「まさかオレが!? 脳梗塞に!」ある日突然人生が一変。衝撃の事態に見舞われ仕事現場も大混乱!現役出版局長が綴った「半身不随から社会復帰するまでのリハビリ日記」。



誰もが発症の可能性がある「脳卒中」。実際に経験したものでないと分からない〝過酷な現実と絶望〟。将来の不安を抱えながらも、立ち直るべくスタートした地獄のリハビリ生活を、持ち前の陽気さと前向きな性格でもって日々実直に書き留めた。



リハビリで復活するまでの様子だけでなく、共に過ごしたセラピストや介護士たちとの交流、社会が抱える医療制度の問題、著者自身の生い立ちや仕事への関わり方まで。 笑いあり涙ありの怒涛のリハビリ日記を連載で公開。



第13回は「息子の結婚式に車椅子で参列はしたくない! その一念で歩けるようになったのだ!」。50代働き盛りのオッサンは必読!



「息子の結婚式に車椅子で参列はしたくない」その一念で歩けるよ...の画像はこちら >>





第13回息子の結婚式に車椅子で参列はしたくない!その一念で歩けるようになったのだ!



◆一度麻痺した足を動かすのがいかに難しいか



■10月3日金曜日

明日の親族代表の挨拶を考えていたからか、いつも以上に眠りにつくのが難しかった。



けれど朝4時には起きて、快便からの自主トレで身体はしっかりと目覚めた金曜日の朝。





タイムトライアル。



3分12秒。





繰り返しだけど、ただ歩くだけなのに一度麻痺で機能停止した足を動かすのは難しい。



頭では右足も普通に動いているのに、歩いていると躓いたり止まったりしてしまうのだ。



脳の可塑性(かそせい)[注]で私の脳も一生懸命に修復しているのだ。



歩き方もいずれ上手くなると信じている。





[注]



可塑性



脳の可塑性とは、脳が外部からの刺激や経験、学習によって、自身の構造や機能、神経細胞のネットワークを変化させる能力のことです。脳の一部が損傷を受けても、周囲の損傷を受けていない部位がその機能を補ったり、新たな神経回路を形成したりすることで、機能回復を可能にする脳の柔軟性であり、学習や記憶、技能の習得にも深く関わっている。



結婚式で一時帰宅をする。



だが私のいまの仕事はリハビリテーション病院でのリハビリ。



歩きも手の動きも元に戻すことだ。



今日もどんどん追い込んでリハビリをするしかない。



だけど明日の息子の結婚式でバテたりして家族に迷惑を掛けたくない。



今日だけはリハビリも無理しない程度で明日に備えよう、なんて考えている自分もいて、心が乱れる悩ましい状況だ。





30日の火曜日に公道を150メートル程歩いて35分だった。



昨日は400メートル程で21分。



今日は1キロを32分で歩けた。



今週は日ごとに体力が増している。



健常者ならそれぞれを1分半、4分、15分で歩く距離である。



いかに早くなったといっても、所詮はこの程度の速さでしかない。





私は坂路調教と言っている往復1キロのコース。



最初は下り坂で途中平坦になり、また坂を上って信号のある500メートルのところでUターン。



帰りも下りからの上りとなるから坂路調教なのだ。



病院に戻って血圧を計ったら上が120の下86。



脳梗塞前に歩いただけで爆上がりだった頃が嘘のようだ。



この歩きを杖無しでも出来るように早くならなければならない。



僅か4日間という短期間でここまで仕上がってことにセラピストさんたちも驚かれていた。



この日記を読んでくれている人たちには、それが凄いことだと私の文章力では伝えられず悔しい。



文字でどれほどリハビリは厳しくキツイものだと書いても、読んでいる方はそうなんだなとしか思わないだろう。



表現することの難しさ虚しさを感じる。



それでもこの日記が、もしかしたら同じような境遇の人や、その家族に少しでも参考になればという思いから最後まで書き続けるしか、いまの私には出来ることがない。





二つ目のリハビリも足。



セラピストさんと杖無しで2階の病棟を歩きまくった。



2週間前に自立3で杖で自由に歩けるようになった時よりも、今日の杖無し歩行は安定している。



目標の杖無しでの自立5も近づいているようだ。



歩いた後はストレッチで強張った筋肉をほぐしてもらう。



以前ほど足の筋肉の強張りがない。前はリハビリ後は激痛だったが、今日はそれほど痛く感じられなかった。



新しい筋トレも教えてもらった。



ベースになる運動にスパイスのような違う運動を混ぜることで、脳の可塑性が高められるからだそうだ。



新しい知識を得ることができ、身体もぐんぐん良くなっていく。



トレーニングリハビリは堪えるしかない。ただ楽しくもある。





午後は入浴からの指のリハビリ。



2日も足のリハビリばかりだったから、指がガチガチに固まっている。



セラピストのA塚さんがメルツの装着に指を広げるのに苦戦して大変だった。





3時半から一時帰宅のための準備。



着替えをして4時に病院から自宅へ向かった。



一度帰宅してから、行きつけの美容室へ。



4ヶ月ぶりに頭をスッキリ整えてもらった。



あとは退院まで伸ばしていこう。



美容室の先生とは37年来の付き合い。



脳梗塞で入院したことをとても心配してくれている。



私の元気な様子と痩せてシュッとなった姿に感動されていた。



帰宅後、4ヶ月ぶりに我が家で家族で食卓を囲んでの晩御飯。



少しだけ多目の量を食べてしまった。





病院同様に19時に就寝。



しかし家族は普通に生活しているから21時頃までまんじりとしながら起きていた。



その後は普段と同じで22時、23時、24時にトイレで目が覚めた。



病院のベッドだと起き上がるのは慣れたものだ。



けれど布団から立ち上がるのは初めてだったから、危うく転倒しそうになった。



掴まり立ちの台を使って起き上がる。



そこからトイレへヨチヨチ歩きで行く。



これを何度か繰り返し、24時のトイレを最後にようやく眠りにつけた。





◆「社会は身体障害者に優しくはない」ことを痛感したトイレ事情



■10月4日土曜日

午前3時45分に便意で目が覚め、4ヶ月ぶりに自宅のトイレで快便となった。



早朝5時30分に出発のため、いつもの自主トレはお休み。



ほの暗い中を息子の運転で横浜へ向け出発。



途中の混み具合が分からず、念のため失禁対策として紙オムツを装着。



イザというときに備えた。



およそ2時間で式場に到着。



そこでおにぎりと卵焼きの朝食。



薬の服用を済ませ、まずは朝一つ目のルーティンを終了。





身体が不自由になってから初めての一般社会。



式場の中の移動は安全を優先して車椅子を使い、要所要所は立ち上がって杖で歩いた。



トイレ一つとっても社会は身体障害者に優しくはないことを痛切に実感。



普通のトイレは狭くてスボンの上げ下ろしするのに扉を閉められない。



息子に入口に立ってもらいながら済ませた。



式場の中の移動もスロープや車椅子専用の小さなエレベーターはあるものの、決して使い勝手がいいものではない。



身体障害者には疎外感を与え兼ねないと、身体障害初心者の私は思ったのである。





結婚式はとても素晴らしく、ご臨席くださったゲストの皆さまは30代ばかり。



先方の家族の親戚も私の親戚も、いわゆる高齢者は全然居なかった。



とても若々しい披露宴であった。



花嫁のご両親とは初めての対面。



あとで息子たちから、



「健康なら父は饒舌だから、あちらのお父さんが物静かなだけに、一人でべらべらと喋っていたろうな」



と褒められたのか貶されたのか、ようわからん感想を聞かされた。



自分でも健康な身体の時よりも話すスピードが落ちて、なんとなく良い感じで話せた。



息子の晴れの日を台無しにせずに済んでホッとしている。





「息子の結婚式に車椅子で参列はしたくない」その一念で歩けるようになったのだ!【真柄弘継】連載第13回
真柄氏と奥様



出てくる料理は量的には健康なら一口で食べてしまえるくらいの量。



病院と同様に少しずつカミカミしてゆっくりと味わいながら食した。



驚いたのはパンの味。



バターを塗らずに食べたのに、塩の味がハッキリわかるくらいしょっぱい。



パンってこんなに塩分含まれているのかと改めて気づかされた。



コース料理は栄養士さんに事前に聞いて何を食べても問題ないことを確認していた。



だけどデザートは果物でなくケーキだったから一切手をつけなかった。



でも、正直に告白します。



愛する孫娘から



「おじいちゃん、これあげる。食べて」



と、マーブルチョコを1粒渡された。



食べないわけにもいかず、覚悟を決めて口にしました。



味は全然わからなかったけど、孫娘から大事そうに渡されたから、どんなチョコよりも美味しい、はずだ。



メインのフィレステーキは二切れで充分な動物性タンパク質を摂取。



残り三切れは息子に食べてもらった。





「息子の結婚式に車椅子で参列はしたくない」その一念で歩けるようになったのだ!【真柄弘継】連載第13回
結婚式で食べたフィレステーキ



会場は若さ溢れる空気。



リハビリテーション病院の高齢者ばかりの環境とは違う。



生き生きとした生命力に満たされた空間に半日いたからか、長時間にもかかわらず疲労感もなく病院に戻ってこれた。





帰りの車の中で高市総裁誕生のニュースに接し、ラインで繋がっている書店員さんたちへ本の案内と休職している件を連絡。



たちまち本の注文の返事がきて、道中はその返事。さらに月曜日に注文処理してもらうために営業部のラインで指示を出していた。



そのせいか3時間の道中はあっという間に過ぎていったから驚いた。





いまこの日記を書いているのが19時30分。



身体も心も、いつものようなヘロヘロにはなっていない。



体力もかなり回復しているのだろう。





 



文:真柄弘継



(第14回「リハビリテーション病院の存在意義とリハビリの重要性」につづく…)



「息子の結婚式に車椅子で参列はしたくない」その一念で歩けるようになったのだ!【真柄弘継】連載第13回



◆著者プロフィール
真柄弘継(まがら・ひろつぐ)

某有名中堅出版社 出版局長
1966年丙午(ひのえうま)の1月26日生まれ。1988年(昭和63年)に昭和最後の新卒として出版社に勤める。以来、5つの出版社で販売、販売促進、編集、製作、広告の職務に従事して現在に至る。出版一筋37年。業界の集まりでは様々な問題提起を行っている。中でも書店問題では、町の本屋さんを守るため雑誌やネットなどのメディアで、いかにして紙の本の読者を増やすのか発信している。



2025年6月8日に脳梗塞を発症して半身不随の寝たきりとなる。急性期病院16日間、回復期病院147日間、過酷なリハビリと自主トレーニング(103キロの体重が73キロに減量)で歩けるまで回復する。入院期間の163日間はセラピスト、介護士、看護師、入院患者たちとの交流を日記に書き留めてきた。



自分自身が身体障害者となったことで、年間196万人の脳卒中患者たちや、その家族に向けてリハビリテーション病院の存在意義とリハビリの重要性を日記に書き記す。
また「転ばぬ先の杖」として、健康に過ごしている人たちへも、予防の大切さといざ脳卒中を発症した際の対処法を、リアルなリハビリの現場から当事者として警鐘を鳴らしている。



◾️ X(旧Twitter)
H.MAGARA
https://x.com/h_magara
◾️Instagram
hirotsugu_magara
https://www.instagram.com/hirotsugu_magara/



  

編集部おすすめ