レトロフューチャー、SF、スチームパンク、猟奇、幻想……さまざまな言葉で表現することができて、しかしそのどれとも少しずつ異なる、そのすべての要素を兼ね備えながら全体としては圧倒的に唯一無二の世界観が、ここにはある――。
個性的な作品で注目を集めていたアニメーション作家・塚原重義が満を持して放つ長編アニメーション作品が4月12日(金)より、何と2作同時に公開となった。

『クラユカバ』と『クラメルカガリ』は共通の世界観を背景としながら異なるテイストの物語と映像世界を展開する、それぞれに独立した長編アニメーション映画。いずれも塚原監督の世界の深さや広さを証明すると同時に、エンタテインメントとしてストレートに楽しめる必見の作品となっている。
今後、大きな話題となるであろうこの2作品について、塚原監督に話を聞いた。

◆下町とレトロ感への親しみ◆

――『クラメルカガリ』と『クラユカバ』は、塚原監督が構築した共通の世界を舞台としています。塚原監督が以前から短編作品などを通じて展開してきたこの世界観は、どこにルーツがあるのでしょうか。

塚原 何かはっきり「これ」というベースがあるわけではないのですが……自分で想像するに、ひとつは自分が生まれ育ったのが東京の下町だということ。
谷中、根津、千駄木、いわゆる「谷根千」と呼ばれて、戦前からの古い建物が多く残っている地域なんです。それに加えて父の影響で、昭和30年代とかの古い邦画を観るのも好きでした。子どもの頃からレトロ調のものへの心の距離が近かったというのは多分大きいかなと思います。
 あと、小さい頃から遊んでいた公園が「神明都電車庫跡公園」という名前で、路面電車(東京都電)の車庫跡を公園にした場所だったんです。公園の隅に古い都電が飾ってあったりして、古いメカニックへの興味はそのへんがルーツなのかなという気がします。「昔、この場所はこんな風になっていたんだよ」という話を周りの大人から聞く機会も多かったし、そこから過去の風景を想像することは小さい頃から、それこそ幼稚園の頃から自然にしていました。
そのあたりも結構、ルーツなのかなと思ったりしています。

――今回の2本では、まず『クラユカバ』が先に動き出したそうですね。

塚原 そもそもは、2012年に自主制作した「端ノ向フ」という作品を作り終わった後に、今度はこのテイストでもっとエンタメ性が高くて尺も長いものを作りたいと思ったのが出発点です。「端ノ向フ」はそれ以前の自主制作の総決算という思いで、その時点でできうるかぎり濃いものができたと当時は感じていました。だから、今度は商業作品としてエンタメ性の高いものを作りたいと思った、というのが『クラユカバ』のスタートです。
 ただ、そこからなかなか企画がうまくまとまらずに、最終的に2018年末にクラウドファンディングを実施して、ようやく制作に入ることができました。
結果として、その長い「準備期間」に鬱屈していた自分のドロドロが『クラユカバ』には込められて、私小説的な内容になっているかもしれません。一方『クラメルカガリ』は、『クラユカバ』で一旦”ドロドロ”を吐き出すことができたおかげで、まっさらな状態で作れたので。より純粋にエンタテインメントメが作れたかなと思います。

――確かに『クラユカバ』のほうが「塚原監督の世界」という感覚が強く、『クラメルカガリ』はもう少し一般のアニメ寄りという印象を受けました。

塚原 それはよく言われます(笑)意識的に作り分けたつもりはないですが、結果的には2本それぞれカラーの違いがあって良い感じにできたなと思います。

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※塚原監督の「塚」は正しくは旧字体です

◆神田伯山の声で形になった主人公像◆

――『クラユカバ』はまず荘太郎という主人公が非常に魅力的でした。
どこか鬱屈して自堕落にも見えるし、心の内に何か秘めているようにも見えるし。

塚原 荘太郎はまさに、鬱屈していた時期の自分なんですよ(笑)。特に序盤の荘太郎のウダウダした感じは、企画が決まらずにウダウダしていた頃、昼過ぎに起き出してグズグズして……みたいな毎日を送っていた自分の色が濃いと思います。もちろん魅力的な主人公にしたいと思っていましたが、オリジナリティもほしい。それって何だろうと考えたら、自分を投影するしかない。自分を投影した分だけ客観性がなくなりますが、かわりに解像度は無限大にあがるんじゃないか、と感じて意図的にそうしました。
そんなキャラクターが、神田伯山さんに演じていただいたことで自分から離れて、独立した一個の”人格”になったんです。

――伯山さんをキャストに選んだのは監督ご自身ですか?

塚原 最初は、本編で稲荷坂というキャラを演じた活動弁士の坂本頼光の推薦でした。彼とはもう長年の友で昔の短編にも出演してくれているのですが、彼が伯山さんとも友達で、まだ伯山になる前の神田松之丞時代から「すごくいいよ! 紹介しようか?」と言われていたんです。そうしたら今作で、プロデューサーから「神田伯山さん(に出演してもらうのは)どう?」という意見が出て。そこでつながって、「なるほど、いいかもしれない」となりました。ただ、現場で最初のセリフをしゃべってもらうまでは正直、冒険でした。
荘太郎というキャラクター自体がまだ自分と切り離せていない時期だったので、「このキャラクターはどういう声なんだろう」とまだ客観的に言語化できていなかったんです。でも、伯山さんが最初のセリフをしゃべった瞬間に「ああ、荘太郎だ!」と感じられて。その時に荘太郎というキャラクターが生まれた、伯山さんが荘太郎を独立した存在に具現化してくれたと思います。

――個々のキャラクターや背景、ガジェットももちろん魅力的ですが、何より映画全体から漂ってくる雰囲気が独特で惹かれました。「どんな画面を作るか」という大きな方向性はあったのでしょうか。

塚原 言語化するのは難しいです。実際に観ていただいて「こういうことだよね」としか言いようがないのですが……でも、何となく「湿度」を持った世界を描きたいというのは大きいかもしれないです。全体に澄んだ空気の場面は少ないはずです。

――全体に空気がどこか淀んでいて、透明感のない世界。

塚原 世界に謎が多く含まれていますが、それは主人公からは見えない――何が見えて何が見えていないかは、かなり意識して作っていて、それを「空気の層」で表現するということはやっているかなと。あとは、荘太郎と関わるタンネというキャラクターが、『クラユカバ』という作品全体のある種の妖艶さの代表格と言えますね。別に直球でセクシーではなくカラッとしているけれど、そこから妖しさとドライさ、そして少しのポップさも漂う。作中の「クラガリ」という概念をキャラクターとして体現しているのはタンネなのかなと思います。

※塚原監督の「塚」は正しくは旧字体です

◆群像劇と私小説的世界◆

――一方で『クラメルカガリ』は、クリアでこそないですが『クラユカバ』に比べるともう少し明るい作風です。

塚原 明るいですね。先ほども言ったように、『クラユカバ』を作って”憑きもの”が落ちた結果かもしれないです。

――『クラメルカガリ』は成田良悟さんの短編小説がシナリオ原案です。その点も『クラユカバ』との感触の違いに関連するのでしょうか。

塚原 どうなんですかね。成田さんが自分の世界観に寄せて書いてくださっているので、成田さんの原案でありつつ”自分の庭”のような感覚はありました。でも、キャラクターの動き方などは確かに自分の発想にはないもので、そこはありがたかったですね。

――原案となる短編を読んだ時、最初はどんな印象を受けられましたか?

塚原 最初は「恥ずかしいなぁ……」と(笑)。自分の過去作からネタをいろいろ拾ってくれていたのですが、特に学生の頃に作った設定などは持ち出されるとちょっと照れくさかったです。でも小説としては非常に面白いし、クラウドファンディングの返礼用に書いていただいた小説だから読む人も限られるので、まあ良かった。成田さんありがとうございました! という気持ちだったのですが、その後「映画になるよ」と聞かされて「えっ、どうしよう?」と。プロットが面白いのは間違いないのですが、そういう”過去の自分”との折り合いをどうしようかなと少し悩みました(笑)。

――なるほど(笑)。

塚原 でも、そういう部分もありつつ、純粋に映画として面白いモノを作ろうという気持ちが大きかったかな。

――こちらもカガリという主人公が魅力的です。成田さんが生み出したキャラクターを描いてみて、手応えはいかがでしたか?

塚原 カガリ、可愛いですよね(笑)。可愛いキャラになってよかった。カガリも実は難しいんです。捉えどころのないフワフワした雰囲気を持っていますから。

――カガリは可愛くて魅力的ですが、観ている側に妙に媚びてこない。『クラユカバ』のキャラクターにも通じるのですが、あざとさがないのが気持ちよかったです。

塚原 ああ、そこは確かに。はっきりと意識はしていないですが、そうなっていますね。みんな自由に生きている感じです。カガリを演じた佐倉綾音さんもオーディションのテープを聴かせていただいて、カガリのセリフを読んでもらった声ももちろんですが、その前の自己紹介の雰囲気、ご本人の素のままがいいなと思ったんです。だから収録現場でも「普段のしゃべり方でやってください」とお願いしました。そういうところも作っていない感じというのかな、言葉にすると安っぽくなってしまうけれど、いわゆる”天然な雰囲気”につながったかと思います。

――『クラユカバ』と『クラメルカガリ』を2本並べて観ることで、お互いの魅力がより引き立つようにも感じます。

塚原 ああ、そうだとありがたいですね。

――監督としてどちらから先に観てほしいという意向はありますか?

塚原 いえ、それはないです。どちらから観ていただいても問題ないように作っていますし、逆に、片方を観たらもう片方も観てほしいと思います。というか、きっと1本観たらもう1本が気になるはずです。それぞれのオススメポイントを言うならば、『クラメルカガリ』はいろいろなキャラクターがわちゃわちゃしている群像劇として楽しんでほしいですね。そして『クラユカバ』は荘太郎というキャラクターを通してクラガリに深く、深く潜っていくような雰囲気、より主観的に没入するような映画になっていると思います。その違いもぜひ、楽しんでいただければ嬉しいです。

※塚原監督の「塚」は正しくは旧字体です