英国のBBCがジャニー喜多川の少年愛スキャンダルをとりあげたらしい。欧米のメディアは時々、日本のアイドル文化にケチをつけるので、今回もそういうものだろう。



 秋元康のAKB商法も問題視されたことがあった。結局のところ、彼らはうらやましいのかもしれない。日本のアイドル文化は独特で、欧米には真似できないような魅力的なものだからだ。



 その根幹にあるのが、歌である。昭和の時代の山口百恵「青い果実」やおニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」など、少女のエロスを音楽化したような作品が作られ、人気を博してきた。「少女A」で中森明菜のブレイクにひと役買った作詞家・売野雅勇もこんなことを言っている。



「アイドルとはいかに媚びをシステム化するか、だ」



 媚びというと、松田聖子のぶりっこが連想されるが、明菜のツッパリもまたあまのじゃく的な媚びだろう。だからこそ、明菜は聖子と好対照なアイドルとしてライバル的に支持されたのだ。



 そんな昭和のアイドルソングについても語りたいが、ここでは比較的記憶に新しい平成以降のものについて紹介することにする。



 平成最初のトップアイドルといえば、広末涼子。デビュー曲は「MajiでKoiする5秒前」だ。



 へそ出しルックで初デートに出かけた少女があの手この手で彼氏をその気にさせ、その日のうちにキスまでしてしまうという内容。

さすがはその後、月9ドラマ「できちゃった結婚」(フジテレビ系)に主演し、実生活でも二度のデキ婚をする人である。



 そんな「マジ恋」よりも過激だったのが、SPEEDのデビュー曲「Body & Soul」だ。



「痛い事とか恐がらないで」「もっと奥まで行こうよ」という詞は、セックスの暗喩。これがリリースされたとき、最年少の島袋寛子は小学校6年生(12歳)で、他のメンバーも中1、中2、中3だった。島袋はその後、中3で半同棲。他のメンバーも忙しさのストレスを発散するように恋をして、それがグループ解散にもつながった。少女たちを盛りのついた猫みたいにしたのは、このデビュー曲だったのかもしれない。



 続いて、ハロー!プロジェクト勢がアイドルシーンを席巻する。





■ロリコン系のアイドルファンに幸福をもたらした

 モーニング娘。のメジャーデビュー曲「モーニングコーヒー」は、彼氏と初めての朝を迎えることへの憧れがテーマ。最年長の24歳で元OLだった中澤裕子はともかく、当時13歳(中1)の最年少メンバー・福田明日香にとってはけっこう背伸びした世界だったはずだ。



 ハロプロ最強のアイドル・松浦亜弥では、セカンドシングルの「トロピカ~ル恋して~る」がエグかった。

彼氏に南の島への海外旅行に誘われる歌だが、当時はまだ14歳。大胆な水着を買ってはみたものの「これをマジで着るのね」と焦ってダイエットしようとする乙女心が可愛い。しかも、あややはへそ出しの衣裳がトレードマークだったから、そんな彼女が焦るほど大胆な水着とはいったい…という妄想までかきたててくれた。



 さらに、ミニモニ。では身長150センチ以下のメンバーを集めて童謡ポップス的な世界を展開。当然、世間の子供たちにもウケたが、そのことがロリコン系のアイドルファンにも幸福をもたらした。イベント会場では、ミニモニ。の4人だけでなく、親に連れられて集まる子供たちの姿にも萌えることができたからだ。



 ハロプロはメンバーの卒業・加入による新陳代謝や、ユニット結成などにも積極的で、いわば平成のおニャン子、あるいはそれ以上によりどりみどり的な状況を出現させた。これに対し、かつておニャン子にも関わった秋元康が逆襲する。



 2005年、AKB48を生み出し「会いに行けるアイドル」を標榜。そのコンセプトに合わせるように、握手会を主要戦略に組み込んだ。

CD(かつてはレコード)を買うとアイドルと握手ができ、束の間の会話が楽しめるというのは、昔からあるが、あくまでイレギュラーな企画。AKBはこれをレギュラー化したのである。



 これはある意味「合法的売春」としてのアイドル文化を最大限に活用したものだ。女性最古の職業は娼婦、などともいわれるように、売春は長年、仕事としても機能。江戸時代には遊郭が栄え、せめて会話だけでもと花魁に大金をはたく男たちもいたという。



 ここ数十年、セックスを目的とした売春は違法とされているものの、風俗やパパ活のような抜け道も重宝されている。男性はもとより、女性にとってもホストのような存在がいて、性的な歓びを金で買うというのは人間において不即不離的な営みなのだろう。



 アイドルもまた、そういう本質的欲望が生み出し、支えてきた文化だ。秋元はそのあたりを熟知しているように思える。







■ファンのアイドルに対する性的な欲望を喚起

 たとえば、AKBのメジャー2作目「制服が邪魔をする」。そこには、平成版「セーラー服を脱がさないで」ともいうべき世界観が託されていた。放課後に渋谷で好きな男とデートしている女子高生がキスやハグ、さらにはその先への渇望をつのらせるという内容。

「会いたかった」の次のシングルにこれを持ってきたのは、アイドル及びアイドルポップスとはこういうものだという確信のあらわれでもある。



 AKBはPV制作にも力を入れ、なかでも「ヘビーローテーション」のそれは話題になった。監督は蜷川実花。下着姿ではしゃぐメンバーたちの振り切れたお色気がまぶしく、パワフルな映像作品だ。こういうものもまた、男たちの欲望を暴力的なまでにかきたて、CD購入、握手会へと走らせた。



 そんなAKB商法の極みというべき選抜総選挙では、推しの子の順位を上げて感謝されたい、自慢したいというファンの意識を巧みに刺激。そうやってアイドルたちがちやほやされる姿は、同性からの憧れも引き出した。いわば、少女のセックスアピールをヘビーローテーションさせたことが、日本中を巻き込むブームへとつながったのだ。



 秋元が彼女たちに書く詞には「僕」を一人称にした男目線のものも目立つが、恋愛(性欲)至上主義的なところは変わらない。たとえば、日向坂46のデビュー曲「キュン」にしても、電車のなかで好きな子の一挙手一投足に萌える男の歌。しかし、大量の女の子たちによる「キュン」の連呼が性別を無化し、せつなくも愉しい恋の空気感をかもしだす。ストーカーかよというツッコミも飛び出したものの、恋とはもともとそういうものだ。



 ただ、時代を読む才覚にも長けた秋元は、昭和の頃のような無茶はしない。乃木坂46のデビュー曲「ぐるぐるカーテン」ではいわゆる百合的な雰囲気を上品に描いて、AKBとの差別化に成功した。しかもこのとき、女の子同士のこういう世界にも萌えさせられることに気づいた男は少なくないのではないか。



 そういう意味で、欅坂46のファーストアルバム「真っ白なものは汚したくなる」に収録された問題作「月曜日の朝、スカートを切られた」にも、瞠目させられた。





■アイドルポップスがやっぱり最強の理由

 満員の通学電車で何者かにスカートを切られた少女のやり場のない怒りとあきらめを描き、尾崎豊あたりのメッセージソングも想い起させる内容。しかし、タイトルにもなっている光景が鮮烈すぎるため、視姦的かつ嗜虐的な萌えも刺激する。どこまで狙っていたかは不明ながら、社会派的な装いにエロスを潜ませることに成功した快作といえる。



 フェミニスト界隈からは「女性蔑視」「不謹慎」という批判も出たが、そういう人たちを怒らせるようなところにこそ、アイドルソングの魅力がある。無茶はせずとも、ギリギリを攻められるのが、秋元の真骨頂だ。



 最後にもうひと作品、ややマイナーながら、夢みるアドレセンスの「メロンソーダ」にも触れておこう。



 作詞作曲を手がけたのは、ロックバンド・ハンブレッダーズのムツムロアキラ。メロディーは前出の「ヘビーローテーション」あたりを思わせる。

詞の内容は、アイドルでありながら一般の男の子に思いを寄せる少女の禁断の恋だ。



 その男が他の女子を好きなのではと気をもみながら「わたしがいちばん可愛いのに」と拗ねてみたり、もし告白されたら「アイドルだって辞めちゃうから!」と決意してみたり。なかでもグッとくるのが「間接キスが恥ずかしくて」メロンソーダをひと口も分けてあげなかった、というタイトルにもつながるエピソードである。



 恥ずかしがる少女の姿ほど、萌えるものはない。前出の作詞家・売野雅勇もかつて「赤面するという気持ち」について「感情が持っているいちばん美しい機能」だと語っていた。



 ちなみに、昭和のアイドル・桜田淳子は通算8作目のシングル「はじめての出来事」で初キスを歌い、生涯唯一のオリコン1位を獲得した。突然の口づけによる「はげしいはじらい」で揺れ動く彼女に、コアなファン以外も欲情し、同性は憧れたのだ。



「メロンソーダ」にはそんな古き佳きアイドル歌謡の伝統が半世紀近くたってもまだ受け継がれているという歓びを感じた。希望はまだまだ捨てずに済むだろう。



 世の中に少女がいて、アイドルという文化がある限り、アイドルソングは最強だ。





文:宝泉薫(作家・芸能評論家)

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