AIサマリーは便利か、危険か──調査が示すユーザー行動の劇的変化
2025年3月に発表されたPew Research Centerの調査は、Google検索におけるAI Overviewsの影響を初めて体系的に可視化した点で注目に値する。調査対象は、米国の成人インターネットユーザー904人。調査期間中、合計68,867件にのぼる検索セッションの行動ログが記録され、そのうち18.3%(12,592件)にAIサマリーが表示されていた。このAIサマリーがユーザー行動に及ぼした影響は、定量的に以下のように示されている。
●AIサマリーが表示されたセッションにおける通常リンク(青字の検索結果)のクリック率は8.0%にとどまった。これに対し、AIサマリーが表示されなかった場合のクリック率は15.3%。この差は47.7%のクリック率低下を意味する。
●AIサマリー内に引用されるリンク(いわゆる情報の出所)に直接アクセスしたユーザーはさらに少なく、わずか1.0%に過ぎなかった。
●検索セッションを一切のクリックなしで終了する割合も、AIサマリー表示時で25.9%に達しており、非表示時(16.3%)と比較して約10ポイント上昇している。
また、どのような検索クエリでAIサマリーが表示されやすいかという傾向も明らかになった。
●検索語が質問形式(who/what/when/why/howなど)であった場合、58%の確率でAIサマリーが表示される。
●検索語が10語以上の長文であった場合、表示確率は53%に達する。
このように、AIサマリーは単なる新機能ではなく、ユーザーの検索体験そのものを構造的に変化させている。クリックという行為を経ずに答えが得られるという利便性の裏で、情報接触のプロセスが短絡化し、「考えなくても済む」仕組みが日常に組み込まれつつあるのだ。
ゼロクリック検索の常態化とその代償
こうした調査結果が明らかにしているのは、ユーザーがリンクをクリックすることなく検索を完了させるケースが、もはや例外ではなく“常態”になりつつあるという事実である。いわゆる「ゼロクリック検索」と呼ばれる現象が、AIサマリーによって一層加速しているのだ。検索エンジンとは本来、情報の“入口”である。ユーザーは検索キーワードを入力し、そこからさまざまな情報源へと飛び、複数の視点を比較し、自分なりの理解を深めていくプロセスをたどってきた。だがAIサマリーは、この情報探索のプロセスそのものをスキップ可能な工程として再設計している。
リンクのクリック率が8%、情報源リンクへのアクセスが1%、そして4人に1人が何も開かず検索セッションを終えているというデータが示すのは、検索体験が「答え合わせ」へと縮小しつつある現状だ。
さらに、質問形式や長文など、もともとユーザーが「深く知りたい」と考えている検索でこそAIサマリーが頻出する点も重要である。知的関心の高い問いが、逆に“要約だけで完結してしまう”──その構図は、利便性と引き換えに思考のプロセスが奪われていることを意味しているのではいないだろうか。
この「ゼロクリック化」の最大の代償は、ユーザーが情報の出所や異なる視点に接する機会を失うことにある。Googleが提示するサマリーが唯一の答えであるかのように見える構造は、検索行為そのものを知的選択ではなく受動的消費へと変質させていく。
AIが決める“正解”と情報の偏り
AIサマリーが検索行動を変える一方で、どのような情報がそこに表示されるかという問題にも目を向ける必要がある。Pew Researchの調査では、AIサマリー内で繰り返し引用されるリンクの傾向も分析されており、その結果は極めて示唆的であった。具体的には、サマリーに登場するリンクは以下のような情報源に集中していた。
●Wikipedia
●政府系サイト(.gov、.edu)
●YouTube
●大手ニュースサイトやフォーラム型コミュニティ
この傾向から見えてくるのは、AIが要約に用いる情報は既に“選ばれた”特定のソース群に偏重しているという事実である。個人ブログ、専門家による独立メディア、ニッチな視点や新興メディアなどは、サマリーには現れにくい。AIが表示しなければ、多くのユーザーにとってそれらの存在は“なかったこと”になる。
検索というインフラの上に存在する「情報編集の主導権」が、アルゴリズムと一部の巨大メディアに集中する構造は、情報の多様性に対する静かな脅威である。
メディアとコンテンツ運営者に広がる危機──それでもGoogleは「成功」と見る
このように、AIサマリーの普及は情報発信者、とりわけウェブメディアやコンテンツ運営者にとって深刻な影響をもたらしている。たとえば、英国のAuthoritasによる分析では、AIサマリーが表示された検索で上位に掲載されていたニュースサイトが最大79%のトラフィックを喪失。MailOnlineでは、デスクトップ検索でのクリック率が56.1%、モバイルでは48.2%も減少した。この構造は、広告収益を柱とする多くのメディアにとって致命的である。リンクがクリックされなければ記事が読まれず、記事が読まれなければ広告も表示されない。結果として、発信の継続性そのものが揺らいでいる。
しかしGoogleはまったく異なる視座に立っている。Alphabetの2025年Q2決算報告によれば、AI Overviews導入後の検索インプレッション数は49%増加、検索広告収益も12%増となり、検索事業全体は過去最高水準に到達したという。
Googleは「AIによる要約は検索の民主化を促進し、ユーザーの体験を向上させている」と主張する。自然言語で検索できる設計により、これまで検索に不慣れだった層へのアクセシビリティが向上したとし、AIサマリーは20億人以上の月間ユーザーに対して一貫した高速体験を提供しているという。
また、Googleは透明性の確保にも一定の配慮を行っており、AIサマリー内の引用リンク表示や、詳細の展開機能、ソースの明記などを通じて「出所へのアクセスの道」は閉ざしていないと説明する。
だが、それでもなお残る疑問は、そのリンクを実際に“開く人”が、果たして何%存在するのかという点に尽きる。
思考停止を防ぐ検索とは
AIによって検索が進化すること自体は避けがたい潮流である。ユーザーが自然言語で疑問を投げかけ、その場で要点が整理された回答を得られる体験は、従来の検索よりも明らかに直感的で効率的だ。Googleの言うとおり、それは情報アクセスの「民主化」を推し進める面もある。しかし、その利便性の裏で、私たち自身が「考えることをやめていないか」という問いは避けて通れない。
リンクを開くという行為は、単なるクリックではない。それは、自分で確認し、自分で判断し、自分なりの理解を積み上げるというプロセスの入り口である。その入り口が閉ざされ、あらかじめ整形された答えだけが提示される世界において、私たちは果たして本当に「知った」と言えるのだろうか。
“あえて”リンクを開き、一次情報に当たり、自分の目で確かめ、自分の頭で咀嚼する。
文:岡 徳之(Livit)