「まさかオレが!? 脳梗塞に!」ある日突然人生が一変。衝撃の事態に見舞われ仕事現場も大混乱!現役出版局長が綴った「半身不随から社会復帰するまでのリアル奮闘日記」。
誰もが発症の可能性がである「脳卒中」。実際に経験したものでないと分からない〝過酷な現実と絶望〟。将来の不安を抱えながらも、立ち直るべくスタートした地獄のリハビリ生活を、持ち前の陽気さと前向きな性格でもって日々実直に書き留めていったのが、このユーモラスな実録体験記である!
リハビリで復活するまでの様子だけでなく、共に過ごしたセラピストや介護士たちとの交流、社会が抱える医療制度の問題、著者自身の生い立ちや仕事への関わり方まで。 克明に記された出来事の数々は、もしやそれって「明日は我が身!?」との声も!? 笑いあり涙ありの怒涛のリハビリ日記を連載で公開していく。
第5回は「病院では転倒に一番気をつけろ! もし転倒したらインシデントレポートだ!」
出版局長の明日はどっちだ!? 50代働き盛りのオッサンは必読!
第5回病院では転倒に一番気をつけろ! もし転倒したらインシデントレポートだ!
◾️9月1日月曜日
朝の自主トレは腕の筋トレの種類が増えたので運動量も増えて、けっこうな量の汗が出るもんだ。
自主トレが終わり着替えていると、看護師さんが月一回の採血に来られた。
素っ裸ではなかったが、入浴介助ですべて晒しているから、いまさら恥ずかしいとは思わない(泣)
今日は午前中は手と腕のリハビリ。
ストレッチは目を剥くほどの痛みだが、それ以外はなんだか眠くて仕方がない。
夜はしっかりと寝ているはずなのに、はたしていったいどうしてなんだろうか?
午後は足のリハビリ。
最近は歩き方でセラピストさんたちから指摘を受けることがない。
安定の歩き方になってきたけれど、最大の課題は体力不足。
これは歩く距離を延ばして身につけるしかない。
早く自立4[注]へとなるのが当面の目標だ。
リハビリの合間もマシンで自主トレ。
部屋でも歩きまわり、とにかく自分で出来る体力作りは地道に行うしかないのだ。
[注]
自立
リハビリの自立度は、**FIM(機能的自立度評価法)や「障害高齢者の日常生活自立度」**など、いくつかの評価方法があります。 この日記では病院の中での評価基準を基にしています。
自立1=車椅子で2階フロアは自由に移動できる。
自立2=車椅子で病院の1階と5階のフロアを自由に移動できる。
自立3=杖で2階フロアを自由に移動できる。
自立4=杖で病院の1階と5階のフロアを自由に移動できる。
自立5=杖無しで2階フロアを自由に移動できる。
自立6=杖無しで病院の1階と5階のフロアを自由に移動できる。
◆入院期限ギリギリの11月20日まで入院させて欲しいと強く伝える
◾️9月2日火曜日
午前中は足のリハビリが二つ。
どちらも歩き方は綺麗になったと言われた。
最近はバランスの悪いところの指摘を受けることがなくなった。
二つ目で腹筋周りの筋トレを教えていただき、マットに膝立ちになり、前後左右に動いた。
右足は足首が自在に動かせないので、左の足首でサポートすると
「器用な左脚ですね」
と褒められた(笑)
今日の昼御飯から食事を4人掛けテーブルから、窓際に変更してもらった。
午後は月に一度の主治医と担当看護師、担当療法士、担当相談員と、私と家族(妻)との面談。
Y先生から現在の回復具合について。
日常生活に戻るためのチェックポイントが126点満点の111点となっており、退院可能なレベルであることを説明される。
けれども今の身体の状態で退院は厳しい。
働かなくても経済的な余裕がある人でないと、とてもじゃないが困難極まりない。
入院期限ギリギリの11月20日まで入院させて欲しい旨を強く伝えたのである。
あとで相談員さんから、
「多くの患者さんは早く退院したくて、入院自体がストレスとなっているから、少しでも早く退院出来ることを言われるんですよ」
と補足されていた。
私は入院当初は9月には杖を使って歩けるような気がしていた。
そして10月早々には退院したいと言っていた。
けれど、毎日のリハビリと退院後の仕事や私生活を考えたら、そりゃ無理だと自覚した。
期限一杯可能な限りリハビリを励むことで回復したいと考えを改めたのだ。
退院は今のタイミングでは無い旨を、Y先生に強く訴えたのだ。
病院では本人の意思を尊重される。
あとは直近の装具作成や自宅での家屋調査について話し合って面談は終わった。
面談のあとは装具の発注。
装具師さんから細かく要望をヒアリングされ、木曜日に採寸、翌火曜日に仕上げのチェック、翌木曜日に納品となった。
装具が来たら自立3のチェックを受けて、合格すれば車椅子からの卒業となる。
一気に展望が開けたような気がしてきた。
先行きが見えてきて気持ちもかなり楽になってきた。
夜、就寝前のスケジュールチェック。
それまで食堂で本を読んでいると、この病院での最大のインシデントレポート案件が発生!
高齢の方が勝手に車椅子から立ち上がり、足を引っ掛けて転倒したのだ。
誰も見ていない、ほんの僅かな時間で起きた転倒。
まさに一瞬のスキをついた感じである。
看護師さん、介護士さんたちが慌てて駆けつけて介抱を始めた。
しばらくは大変だったが、当直医が来てから騒動は終息したのである。
◆寝返りで動かない身体に反応して目が覚めてしまう毎日
◾️9月3日水曜日
今日から朝の自主トレの後にご褒美ができた!
昨日、栄養士さんから朝の筋トレの後に飲むようにと筋肉サポートゼリーを渡されていたのだ。
朝からたっぷり汗を流した後の、冷えたゼリーは爽快だ。
尚且つ筋肉も増強できるなんて、一石二鳥じゃありませんか!
後半のリハビリ生活の励みになること間違いない!
今日最初のリハビリは、昨日に引き続き膝立ちでの歩行練習。
麻痺して動かない脚を動かすための筋肉を鍛えるわけだが、これがかなりきつい。
それでも歩くための筋肉強化になるなら、なんのこれしきと涼しい顔でいた。
だが終わって車椅子に座ったら身体は正直者。
疲れがどっと出たのである。
とはいえ、15分ほど休憩したらマシンでの自主トレをやりに1階へ。
今日のスケジュールだと午後は手と腕のリハビリ。
マシンの自主トレは1回にしようと思い、時間だけ10分を15分にしたのである。
自主トレのあとの午前最後のリハビリも脚。
自立4の課題である2階病棟の廊下を一周歩く。残り時間はストレッチで追い込んだ脚を解(ほぐ)してもらい終了。
昼御飯は冷やし中華。
麺類を左手で食べるのにも、だいぶ慣れてきた。
反対に麺をすするのがヘタになったのはなぜだろう?
今日は入浴日。
入浴は部屋にて待機して呼ばれたら浴場へ。
最初の頃は浴場まで車椅子で運んでもらい、洗体も浴槽へ浸かるのも全部介助だった。
部屋から車椅子は一緒だけど自分で移動し、身体も背中と左腕以外は自分で洗えるまでになった。
身体を拭くのは背中と左腕以外は出来るし、着替えも介助がなくても出来る。
これはリハビリのお陰で身体の動きを呼び覚ましたからである。
脳梗塞で半身不随になってから、リハビリで回復するのだから驚きだ。
症状や後遺症の程度の差は人によってあれ、如何に早くリハビリを始めるかが重要だ。
午後最初のリハビリは予定変更で手から足になった。
午前中にびっしりやったと思っていたから体力が底をついている。
装具を着けてトレーニングルームを一周したらバテてしまった。
最後のリハビリでは腕のストレッチ。
掌が上を向くように電気と共に捻りながら筋肉を伸ばしたが、やはり固くて痛みに耐えるので精一杯だった。
昨日の夜は一時間ごとにトイレで目が覚める。
睡眠不足だったのかもしれず、昼御飯を食べて入浴を済ませたら、とにかく眠たくて仕方がない。
今夜は疲労でしっかりと眠りたいものだ。
脳の病気は厄介で、寝返りで動かない身体に反応して目が覚めてしまうのだ。
早く寝ても遅く寝ても、どちらにしても目が覚めるなら、少しでも脳と身体を休めるために早く寝るのが正解だろう。
◾️9月4日木曜日
朝の自主トレが終わると汗で濡れた前日の服とタオルを洗濯篭に入れにいく。
暗い廊下を車椅子で往復するとき、こんなこといつまでも続くんだろうと思っていた。
患者さんたちが寝静まった早朝。
動かない右半身のリハビリ。
車椅子でしか移動出来ない毎日。
希望があるから落ち込むことはなかった。
けど繰り返される毎日に、いつ変化が訪れるのか、毎朝洗濯物を運ぶ度に考えていた。
しかし、9月になって展望が開けてきた。
もう少しで歩いて篭に入れにいくことができんだと思いながら車椅子を脚で漕いでいる。
こりゃ日記に書いておかないと、と思った次第。
リハビリは足をメインに行い、朝から歩くことを中心に筋トレやストレッチ。
少し負荷を増やした内容となった。
そして、午後の今日最後のリハビリでは、予期せぬことがあった。
最初は歩きから始まったのだが、セラピストさんが、
「まだまだイケるでしょ?」
と、左足の出し方をゆっくりと出すことからペースアップしようと。
驚くことに、その左足の早さに右足がついていけたのだ!
その勢いでトレーニングルームを2周。
あとで血圧脈拍を測っても正常値の範囲内だった。
そこで今度は6月8日以来の、外を歩くことができたのだ!
距離にして100メートルほどだが、ムアッとする外気の中を自分の足で地面を踏みしめて歩いたのだ!
それもトレーニングルームを歩くような慎重にゆっくりでなく、左足は健康な時のような歩幅で歩いたのである!
実に約3ヶ月ぶりの屋外の地面を自らの足で歩いたのである。
外の蒸し暑い外気からエントランスに戻ってきた時の涼しいこと!
今日の気温は30度ほど。
湿度は台風が近づいているからか高い。
今年の夏の酷暑ほどではないが、入院以来の初めての屋外歩行は、思いのほか気持ちが良かった(笑)
念のためもう一度血圧脈拍を測った。
正常値の範囲内で変わらなかった。
来週には装具が届き、気温が下がれば問題なく外を歩けることがわかった。
またしても展望が開けたのである。
ところが、これだけでは終わらず、そのまま階段のところへ。
前回は踊り場までの昇り降りだったけど、今日は2階まで行くことができた。
そこから降りるのはエレベーターで1階に戻り、車椅子まで歩いて帰ったのだ。
心地好い疲労感と外を歩くことができた興奮のまま、装具を作るための採寸を受ける。
せっかく昨夜は眠りも充分とれたのに、外を歩いたことに興奮して、こりゃ今夜は寝つけないかもしれないと、少しだけ不安になったのではあるが(笑)
◆寝て食べてリハビリ……毎日繰り返される単調な日常と絶望的な孤独
◾️9月5日金曜日
朝から台風の大雨。
片手が麻痺して杖を使う私には外出困難な日である。
そうならないためにも右腕右手を目覚めさせねば。
昨日の屋外歩行や階段歩行で疲れが残ったのか、最初のリハビリはストレッチだけで終わった。
2つ目の足のリハビリではトレーニングルームを3周。
段差を使って右足の訓練をしたり、レッグプレスで大腿筋を鍛えたり、1時間みっちりと動いた。
3番目は手のリハビリ。
メルツで指を広げる練習。
固かった中指が他の指と同じように開くようになった!
遅々とした動きだけど確実に前に進んでいる。
最後も足のリハビリ。
トレーニングルームを2周したあとストレッチで締める。
テレビでは朝から台風のことばかり。
夕方には神奈川で線状降水帯の発生などがあり、週末はスピード台風に翻弄された外界であった。
◾️9月6日土曜日
台風一過の穏やかな朝である。
けれどテレビでは各地の被害を伝えている。
そんな外界と隔絶されて、今日もリハビリに取り組むのだ。
この日記を書くのは朝の自主トレ後のラウンジや食事前の食堂。
リハビリの時間が空いたときも食堂で書く。
部屋で書くことはない。
朝起きてから夜寝るまでは、極力ベッドに横たわることはしない。
部屋で寛いでしまうと、オンとオフの切り替えがなくなってしまうと思うからだ。
寝て食べてリハビリ、月水金に入浴と、毎日毎日繰り返される単調な日常。
半身麻痺したところを治す以外は何もないのだ。
150日間限定でなければ、正直言えば気が狂いそうになる。
だから私にとって日記を書くことは、少しでも単調な毎日に変化を与える大切なことなのだ。
刑務所に服役している囚人よりは自由はあるけれど、健康な状態と比べれば不自由なことこのうえない。
病棟には看護師さん、介護士さん、セラピストさん、それに患者さんと100人以上の人間がいる。
私も他の患者さんも、絶望的に孤独なのである。
そのような環境で精神的安定を保つのは、とにかく身体を治して退院する、その一点を常に頭の中で繰り返えし唱えるのだ。
リハビリテーション病院に来てから74日目。
入院期限の半分を過ごして、飽き、慣れ、変化無し、その他様々な感情が涌き出てくる。
唯一の救いは、私の頭は壊れたときに、怖い、不安、焦燥などの感情を感じなくなったこと。
けれど、脳も回復してきているようだ。
少しではあるが上記の感情が感覚のようにわかるようになってきた。
午前中は足のリハビリ二つ。
始まりの時間が遅かったから、リハビリの前に自主トレでマシンを踏みにいった。
回復具合の測定や装具を着けての歩行練習。
レッグプレスで両足の筋力を測ってみたら、左足は118キロで右足が52キロと左の半分もない。
利き足は右足だから健康なら120キロは超えていただろう。
この他のチェック項目はすべて数字が向上している。
2ヶ月半で確実に回復していることを、今回も実感したのである。
二つ目で筋トレの新しい方法を教わり、さっそく明日の朝練から始めようと思った。
セラピストさんに、普段の筋トレメニューを伝えると、それだけしているなら納得の歩き方ですと褒めらた。
ますます筋トレを増やしたくなった。
午後は手のリハビリが二つ。
メルツを使って指を広げて掴んだ積み木を離す練習。
食事のときにオシボリで練習しているのだが、掴みは出来ても指を離せないのだ。
いつになったら出来るのか、神のみぞ知る、かな。
最後は肩周りのストレッチで終了。
その後、自主トレのマシンを踏んで本日はこれまで。
明日は休息日で朝の自主トレとリハビリ以外は、のんびり過ごして1日ゆっくりするか。
文:真柄弘継
(第6回「【脳梗塞の出版局長】の明日はどっちだ!? 熱血セラピストO橋さん登場」につづく…)
◆著者プロフィール
真柄弘継(まがら・ひろつぐ)
某有名中堅出版社 出版局長
1966年丙午(ひのえうま)の1月26日生まれ。1988年(昭和63年)に昭和最後の新卒として出版社に勤める。以来、5つの出版社で販売、販売促進、編集、製作、広告の職務に従事して現在に至る。出版一筋37年。業界の集まりでは様々な問題提起を行っている。中でも書店問題では、町の本屋さんを守るため雑誌やネットなどのメディアで、いかにして紙の本の読者を増やすのか発信している。
2025年6月8日に脳梗塞を発症して半身不随の寝たきりとなる。急性期病院16日間、回復期病院147日間、過酷なリハビリと自主トレーニング(103キロの体重が73キロに減量)で歩けるまで回復する。入院期間の163日間はセラピスト、介護士、看護師、入院患者たちとの交流を日記に書き留めてきた。
自分自身が身体障害者となったことで、年間196万人の脳卒中患者たちや、その家族に向けてリハビリテーション病院の存在意義とリハビリの重要性を日記に書き記す。
また「転ばぬ先の杖」として、健康に過ごしている人たちへも、予防の大切さといざ脳卒中を発症した際の対処法を、リアルなリハビリの現場から当事者として警鐘を鳴らしている。
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