「まさかオレが!? 脳梗塞に!」ある日突然人生が一変した現役出版局長。衝撃の事態に仕事現場も大混乱。
リハビリで復活するまでの様子だけでなく、共に過ごしたセラピストや介護士たちとの交流、社会が抱える医療制度の問題、著者自身の生い立ちや仕事への関わり方まで。 笑いあり涙ありの怒涛のリハビリ生活を公開していく。
第14回は「リハビリテーション病院の存在意義とリハビリの重要性を考えざるを得なかった理由」。50代働き盛りのオッサン必読!
第14回「リハビリテーション病院の存在意義」と「リハビリの重要性」を考えざるを得なかった理由
◆「早く現場復帰したいというモチベーション」が身体の辛さを吹き飛ばす妙薬
◾️10月5日日曜日
タイムトライアル。
3分6秒。
毎日のルーティンに血圧測定と体温測定がある。
計りに来てくれる看護師さんとは世間話で親睦を深める。
今日の担当看護師さんは、人物紹介にも書いたショートカットのA垣さん。
夜勤でナースコールをしないとポイントが貯まって、退院の日におりがみをくださると言ったA垣さんである。
昨日の息子の結婚式の話から始まって、いまの私の状態が入院当時と比べて格段に良くなっているなんて話をした。
看護師さんもセラピストさんもチームに分けられている。
Aチーム、Bチームが入院患者60名を二つに分けて、それぞれに対応しているのだ。
看護師、セラピストどちらもAチームが私を担当してくれている。
A垣さんは入院の初期から私のことを知っておられるから、
「真柄さんはこの二週間でどんどん良くなってますね」
と言ってくれたので、リハビリ回復の自信を深めた。
介護士のK沢さんも、これまでの経過をずっと見てくださっている。
杖無しで歩けていることも知っており、早く独歩(独立歩行)の自立になるよう応援してくれている。
彼女とは廊下ですれ違うときでも軽口を交わせるくらい親しい。
私が毎朝新聞を読んでいることも知っているから、愛読紙を席まで持ってきてくれることも。
O本さんに代わって理学療法士の担当になったO橋さん。
他の患者さんにスパルタと畏敬されているらしい。
彼のリハビリを喜んでいる患者さんは、私も含めて回復が早いみたいだ。
私も彼のお陰で杖無しの自立歩行まで時間を要さない進捗状況だ。
今日のスケジュールは午前11時から足のリハビリが1時間。
午後1時から指のリハビリが1時間。
最後が午後3時40分から足のリハビリが1時間。
今日は休息日だから朝の自主トレとリハビリ以外の時間は身体を休めることに専念。
過去の日記を読み返したり、中央競馬だけでなく凱旋門賞を予想。
ローリスクハイリターンを狙った大穴に賭けている。
昨日の高市早苗総裁の本を案内した書店員さんたちから注文が殺到。
その手配でリハビリの合間はあくせくしまくりだった。
夜8時にようやく一段落。
あとは事務子さんに明日頑張ってもらうしかない。
売れる本が出るとテンションが上がり、歩行に変な緊張が入って危ないことこのうえない(笑)
けど楽しくてしょうがないのである。
私にとって仕事でのテンションは、早く現場復帰したいというモチベーション。
動かない身体の辛さを吹き飛ばす妙薬だ。
明日からはロングスパート。
歩くことは一気に仕上げて、なかなか動かない手に専念したいのだ。
身体障害者という重いイメージを払拭して、右手が少し不自由な人として外界で暮らしていきたい。
◆ポジティブなメンタルをもつ人ほどリハビリの回復が早い
◾️10月6日月曜日
タイムトライアル。
3分00秒。
今朝は月に一度の採血。
5時半には自主トレが終わるも、ご褒美である筋トレ後のゼリーはお預け。
一昨日の結婚式で食べたフィレ肉やアワビやフォアグラを身体が排泄したくないようだ。
毎日の快便(午前4時頃)はなぜか止まっている!
まあ、そのうち出るでしょ(笑)
リハビリは腕を1時間と足の筋トレを1時間。
新しい腕の筋トレを教えてもらった。
これまでの筋トレにプラスして始めよう。
足のリハビリは人事異動でこられた理学療法士のA原さん。
私の歩き方の弱い部分を指摘され、その対処的な筋トレを教わる。
この筋トレは病室でも実行可能だから、明日から早速始めていこう。
どちらもとても充実した1時間だった。
当たり前のことだけど、リハビリも人生。
だから逃げ出すことは出来ない。
脳疾患だけでなく他の疾患の患者さんとも話して共通することがある。
前向きの人、いわゆるポジティブシンキングのメンタルをもつ人はリハビリでの回復も良好だということ。
落ち込み期を経てリハビリを始めた人でも、考え方が前向きなら、それだけ回復も進む実例がたくさんあるそうだ。
私なんか一番の好例で、前向きなメンタルしかないから足の回復は目を見張るものがあるそうだ。
身体障害者となりアレもコレも出来ないことばかり。
じゃあどうしたら出来るかを私は考える。
階段の下りで「怖い」と言って立ち止まっている患者さん。
怖いことに足がすくむ気持ちは分からないでもない。
階段の上り下りも、狭い通路を他人を避けながら歩くのも、私は怖いと思ったことがない。
健康な頃から出来ないとか無理とかあまり考えない性質だった。
どちらかというと、ダメでもともと、ヤったもん勝ちみたいな感じで生きてきた。
それがリハビリに絶大な効果をもたらしているのかも?
だからか、自分の人生を振り返っても後悔とかない。
反対にこれからの人生を身体障害者として生きていかないとな、と考えている自分に驚く。
決めつけてしまえば、人間は2種類しかいない。
生き様自体が前向きな人は少々の苦難も難なく乗り越えられる。
後ろ向きな人は周りがどんなに大丈夫と言っても、駄目なものは駄目としかならない人生を送るのだろう。
こういうことを言うと、性格とか環境が影響していると反論される。
人間は他人を変えることは出来ない。
けれど自分自身を変えて人生が好転した人はたくさんいる。
リハビリも難なくこなせるのは、自分なら出来る!と思う心の持ち方次第なのだろう。
身体の半分が麻痺により動かなくなってから、移動は車椅子。
最初の1ヶ月は誰かに押してもらっていた。
自立してからは自分の左足でこいで動いていた。
先月の18日まで足代わりの車椅子。
杖で歩けるようになり、それからは入浴の時だけ乗っていた。
それも先月の29日月曜日まで。
部屋にあるけど使用するのは物を置くため。
朝の自主トレの際にベッドから掛け布団を乗せるのに使っていただけ。
正直個室とはいえ邪魔でしかなかった車椅子。
今日最後のリハビリが終わってセラピストさんが引き取りに来てくれた。
脳梗塞発症から121日。
ようやく車椅子との縁が切れました。
装具も杖も、私にとっては単なる道具でしかなく、いずれ不要となるもの。
車椅子同様、装具も杖も不要となる日は、そう先ではない。
◆40~50分に起きてしまうような断続的睡眠。これは後遺症なのか?
◾️10月7日火曜日
タイムトライアル。
3分20秒。
今朝も新しく入院された方と挨拶を交わしながらお話しをした。
私と同じ脳梗塞とのことだけど、歩いているし、手も動かしてご飯を食べている。
運動機能的には中卒(N村さん命名の脳卒中の別称)には見えない。
本当に脳卒中と言っても症状は千差万別。
けれど高次脳機能障害は見た目じゃ分からないから、麻痺による運動障害以上に厄介な障害だ。
一番目のリハビリは足。
杖無しで公道を歩いた!
健常者なら1分もかからない距離を10分ほどかかったけど、躓くことなく歩けた!
病院のエントランスから自動ドアを杖を持たずに出発。
普通の健康な身体の頃と同じ感覚になって、あとは一歩一歩ゆっくりと緩やかなスロープを下る。
そのまま公道の右側へと踏み出したのだ。
杖で初めて歩いた道を足取り軽く、距離も同じくガソリンスタンドの花壇のところまで。
そこから引き返して病院に戻って階段を上る。
2階の廊下を一周目はゆっくりと、次は早く歩いてから自室へ戻った。
息が切れることもなく、身体が疲れてぐったりすることもない。
スピードは遅くても普通に歩けて、私の中でもう間もなくだという確信が湧いたのだ。
二つ目の足のリハビリでは筋トレマシンとストレッチ。
リハビリの時間でしか出来ない筋トレは欠かさずする。
お尻回りの筋肉を鍛えて歩きの安定性を高めるのだ。
午後はまたしても足のリハビリ。
公道の右側の最長折り返しの交差点まで歩いたら往復で約1キロ。
健常者が早歩きで12~13分のところを、杖を使った私は35分で歩き終えた。
ここを杖無しで20分以内で歩けるようになるのが当面の目標である。
今日は月に一度の面談日。
主治医、担当療法士、担当看護師、妻と私で現状の確認と残りの入院期間での目標を話し合うのだ。
入院期限が11月20日と判明し、そこまでの大雑把なスケジュールを決めた。
まず10月31日金曜日に循環器内科の診察を受けるための手配。
次に退院してからのリハビリをどうするか。
自宅での栄養指導の日程調整。
諸々を決めたうえで退院の日を11月17日月曜日と確定させた。
退院の日が決まったから、そこから逆算してリハビリも進めていかねばならないな。
残り41日。
いよいよ最後の追い込みである。
昨日の快便不発は続いているのか今日も不発。
看護師さんが下剤を一粒置いていってくれたから、しっかり飲んでから就寝。
◆角川春樹さん、山瀬まみさんが「脳梗塞」というニュースが!
◾️10月8日水曜日
タイムトライアル。
3分2秒。
人生初めて二日も排泄がなかったが、寝る前の下剤が効いたのか、定時の朝4時にしっかりと快便。
退院の日が決まったから、毎日過ごしている様子を振り返ってみた。
そこでもう一度、入院してから今日までの繰返し変わらぬ1日の生活をご紹介しよう。
午前4時頃に起床。
着替えて朝の自主トレ。
約1時間ほど、以下の流れで続けている。
ベッドに寝たまま筋トレストレッチ。
次にベッドサイドに腰掛けて筋トレストレッチ。
最後は立ち上がって身体全体の筋トレストレッチで汗をかく。
1日一回のお通じは午前4時前後にスッキリ。
着替えてからの時や、着替えの途中のパンツ一枚の時と、日によって違うけど、出すもの出してから自主トレを始める。
自主トレでベッドから一度起きたら、夜寝るまでベッドに横たわることは休息日以外はしない。
自主トレが終わるとだいたい5時半過ぎ。
それから着替えた汗だくの服を洗濯籠へ入れに行く。
着替えから洗濯籠まで、たったこれだけのことに20分ほど要す。
部屋に戻ってからスマホを首からさげてラウンジ(面会の人と話す場所)へ。
8月まではお話し相手がいたけど、9月からは一人でのんびりと外を眺めながらメールをしたり、日記を書いたりして過ごす。
8時の朝食まで以前なら車椅子でラウンジと食堂と部屋をうろうろ。
いまは歩くこと(これは自主トレ)。
距離にして合計300メートルくらい。
その後はご飯が来るまで自席で日記を書く。
朝御飯が終わると早ければ8時45分からリハビリが始まる。
リハビリは20分、40分、1時間の枠が毎日違うけど1日3時間になるように組まれる。
8時45分から16時40分まで、途中12時から1時間昼休みを除いて行われる。
20分だとストレッチがメインとなる。
患者さんによってはパジャマの着替えや歯磨きのリハビリなどもある。
40分がスタンダードで、トレーニングルームで腕や足のリハビリを行う。
1時間は時間に余裕があるから、前半筋トレで後半は運動(歩く、バランス、腕を使った動作等々)ということが多い。
これらに限らず患者さん一人一人にあったリハビリが行われている。
月水金はお風呂。
リハビリと同じで10時から16時の間で1時間組まれる。
私は右手が使えないから看護師さんや介護士さんに介助されながらの入浴で約30分かかる。
12時は昼ご飯。
20分くらいかけてゆっくりと食べている。
リハビリのない時間は自主トレをしたり、日記を書いたり、5階のラウンジで外を見たりして過ごす。
自主トレはひたすら杖で歩きまわる。
18時の夕御飯が済んだら一度部屋に戻る。
ラインをチェックしたり、次の日の薬を準備したり。
19時15分に翌日のスケジュールが出るので、それを写真に撮りに行く。
右手が使えないからメモはできないからね。
19時30分頃から寝る体勢に。20時頃には寝る。
けれど脳梗塞のせいか、21時22時23時24時と1時間おきにスグに目が覚めてしまう。
だいたい40分から50分の長さの睡眠を断続的にとりながら、寝ては起き、寝ては起きを繰返す。
24時を過ぎたら2時、3時、うまく眠れたら4時まで、長めの睡眠となります。
この断続的睡眠が脳梗塞の後遺症のせいかは分からないから、昨日の面談で主治医のY先生に聞いてみた。
脳の障害はどこからどこまでがそうだと決められないほど、多岐多様に症状が表れるらしい。
睡眠が断続的なことが脳梗塞の後遺症かは分からないとのこと。
解決策がなさそうだから割り切って受け入れるしかない。
とはいえ脳梗塞の壊れた脳を治すのも、疲れた身体を癒すのも、どちらも睡眠しかない。
断続的睡眠は正直言って辛い。
リハビリテーション病院に来てからこの生活を毎日休みなく繰り返して、今日で106日目。
2週間に一度の体重測定。
前回は体重の減り幅が少なく81キロだった。
今回は夢の70キロ台を願いながら体重計に乗る。
な、な、なんと!
78キロになっていた!
前回の測定は車椅子を使わなくなって一週間目。
まだ運動量はそんなに多くはなかったのだろう。
今回は一日中立って杖での歩行を2週間続けていた。
ただ歩くだけでカロリーの消費量は増えているようだ。
夢のようなダイエットだ。
高市総理大臣誕生?
昨年の総裁選の時に刊行した書籍に注文が殺到!
瞬く間に重版となったので、事務子さんに連絡して有力書店と各取次への配本手配をグーグルミーツでレクチャー。
初めての女性総理大臣となれば、年内は売れ続けるのではないかと思い、強気に関係各所へ案内するよう指示しておいた。
今月始めに出版界の大御所である角川春樹さんが、昨日はタレントの山瀬まみさんが、脳梗塞というニュース。
本当に脳梗塞になる人が多いんだなと思った。
なってしまったらリハビリテーション病院で治すことが肝要。
山瀬まみさんも喋れなかったのがリハビリで話せるようになったと、ご自身の声で話されていたのが印象的である。
本日のリハビリは手、足、手、足とバランスよく組まれており、手は指の開閉を中心に、足はルーティンの筋トレマシンと公道での歩行練習。
今朝の快便にもかかわらず、なんと晩御飯を終えたら、急に便意が襲ってきた。
クローヌス[注]が出るかと思うほど緊張が高まり、その緊張で動かない右足を必死に、けど漏れないよう慎重にトイレへと移動。
座った途端に朝の快便以上の量が、最後のほうは軟便が溢れ出たのである。
もし便が硬くなく緩かったらアウトだった。
昨夜の下剤の効果はこっちだったのかと、納得するほどの快便(?)にお腹はすっきりとした。
[注]
クローヌス
脳や脊髄などの中枢神経の障害により、筋肉が自分の意思とは無関係に、規則的かつリズミカルな収縮と弛緩を繰り返す現象のこと。主に足首や膝に関節を伸ばされる刺激(伸張刺激)が加わった際に、「ピクピク」と痙攣が持続する症状で、脳卒中、脊髄損傷、脳性麻痺などの後遺症として見られる
◆私のいる2階病棟に傲慢高齢者とアルコール中毒高齢者が現れる
◾️10月9日木曜日
タイムトライアル。
3分17秒。
朝は部屋での自主トレが終わったら病棟の廊下をひたすら歩くのだけど、一周歩いてはベッドに腰掛けて一休み。
今朝は一休みせず続けて歩いたせいか、朝なのに夕御飯後のような疲れを感じている。
リハビリテーション病院に来て107日目。
蓄積疲労が出てきたのだろうか?
いくら自分では若いと思っていても、身体は59歳。
相応の衰えがきているのだろう。
焦りたくはないけど、残りの日数を思えば焦ってくる気持ちが湧くのは否めない。
ここで無理をして左足にまで支障をきたしたら、これまでの時間が全て無駄になってしまう。
大事をとって休むのも大切だという気持ちもあり、二つの感情が攻めぎあってモヤモヤする。
私のいる2階病棟に10月になって、傲慢高齢者とアルコール中毒高齢者が現れた。
アル中高齢者は時に叫び、時に無断で動こうとする。
見守り隊にしょっちゅう「どうしました?」と制止されている。
けれどどこか愛嬌があるのか密かな人気者だ。
かたや傲慢高齢者は困った患者さん。
対応している看護師さんも介護士さんもセラピストさんも、みな一様に感情を逆撫でされている。
隣席のN村さんなどは
「厳しく対応すればいいんだよ」
と憤慨されている。
N村さんは傲慢高齢者と四人部屋で一緒だそうだ。
傲慢高齢者の奥様も面会に来ては大声で話されて困っているんだとか。
その傲慢高齢者が看護師さんに右手を挙げて呼んでいた。何かを聞きたいときの様子。
看護師さんが
「うちらでは分からないんですよ」
という答えに
「うちらとは何だっ!うちらとはっ! 私どもといいなさい!」
と憮然とし大きな声で教え諭していた。
なんの病気だとああなるんだろうと首を傾げてしまった。
私は入浴の時間に二度ほど一緒になった。
傲慢高齢者は手が動くのに自分ではなにもしない。
全部介助させるという傲慢さが滑稽で、思わず吹き出してしまった。
傲慢高齢者はなんの病気で入院しているのかは知らない。
けれど令和の時代にはあまり相応しくない人格のようだ。
私は遠くから眺めるだけにしようと思う。
8時45分から足のリハビリ。
今朝からの疲労感を伝えて運動量を減らそうかとも思った。
けれど40分間しかないリハビリ時間、やっぱりしっかりやろう。
いつものようにストレッチから杖無しでの歩行練習をこなす。
しかし部屋に戻りベッドに横たわると、50分ほど眠ってしまった。
午前中のこの時間に眠るのは初めてのこと。
それだけ身体は疲れているのだろう。
11時20分から腕のリハビリ。
腕の付け根の部分は筋肉が他の部分よりしっかりとしている。
ここの筋肉が弛緩して亜脱臼になる人がいるから私は運がよかった。
中卒組に手指動かしている患者さんも多い。
しかし腕の筋肉が麻痺していると腕自体持ち上げられない。
お箸を握れても口まで運べないのだ。
私は肘までの筋肉はだいぶ鍛えて動きを取り戻してきた。
とにかく掌と指を目覚めさせねば。
ふと、部屋に戻る時に右足の親指が地面を蹴っている感覚が感じられた。
これまでは右足を持ち上げて前に出すような感じで歩いていた。
爪先で地面を蹴って足を前に出す歩き方が右足にも戻ってきたのかもしれない!
普通に歩く時は、踵から地面に着いて親指で踏み出す[注]。
これを右足も意識せずとも出来るようになったら、それはもう歩けるってことかな?
麻痺した身体が少しずつもとのように戻る際に、些細なことだけどその変化に気がつけるかどうか。
セラピストさんたちから何度も言われてきているから、小さなことだけど、大きな進歩である。
[注]
正しい歩き方
人間の正しい歩き方には、背筋を伸ばして頭を上げ、視線は遠くを見る姿勢、かかとから着地し足裏全体で地面を捉え、親指の付け根で地面を蹴り出す動作がポイントです。歩幅は適度に広くし、足の指を意識して使うことで、体への負担を減らし効率的に前に進むことができる。
午後、20分と40分の足のリハビリで筋トレマシンと病院の駐車場で歩行練習。
最後はストレッチで足の筋肉を解してもらって終了。
1時間30分後の指のリハビリまで、食堂と5階のラウンジでまったりと過ごして朝からの疲れを癒す。
だがそう簡単に疲れを取ることは出来ぬまま最後の指のリハビリへ。
メルツで指の開閉。
身体の調子と一緒で今一つ開きが悪い。
台風の影響を受けた曇天と同じようなすっきりしない気持ちのまま今日のリハビリは終了。
他の中卒(脳卒中)患者さんと身体のことを話したい。
だけどなんの参考にもならない。
症状も障害も同じものはなく、結局は自分で抱えていくしかないのが脳梗塞の後遺症。
一つはっきりしているのは、この日記を書くことで常に脳の障害はないと自覚できること。
他人から見たら絶望的な状況でも、正気を保っていられる唯一の救いなのだ。
今日も早すぎる就寝で、寝つきが悪かろうが、何度も起きてしまおうが、脳の修復と疲労回復のために眠って治していくしかないのだ。
◆全国にリハビリテーション病院が約560。厚労省はその数を減らすというが…
◾️10月10日金曜日
タイムトライアル。
2分55秒。
部屋での自主トレを終えて、早朝の廊下で歩く自主トレ。
なにやら騒がしいから様子を伺っていたら、なんと転倒案件が発生していた。
患者さんは下肢切断の男性。
どうやらトイレへ行こうとして転倒した模様。
詳しいことは分からないけれど、今日一日食堂に現れることはなく、転倒は本当だったようだ。
10年ぶりに旧友へ電話をした。
彼と最後に会ったのは大井のナイター競馬に行った時である。
携帯をガラケーからスマホにしてデータが全部無くなったらしい。
見知らぬ番号に恐々とした様子に、
「真柄です。久しぶり」
と言うと、
「ああぁ、久しぶりですね、どうしたんですか」
と懐かしい声で答える彼。
脳梗塞になったことを報告する。
彼の知り合いに二人脳梗塞の方がいるとのこと。
中卒(脳卒中)は思った以上に身近な病気のようだ。
二人とも50代で発症して、60代のいまも寝たきりとの話を聞いて、改めて我が身の運の良さを実感。
退院して落ち着いてからの再会を約束した。
リハビリは1時間の枠が3つで、手、足、手の順番。
8時45分からメルツで指の開閉の練習。
11時から装具を着けずに歩行練習。
15時から腕のストレッチと指のストレッチ。
身体を使う足のリハビリが比較にならないくらい、腕と指のストレッチは疲労困憊。
細かい神経が多く、脳がとても疲れるから眠くて仕方がない。
部屋に戻ってベッドに横たわったら、気が遠くなってしまった。
ここで寝るわけにはいかず、食堂へ移動して日記を書いて睡魔に耐えた。
◾️10月11日土曜日
タイムトライアル。
3分13秒。
この2週間、家屋調査から結婚式まで、イレギュラーなイベント日が続いた。
休息日を1日とったけど、疲れた身体は完全には回復していないようだ。
病気で体力が落ちているのは厄介なことだ。
どんなに頑張っても身体は健康な頃には戻らない。
全国には約560のリハビリテーション病院があるようだ。
中卒(脳卒中)に限らず、身体の機能回復は病気になったら必要な人は多い。
そんな人たちに寄り添ってリハビリ出来るリハビリテーション病院。
560という数は十分とは言えないのではないか。
急性期(総合病院等)の約8300と比べても少ない数だと思う。
厚生労働省の役人は、増やすどころか減らす方針に舵を切ったとセラピストさんが嘆いていた。
私はこの日記を通して広くリハビリテーション病院を世間に知らしめたいのだ。
退院の日までまだ37日もある。
その日が来るまでリハビリテーション病院での日々を刻名に書き残していくのだ。
午前中は足と手のリハビリ。
朝から雨で外へ歩きに行くことも出来ない。
屋上の障害物コースを杖無しで歩き、その後も病棟の廊下を歩く。
歩きに関しては歩いて体力や筋力を地道に増強するしかない。
悪く言えば歩く以外は何もすることがないのだ。
自主トレで歩き、リハビリの時間で歩き、院内を目的もなく歩く。
メルツを使って手の開閉と、物を掴んで離す練習。
今日はコンディションがいいのか、比較的スムーズに掴んだり離したりを繰り返せた。
肩の力を抜く、ただそれだけなのに難しいのは相変わらずだけど。
昼ご飯の時にN村さんが、
「俺は今日で59日目だけど、真柄さんはその頃なにしてた?」
急な問い掛けに咄嗟に答えられず、
「晩御飯の時までに日記で調べときます」
とだけ答えを返した。
その後、
「N村さん、ご存知? S藤さん退院されたって」
「ホント? 知らなかったよ」
「まだ期限前なのに、ご家族の意向なのかな」
「頭の障害は大変だろうね。俺も最近物忘れが多くて」
「それは歳(83歳)相応でしょ」
S藤さんは、その話し方で頭の障害があると分かるほどの症状。
身体の機能回復も難しく、車椅子も卒業どころではなかったようだ。
まだ50代前半の彼の平穏無事を願うばかりだ。
午後、最初は足のリハビリ。
セラピストさんはボディビルダーの筋トレフェチ。
最近は朝の自主トレでの筋トレが物足りなくなっていたから、グッドタイミング。
歩く際の要である股関節回りの筋トレを教えてもらった。
さらに足腰の筋トレ最終兵器、スクワットの効果的やり方をしっかりと教えてもらった。
スクワットは8月の頭にセラピストさんから、筋肉が弱いと逆効果と聞き断念していた。
だが今では、いや、今こそスクワットの出番である。
股関節回りを鍛えて、踏み出しも踏み込みも強化して、安定感ある歩き方が出来る股関節にするのだ。
最後の手のリハビリで新展開。
私は厳しい食事制限はないのだが、自戒を込めて糖分は避けている。
作業療法士A塚さんが、
「脳疲労が目立ってきたから、若干の糖分を摂るのもありかも」
と言い出したのだ。
入院当初、コーヒーに砂糖をと思い担当看護師さんに確認。
今は止めといた方がいい、の一言で糖分はダメな物と判断。
しかし、食事制限で糖分は規制されてはいない。
A塚さんは脳疲労回復に必要と言い出したのだ。
体重は22キロ減り、食事は完璧にコントロール。
脳への栄養として糖分が必要な時期となったのかもしれない。
改めて担当の看護師さんに相談することにした。
自分自身の戒めとして再発危険期間の年内は我慢と思っていた。
手と指のリハビリで脳疲労になったら本末転倒だ。
必要なら戒めなんて糞食らえだ。
どうなるか結果はなん日後の日記で明らかになるから、乞うご期待!
文:真柄弘継
(第14回「杖無し独歩目前で厳しい現実に息切れ。リハビリ生活最大の壁に未来が見えなくなった」につづく…)
◆著者プロフィール
真柄弘継(まがら・ひろつぐ)
某有名中堅出版社 出版局長
1966年丙午(ひのえうま)の1月26日生まれ。1988年(昭和63年)に昭和最後の新卒として出版社に勤める。以来、5つの出版社で販売、販売促進、編集、製作、広告の職務に従事して現在に至る。出版一筋37年。業界の集まりでは様々な問題提起を行っている。中でも書店問題では、町の本屋さんを守るため雑誌やネットなどのメディアで、いかにして紙の本の読者を増やすのか発信している。
2025年6月8日に脳梗塞を発症して半身不随の寝たきりとなる。急性期病院16日間、回復期病院147日間、過酷なリハビリと自主トレーニング(103キロの体重が73キロに減量)で歩けるまで回復する。入院期間の163日間はセラピスト、介護士、看護師、入院患者たちとの交流を日記に書き留めてきた。
自分自身が身体障害者となったことで、年間196万人の脳卒中患者たちや、その家族に向けてリハビリテーション病院の存在意義とリハビリの重要性を日記に書き記す。
また「転ばぬ先の杖」として、健康に過ごしている人たちへも、予防の大切さといざ脳卒中を発症した際の対処法を、リアルなリハビリの現場から当事者として警鐘を鳴らしている。
◾️ X(旧Twitter)
H.MAGARA
https://x.com/h_magara
◾️Instagram
hirotsugu_magara
https://www.instagram.com/hirotsugu_magara/
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