横浜DeNAベイスターズが一部の試合で売り出した30分800円の「時間制チケット」に注目が集まった。消費経済ジャーナリストの松崎のり子さんは「一見、お得に観戦できる革新的なサービスに思えるが、実はそこには巧みに仕組まれた“安さの錯覚”が潜んでいる」という――。

■安さの錯覚を誘う時間売りビジネス
メジャーリーグでは大谷選手が安定の活躍だが、日本プロ野球でも日本一をかけた終盤戦に突入している。セ・リーグ優勝は阪神タイガースで決まり、残るはクライマックスシリーズの行方だ。
中でも藤浪晋太郎投手という劇薬を取得した横浜ベイスターズに注目が集まるが、そんな中、ベイスターズ球団が8月に一部試合限定でユニークなチケットを売り出した。30分ごとの時間制で観戦できる「タイムチケット」というものだ。
曰く、「1試合全てを観戦する時間はないけど、少しでもハマスタの空気を味わいたい!といった1試合を通しての観戦が難しい野球ファン向けのチケット」とのこと。30分単位の時間制で、滞在時間に応じて料金が加算され、退場時に清算となる。
価格は30分800円、60分1500円、90分2000円……というように変動していき、180分(3時間)滞在すれば3500円。180分以降は30分ごとに300円の追加料金だ。場所は、外野スタンドとの間に位置する「DREAM GATE STAND」。外野席のチケットで3500円プラスアルファと考えればまずまず妥当な価格だろう。
■一部の試合で導入されたユニークなチケット
なお、この金額以外にシステム利用料(330円/1枚)やハマスタ入場券が必要になるため、運用が複雑かつ不便な点はあるものの、トライアル的に試して、好評なら続けようという考えだろう。
東京ヤクルトスワローズの「試合開始2時間後」あるいは「6回裏終了時点」の入場なら安くなるという割引価格チケットは前例があったが、最初から時間制で売るという発想は新鮮だ。

「この後予定が入っているので、その前の時間つぶしに」とか「子どもが飽きて途中で帰ると言い出しそうだから、通しでチケットを買うのはもったいない」とか、様々な需要が考えられる。
また、推しのピッチャーがいるファンなら、推しが先発ならそのピッチャーが降板するまでの観戦や、推しが中継ぎや押さえなら出てくる後半だけ見たいなどの、利用法もあるかもしれない。
■野球観戦は30分では終わらない
一番のポイントは「30分~」という区切りだろう。
そもそも野球はサッカーやバスケと違い、1回にどのくらい時間がかるかは展開次第だ。ピッチャーが打ち込まれて、なかなか回が終わらないなんて状況も発生する。それを、きっちり30分だけ見て帰るという人は少数だろう。
しかも、このチケットは後払い計算だ。ゲームが白熱すればするほど、時間を忘れて熱中してしまうもの。ああ、もう30分は過ぎたから1500円か……なんて、いちいち計算している場合ではなくなる。これが時間制価格の錯覚だ。スタート価格こそ800円~と設定しているが、球団は60分1500円~を最低価格として計算しているのではないだろうか。
これと似たスタイルは飲み放題にもある。
30分500円~というように、あえて低価格を強力に打ち出す手法だ。500円といった「おっ」と目を引く魅力的な数字に誘われて、ついその店を選んでしまう。しかし、こちらも野球と同じく、僅か30分だけ飲んでそれで終了とはなかなかいかない。
■「60分飲み放題」との類似点
そこに「おひとり様1フードのご注文をお願いします」とあれば、おつまみを待つ時間、それを食べる時間が加わるのだから。しかも、飲み放題なのだから1杯だけではもったいないし、元が取れない。
最低でも3杯は……となればなるほど、つまみも欲しくなるもの。そちらは当然、別料金だ。また、「飲み放題のご注文は2人以上からお願いします」などと人数条件がある店もある。1人よりも2人、2人よりも3人の方が酒も食も増えていく。
どう考えても30分では終わらない。当然、最初に考えていた以上の金額を支払うことになるだろう。
飲み放題には、こうした延長課金スタイルと、60分間限定など時間制限制があるが、後者も店にとっては大きなメリットがある。
60分飲み放題の場合、それで切り上げる客が多ければ回転率がよくなる。
そのまま別会計で飲み続けてもらっても、売り上げが加算されるので損はない。時間制ビジネスは、最初に受ける印象ほど消費者に優しくはないのだ。
■ハッピーアワーにご注意を
更に気を付けたいのがハッピーアワーだ。居酒屋などが16時~18時までなど客足が薄い時間帯に限り、格安価格でアルコールを提供する。同じビールでも半額と聞けば、消費者はまさにハッピーな気分で飲めるというもの。そして財布のひもも当然緩む。
せっかくお酒が安いのだから、なるべくたくさん注文しようと考える。時間の区切りがはっきりしているので、そのリミットが近づいてくるほどまた頼む。飲み放題と違って固定料金制ではないので、格安とはいえ頼めば頼むほど料金は積み上がっていく。
ハッピーアワー価格とは、いつもと同じ量を頼むなら消費者がトクするはずだ。しかし、安いと聞くと、なぜかいつも以上に頼んでしまい、結局支払い総額はあまり安くなかった――ということになりかねない。
「安さ」は人を高揚させ、判断力をあいまいにさせる力があるのだ。
この時間制を上手に取り入れたクーポンもある。あるECサイトを見ていたところ、19時以降に使える「夜間限定クーポン」の表示が出た。これもうまい仕掛けといえるだろう。
そもそもネットショッピングサイトをじっくり見るのは、一段落したナイトタイムが多い。買おうかどうしようか迷っていたアイテムがあったとして、「夜の時間帯に買えば割引になりますよ、今ですよ!」と耳元でささやかれているようなもの。
誘惑に目をつぶり、一度は見送ったとしても、夜は次の日もやって来る。翌日もまた「夜だけの割引ですよ」とアピールされれば、ぐらっと来てしまいそうだ。
本来のタイムセールとは不定期にいきなりやって来るものだが、「毎晩、この時間が安くなる」と知っていると、この時間を待って買おうかという気持ちをかきたてられる。差し詰め夜のハッピーアワーとでも呼んでおこう。
■ダイナミックプライシングは不評
プロ野球のチケット話に戻ろう。近年、多くの球場で、チケット価格にダイナミックプライシングを導入している。
ダイナミックプライシングとは、需要や時間帯、平日・週末など曜日に応じて価格を変動させる方式のこと。
観戦チケットの場合も、土日や休日、ユニフォーム配布イベントや人気の高い対戦カードのチケットは当然高め、あまり人気のない対戦カード日はバリュー価格、などという立て付けになっている。しかし、周囲の野球ファンの声を聞くと、これがあまり評判がよくない。
変動制価格と言っているが、上げ下げではなく、上げる幅だけが変動しているように感じるとか、基準価格から下がるチケットは本当にあるのかなどの怨嗟の声もだ。明治神宮球場の外野席チケットが1万円をつけ、いくらなんでも高いだろうと騒ぎになったこともあった。
米も野菜も上がり、テーマパーク入場料も値上げというインフレ時代にあって、チケット代も値上げせざるを得ないのは理解できるが、それを変動制ですと言ってごまかすなというわけだ。我々は「安さ」は歓迎するが、「値上げ」「上振れ」には厳しい。「需要が多い日はもちろん高くなります」という変動制が野球ファンに不評なのは仕方がない。
それに引き換え、30分ごとの時間制チケットと言われれば、消費者は「おっ」と惹かれる。最初に見たスタート価格の「安さ」が人々を惑わし、この方法なら自分で総支払額をコントロールできるかもしれないと錯覚させる。このように、もし我々にお金を使わせたいなら、「安く済みそう」と感じさせるに限るのだ。
■時間制チケットは流行るのか
これまで、プロ野球では生ビール半額デーや企画ユニフォームの配布デーといったイベントを絡ませた集客方法を取ってきた。
ベイスターズの「タイムチケット」は、別の集客アプローチとしてユニークだ。今後も発売されるかはわからないが、「その手があったか」と思った他球団もあるのではないだろうか。
これができるのは、横浜スタジアムの立地も大きい。横浜の関内駅からすぐ、中華街へ行きやすい日本大通り駅からもアクセスできる。思い立ってふらっと立ち寄れる「街ナカ球場」なのだ。こういう街ナカ球場は、セ・リーグ関東エリアでいえば明治神宮球場、東京ドームがある。
もし、時間制チケットがあれば「会社帰りにちょっと寄ってみようか」という野球ファンがいるかもしれない。中日ドラゴンズは順位に関わらずバンテリンドームが盛況のようで心配ないが、広島東洋カープは「マツダスタジアム ガラガラ」で検索できるほど空席が目立つ時期があった模様。
もし本当に空席が目立つなら、関西方面でも「時間制チケット」にトライしてはどうだろうか。ファンを惹きつけるのは、もちろん第一には魅力ある試合展開だが、「安く観戦できそうなら参加してみたい」というライトファンの心をかきたてる仕掛けも必要だろう。
■いくらチケットが安くても…
ただ問題は、いくらチケットが安くても球場ビールの価格が高いことだ。すでに一杯900円という「トンでもプライス」なのだ。いっそ球場でも「60分飲み放題チケット」を導入して……いやいや、それはやめておこう。
ビールと言えば、先の「タイムチケット」で観戦場所になった「DREAM GATE STAND」では、こんな企画もあったようだ。
法人向けの「パートナーBOXチケット」で、最大10人までの貸切で価格は15万円。これに2.10リットルのビールサーバーとソフトドリンク20本がセットになっていた。さて、これが高いか安いか……。来シーズンも実施されるようなら、ぜひ誰か体験してほしい。

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松崎 のり子(まつざき・のりこ)

消費経済ジャーナリスト

『レタスクラブ』『ESSE』など生活情報誌の編集者として20年以上、節約・マネー記事を担当。「貯め上手な人」「貯められない人」の家計とライフスタイルを取材・分析してきた経験から、「消費者にとって有意義で幸せなお金の使い方」をテーマに、各メディアで情報発信を行っている。著書に『定年後でもちゃっかり増えるお金術』『「3足1000円」の靴下を買う人は一生お金が貯まらない 』(以上、講談社)ほか。

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(消費経済ジャーナリスト 松崎 のり子)
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