万能醤油である。
しかしなぜ呉の大和ミュージアムに? と思うだろう。それは呉が肉じゃが発祥の地といわれているからなのである。

そもそも肉じゃがは、「海軍の父」と呼ばれ日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃沈した、あの東郷平八郎が考案したというストーリーは有名。その東郷が旧海軍の港がある呉に、参謀役として赴任していたことから、肉じゃが発祥の地というのが呉発祥説。しかし、京都の舞鶴市にも鎮守府長官として赴任していたこともあり、こちらも「肉じゃが発祥」を宣言していた。
呉と舞鶴という、旧海軍港間で“発祥の地”をめぐる論争が巻き起こってしまった。

「肉じゃが物語」は、そんな呉と舞鶴との論争から生まれたという。
製造元である株式会社本むらさきの中富隆雄さんにお話をうかがってみた。
「肉じゃが発祥の地は呉と確信しています。小社は海軍御用達として醤油を戦前まで納入しており、現在では海軍納入業者としては小社だけです。肉じゃがの味にロマンを託してこの商品を作ったのです」

呉が“発祥の地”だと主張する根拠は何か。

「決定的なポイントとしては、東郷平八郎元帥は明治23年に参謀長として、明治27年に海浜団長として呉に2度赴任しています。その後、明治34年に栄転され、舞鶴に長官として行かれました」
呉の方が先に赴任していたことが決め手?
「最初に赴任されたとき、当時の呉で、かっけという病がはやっていて、工員が栄養失調に陥っていたといいます。東郷元帥は英国に留学していた経験から、栄養価の高いビーフシチューを艦上食にと提案したそうです。しかし、当時の日本ではまだワイン、バターが入手困難でしたので、醤油をベースにした肉じゃがになったのだと思います。当時はまだ肉じゃがと呼ばず、甘煮という名前でした」
呉の肉じゃがはその甘煮をレシピどおりに再現した物で、材料は牛肉、ジャガイモ、コンニャク、玉ねぎのみ。ところが舞鶴の肉じゃがには、グリンピース、ニンジンが入っているのだとか。


「現在もホットな戦いをしながら交流を深めている」という呉と舞鶴。しかし、東郷平八郎が肉じゃがを作らせたかは、両市とも確固たる証拠はないので、この論争に決着がつく日はまだ先のよう。まるで邪馬台国の「九州説」「畿内説」論争である……。
どちらが発祥にしろ、旧海軍の味であることには変わりない。中富さんが会長を務める市民グループ「くれ肉じゃがの会」は、大和ミュージアム開館時に戦艦大和をかたどった大鍋で肉じゃがを市民にふるまったそう。今後もこうしたイベントを通じて呉の肉じゃがの味を広めていきたいのだという。


呉まで足を運べないという人は、「肉じゃが物語」を入手して、家庭で作ってみてはいかが?
簡単にできてうまいんじゃけえ、食べてんみんさい。
(いなっち)

2018年8月14日追記:表現を一部修正しました。