「まさかオレが!? 脳梗塞に!」ある日突然人生が一変。衝撃の事態に見舞われ仕事現場も大混乱!現役出版局長が綴った「半身不随から社会復帰するまでのリアル奮闘日記」。
誰もが発症の可能性がである「脳卒中」。実際に経験したものでないと分からない〝過酷な現実と絶望〟。将来の不安を抱えながらも、立ち直るべくスタートした地獄のリハビリ生活を、持ち前の陽気さと前向きな性格でもって日々実直に書き留めていったのが、このユーモラスな実録体験記である!
リハビリで復活するまでの様子だけでなく、共に過ごしたセラピストや介護士たちとの交流、社会が抱える医療制度の問題、著者自身の生い立ちや仕事への関わり方まで。 克明に記された出来事の数々は、もしやそれって「明日は我が身!?」との声も!? 笑いあり涙ありの怒涛のリハビリ日記を連載で公開していく。
第6回は「麻痺しているのは右手先だけでなく身体の右半身 「下手したらこのまま人生終焉」の乗り越え方」
出版局長の明日はどっちだ!? 50代働き盛りのオッサンは必読!
第6回麻痺しているのは右手先だけでなく身体の右半身 「下手したらこのまま人生終焉」の乗り越え方
◆焦燥感や不安感などの負の感情が機能していたら……
◾️9月7日日曜日
8月8日に自立2[注]となり、トレーニングルームのマシンで自主トレが可能となった。
体力無視で自主トレをしたせいか、初めて倦怠感というものを体験。
その後も自分の体力を過信。
リハビリへ影響が出るような疲れを何度も味わったのだ。
セラピストさんや介護士さんから、休息はとても大切なことと諭される。
そこで8月24日の日曜日から週一の休み(朝の自主トレとリハビリ除く)を設けたのだ。
休息日をお伝えする前に、諸々の不便なことや時間の過ごし方の難しさなど説明しよう。
私は身体障害者となったので、何をするにも健康な身体の頃の10倍は時間を要する。
着替えも、トイレも、何かを取ったり運んだり閉まったり、すべてにおいて時間がかかる。
気軽に何かをする、ということが出来ない。
だからこそリハビリで少しでも出来るようになるための訓練をしている。
けれどもリハビリをどんなに頑張っても、健康な身体の頃のようには出来ないのである。
脳梗塞となり入院して、そこからリハビリテーション病院に転院。
150日(私はカレンダーの関係で148日)を人生の夏休みなどと言ってはいる。
けれど下手したらこのまま人生の終焉となる可能性もあるのだ。
そうならないためにリハビリで、まずは歩きを取り戻す。
どこまで実現するか分からないけど、腕と手先の動きを取り戻し、限りなく健康な頃の身体にしたいのだ。
頭の障害や後遺症はなかった。
冷静な判断をすれば、元に戻すのはかなり難しいことなんだと理解出来る。
もし、焦燥感や不安感などの負の感情が機能していたら?
たぶん、発狂もしくは無気力からの回復困難な身体になる未来が待っているのだろう。
自分でも驚くほどの忍耐力だ。
4時に起きて自主トレが終わり、着替えて洗濯物を運ぶ。
それからラウンジへ行きメールや競馬の予想。
6時過ぎたら食堂へ。
水を飲んだりしてウロウロ。
室内で杖を使うのを許されてからは、自室に戻り片道3メートルを往復で5回ほど。
トイレへも杖を使っていく。
7時になったら食堂で新聞を読み、また自室へ戻って杖で往復5回ほど。
8時の朝食を済ませたら自室で歯磨きと髭剃り。
8時45分に最初のリハビリがあれば御の字。
なければ杖を使って部屋の中を往復しまくる。
リハビリの合間に時間があればマシンで自主トレ。
12時にお昼ごはん食べたら次のリハビリまたは入浴まで何もなく、時間の過ごし方で悩む。
リハビリも早いと3時には終了してしまうことがある。
マシンをしても時間が余るのだ。
なんとか時間を遣り過ごして18時に夕食。
終われば19時15分の翌日のスケジュール発表まで時間を遣り過ごす。
19時30分にはベッドで就寝の準備。
ここからは寝たり起きたり。
眠ったかと思ったら寝返り出来ない身体に脳が反応して覚醒。
これが何度も続き地味に辛い。
23時頃にようやく寝入るも、4時まで眠れるのは稀で、2時か3時にトイレで起きる。
そして4時になり、また1日が始まる。
[注]
自立
リハビリの自立度は、**FIM(機能的自立度評価法)や「障害高齢者の日常生活自立度」**など、いくつかの評価方法があります。
自立1=車椅子で2階フロアは自由に移動できる。
自立2=車椅子で病院の1階と5階のフロアを自由に移動できる。
自立3=杖で2階フロアを自由に移動できる。
自立4=杖で病院の1階と5階のフロアを自由に移動できる。
自立5=杖無しで2階フロアを自由に移動できる。
自立6=杖無しで病院の1階と5階のフロアを自由に移動できる。
◆圧倒的に何もすることのない無為な時間をどう過ごすか?
日記を書くようになり、時間を遣り過ごすのは食堂またはラウンジでの執筆となった。
けれど、圧倒的に何もすることのない時間を無為に過ごしているのだ。
本題に戻る。
一番目は足のリハビリ。
9月なのに夏空な天候。
さほど暑さ指数は高くないようで、まずは病院の駐車場を歩く。
風が夏から秋になったようで、気持ちの良い空気の中をしっかり大地を踏みしめながら歩いた。
二番目は腕のリハビリ。
固まった筋肉を解して腕の上げ下げの運動。
昼ご飯を挟んで三番目は足のリハビリ。
トレーニングルームを3周したのちにストレッチ。
四番目は指のリハビリ。
メルツで閉じたり開いたりしたあとは、左腕や左肩、背中を揉んでもらう。
3時に今日のスケジュールが終了して、部屋に戻り競馬観戦。
全部ハズレて安田記念の配当金残高を減らす。
4時から食堂で日記を書いて時間を遣り過ごすのだが、食事まではまだまだ時間がある。
部屋に戻ったり、また食堂へ来たり。
たまたま隣の席のN村さんが来て世間話をした。そんなこんなで5時に薬とスマホを持って再び食堂へ。
ここで日々の食事について触れておこう。
入院してからずっと病院の栄養士さんが管理する食事のお陰で体重は2ヶ月で15キロも落ちた。
1日1800キロカロリー、一食600キロカロリーほど。
白米は170グラムで、一食あたりで500グラム目安。
健康な頃なら3口で無くなる量を約15分かけて、ゆっくりと嚙み締めて食べている。
残り74日で、あと10キロは痩せるつもりだ。
食堂でコミックレンタを読んだり、日記を書いたりしていたら、食事となり約15分で完食。
18時20分頃に部屋に戻ると歯磨きをしてから、翌日の薬を準備して再び食堂へ。
19時は毎週日曜日の定例である足浴。
いわゆる足湯をしてからスケジュールを確認して部屋に戻る。
着替えてシーパップを装着したら、寝入るまで何度も何度も起きたり寝たりを繰り返す。
トイレに何度か行き、そして4時になると目が覚めて、また1日が始まるのだ。
◆他人との会話がなくなるのは何より寂しい
◾️9月8日月曜日
朝のラウンジは私の独占状態が続いている。
5時半頃から一人でメールをしたりラインをしたり、静かなものである。
けれど正直なところ他人との会話がないのは寂しい。
無人島で何年も生き抜いた人たちの生命力たるや、なんと凄まじいものなのだろう。
朝一番のリハビリが時間変更となっており、部屋で歩いて時間を遣り過ごす。
トレーニングルームを2周歩き、さらに二つ目のリハビリも2階の廊下を歩く。
午前中だけで歩きまくりである。
二つのリハビリの合間にヌーステップを踏み自主トレを行う。
三番目のリハビリは腕のストレッチ。
腕を開くのはなかなか難しく痛いことだ。
昼ご飯は親子丼。
ゆっくりと嚙み締めて味わいながら完食。
午後最初は入浴。
部屋で呼ばれるのをひたすら待つ。
その後はまたしても足のリハビリ。
最初に2周歩いてから、足首のストレッチと訓練。
最後はメルツで指を開く練習。
そのままヌーステップを踏んで本日は終了。
ふと気がつくと18時の夕食時は外が暗いじゃないか!
まさに釣瓶落としとはよく言ったものだ。
晩御飯を食べたら19時15分の翌日の日程を確認。
部屋で館内放送(面会終了30分前)を聞きながら寝る。
◾️9月9日火曜日
だんだんと日の出が遅くなっているから、午前4時の空は真っ暗。
ついこの前まで青空が広がっていたのに、気温は真夏継続中も日の出日の入りは確実に秋。
テレビのお天気コーナーでは水不足だの、ゲリラ豪雨に気をつけろだの、いつまで夏の天気が続くのだろう。
朝一番のリハビリは初めましての男性セラピストのO橋さん。
足の状態をみられて歩き方をチェック。
ふくらはぎと太股の裏側をコリコリされると、もう笑うしかないほどな痛み。
けれども激痛に耐えたあとは足が軽くなっている。
タイムを計ると言って10メートルを全力で歩かされると9秒という結果に。
その後も25メートルを大股で歩き、躓くことなく歩けたのだ!
右足が軽くなり左足の歩幅に躓くことなくついていけたのだ。
次の足のリハビリも三番目の腕のリハビリも筋トレとストレッチをして終わる。
今日最後はリハビリとともに製作中の装具の微調整。
明後日木曜日の納品が待ち遠しくてたまらん。
ひとつ残念だったのは、装具の専用靴が同じ日の納品が叶わず、来週火曜日となるということ。
自立4に向けての日程が少しばかり遅れてしまうが、ここは慎重に事を進めるとしよう。
夕食を終えたあとはスケジュールを確認。
いつものように19時30分の館内放送を合図に就寝。
◆転院78日目、患者さんたちの顔ぶれはガラリと変わる
◾️9月10日水曜日
今月になり私が入院したときには既にこの病院にいた方々が続々と退院されていった。
昨日は同じ脳梗塞で入院され、最初の頃は抱えられて入浴していたK保さんが歩いて退院された。
ここ半月ほどは病院の中を杖も使わず歩かれていたK保さん。
退院の際は杖を持ってはいたが、念のためということだそうだ。
転院78日で患者さんの顔ぶれはガラリと変わった。
60人いる人たちで挨拶交わす人はほんの僅かとなった。
不思議なもので、自分より先にいた方々には気軽に挨拶できたのに、あとから来た人とはほぼ挨拶もせず。
あと72日は淡々と過ごすのだろう。
まあ、リハビリテーション病院とは本来はそういうところなのかもしれない。
午前中は二つとも足のリハビリ。
トレーニングルームと外の駐車場とを歩き、500メートルほどを歩けるようになった。
ここからは歩き方(階段や段差)も大切なことだけど、距離を延ばして体力をつけていかないといけない。
隣の部屋に新しい患者さんが入ってきて、主治医の先生始め各担当のスタッフが集まっているのを見て、私が入院した日を思い出した。
まだ道半ばではあるが、あの日から2ヶ月半が過ぎたのだ。
ここは身体や頭に負った障害を、日常生活を限りなく普通に過ごせるように、リハビリで回復をはかる場所。
退院する患者さんがいれば、新たに入院してくる患者さんがいるところ。
私のゴールはまだ先だけれど、そこにたどり着くまで私自身出来ることを地道に続けるのみ。
午後は指と腕のリハビリ。
どちらも足のような劇的な変化は望めないから、地道に毎日続けていくしかない。
夕食を終えたら就寝までいつものように時間を遣り過ごす。
明日に向けてゆっくりと眠りたいものだ。
◾️9月11日木曜日
今朝は3時のトイレのあと、ゆっくりと眠れて4時40分に起床。
なんとか健康な頃の5時起床に戻して、朝の時間を無為に過ごすことのない生活をしたいものだ。
今はまだ9月だから朝6時でも空は明るいけど、退院期限が近づく11月には暗くなってるんだろうな。
体重は2週間に一度計測するが、順調に無駄肉を落としており、83キロまでになった。
このまま落ちてくれたら、およそ8キロは減量できるぞ!
夢の70キロ台も見えてきた。
朝食の前に今日退院するN中さんにお別れの挨拶をする。
N中さんは去年11月に脳出血で入院され、こちらのリハビリテーション病院へ3月に来られた。
ほぼ一年ぶりの帰宅である。
N中さんは高次脳機能障害があって180日間入院されている。
最後まで食堂にて見守られ、リハビリと寝るとき以外はそこで過ごしていた。
朝は「おはようございます」、リハビリに行くときは「いってらっしゃい」、戻ってきたら「おかえりなさい」、夕食終わって食堂を出るときは「お疲れ様でした」、寝る前は「おやすみなさい」、と顔見知りの患者さんに声を掛けてくれた優しい人である。
これまで退院された方への挨拶は朝食の前後だった。
今回は運良く退院時間午前10時の直前で席におられたから、ゆっくりと別れの挨拶が出来たのだ。
「お元気で! グッドラック!」
N中さんは家族に寄り添われて笑顔で元気に退院していった。
リハビリはスタートが遅く、午前中は足が二つで午後は手と足。
今日は装具が納品となり、靴は来週火曜日となるが、明日からはマイ装具で足のリハビリが出来るのだ。
外界は不安定な天気で午後には雷が鳴り響き豪雨の時間が続いた。
しかしリハビリテーション病院の中で過ごしている身としては、まったく関係ない。
健康なときは不安定な天候でゲリラ豪雨とかにワクワクしたものだ。
だが身体障害者となった今は、退院してこんな天気に遭遇したらたまったものじゃない!
週も半ばを過ぎると体力的に疲れてきたのか、夕食前には眠くてしかたがない。
なのに就寝したあとに何度も目が覚めるのだから厄介このうえない。
夕食を終えたら普段以上に早寝をしたのだった。
◾️9月12日金曜日
昨夜は夕食のあと6時半にはシーパップつけて早々に就寝。
21時と23時に尿意、午前3時に便意をもよおし起きてしまった。それからはなかなか寝つけずに結局4時に起床。
それでも普段と比べて格段に寝た一夜である。
今日は1時間のリハビリが3回。
まずは足のリハビリで、自立4に向けたチェック項目の予行練習。
部屋から廊下を歩いて食堂へ行き、自分の席の椅子を出し入れ出来るかをみられる。
杖を立て掛け椅子を引いて座る。
次は椅子から立ち上がり元の位置へ椅子をしまう。
そこから部屋に戻って練習終了。
車椅子から杖に変わることで左手を自由に使えなくなる。
これまでのように紙コップで飲み物を運べなくなるのだ。
その辺のことの対策を考えねば。
新聞は杖と一緒に持てるような気がしてるから、次の予行練習のときにチャレンジしよう。
あと二つはどちらも手。
メルツで指の練習と、腕のストレッチ。
どちらも地味なのだが、疲労感は足のリハビリと同じなのが不思議である。
15時でリハビリは終わり。
いつもなら自主トレでマシンを踏みにいくのだが、昨日からの疲労感を考え自重。
けれど何もしない時間が苦痛で結局マシンを踏みに行ってしまった。
今日も晩御飯が終わったら早々に就寝。
歩きの距離を延ばしてきているので、運動量も格段に増えてきた。
体力不足が疲労感に直結している。
それでも明日で今週の頑張る日は終わる。
日曜日は自主トレとリハビリ以外はだらだらと過ごす休息日。
その前に自主トレもリハビリも追い込んでいこう。
◆麻痺してから手先だけでなく、身体の右半身が固くなっていく
◾️9月13日土曜日
一昨日の夜ほど疲れてはいなかったようで、普段のように20時から寝て、何度かトイレで起きたが、4時に起床。
3時頃は警報が出るほどの豪雨だったようで、病室の窓を叩く雨の音で目が覚めるくらい降っていた。
世間的には三連休のはじまり。
だけどリハビリテーション病院のカレンダーは毎日黒日。
必死こいて治ろうとする人たちと、早く入院期限を終えて帰りたい人たち。
認知が衰えてそれすら感じない人たちで溢れる(とはいえ全体の入院患者は180人程度)病院。
雨が降ろうと、雪が降ろうと、猛暑だろうと、患者さんとセラピストさん、看護師さんと介護士さんは今日も1日を乗り切るのだ。
朝の食堂で毎朝のルーティンとなっている新聞に目を通す。
初期の見守られていた頃は朝日・読売・日経・日刊スポーツと置いている新聞を全部読んでいた。
身体が動いて行動も自由が増すにしたがい、朝日と日刊スポーツだけになった。
今朝も朝日から読んで次の日刊スポーツと思ったら、最近入院してきた歩ける脳卒中患者さんが先に読んでおり、これまで独占していただけに、ちょっぴり悔しい気持ちが湧いてきた。
一度部屋に戻り時間をあけて戻ってもまだ読んでいる。
仕方なく読み終えるのをのんびり待ってから今日の競馬の馬柱をチェックした。
最初のリハビリは足。
火曜日に初めて入ってくれたO橋さん。
今日も初めはふくらはぎと太股の笑うしかない痛さのストレッチ。
けれど足はとっても軽くなるから不思議。
なによりも、往復30メートルの距離を杖を使わずに歩いたのだ!
ゆっくりとだが杖を持たずに自分の足だけで歩いたよ。
右足が体重に負けない筋力をつけており、杖を持っていても使わずに浮かせて歩けた。
確実に右足は回復しているから、入院期限の11月21日までには杖無しで歩けるようになる気しかしない。
次のリハビリまで1時間以上もある。
これまで10分踏んでいたヌーステップを、これから持久力をつけるために20分に延ばして踏む。
二つ目も足のリハビリ。
またしても杖無しで歩いたよ。
セラピストさんに思っている以上にいいと言われ、自立4に向けた練習をする。
まず1階のトレーニングルームからエレベーターを使って2階に。
そこで狭くなっている場所を選んで歩く。
それから自分の席で椅子の出し入れと、新聞ラックから新聞を自席まで持ってきて、読んだあとは元に戻すという一連の流れにチャレンジ。
そのまま歩いて1階へ戻り、少し休んだら外のスロープ(緩やかな坂道)にチャレンジ。
すべてそつなくこなしたところで時間いっぱい。
杖無し含めて、どのシチュエーションも思っている以上に良いと、セラピストさんが驚かれていた。
午後イチは腕のリハビリ。
肩と肩甲骨回りの筋肉を伸ばして腕の可動域を増やすためのストレッチ。
麻痺してから手先だけでなく、身体の右半身が固くなっている。
思うように動かないのに追い討ちをかけるような筋肉の固まりが痛みとともに広がってくるのだ。
最後の足のリハビリの前にマシンの負荷を高めて5分踏んだが、疲れからかステップが重く感じられる。
リハビリは2周歩いてから入念にストレッチ。
足首が部屋の中での歩きの練習で固くなってきている。
火曜日の靴が届くまではなるべく自分でも足首と足指を解していこう。
今日の競馬は阪神第1レースをワイド3点と単勝と三連複で500円に対して、2着3着のワイドが的中で300円の戻り。
途中、中山の第8レースを複勝と馬連ワイドと3点300円買ったら、またしても2着3着のワイドと複勝が当たり3790円戻ってきた。
あと五つのレースは全敗。
本日の収支は4000円に対して残金2500円。
今週も確実な回復を確認できて良かった。
期限まで10週間あるから、どこまで回復していくのか楽しみだ。
これからも日々の自主トレとリハビリをしっかりと取り組んでいこう。
文:真柄弘継
(第7回「【脳梗塞の出版局長】 入院患者たちの人間模様~リハビリテーション病院に集う患者さんたち」につづく…)
◆著者プロフィール
真柄弘継(まがら・ひろつぐ)
某有名中堅出版社 出版局長
1966年丙午(ひのえうま)の1月26日生まれ。1988年(昭和63年)に昭和最後の新卒として出版社に勤める。以来、5つの出版社で販売、販売促進、編集、製作、広告の職務に従事して現在に至る。出版一筋37年。業界の集まりでは様々な問題提起を行っている。中でも書店問題では、町の本屋さんを守るため雑誌やネットなどのメディアで、いかにして紙の本の読者を増やすのか発信している。
2025年6月8日に脳梗塞を発症して半身不随の寝たきりとなる。急性期病院16日間、回復期病院147日間、過酷なリハビリと自主トレーニング(103キロの体重が73キロに減量)で歩けるまで回復する。入院期間の163日間はセラピスト、介護士、看護師、入院患者たちとの交流を日記に書き留めてきた。
自分自身が身体障害者となったことで、年間196万人の脳卒中患者たちや、その家族に向けてリハビリテーション病院の存在意義とリハビリの重要性を日記に書き記す。
また「転ばぬ先の杖」として、健康に過ごしている人たちへも、予防の大切さといざ脳卒中を発症した際の対処法を、リアルなリハビリの現場から当事者として警鐘を鳴らしている。
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