3月16日、新潟日報メディアシップ 日報ホールにて「第2回新潟国際アニメーション映画祭」のイベント上映「湯浅政明とアニメーションの動き 短編特集」が開催。作品上映の前後には湯浅監督が登壇し、作品に関する貴重なトークが展開された。


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タイトルどおり、今回の特集上映は湯浅監督の短編5作品を集めた内容に。スクリーンで観ることがなかなかかなわないタイトルがまとめて観られるということもあってか、会場には多くの観客が駆け付けた。
監督デビュー作となる『なんちゃってバンパイヤン』(1999)は、テレビアニメ『バンパイヤン・キッズ』(2001~2002)のパイロットフィルムとして制作されたもの。「いろいろ教わったり怒られたりしながら作った作品です。ちょうどデジタルでの作業が始まった頃で、普通1秒24コマのところを30コマで作られれています」と説明。
それより以前に手がけた『ちびまる子ちゃん』や『クレヨンしんちゃん』での絵コンテや演出で手ごたえを感じたこと、またアニメーターとしての自身の伸びしろを感じられなかったことを理由に監督への道を歩み始めた、と転身の理由を語った。


『スライム冒険記 海だ、イエ~』(1999)は『ドラゴンクエスト』のスライムを主人公にした、かねこ統原作のコミックをアニメ化した作品。「Vジャンプフェスティバル」で上映されて以後、あまり上映される機会がなかった貴重な1作だ。イベント上映ということで制作時に「映画」を意識したと語り、最後のフィルム作品として印象深いという。自身にとっては最後のフィルム作品かつセルアニメということで、アナログ感を大事にして制作したという。

『夢みるキカイ』(2007)は、『マインドゲーム』以後もスタジオ4℃に残る必要がある中、オムニバス映画『Genius Party』に参加して制作した1作。機械仕掛けの家で育てられていた赤ん坊が殺伐とした荒野へとはき出される。
荒野で見つけた4本足のバイクを駆り、いつの間にか老境へと至った主人公が長い旅の果てに見つけたものは……。
「自分が子供の頃自由でいられたのは、そういう環境を作っている大人がいたからなんですね。でも自分が成長したら、こんどはその環境を作る立場に変わっていくんだな、という感じた時期の気分を反映した作品です」とコメントした。

『キックハート』(2012)は、当時としては珍しいクラウドファンディングを活用して制作されたSMプロレスコメディという異色作。
湯浅監督は「少数のスタッフで制作したため(現場は)とにかく大変だった」と当時を振り返り、特に印象的なビビッドな色遣いとアメコミタッチの絵柄は「三原三千夫さんのキャラデザインで、乾いたアメコミっぽさを目指しました。海外の人にはウケるんじゃないかなと思っていたら、そこまで(国内の反響と)大差はなくて。
この辺りから日本と海外の作品への反響のタイムラグがなくなっていったんですね」と語った。

『アドベンチャー・タイム/フードチェーン』(2014)は、アメリカ「カートゥーン・ネットワーク」で放送された人気アニメシリーズの人気エピソード(第80話)で、アニー賞にもノミネートされるなど評価の高い1作だ。
主人公のフィンとジェイクが、メタモルフォーゼを繰り返しながら食物連鎖の流れを学んでいく内容だが、そもそも海外で注目され始めたのは『マインド・ゲーム』(2004)がきっかけだったのでは、と語る湯浅監督。「メジャー作品で好き勝手やっているのを見て、向こうのアニメーターの人が『元気が出た』とか言ってくれているみたいです」とのこと。『キックハート』をきっかけにして話を貰った際には「何らかの形で作品に関われたらいいな」くらいのつもりだったが、即座に「(エピソードを)作ってくれ」という話になり驚いたという。絵コンテ作業はコマを横に並べてスタッフとディスカッションして進めるなど、制作の工程なども日本と違い、大きな刺激を受けたそうだ。


初監督作品から25年を経て何か変化はあったか、という問いには「ストーリーや ”どういうものを作るべきか” を考えるようになった」という回答が。自身がアニメーターということもあり、初期はアニメーターやスタッフがやりやすい様な形を考えていたが、『マインド・ゲーム』に「わかりにくい」という意見を貰ったことから、もっと広く作品を伝えることを意識しているという。

前日に映画祭で上映された『犬王』(2021)の話題や音楽について、また気になる次回作に関して「現在いろいろな企画をやっています」などと、自然体でトークを進めた湯浅監督。
観客との質疑応答を経て、最後に「アニメーションの楽しさはどこにあるのか」と問われると「何でしょう……全然わからないですね。楽しい瞬間もあれば面倒くさい、大変だと思う時もありますし。でも『全部人が作ったもので何かを表現できるはずだ』と思って取り組んでいます」と自身の思いを明らかにして、イベント上映は幕を閉じた。