世界最大級の造形・フィギュアの祭典「ワンダーフェスティバル2023 Summer」が7月30日、幕張メッセ国際展示場1~8ホールにて開催された。様々な催しで大いに盛り上がった本イベントだが、中でも大きな目玉となったのは「DAICON FILM(ダイコンフィルム)大展示会」だ。


DAICON FILMとは、1981年に開催された第20回日本SF大会にして3回目の大阪コンベンション=「DAICONIII」を盛り上げる目玉企画として制作された短編アニメをきっかけに発足したアマチュア映像制作集団だ。
若き日の庵野秀明・山賀博之・赤井孝美の3人を中心に制作され、当時のアニメシーンに大きな衝撃を与えた伝説的短編『DAICONIIIオープニングアニメーション』、本家作品への本格的なアプローチがパロディの域を超えた実写作品『愛國戰隊大日本』『DAICON FILM版帰ってきたウルトラマン』、制作態勢を強化して商業アニメに並ぶクオリティを実現した『DAICONIVオープニングアニメーション』、そして完全オリジナルの怪獣映画『八岐之大蛇の逆襲』などなどアマチュア制作の域を超えた作品を生み出し、後に『王立宇宙軍 オネアミスの翼』や『新世紀エヴァンゲリオン』を制作するスタジオ「GAINAX」の母体となった存在である。

東京に続いて現在、大阪・海洋堂ホビーランドにて11月5日(日)まで開催中の本展示は、1983年に開催された「DAICONIV」40周年開催を記念しての開催。オープニングアニメのレイアウト・原画・セル画や実写作品のプロップ・衣装など貴重なアイテムが一挙展示され、古くからのファンは勿論のこと、若い世代のアニメ・特撮ファンからの熱い視線も集める好企画となった。

そのアイコンともいえるDAICONIII・IVの女の子――時代を超えてファンを魅了するキャラクターはいかにして生みだされたのか、本編のキャラクターデザイン・作画監督を担当した赤井孝美さんにお話をうかがった。

>>>貴重な作品資料が溢れかえる「DAICON FILM大展示会」東京会場の様子を見る(写真40点)

――まずは赤井さんが『DAICONIIIオープニングアニメーション』に参加した際のお話から伺えますでしょうか。


赤井 制作当初のオーダーは、かなり曖昧な感じだったんですよ。(プロデューサーの)岡田(斗司夫)さんからは「オープニングアニメは大阪を舞台にして、土地の名物をいっぱい出してほしい」という要望があって、その段階で小学生の女の子を出すことは決まっていました。
ところが、オーダー通りに作業が進んでいくうちに岡田さんや武田(康廣)さんが「この内容は違う!」と(笑)。「参加者からお金を預かって作っているから、君たちの芸術的欲求を満たすだけでは困る」と言われてムカッときたので、ちょっと意地悪な目線で作ったのが現在の『DAICONIII オープニングアニメ』なんです。

――ええっ、そういう経緯であんなパロディ満載の内容に?

赤井 そう、「結局(当時の)SFファンが好きなもの、全部入れりゃいいんだろ?」みたいなね。岡田さんたちも最初はあれこれカッコいいこと言っていましたけど、それを噛み砕いたならこういう内容のことだと思ったんです。

とはいえ、勿論僕らも学生とはいえプロとして関わっていたし、人に喜ばれるものにしようと頑張りましたし、あとは庵野(秀明)くんのパワードスーツ※がしっかり動けばみんな満足してくれるだろうと。

※ロバート・A・ハインラインのSF小説「宇宙の戦士」に登場する機動歩兵の主兵装。ハヤカワ文庫版で描かれたスタジオぬえデザインのものが本作のメインキャラとして活躍する。

――パワードスーツの登場は、当初からの決定事項だったんですね。

赤井 ですね。最初の打ち合わせに行ったのは山賀(博之)くんと庵野くんで、庵野くんがその場でパワードスーツをパラパラマンガで描いて動かしてみせて岡田さん武田さんたちを驚かせたそうですね。
あと、山賀くんが(しゃっくりを止めるために)息をしないでぶっ倒れてしまったり(笑)。

――すごい話ですね(笑)。

赤井 山賀くんの方が庵野くんよりよっぽど変人なんです。

(C)DAICON FILM

――さて、女の子のデザインはどのように決まったんでしょうか。

赤井 デザイン的には、当時のSF界隈で人気だった吾妻ひでおさんのテイストを入れたい、と。あとは(『ルパン三世 カリオストロの城』の)クラリスのイメージも。


――ああ、髪型がモロですね。

赤井 目の色とかもそうですね。そういう意味では非常に分かりやすい記号で出来ているキャラクターですね。そこで体操服&ブルマ+ランドセルという組み合わせと、今のブラウス&スカート+ランドセルという組み合わせの2パターンを提出しました。
僕はブルマ推しだったんだけど、最終的に山賀くんがスカートに決めたんじゃないかな。あとはネクタイなどで清楚なイメージを加えて、ランドセルからは様々な武器が飛び出して……みたいなことをやったらすごくウケたわけです。


――『DAICONIIIオープニングアニメ』の好評を経て、DAICON FILMの活動が本格化していきます。

赤井 『DAICONIIIオープニングアニメ』での山賀・庵野・赤井は、アニメを作るだけに召集された明治初期の雇われ外国人技術者みたいな気分だったので、この仕事を終えたらまた普通の学生に戻るはずだったんです。ところが夏の終わりの深夜喫茶に3人が集まって、話し合った末に「あの連中は面白いから、もうちょっと付き合ってみよう」ということになり、その翌々年に開催される「DAICONIV」ではもうちょっと踏み込んだ形で関わることになるんです。

で、僕の方からは「DAICONIVの宣伝や人員育成のためにフィルムを作りましょう」と提案したことから実写作品の『快傑のうてんき』『愛國戰隊大日本』『DAICON FILM版帰ってきたウルトラマン』を作って、さらに山賀くんや庵野くんはDAICONIIIで出来た伝手を頼って『超時空要塞マクロス』の現場に入って、プロの仕事を覚えてまた大阪へ戻って来たわけです。

――プロの仕事を辞めてアマチュアの仕事に戻るのがすごいですね(笑)。

赤井 で、『DAICON IV オープニングアニメ』に取り掛かるわけですが、IIIの女の子を超えるキャラを生み出すのはなかなかに難しいわけです。
そんな時、たまたま武田さんが「梅田にあるバニーガールの店に呑みに行こう」と誘ってくれまして。

――「the Royal」ですね。当時関西ではTVCMもやっているくらい有名なチェーン店でした。

赤井 はい、何度か通うことになったんですが、そこで見たバニーガールのインパクトはすごかったですね。純情な大学生にはとにかく刺激が強く「これぞまさしくセンス・オブ・ワンダーだ!」と(笑)。

鋭いハイレグが網タイツによっては太腿と鼠径部の境界線をすごく強調している一方で、ワイヤーの入った本格的なスーツがストイックにボディをガードしていて、実によく考えられたデザインだなと感心したんです。今でこそバニーガールはポピュラーですけれど、当時のアニメやマンガではほぼ見ることもなかったので「純情可憐な小学生の少女が一転、バニーガールになったら面白かろう」と。

――これは大きな出会いですね。

赤井 山賀くんとはすぐコンセンサスがとれたんですが、「おそらく岡田さんは嫌がるだろう」という話になったので、山賀くんが説得に行ったところ、案の定、「バニーガールは店でお酒を給仕する存在で、SFとは何の関係もないじゃないか!」と言い出したそうで。

――岡田さんって、結構お堅いタイプなんですね。

赤井 議論する時は理論武装して攻めてくる感じですが、納得してくれましたね。その後「赤井はバニーガールを描くために何度もthe Royalに通い詰めた」みたいな話も広まりましたけど、それは間違いなんです。

――むしろthe Royalのインパクトを元にしてデザインを起こしたわけですね。ちなみに、IVの女の子は何歳のイメージなんですか。

赤井 ああ、(IVは)「III」の2年後の開催なので、14歳ですね。

――あ、勝手にもうちょっと上の年齢だと思っていました。

赤井 (『新世紀エヴァンゲリオン』の)レイやアスカと同じ年齢と思えば、そこまで変でもないわけで(笑)。胸はあるけど、まだあどけない感じは出していたつもりだったんですが……作画が進むにつれて、何となく大人びていったんですね(笑)。

(C)DAICON FILM

――ビデオソフトに収録されていたメイキング映像で、タイツのカラーバージョンがいくつも出てきていたんですが、決定までに悩まれたのでしょうか。

赤井 そうですね、プロが色見本をいくつも作って検討しているのを知ったので「自分たちもやってみるか」と。最終的に山賀くんが決めて「紫か……」とは思ったんですが、見慣れると気にならないですよね。

――ちなみに赤井さんは何色を推されていたんですか。

赤井 ハッキリと覚えていませんが、本物(the Royal)に近いブラウン系だったんじゃないですかね。

――DAICON FILMは全国で上映会を活発に行って、一方で「ゼネラルプロダクツ」(DAICONIII終了後、岡田斗司夫が大阪で開業したSF専門ショップ)でもDAICONアニメの関連商品が続々と発売されましたね。

赤井 当時はああいうアニメグッズが珍しい時代だったので「これは絶対売れる!」と思って、一生懸命にイラストを描きましたねぇ。立体物だとメタルフィギュアは良い出来でした。あの頃のガレージキットはまだ玉石混交でしたが、さすがBOMEさん※の作品は可愛くできていました。

※美少女フィギュアというジャンルを開拓した海洋堂所属の原型師。ゼネラルプロダクツで発売したBOME氏原型の『DAICONIIIの女の子』はBOME氏が初めて製作した美少女フィギュアだという。2022年、文化庁長官賞受賞。

――今の目線で見て、改めて女の子の印象はいかがですか。

赤井 もう40年も経っているので美少女キャラのイメージも変わってきていますし、流行りのアニメの絵柄も入ってきて……実は自分でも女の子を描いていて「似てないな」と思うこともありまして(笑)。

――赤井さんご自身のスキルも上がっていますからね。

赤井 昔と同じじゃつまらないだろう、という気持ちもあったりするんですけれど、シンプルなキャラクターなので、ちょっとでもニュアンスが違うと印象が変わっちゃうんですね。

――DAICONIVの女の子は、「バニーガールキャラの祖」みたいな印象もありますが、その辺りはどう思われていますか。

赤井 それはどうなんでしょう。後に鳥山明さんも『ドラゴンボール』でブルマのバニーガール姿を描いていますし……でもまあ、「漫画にバニーガールを出してもいいんじゃないか」という素地は作ったのかもしれません(笑)。

――夜の世界で展開されていたセクシーな衣装にポピュラリティを持たせたことは大きいですよね。

赤井 そうですね。それもSFとバニーガールという要素の落差を楽しんだ結果ですよね。

――では最後に、今回の「DAICON FILM大展示会」をご覧になっての感想をお聞かせください。

赤井 まさにタイムカプセルですよね。よくあんなものが残っていたな、と。しかも2020年代にあんなに人が集まってくれて……何周もして、ああいうものが受け入れてもらえる時代が来たんだな、と改めて思います。

赤井孝美(あかい たかみ)
1961年、鳥取県米子市生まれ。大阪芸大時代に仲間と日本SF大会「DAICON Ⅲ」のオープニングアニメーションを制作。それをきっかけに設立したDAICON FILMで『愛國戰隊大日本』(監督)『DAICON FILM版帰ってきたウルトラマン』(特技監督)『八岐之大蛇の逆襲』(監督)などを手掛ける。1985年にはアニメ制作会社GAINAX立ち上げに加わり、ゲーム「プリンセスメーカー」シリーズほか数多くのアニメ・ゲームタイトルの制作に関わる。2014年に米子ガイナックス株式会社を設立し、短編特撮シリーズ『ネギマン』やWebアニメシリーズ『ガイナタマガー』の制作など、多岐に渡って活動中。

(C)DAICON FILM