「まさかオレが!? 脳梗塞に!」ある日突然人生が一変。衝撃の事態に見舞われ仕事現場も大混乱!現役出版局長が綴った「半身不随から社会復帰するまでのリアル奮闘日記」。
誰もが発症の可能性がである「脳卒中」。実際に経験したものでないと分からない〝過酷な現実と絶望〟。将来の不安を抱えながらも、立ち直るべくスタートした地獄のリハビリ生活を、持ち前の陽気さと前向きな性格でもって日々実直に書き留めていったのが、このユーモラスな実録体験記である!
リハビリで復活するまでの様子だけでなく、共に過ごしたセラピストや介護士たちとの交流、社会が抱える医療制度の問題、著者自身の生い立ちや仕事への関わり方まで。 克明に記された出来事の数々は、もしやそれって「明日は我が身!?」との声も!? 笑いあり涙ありの怒涛のリハビリ日記を連載で公開していく。
第11回は「脳梗塞になった現役出版局長・真柄弘継が歩んできた人生の軌跡」
出版局長の明日はどっちだ!? 50代働き盛りのオッサンは必読!
第11回<番外編>脳梗塞になった現役出版局長・真柄弘継が歩んできた人生の軌跡
◆小学5年生のときに家族で夜逃げ
1966年丙午の1月に神奈川県で生まれた。
父は工務店を営んでおり、その長男として我が儘放題に育ってきた。
小学校の3年生頃から週刊漫画誌をチャンピオン、サンデー、ジャンプと毎週欠かさず買って読んでいた。
このような恵まれた生活は5年生の夏休みで終わる。
父は競輪が好きで、月に何度かは熱海の旅館に泊まって小田原競輪場へ通っていた。
もちろん家族同伴で。
父が競輪を楽しんでいる間は、母と弟たちと私は小田原城で過ごすのが定番であった。
けれどギャンブルの常で、負けが込んで借金まみれで会社を傾かせることになる。
自家用の愛車(日産ローレル)に積めるだけ服など詰め込んで、夏の日に母の実家である福岡県へ昼間だけど、夜逃げしたのである。
そこからは中学生になるまで親戚の家に母子4人で居候となった。
それまでご飯は食べたいだけ食べており、いわゆる肥満児で丸々としていた。
だが居候の身となり、おかわりは一度きりと母に決められ、生まれて初めてのひもじさを感じたのだ。
いまでも記憶にある。
温厚な母が愚図って泣きやまない末弟(3歳)を怒鳴りながら投げ飛ばし、祖母が慌てて止めているシーン。
実家とはいえ家を継いだ長兄の嫁の嫌味に耐え、連絡のない父のことで不安が増し、ストレスは限界を超えていたのだろう。
それ以来、家族だけで暮らせるようになるまで母はどれほど辛かったろう。
母の長兄の家には5年生の二学期だけお世話になった。
三学期からは次兄の家でお世話になった。
次兄は酒好きで酔うと怒鳴り声になるが、暴力はふるわず、単なるうるさいオジサンであった。
叔母はとてもおおらかな人で、長兄の家で辛い思いをしていた母も叔母のお陰で元気になっていった。
中学生になる直前に二間の貸家に母の叔父(80歳)と一緒に住むようになった。
叔父の身の回りの世話をすることで家賃を払ってもらっていた。
2階建ての2階一間で家族4人で暮らし始めた。
2階建て二間でもお風呂もあり、一階の台所とトイレと風呂は叔父が使い、私たちは借りるような生活である。
この生活は叔父が老人ホームへ入ることで解消する。
それからは母一人のパート収入だけで家賃と生活費を賄うことになり、ここからが本当の極貧生活の始まりであった。
それでも2階建ての貸家に家族だけで暮らすのは、親戚とはいえ他人の家で片身狭く暮らすより何万倍も気楽であった。
◆読書の快楽にハマることとなる本との出逢い
小学校6年生の時にお年玉で初めての文庫本を買った。
裕福な頃から漫画週刊誌やコミックは買っていたが、文字だけの本は初めてである。
いまでも持っているが、眉村卓さんの『地球への遠い道』というSF小説だ。
私が読書の楽しさにハマることとなる一冊だ。
中学生からは弁当なのだが、母が忙しくてパン代として200円をもらっていた。
このお金を全部遣わずに半分残して、それで文庫本を購入していたのだ。
白石書店駅前店で。
中学生の間はお年玉やパン代で日本のSF小説を買って読んでいた。
平井和正、筒井康隆、星新一、豊田有恒、眉村卓、小松左京など錚々たる作家ばかり。
中学生の三年間で、なんだかんだ200冊ほどは読んでいた。
特に白石書店さんの新しい店舗が開店して、ハヤカワSF文庫がずらり平台に並んでいるのをみてからは、エドモント・ハミルトンのスターウルフシリーズ(和製SFドラマがこの頃に放映)や、C・L・ムーアの大宇宙の魔女、フランク・ハーバートのデューン砂の惑星シリーズ等々。
中でもハインラインが大好きだった。
『銀河市民』『宇宙の戦士』『夏への扉』『人形使い』他多数。
中学3年生の時に、ロバート・A・ハインラインの『愛に時間を』というハードカバーで2500円もする単行本を買ったときは、何日もパン代を貯めたものだ。
親戚から貰った図書券と合わせ2500円になったときは、売れてなくなってはいないかと心配ばかりしていただけに、棚にあった時は人生でこれほど嬉しかったことはなかった。
たかが14歳の人生だけど(笑)
高校生となりアルバイトが出来るようになってからは、一気に読書量も増えた。
当時の文庫本は200~300円台。
200円のパン代を二日分、または三日分浮かせて1冊買っていた。
バイト代が入るようになってからは、読みたい本を7~8冊まとめて買って読んでいた。
高校2年生のときは年間400冊も読んでいたけど、まだ積ん読とは無縁だった。
その後は読むより買う量のほうが増えて積ん読だらけとなるのだが。
※最初に買った文庫本からこれまで買った本は雑誌を除き全部手元に残している。
アルバイトは最初は朝刊を配る新聞配達。
月に1万5千円貰えた。
あと日雇いの肉体労働も日曜日毎に仕事があればやり、夏休みなど長い休みは仕事があるかぎり通ったものだ。
日給4000円だったけど、新聞配達より効率良く稼げた。
日曜日に働いた分の賃金を、火曜日に親方の家まで受け取りに行く。
その足で白石書店さんへ行って文庫本を7~8冊買って帰るのだ。
時には1000円近くの単行本も買ったりもした。
こうして本ばかり読んでいたから、将来は出版社で働きたいと思うようになった。
しかし、高校3年になる前に進路相談で、出版社は大卒しか入れないと知り、経済的に大学進学なんて無理だし、何よりも学力=偏差値が低すぎて諦めていた。
けれど、高卒でどこかの工場で働く姿は想像できず、なにか方法はないかとアレコレと調べたら、学校の推薦があれば試験は小論文と集団討論だけという大学を見つけたのだ。
そこで推薦を得るために定期試験で高得点を取るにはどうすれば良いかと考えた。
いつも試験前に先生たちが
「ここから、ここまでが試験に出る範囲です」
と言っていたことを思い出した。
その範囲をひたすら暗記して覚えたら、数学と物理以外は100点ばかりとなったのだ。
これを2学期の中間試験まで続けたら、通知表の平均が4.5を超えて学校の推薦が貰えたのである。
ちなみに、私が卒業した高校は学区の最底辺高校だったからできたことである。
それでも4.5は偏差値70の進学校も40の底辺校も同じ4.5。
なんともお得なものである。
こうして大学受験は推薦で京都市にある花園大学を受けて合格した。
次なる問題は学費だ。
これまた色々な奨学金を調べたら、新聞奨学生制度を見つけた。
すぐに進路指導の先生と話して、各新聞社の中から毎日新聞社の新聞奨学生となった。
新聞配達をしながら大学へ通うのは考えていた以上に大変なことだった。
入学前に大阪のPLランドで研修に集まった約400人(大学・専門学校)の新入生たち。
4年後の卒業祝いの会場に4年制の卒業生は私ともう一人しか参加していなかった。
今でこそ毎月一回朝刊の休みはあるけど、当時は年に7回しか休みがなかった。
雨だろうと雪だろうと、休みなく朝刊と夕刊を配っていたのだ。
セラピストさんたちに毎朝の自主トレを続けていることに驚かれるが、たぶんこの時の新聞配達の経験が活かされているのだろう。
他人からは大変に思われる新聞奨学生。
4回生の時に大学の授業の一環で行われていた中国語研修で中華人民共和国に行くことが出来た。
1980年代の中国は令和の現代では想像できない素朴な大国で、過激な反日思想もなく穏やかな国だった。
この研修で、同じクラスで一緒だった生涯の伴侶となる妻と出会えたのだから、それほど辛い4年間だと思わなかった。
◆出版界の荒波にもまれて幾星霜
就活は出版社を希望していたが狭き門のため、普通の会社も受けて夏前には幾つか内定を得ていた。
出版社の選考が始まるのは夏の終わりから秋。
内定をすべて断ってからの受験となり、まさに背水の陣であった。
運良く大日本図書という教科書会社に同期3人と入社できたのは奇跡だったのだろう。
3人の同期のうち2人が取締役となっている。
あのまま残って勤めていても私はせいぜい課長までだったかな。
教科書会社の書籍部門(児童書がメイン)の営業に配属され楽しく仕事をしていた。
児童書の巡回販売で全国の割り当てられた県へ約3ヶ月もの期間を車で移動しながら回るのだ。
各地の書店さんと一緒に、小中学校図書館や市町村の公共図書館へ見本を持って売り歩くのだ。
6年間で北海道や秋田県、岩手県に広島県に島根県に富山県、それらの隣県を回ってきた。
7年目になった年に教科書の営業部門に異動となった。
私は一般の書籍の営業がしたかったから、転職してベストセラーズへと移った。
ベストセラーズでは11年ほど勤めた。
けれど販売促進は3年ほどで、広告部に1年、その後は退社するまで雑誌の編集をしていた。
90年代も終わりの頃に、新創刊のパソコン誌『Cyber globe』で初めて編集者となった。
それから『競馬最強の法則』『おとなの特選街』に従事していた。
編集が嫌だったわけではないが、書店営業に戻りたいと常々思っていた。
社会人となってから得た友人の誘いで、新規の出版社スパイスへ転職したのが30代も終わり間近であった。
友人はコロナ禍の前の年の年末に53歳という若さでこの世を去ってしまった。
彼の名は芝田暁。
文芸編集の世界では知らぬ人がいないほどのヒットメーカーだ。
「紺碧の艦隊」シリーズや、ミリオンセラーとなった『血と骨』を世に送り出した名編集者。
芝田くんが起こしたスパイスは、残念ながら三年と経たずして無くなってしまった。
僅かな期間だったが新規の出版社でゼロから営業をしたことは、私にとって貴重な経験を得ることとなる。
会社がもう無くなるという直前で、なんとか直販の出版社へ転職。
社名を出したくないほど酷い会社だった。
そんな酷い会社に三年ほど勤めた。
在籍している社員は10名ほど。
私が勤めた3年間で23人入社して23人辞めていくという会社であった。
そんな会社でも生活のために身を細らせながら働いた。
3年が過ぎた頃、いまの会社の前任部長から誘われ、ようやくまともな世界に戻ることが出来たのだ。
五つ目となる会社は月刊誌WiLLと書籍を刊行している。
他に広告代理店のクリエイティブな仕事や、自衛隊のDVD、科学ドキュメンタリー番組を制作している、ワック株式会社である。
前任部長が2014年に退社され、2016年にWiLLの編集長と編集部員が会社を去っていき、たいした実績も無い私が、販売部門の長になる。
気がついたら職位が上がって、今の常務執行役員出版局局長なんて大層な肩書きとなっていた。
紙の出版業界は時代の終焉のような有り様。
けれど会社は動画などで収益構造のイノベーションに成功。
私は主に紙の本のための人員として働いている。
いつか書籍で特大のホームラン(ベストセラー)を虎視眈々と狙っている営業マンだ。
それまでは働こうと思っているから、脳梗塞で身体障害者となってもリハビリで復活を目論んでいるのだ。
文:真柄弘継
(第12回「新米身体障害者の私は自宅生活に課題が一杯」につづく…)
◆著者プロフィール
真柄弘継(まがら・ひろつぐ)
某有名中堅出版社 出版局長
1966年丙午(ひのえうま)の1月26日生まれ。1988年(昭和63年)に昭和最後の新卒として出版社に勤める。以来、5つの出版社で販売、販売促進、編集、製作、広告の職務に従事して現在に至る。出版一筋37年。業界の集まりでは様々な問題提起を行っている。中でも書店問題では、町の本屋さんを守るため雑誌やネットなどのメディアで、いかにして紙の本の読者を増やすのか発信している。
2025年6月8日に脳梗塞を発症して半身不随の寝たきりとなる。急性期病院16日間、回復期病院147日間、過酷なリハビリと自主トレーニング(103キロの体重が73キロに減量)で歩けるまで回復する。入院期間の163日間はセラピスト、介護士、看護師、入院患者たちとの交流を日記に書き留めてきた。
自分自身が身体障害者となったことで、年間196万人の脳卒中患者たちや、その家族に向けてリハビリテーション病院の存在意義とリハビリの重要性を日記に書き記す。
また「転ばぬ先の杖」として、健康に過ごしている人たちへも、予防の大切さといざ脳卒中を発症した際の対処法を、リアルなリハビリの現場から当事者として警鐘を鳴らしている。
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