何が起きるか予測がつかない。これまでのやり方が通用しない。
◾️歴史の奥底に沈んでいた「米軍部隊UDT」の存在
年の初めに読む最初の一冊を何にするか――。
毎年頭を悩ませる問題である。
いつかは読もうと思っている古典、例えばギボンの『ローマ帝国盛衰史』やダンテの『神曲』に挑戦してみようか、いや正月なので日本について改めて考えるため小林秀雄の『本居宣長』でも読むか、いやいやそんな肩肘張らずに大好きなカポーティの小説にしようかな、などとさんざん考えた挙句、結局仕事の本を読んでしまったりする。
去年は映画公開に合わせ、本を紹介する急ぎの仕事があって、『ハウス・オブ・グッチ』を読んだ。世界的高級ブランド「GUCCI」を経営するグッチ家の骨肉の争いを描いたノンフィクションで、映画では、主役の三代目社長夫人パトリツィアをレディー・ガガが演じて話題になった。
今年は幸いそうした仕事がなかったので、年末に日本橋の高島屋で正月の買い物をしたついでに向かいの丸善に行き、年明けに読む本を探した。文芸の本棚を一通り物色した後に歴史の棚に移った時だった。平積みにされている深いブルーの表紙の本に目が止まった。「フロッグマン戦記」とタイトルが白抜きされ、帯には「最強の、特殊工作部隊あのネイビーシールズはここから誕生した!」という黄色の文字があった。
私は特に戦史に興味を持っているわけではない。「あのネイビーシールズ」と言われても、それがどういうものなのかさえよく分からない。けれど何故か気になって手にとった。訳者あとがきを走り読みし、この本がアメリカ海軍の特殊部隊「UDT(水中解体チーム)」について書かれたノンフィクションであることが分かった。
普通ならそこで本を棚に戻すところだが、私はそうしなかった。本をレジに持っていって購入し、元日から読み始めたのである。何故かと聞かれても自分でも理由が分からない。ただ読みたかったから、としか言いようがない。あるいはこういう言い方ができるかもしれない。
私はこの本に呼ばれた――。
フロッグマン戦記 第2次世界大戦米軍水中破壊工作部隊』アンドリュー・ダビンズ著/辻元よしふみ訳(河出書房新社)" />
第二次世界大戦末期に連合軍によって実施されたノルマンディー上陸作戦は兵力の凄まじさから「史上最大の作戦」と言われる。映画の題材にもなっているが、最も有名なのは『The longest day(邦題「史上最大の作戦」)』(1962年)だろう。
原題を直訳すれば「もっとも長い日」となり、その日は1944年6月6日である。この日の未明からの英軍によるグライダー、パラシュート降下が始まり、艦艇約600隻の援護の下、4000隻の輸送船艇が5個歩兵師団、3個機甲旅団基幹の兵力をノルマンディーの海岸5か所に上陸させた。映画には、上陸用舟艇に乗った連合軍の兵たちが次々に海岸に降り立ち、直ちにドイツ軍と激しい銃撃戦となる場面があるが、実はこの兵たちよりも前に海岸に潜入した者たちがいた。米軍部隊UDTである。彼らは泳いで敵地に潜入し、ドイツ軍がノルマンディーの海岸に設置した障害物を解体、破壊し、味方が進む道を作ったのだ。
敵が海から上陸してくるのであれば、海岸に障害物を置くのは当然だろう。またそれを破壊しなければ上陸できないのも当たり前だ。けれど私はこれまで、第二次世界大戦でそんな解体隊員が活躍した話は聞いたことはないし、映像で見たこともない。勉強不足と言われればそれまでだが、一度もその存在に触れたことがないのが不思議だった。
それがどうしてなのか、この本を読んで分かった。UDTは米軍の極秘部隊であり、第二次世界大戦中は存在そのものが秘密だった。1962年にケネディ大統領の下、米軍海軍特殊部隊ネイビーシールズが結成され、ベトナム戦争で活躍。
◾️恐らく最後のUDTの隊員 ジョージ・モーガンにインタビュー
著者のアンドリュー・ダビンズは、2022年において存命の、恐らく最後のUDTの隊員であるジョージ・モーガンにインタビューを行い、彼が語る話を主軸に、この本をまとめあげた。しかし、当時17歳だったジョージの話だけでは信憑性に欠けてしまう。そこで、UDTの生みの親ともいえるドレーパー・カウフマンをはじめとする他のUDT隊員のオーラル・ヒストリーやUDTの事後報告、公刊された歴史で補足を行った。
こうした説明だと堅苦しい歴史書のように思われるかもしれないが、ジョージとドレーパーを中心に、ロンメル、マッカーサー、ニミッツ、アイゼンハワーら歴史上の人物がからむ群像劇となっていて、まるで物語を読むように面白い。
いちばん驚いたのは、UDT隊員の多くが軍での経験の浅い十代の若者たちだったということだ。
例えばジョージの場合、17歳で志願して海軍に入隊した一ケ月後の面接で「泳げるか?」と聞かれ、「もちろん。私はライフガードでした」と答えたことが、海軍戦闘解体部隊に志願したとみなされた。状況がよく分からないまま過酷な訓練を課され、実践経験がないにもかかわらず、いきなりノルマンディー上陸作戦の解体隊員として戦地に送られたのである。
映画『史上最大の作戦』のオマハビーチの戦闘シーンは凄まじかった。海岸に上陸した連合軍の兵士たちはドイツ軍による断崖上からの重砲、追撃砲、ロケット砲、焼夷弾、機関銃、小銃の攻撃にさらされ、水辺は地獄絵図と化した。そのさなかもジョージを含むUDT隊員たちは海の中で障害物を破壊する任務を遂行し、軍から要求されていた16の突破口のうち13を開いたのである。
UDTは日本とも深く関わっている。何故なら、ノルマンディー上陸作戦に勝利した後、隊員が送られたのが硫黄島だからだ。
1945年2月19日、アメリカ海兵隊6万1000人が硫黄島に上陸。日本軍は天然の洞穴や岩場を利用して構築した地下陣地から応戦したが、一ケ月以上の攻防の後、3月26日に栗林忠道陸軍中将が自決し日本軍の抵抗は終り、アメリカ軍が硫黄島を奪取した。
この戦いにおいてもUDT隊員は大きな役割を果たしている。
ジョージを含む隊員たちは島から600メートルも離れたところに止められた舟艇から冷たい海に入り、泳いで島に近づきながら25ヤードごとに水深を測定し、島に上がると、海岸の砲台の位置や海辺の地形を調べ、上陸を予定している地点の障害物の有無を確認し、島の土を採取して持ち帰った。
彼らが持ち帰った情報により、島周辺の海図が作成され、上陸作戦が組まれた。自らの手で島の黒い土に触ったドレーパーは「こういう種類の砂なら、装輪車両でも通行できる」と判断した。
UDT隊員たちはリアルタイム・マッピングという偉業を達成したのであり、これがなければ、硫黄島の攻略は失敗していたかもしれないのだ。
◾️フロッグマン(蛙男)たちの存在が浮上するのはいつの日か
硫黄島の戦いといえば、アメリカと日本双方の視点から描いたクリントイーストウッド監督の映画『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』が有名だ。
どちらの映画も、アメリカ軍と日本軍の戦闘シーンを詳細に描いているが、そこにUDT隊員たちの姿はない。敵弾が降り注ぐ中、半裸で海中を泳ぎ(この頃はまだウエットスーツがなかった)、調査をしたり、障害物を破壊したりするフロッグマン(蛙男)たちは存在そのものがかき消されているのだ。
読了した後、私はしばらく呆然としていた。
これまで、とても大切なことを知らずに生きてきたような気がした。
目に見えるものだけが全てではない――。
きっとこの本はいつか映画化されるだろう。その時、初めてフロッグマンたちは公の場に姿を現す。そして以降の第二次世界大戦の戦争映画には必ず彼らが登場するようになるに違いない。
文:緒形圭子