演奏者や作曲家ではなく、ただのモデルがLPレコードのジャケットを飾ったのが「美女ジャケ」。この美女が歌っているのか? と思って買うと歌無しの器楽演奏で、美女はなにも関係なくがっかりした、なんていうのはレコ好き界隈ではよくあった話だ。
そもそも30センチのLPレコードが開発される前、(蓄音機で聴くような)78回転のSPレコードの時代には、ジャケットというものが存在しなかった。レコードはただ専用紙袋に入れて売られていたのだ。レコードの真ん中に貼られたレーベルと、そこに書かれたデータがレコードの「顔」だった。
SPレコードは片面再生が約3分。1曲聴いたら裏返さなければならなかった。LPレコードは片面で、20分程度再生できるようになったから両面聴いて40分程度。これはひとりのアーティストの音楽を体験するには心地良い時間だった。
こうしてジャケットがデザインされるようになると、アーティストの写真以外に「もっと売れそうなジャケット」が模索されるようになる。
アーティスト写真が多かったのはクラシック音楽の世界だ。
クラシックのCDジャケットをたくさんデザインしてきた筆者としては、ほんとうにアーティストの顔出したがりには辟易するけれど、これはひたすら耐えるしかない。
「ライト・クラシック」と呼ばれる、軽く聴き心地の良いイージーなクラシック風のレコードが出始めたのも戦後のこと。
さらにムード・ミュージック(あるいはイージーリスニング)という軽音楽が大きな市場をつくりつつあった。恋人と一緒にいるとき...家でくつろいでいるとき...バックグラウンドで流れる、薬にはなっても毒にはならない音楽。そう、PUNKなんて必要なかった時代の話なのだから。
急成長するムード・ミュージックのレコード・ジャケットには、やはり薬にはなっても、ときどきしか毒にならない美女のモデルが起用されるようになる。そっちのほうがアーティスト写真よりも売れたのだから。
その美女たち、収集してみればわかるのだが、99%と言ってよいくらい白人美女。まあ、50年代とはそんな時代だったのだ。
いまではハリウッド映画も人種の人口比に対応して、6人のチームが主役になるなら白人3人、黒人2人、東洋人1人とかで配役する。
東洋人はほぼ3番手だったのがヒスパニックの台頭でいまや4番手になりつつある。これもしょうがないね。
そんな白人美女全盛の1950年代後半、エキゾチック・ミュージックというものが台頭してくる。マーティン・デニーが代表的だが、これはまた別の回で。南洋風、東洋風、アフリカ風(あくまでなんちゃって、である)に聞こえる、でも、洗練された都会的エキゾ・ミュージックには、それに合うジャケットが必要だった。
こうしてマイナーな存在でしかなかったオリエント顔が、美女ジャケ界隈で流通し始める。肉食的な白人美女の世界に飽いていた向きには、これは清涼剤でもあり、あらたな刺激でもあった。
そもそも第二次世界大戦で、南洋や極東に配属された兵士たちは異郷の女性にとりこになって帰って来たのだ。
だから戦後のサバービア(郊外)の住宅には、南洋やオリエントのグッズが溢れた。
そんなところにマーティン・デニーのエキゾ・ミュージックが登場したわけだ。1957年、冒頭で紹介したアルバム「EXOTICA」がリリースされてヒットする。ジャケには東洋風の白人美女。まだまだオリエント顔まで至らないが、どことなくエキゾチック。そして翌年には黒髪の美女をジャケに配した「Exotica VOLUME II」がリリースされる。
大衆も少し慣れてきた。しかもアメリカは公民権運動の時代に突入しようとしていた。黒人の権利獲得の運動は、白人以外の人に光を当てようとしたものともいえる。



そんな時勢の59年、レス・バクスターのエキゾ名盤「AFRICAN JAZZ」がリリース。
アフリカのことは映画で観れば充分。金持ちの酔狂でなければ、そんなとこ行かないでしょ、という時代だったのだ。
もうだいぶ異郷風情にも慣れた。音色にこだわり実験的なムード・ミュージックをやって「スペース・エイジ・ミュージック」の創始者のひとりといわれるフェランテ&テイチャーは「PIANOS IN PARADISE」をリリースするが、モデルは漆黒の美女!
ああ、黒人女性モデル。KKK(クー・クラックス・クラン/白人至上主義団体)はこれをなんと思ったか!? 黒人のやるジャズ・レコード以外で黒人女性がモデルになることがなかった時代、白人アーティストのレコード・ジャケットを黒人女性モデルが飾るというのは画期的なことだった。
白人美女でない美女ジャケのセールスが悪くないと知ったレコード会社は、もうオリエント美女の起用に躊躇しない。ノーマン・ルボフの洒落たコーラス・バンドによるハワイをテーマにした「Aloha」は、当然のようにアロハなポリネシア系美女がジャケットに。


並べればわかるように、フェランテ&テイチャーのジャケとノーマン・ルボフのジャケはよく似ている。ソテツの葉陰の美女。
これがエキゾ・ミュージックらしさを醸しだすとわかると、レコード会社は一斉にソテツの葉陰やねむの木の葉陰の美女写真をジャケットに使い出す。リスナーも釣られて、ちょっとピントがボケた葉陰の向こうの美女写真を見ると、とてもエキゾチックな気分になってしまったのだ。
上記、2枚のアルバムがリリースされたのは1962年のこと。同じ年、ジャズ・オルガニストのジミー・スミスのアルバム「CRAZY! BABY」を飾ったのは、黒人女性最初の職業モデル、マリオン・パーカーだった。あぁ、時代は変わる。白人美女は極上だったが、もっと別の美もあることがわかり始めてしまったのだ。
アンドレ・コステラネッツというイージーリスニング界で大成功した指揮者/編曲家がいる。サンクト・ペテルブルク生まれでロシア革命時に家族がアメリカに亡命したというバリバリの「西欧」派だ。当たり前の話だが。

ワルツだのなんだの西洋美学然としたこのコステラネッツが1950年代後半からいきなりエキゾ音楽を始めて、ジャケットにもポリネシア系美女だの、中国美女だの、果ては浮世絵美女まで持ち出すようになる。レコード会社の企画だろうが、なんか1950年代の白人世界の「調正」、そう保守的な調正=ハーモニーがどこかで狂い初めてしまった。
もう歯止めはない。エキゾ・ミュージックの創始者、レス・バクスターのレコードなどはやりたい放題。ハリウッド映画での勘違いした東洋(古い日本の風俗はだいたい中国風になっているとか)と同じだし、使われるフォント(書体)は、いかにもな東洋風。バンブー書体とか、アラビア風書体とか。
これ、東洋ではそんな使われていませんよ、と言ったところで、ロサンジェルスのチャイナタウンやハリウッドで使われていたのだからいかんともしがたい。
でも、それで良かったのだ。とりあえず白人中産階級は、オリエントの美に目覚めた。目覚めなかった白人ロウワーがいまのトランプ政権の基盤となっているのだから、なんちゃってエキゾも歴史的意味はけっこう大きかった。...そう思いたい。
【イベント情報】
8月24日に神田猿楽町の株式会社ケンエレファント内「神保町大学」にて、長澤均氏と『BED SIDE MUSIC めくるめくお色気レコジャケ宇宙』(ロードサイド・ブックス)の著者・山口’Gucci’佳宏氏の対談(司会:都築響一氏)が行われる。
詳しくはこちら:http://jimbocho.net/522