「まさかオレが!? 脳梗塞に!」ある日突然人生が一変。衝撃の事態に見舞われ仕事現場も大混乱!現役出版局長が綴った「半身不随から社会復帰するまでのリアル奮闘日記」。

連載配信前から出版界ですでに話題に!だって名物営業マンですから!



誰もが発症の可能性がである「脳卒中」。実際に経験したものでないと分からない〝過酷な現実と絶望〟。将来の不安を抱えながらも、立ち直るべくスタートした地獄のリハビリ生活を、持ち前の陽気さと前向きな性格でもって日々実直に書き留めていったのが、このユーモラスな実録体験記である!



リハビリで復活するまでの様子だけでなく、共に過ごしたセラピストや介護士たちとの交流、社会が抱える医療制度の問題、著者自身の生い立ちや仕事への関わり方まで。 克明に記された出来事の数々は、もしやそれって「明日は我が身!?」との声も!?  笑いあり涙ありの怒涛のリハビリ日記を連載で公開していく。



第10回は「会社の仕事に関わるのが最高のリハビリだった! 歩けるようになるまでのモチベーションの保ち方」



出版局長の明日はどっちだ!?  50代働き盛りのオッサンは必読!



【脳梗塞】会社の仕事に関わるのが最高のリハビリだった! 歩...の画像はこちら >>



第10回会社の仕事に関わるのが最高のリハビリだった! 歩けるようになるためのモチベーションの保ち方



◆脳梗塞になった現役社員は皆、雇用の不安に怯えている



■9月22日月曜日

土曜日まで重苦しかった歩きが、今朝は不思議と足取りが軽くなっている!



休息日による回復力のなんと偉大なことか!



感動しながら、いまこれを書いている。



ただいま午前5時52分。



秋晴れを思わせる爽やかな朝だ。





タイムトライアル。



3分37秒。





足だけでなく身体も軽くなっており、歩くスピードが昨日よりもさらに速くなってるじゃん!



足の順調な回復と比べたら、手首から先の回復はカタツムリの動きよりゆっくりとした進み具合。



とにかく時間がかかるそうだから、気長に続けていこう。



リハビリテーション病院に来てから知り合ったK本さん(87歳)。



今週の金曜日に退院となる。



ほぼ3ヶ月間、一緒にリハビリを頑張ってきた。



入院期限が来ての退院なのだが、もう少しで杖で歩けるくらいまでに回復されている。



もうしばらくはリハビリも出来る特養老人ホームへ行くとのこと。



さらにもう一人。



7月に入院されて、ラウンジで知り合ったH田さんも、金曜日に退院とのこと。



期限は10月中旬だそうだが、回復が早いのと、家のことが心配で退院されるそうだ。



専業主婦はなにかと家のことが気になるみたいで大変だ。





ここでは見た目は健康に思わせる人がわりと多い。



その人たちは頭の中に高次脳機能障害を持っている、私なんかよりはるかに辛い障害だ。



見た目が健常者と変わらないだけに、周囲は配慮をしくいし、また知らない人には誤解を与えかねない難点がある。



人権活動に意欲的な人は、高次脳機能障害という分かりにくい障害について、多くの人に広める活動をされることをお願いしたい。





自民党の総裁選が告示された。



社長から事務子さんに高市早苗さんの本を主要書店へ積んで売ってもらうようにとの指示が出た。



ラインに事務子さんから連絡がきた。



「社長は真柄さんに、どうすればいいか電話で相談してもいいものか」と聞いたそう。



機転の利く事務子さんは



「わたしから連絡します」



と、社長に言ってくれたそうだ。



脳梗塞で休職中の私に社長から業務的な連絡はコンプライアンス的にいけないと思ったそうだ。



部下である事務子さんが上司に相談なら多少は許されるだろう。





私はリモート可能な時間を事務子さんを通じて連絡している。



実際のところ私自身も会社の仕事に関われて嬉しいのだ。



それに社長の経営的センスや経営哲学を尊敬しているからでもある。



社長の薫陶を受けて、役職の一つ上の目線や思考で仕事に取り組んでいる。



課長なら部長の、部長なら役員の、役員なら社長の、その立場になったつもりで仕事をするのである。



その教えを実践してきた。



私は単なる従業員ではあるけれど、仕事に対する考え方は経営者的な面がある。



だからこそ脳梗塞で休職してもなお、会社の業務を遂行するのだ。





高市早苗さんの本を促進するミッションを事務子さんと進める一環で、この日記を送っている丸善丸の内本店友田副店長へラインで発注をお願いしたら、事務子さんの電話営業に50部発注くださった。



ありがたいことだ。



あとの有力書店さんへの案内は、事務子さんの電話営業に任せよう。





経験を活かした仕事の進め方などは一朝一夕では出来ない。



経験があるからこそリモートでも出来る。



脳梗塞を患い現場で陣頭指揮は取れない。



しかし優秀な部下である事務子さんのお陰でなんとかなっている。



とは言え傲慢体質な私は、



「俺って最強の出版営業じゃん!」



と自画自賛しているのだけど(笑)



冗談はさておき、今日の出来事を30年来の戦友で、いまも出版の最前線で戦っているSくんにラインで話した。



彼はこの状況をうまく言い表してくれたので、そのまま引用する。

―――――





(引用―――――始まり)



少ない人数で効率良くみなで動き、売上純利を伸ばそうと考えるのは弊社はもちろん世の企業はみなそういう状態で、人が倒れてしまった場合を想定していない。このリスク管理ができずに、それでも使えるものはなんでも使うという社長の精神はどれだけ社員にその負荷をかけているか。しかし、そこに多少でも配慮があるかどうか。そこに社長の社員を大切にする度量器量が白日の下に晒される。自戒を込めてですが、資本主義は薄氷の上を歩いているという意識を常に持つべきなんですよね。特に日本の資本主義経済は今や何処もかしこも薄氷の上にある。多大な社員の犠牲の上に成り立っている。



そう考えると日本経済、日本社会はずっとずっとこんな感じで存在していたのではないでしょうか。



(引用―――――終わり)





明晰なSくんの見解で腑に落ちた。



社長は常に社員たちを慮っておられる。



スタッフを大切にする度量は、そんじょそこらの経営者には負けない。



休職しても業務に関わる私へも、様々な配慮をしてくださる。



新品のノートパソコンを用意してくれたり、私の都合に合わせてリモート会議に誘ってくれたり。



私が疎外感を抱かないように計らってくれるのだ。



現役社員の私が雇用の不安に怯えることなく、リハビリに専念出来るのは幸せなことだ。



早く復職して現場で期待に応えたい。





◆脳梗塞は、一人として同じ症状の人はいない



院内自立のチェックを終える[注]。



形式的なチェックだったけど、やはり安全第一の病院ということを考えると省略というわけにはいかない。



看護師さん、介護士さん、セラピストさんにそれぞれチェックしてもらう。



これで明後日の午後2時からは2階だけでなく、1階と5階へ自由に行けるのだ。



ようやく自立4となり、残すは杖からの脱却の自立5だ。



ちなみに、3階と4階はそれぞれのフロアの入院患者とその家族以外は立ち入り禁止である。



もちろん2階も同様だ。





これまでもだが、これからも細心の注意を払うのは「転倒」しないことだ。



もし「転倒」してしまったら、24時間病室で経過観察され、リハビリも病室内となり、極端な運動量の低下は回復を遅らせることとなる。



高齢者なら経過観察で、転んだことによる怪我などから他の症状が出るかも知れない。



現役バリバリな私としては時間をロスする以外のナニモノでもない。



だから「転倒」は御法度なのである。





リハビリ日記なのにリハビリに触れない日があってもいいかな、なんて思ったけど、まとめ書いておこう。



足のリハビリは公道の歩行訓練と筋トレマシン。



腕はストレッチと筋トレ。



指はメルツ。





土曜日までは夕御飯が終わると疲労困憊だった。



日曜日の休息日を挟んだら、体力も筋力も増強されたのか、朝からの歩くペースが落ちる気配はない。



けれども油断は大敵だ。



今夜も晩御飯が終わったら早目の就寝で体調を維持していこう。





■9月23日火曜日

リハビリテーション病院に入って今日で3ヶ月。



足の回復は日々着々と進んでいて、早く仕上がれば残りの日数を手に全力注ぎ込みたい気分。



脳梗塞の部位が手の運動領域を一番破壊しているそうだ。



気長に続けていくしかない。



早朝のルーティン、洗濯物を出しに行くついでに看護師さんに爪を切ってもらう。



爪切りは深刻な悩みだ。



退院したら自分で切らなければならず、左手の爪切りをどうするか?



考えると悩ましいから、今は保留(笑)





今日は秋分の日。



健康だったらオハギを5~6個ペロリと食べていたけど、この先の人生では一つがせいぜいだろう。



今年の夏の酷暑は体感することなく終わったけど、さすが秋分の日だ。



気温の下がり方が凄い!



ほんの数日の間に10度以上の高低差は、外界の人たちにとっては体調管理が大変だ。





タイムトライアル。



3分42秒。





脳卒中と呼ばれる脳の疾患。



脳梗塞は、一人として同じ症状の人はいない。



似たような症例はあっても、リハビリの結果が同じようになるとは限らないのである。



私は脳梗塞で右半身が麻痺した日から、呂律が回らないながらも喋ることができた。



感覚障害もなかったし、1ヶ月の言語・聴覚療法士の検査で高次脳機能障害もなかった。



けれど身体の機能、特に右手の機能が失われている。



想像してみてほしい。



あなたが利き手を使わずに1日過ごしたらどうなるか。



何気なく使っている利き手のありがたさを実感することだろう。



社会は身体障害者に優しいふりをして、実際は全然優しくはない。



国民一人一人に身体障害を理解してもらうにはどうすればいいのか?



小学校の授業で利き手を縛り学校で過ごす日を1日だけ設ければ、一発で理解してもらえるだろう。



手だけでなく、足も同じようにすればいい。



けれども、たとえ手足で体験してもらっても、脳の障害はどうしようもない。



見た目は普通でも、失語症、失読症、空間把握できない、集中力が続かない、感情がコントロールできない等々。



とにかく他人に理解してもらいにくいのが高次脳機能障害だ。



年に1度、夏の日の24時間だけ社会を生きるのが困難な人たちのことを取り上げればいいということではない。



少しずつでいいから、そんな人たちのことを毎日どこかで目にする耳にするような社会を築くのだ。



時間はかかっても高次脳機能障害というものを、多くの人たちに知ってもらえるのではなかろうか。





[注]
自立
リハビリの自立度は、**FIM(機能的自立度評価法)や「障害高齢者の日常生活自立度」**など、いくつかの評価方法があります。 この日記では病院の中での評価基準を基にしています。
自立1=車椅子で2階フロアは自由に移動できる。
自立2=車椅子で病院の1階と5階のフロアを自由に移動できる。
自立3=杖で2階フロアを自由に移動できる。
自立4=杖で病院の1階と5階のフロアを自由に移動できる。
自立5=杖無しで2階フロアを自由に移動できる。
自立6=杖無しで病院の1階と5階のフロアを自由に移動できる。





◆なぜ厚生労働省は医療現場の生の声、患者の声を真摯に聞かないのか



リハビリテーション病院を管轄する厚生労働省。



最近になり骨折患者の社会保険のリハビリ期間を1日3時間から1日2時間にしたそうだ。



年齢的に若ければ回復も早いから2時間でもいいだろう。



けれど高齢者は治りに時間がかかるからリハビリで回復しきらずに退院させられてしまう。



そのまま車椅子生活や、酷ければ寝たきり生活になる可能性もあるはず。



病気ごとに社会保険で賄う回復期間を決めているけれど、すべての病気がその期間で回復する訳じゃないのだ。



期間を減らすだけでなく、回復期のリハビリテーション病院を減らして、急性期(総合病院)の病院でリハビリを済ませようとする案もあるそうだ。



増大する医療費をなんとかしたい厚生労働省。



官僚たちが考えそうな安易な変更ではないだろうか。



社会全体で考えれば、寝たきりで生活保護で生き長らえる人が増えたら、抑制した医療費どころの金額ではすまない。



ならばリハビリテーション病院を充実させて、誰もがなり得る身体や脳が不自由な状態を、リハビリで回復を計り、自力で生活を営める人を増やすほうが、社会全体の福祉費の出費を抑える政策として、どれだけ若年層の負担を減らせることだろう。



病気にならないため予防の健康増進も重要だ。



けれどリハビリのようなケア対策も重要だ。



健康な人でも事故に遭ったり、脳卒中になったり、いつ何が起こるかなんて誰も分からない。



だからこそなってしまった時のケア、いわゆるリハビリテーション病院の重要性があるのではないか。



厚生労働省の官僚たちは理論理屈でなく、現場の生の声、脳卒中や事故、その他諸々の疾患で苦しんでいる患者の声を真摯に受けとめてもらいたい。



現役の脳梗塞患者である私の切なる思いだ。





今日も公道を距離を延ばして歩いた。



筋トレマシンに励み(日曜日から筋肉痛だけど)、杖を使わずに歩く練習をした。



メルツで積み木を掴んで離す練習もした。



リハビリはしっかり、廊下を歩くだけの自主トレも存分にした。



何事もくたくたになるまでやった1日だった。





この日記を本格的に書き始めたのは8月から。



7月で終了したST、いわゆる言語・聴覚療法のリハビリについて詳しく書き残しておこう。





高次脳機能障害の一つに失読症がある。



私は出版社でしか働いたことがないから、本が読めなくなることの辛さは想像を絶している。



考えるのも恐ろしいことだ。



集中力や注意力が低下して文章も書けなくなっていたら、復職の可能性はゼロとなる。



高次脳機能障害がないと結果が出たときは、心から安堵した。



ではどのようにして障害と診断するのか?



言語・聴覚療法士による様々な検査を1ヶ月ほど続けた。



検査の種類が多く、覚えている特徴的な検査を列記する。





2桁から9桁の数字を聴いて憶え、それを出されたのとは反対の順番で答える。



検査の時は車椅子に座ってはいるものの右半身麻痺の身体だ。



だから見る・聞く・話す、しかできない私はこれまでに無い集中力と記憶力を発揮して9桁の数字を憶え、出されたのとは逆の順番で答えたのだ。



これは二度と出来ないだろう。





言語・聴覚療法士が単語を言うので、それについてどのような意味があるのか答える。



・単語が何かの名称ならその名称が何を意味しているのかを答えたりする検査



・一般教養的な設問に答える検査



・用紙にアトランダムにある数字と平仮名を指示通りに線でつなぐ検査



・パソコンのモニターにアトランダムに表示される数字の中から、指定された数字が出たら指示の通りエンターキーを押す検査



・二つの絵を見比べて幾つかの間違いを見つける検査



・イラストの迷路を指示通りにスタートからゴールまで線を引く検査





まだまだたくさんの検査があったけど、もう憶えていない。



これらはIQも測っていたようで、全部の検査が終わり高次脳機能障害がなかったのと、IQが120(平均100)だったことで、喜びとともに自慢気な嬉しさも込み上げてきた。





高次脳機能障害は無かったから、車の運転に必要なドライブシュミレーターへ進みたかった。



けど右手右足が動かない身体で運転は無理となり、この時点で言語・聴覚療法のリハビリは終了したのだ。





■9月24日水曜日

タイムトライアル。



3分23秒。





この日記が某社のwebサイトでの連載が決まったのだ!



退院してからとなるが、これから日記を書くのと並行して、これまでの原稿を整理しなければならない。



歩く自主トレだけでなく時間をやり過ごせることが増えるから、ウキウキとした高揚感とともに変な力が入って歩きが危ないことこの上ない(笑)



朝一番の手のリハビリからお昼前の足のリハビリまで1時間40分も時間が空いている。



掲載用に過去の日記を整理してメールで送っていたら、いつの間にかリハビリが始まる時間目前で焦った。



昨夜は興奮で寝つきが悪く、なんだか睡魔が頻繁にやってくる。



午後一でお風呂に入り40分後のリハビリを待つまでのヤバいこと。



まだまだたくさんの歩行訓練をしなくてはならず、睡魔に負けるわけにはいかない。



回復途上だからなんとも言えないけど、この身体で生活をするうちに気楽に居眠りが出来る日が来るのか謎だ。





車椅子とお別れしてから大きく変わったことの一つに、パソコンでYouTubeを観ることや漫画サイトでコミックを読むことをしなくなった。



単純に時間をやり過ごしていたことが歩くことに集中したからだ。



この日記を書くのと、過去の日記を整理して掲載用にまとめるのにも時間が割かれていることもある。



身体の回復が遅れて、車椅子で時間を無為に過ごす虚しさが続いていたらwebで連載なんて気分ではないな。



出版関係者に知り合いがたくさんいて良かった。





この日記をとおして予期せぬ事故や疾患で身体が動かなくなったり、そういう人が家族にいたり、家族ではないけど身近にいたとしたら?



リハビリとはどういうものかを知ってもらいたい。



またリハビリテーション病院の存在意義を広く社会に知らしめたい。



webの連載はそのための最初の一手なのだ。





午後になり足のリハビリで公道を歩くことになった。



2階からトレーニングルームを通らず、そのまま正面玄関から出掛けた。



距離も昨日よりもさらに延ばして。



往復で20分ほど要したが、終始セラピストさんと話しながら歩いていた。



その内容は以下のような話だ。



何らかの疾患を持つ身体が不自由になった人は、ほぼほぼ「落ち込み期」というのがあるだそうだ。



期間は人それぞれだけど、そこから脱却して初めて回復期のリハビリに意識がいくらしい。



その話を聞いて、



はて? 私は落ち込み期なんてまったく無かった。お陰で回復期のリハビリに早い時期に取り組めたようだ。



人によっては落ち込み期で鬱になり、自ら命を断つこともあるらしい。



落ち込み期でなくても、回復が思うように進まなくてリハビリテーション病院を退院しなければならなかったら、社会に復帰できないと嘆き命を断つ人もいるだろう。



そんな辛く厳しい現実を踏まえたうえで、敢えて言う。



このような境遇になることは、いま健康に生きているすべての人たち全員が対象であることを強調したい。



だから健康な身体を維持してほしい。





先週の水曜日から杖で歩いているけど、体力は一朝一夕で戻ることはない。



すぐには寝つけないが今夜も19時に就寝。





◆リハビリ病院の存在意義やセラピストの重要性を、周知させたい



■9月25日木曜日

タイムトライアル。



3分50秒。





週の後半だからか朝の軽快な足取りも多少疲れが感じられる。



毎回思うのだが、スポーツで身体を鍛えているのと一緒で、ある程度の負荷をかけていると後半はどうしてもキツくなる。



だが日曜日の休息日を挟んだ翌週は確実に一段階体力が増えているから不思議だ。





朝御飯を待つあいだに、この日記がweb掲載された際の原稿整理で過去の文章を読み返していた。



8月29日はまだトレーニングルームを2周歩いただけで疲労困憊だった。



3週間後には車椅子から卒業し、杖だけで歩けるようになったから、なんともたいしたもんだ!



日記のお陰で回復具合が明確にわかるのは、これからの指針となるから助かる。



自分自身の日記を読み返し、一喜一憂しながら入院期限のギリギリまで頑張っていくのだ。





昨日は書き忘れたが、体重を量ったら81キロになっており、前回の83キロからまたしても減量していた。



二週間後の計量で待望の70キロ台に突入しているだろうか、いまからワクワクしている。





もう一つ。



昨日の午後2時から院内自立となったから、1階と5階へ自由に行けるようになった。



昨日は午後から二つ、足のリハビリがあった。原稿整理で食堂の自席でスマホをいじっていたから、うろうろするヒマはなかった。



今日は朝一の手のリハビリから二つ目の足のリハビリまで1時間以上空いている。



まずは1階のトレーニングルームへ行き、通所リハビリで来ているA山さんに杖で歩けるようになったことを報告しに行った。



前回お会いした時は車椅子だった。



回復の早さにびっくりされていた。



自分ごとのように喜んでくださったので、私もとても嬉しくなった。





そのまま5階のラウンジへ。



窓が開いていて外から気持ちの良い風が入ってくるラウンジ。



他に誰もおらず一人でのんびりと窓から風景を眺めて和んでいた。



脳梗塞で入院してから、こんなにゆったりした時間は初めてだ。



身体が治っていけばこんな時間も当たり前になるのだろうか。



まだ55日もあるのだから、もっともっと歩けるようになろう。



午前中二つ目の足のリハビリでは今日も公道を歩行。



またしても距離を延ばして昨日よりも遠くへ。



リハビリテーション病院から歩きの練習で行ける限界の距離まで歩けるのは、それにはあと3日は必要だな。



戻って少し休んだら今度は病院の駐車場を杖無しで歩いた。



往復80メートルを杖を使わず、歩幅は小さくても自分の足だけで大地を歩いたのだ。



転院して3ヶ月で、麻痺して動かなくなった足が、自分の意思の力で一歩一歩地面を踏んで歩けるようにまでなったのである。



ここまで来たら確信した!



絶対に発症前の歩きよりも綺麗な歩き方で、新宿だろうと丸の内だろうと、杖を使わず歩いて書店さんへ営業で伺える日を必ず取り戻せると。





リハビリ(自主トレ含)は、セラピストさんのアドバイスと、本人の治したいという強い気持ちが大切だ。



治したいという思いもただ漠然とではなく、明確なヴィジョン(私は杖無しで雑踏を歩くこと)を持つこと。



日々の運動や練習に取り組めば、多くの患者さんは治って元気を取り戻せるのである。



だからこそリハビリテーション病院の存在意義やセラピストの重要性を、国は国民に向けて周知を図ってほしいのだ。



北野武さんや長嶋茂雄さんのように、事故や病気で脳を損傷しても、きちんと治して再び社会で活躍できる。



私や、同じように病気で麻痺した身体をリハビリで動かそうと苦しんでいる人たちでも可能性があることを、もっともっと知ってもらいたい。





歩く距離も、歩く速さも、身体の回復のペース以上に一歩先をいっている。



けれど晩御飯前の17時でヘロヘロで疲労困憊だ。



この疲労困憊がなくなった時は体力が向上した証しとなるから、しんどいけど頑張っていくしかない。





◆退院間近でもないのに、なぜ「家屋調査」を早くしてもらったか?



■9月26日金曜日

タイムトライアル。



3分39秒。





メルツで指の開閉をするも進捗はゆっくりとしたもの。



だからといって焦りはない。





リハビリから戻ると食堂でK本さんが、家族が退院の手続きをしているのを待っていた。



N中さんのときも最後にお会いできたが、K本さんとも最後のお別れができて良かった。



3ヶ月もの間、話し相手になってくれて、本当にありがとうございました!





別れがあれば出会いもある。



食事の席を9月に窓側に変えてもらい、そこで隣同士になったのが、私と同じ脳梗塞で、干支も同じ午年の、ふた回り先輩のN村さん。



食品関係の卸に勤められて、いまは悠々自適なシルバーライフを楽しまれている。



N村さんの病歴や、このリハビリテーション病院へ転院してきた時期からの推測だけれど、私と同じで「落ち込み期」はなかったのではなかろうか?



達観した様子から窺える、とても理知的でユーモアに富んだ人物なのだ。



朝、昼、晩の3食を隣り合わせで食べながら、四方山話をさせていただいている。



N村さんは毎度の食事も楽しまれ、時間を掛けてゆっくりと味わっている姿は、病気でリハビリしている他の高齢者とは明らかに違うのだ。



そんなN村さんが今朝のご飯のときに、なかなか足の回復が思うように進まないのを気にされていた。



「焦らないことですよ」



言えた立場じゃないけど、思わず言ってしまった。



流石N村さん、私が喉の筋肉も麻痺したからか薬が飲み込みづらいとボヤいていたら、



「気にしすぎたらダメだよ」



と声を掛けてくださり、あんまり深く考えないことがストレス防止ということを思い出させてくれたのだ。



N村さんの入院の期限は来年の1月半ばだそうだ。



私の11月21日の期限まで、この関係を続けていきたいものだ。





明後日の家屋調査を前にして、退院後に家の中で課題となることを幾つかリハビリで試してみた。



まずは畳の部屋で立ち上がる練習。



捕まるところがない和室では壁を支えとしながら立ち上がるのだが、これがとっても難しい。



セラピストさんに手助けされて、ようやくなんとか立ち上がることが出来た。



一人では現時点では無理だな。



次に昨日もしたお風呂へ入る練習。



昨日は手摺無しの深目の浴槽を跨いで入ったけど、浴槽にお尻をつくことができなかった。



今日は手摺のある、浴槽も浅めで、浴槽の中に椅子があるお風呂で練習。



手摺と椅子があるだけで全然楽に入れたし、お尻もつくことが出来た。



このような実際の生活で困難なことをチェックして、どのように対処するかを考えるのもリハビリなのだ。



家屋調査は退院が近くなったら、暮らしている家の中での問題点を検証して、どのように対処すればよいかをチェックする目的がある。



退院までまだ日にちのある私が家屋調査をしてもらったのには理由がある。



来月頭に次男の結婚式へ出席するので、一時外泊をするためにお願いしたのだ。



結婚式には車椅子でなく杖で歩いて出席したい。



それがモチベーションとなり早目の車椅子からの脱却となったのかもしれない。





今週からリハビリの質が変わった。



これまでは回復のためのリハビリだった。



今は目標値を高く設定したこともあり、トレーニングのような感じで身体を動かしている。



だからなのか、週の後半ともなると身体のアチコチが筋肉痛だ。



疲労度もこれまでの比じゃない。



気分はアスリートである。



午後、入浴のあとの腕のリハビリで、肩周りのストレッチをしてもらった。



あまりの痛さに息をするのも辛く、さらに関係のない左脚も痛い。



終わって身体に力が入らなくなっていることに驚いた。



なんとも身体というのは不思議なものである。



さらに、その後の今日最後のリハビリである足のときもストレッチが凄まじく、肉体的にというより筋肉的にハードな1日であった。





会社のラインで事務子さんが編集者から無神経な伝言を頼まれて送ってきた。



事務子さんはメンタルが豆腐だから、こんな伝言頼まれて落ち込んでいた。



彼女の凹んだメンタルのケアを私はラインでしたから、リハビリの疲れに余計な疲れが乗っかってヘロヘロ。





私は販売の責任者をしている。



日頃から編集者たちに、立ち寄った書店さんで自社の本が並んでなかったり、並んでいても展示場所が目立ってなかったりしたら報告してほしいと言っていた。



すぐに対処して並べてもらうよう交渉に訪問するためだ。



伝言とは、ある書店さんで自社本が少ないというもの。



それを読んで悲しくなった。



健康なら今すぐ書店さんに行って自社本を並べてくださいとお願いできる。



それが出来ない身体になって、悲痛と表現したいほど心は辛いのだ。



脳梗塞を患い不自由になった身体をリハビリで少しでも良くしようと休職している上司に、いま伝えるタイミングかと?



あまりにも想像力のなさと無神経さに悲しくなった。





脳梗塞は癌と同じで死亡する人も多い、三大疾患の一つだ。



命は助かっても半身不随で残りの人生を寝たきりになる人もいる。



そんな重篤な病に倒れ、リハビリで少しでも身体の機能を回復させようと懸命になっているときに、聞きたい伝言ではない。



リハビリをしていてどんだけ疲れていても、一晩中身体の不具合に脳が反応して覚醒する毎日。



安眠というものが出来ないストレスたるや、ある意味これは拷問を毎晩受けているのと一緒である。



その苦しみたるや、治るのかわからないこともあり、まさに生き地獄というしかない。



その苦しみの真っ最中の人に、業務の伝言をすることの是非がわからない。



こんな人間を雇わなくてはならない、そんな会社の人材不足がとても不安だ。



あまりにも辛くて疲れたから、今日の日記はここまでとする。





◆「退院したらどれほど困難なことがあるんだろう」



■9月27日土曜日

ストレッチとの因果関係なのかわからない。



強いストレッチをするとお腹が便意をもよおしたりすることがある。



けれどストレッチが終われば治まる。



それが今週になって二回、朝、といっても夜中の3時に急な便意で目が覚めた。



トイレに向かったら、その途中で放屁して緩い実が出てしまったのだ。



動きが鈍い身体だからパンツだけでなく、パジャマも汚してしまい、ナースコールをして汚れたパジャマを取り替えてもらった。



パンツはビニール袋に入れて捨てたけど、夜明けに担当の看護師さんが心配して来てくれた。



トイレの汚れた床も、汚れたパンツも左手が頑張って処理した。



そんな簡単なことに20分近くかかってしまい、身体障害者って大変なんだなと改めて思った。



今朝、といっても4時前だけど、お腹の調子が前回のような感じになり、パジャマを脱いでトイレに向かった。



またもや少しだけパンツを汚してしまった。



今回は水道でパンツを洗い、左手で押しつけるように絞ってからビニール袋へ入れた。



それだけのことに10分ほど費やしてしまった。



二回とも強いストレッチを前日のリハビリでしており、何か関係があるのかと思うと強いストレッチは尻込みしてしまう。





タイムトライアル。



3分35秒。





N村さんが朝食の時にボソッと、



「ここにいる間はいいけど、退院したらどれほど困難なことがあるんだろう」



と嘆息していた。



健康なら普通に出来ることが出来ない。



時間をかけてようやく出来るのは、ここが身体障害者にとって整えられた病院だからだ。



外の世界では、はてしなく困難なことばかりだからだ。





毎日清掃の方が一部屋一部屋掃除をしてくれる。



日曜日は休みだけど、平日は9時前後に来られる。



最近になって担当される方が変わっていた。



この前まで研修で先輩について掃除をしていた方が、一人でされるようになっていた。



昨夜は粗相でトイレの床を汚してしまい、その事を伝えて念入りに掃除をお願いした。



掃除をしてくれる方はT澤さんといい、障害者雇用枠で働いているようだ。



T澤さんは私のお願いを気持ち良く聞き入れてくれて、普段以上に床を拭いてくれた。



お陰で、気になっていた汚れも綺麗になり助かった。





午前中は腕のリハビリが2つ。



座って腕のストレッチと筋トレをしただけなのに、身体はぐったりと疲れてしまった。



午後は足のリハビリが2つあるから、いつもの筋トレマシンと公道を距離を延ばして歩くから、これしきでバテてる場合じゃない。



2週間前は杖を使ってトレーニングルームを一周するのに3分だった。



今の足の状態で杖無しだとどれくらいなのか、セラピストさんに歩かせてもらった。



結果は4分。



一緒に歩いたセラピストさんも驚いていたけど、私はもっと驚いた!



7~8分はかかると思っていたからだ。



歩きの速度は小幅だけど、杖を使って歩いた2週間前と大差がないくらい回復しているようだ。



最後のリハビリは予定通り公道を距離を延ばして歩いた。



腕のリハビリの疲れと足の筋トレマシンや杖無し歩行でくたびれていたからか、途中何度も休みながら歩くこととなった。



それでも目標の距離をセラピストさんと話しながら歩き切った。





さすがに身体は疲れ切り、これ以上の自主トレは逆効果と判断。



17時以降は晩御飯で食堂への往復以外は、ラウンジで日記を書いて過ごした。



明日は家屋調査もあって休息日だけれどのんびりもしていられない。



少し先取りでのんびりしよう。





文:真柄弘継



(第11回「現役出版局長・真柄弘継が歩んできた人生の軌跡」につづく…)



【脳梗塞】会社の仕事に関わるのが最高のリハビリだった!  歩けるようになるまでのモチベーションの保ち方【真柄弘継】連載第10回





◆著者プロフィール
真柄弘継(まがら・ひろつぐ)

某有名中堅出版社 出版局長
1966年丙午(ひのえうま)の1月26日生まれ。1988年(昭和63年)に昭和最後の新卒として出版社に勤める。以来、5つの出版社で販売、販売促進、編集、製作、広告の職務に従事して現在に至る。出版一筋37年。業界の集まりでは様々な問題提起を行っている。中でも書店問題では、町の本屋さんを守るため雑誌やネットなどのメディアで、いかにして紙の本の読者を増やすのか発信している。



2025年6月8日に脳梗塞を発症して半身不随の寝たきりとなる。急性期病院16日間、回復期病院147日間、過酷なリハビリと自主トレーニング(103キロの体重が73キロに減量)で歩けるまで回復する。入院期間の163日間はセラピスト、介護士、看護師、入院患者たちとの交流を日記に書き留めてきた。



自分自身が身体障害者となったことで、年間196万人の脳卒中患者たちや、その家族に向けてリハビリテーション病院の存在意義とリハビリの重要性を日記に書き記す。
また「転ばぬ先の杖」として、健康に過ごしている人たちへも、予防の大切さといざ脳卒中を発症した際の対処法を、リアルなリハビリの現場から当事者として警鐘を鳴らしている。



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