「私が日本に来て、今年で30年になります。もともと浮世絵を集めていたん
ですが、26年前、千駄木に住んでいたころ、池袋にあった画廊の店主に“シ
ャガンさん、春画に興味あります?”と、奥の部屋でこっそり見せてもらったのが春画との出会いです」

それが、歌川国貞の色摺大本である『四季の詠ながめ』(文政12年/1829)だった。
「女性が男の帯を引っ張っている、すごくきれいな版画でした。ヨーロッパ
のポルノとは違って、女性の表情が生き生きしていて、恥ずかしがっていな
い。オープンな感じが魅力的でした」
――桜紙を咥えた女性は、困った顔の男性の帯を引いて“よう、もっと”と
せがんでいる様子。
造りの三方や、台のものらしい食べ物を載せた大皿、達磨が目を剥いている
屏風なども丹念に描きこまれていて︑当時の遊郭の一室を偲ばせる。
以来、春画に魅せられて買い集め、今ではコレクションが1万点を超えた
と、シャガンさんは言う。

色摺半紙本三冊。庶民の健全な性生活を描く。 夏の夜明けだろう、蚊帳を畳む夫婦。壁に掛け た着物、縁側の先に咲く朝顔。猫も後始末だ(笑)。
イスラエルの港町で生まれたオフェル・シャガンさんは、イギリス大英博
物館「春画——日本美術における性と快楽」展や、永青文庫「Shung
a」展の仕掛人の一人。平凡社『ニッポン春画百科 上下巻』や朝日新書
『わらう春画』の著者でもある。
「春画の女性はナチュラルです。したいこと、気持ちのいい好きなポーズを
女性の方から積極的に要求している。書入れを読むと、《結婚人生がこんな
に幸せだとは思わなかった》とか《愛してるなら立たないはずはない》と泣
く女性(渓斎英泉『 夢多満佳話』文政6年/1823)とか、普通の男女がありのままに自然にセックスしている。
「春画の男性器や女性器がすごく大きいのは、見る人にコンプレックスを与
えないためだったと思います。春画には、セックスの後のシーンを描いたも
のもある。ちり紙が散らかった部屋で蚊帳を畳んだり、紐を引いて当たった女性が男性をゲットする遊び心いっぱいの春画もある。江戸時代、春画は男女どちらにも楽しめるもので、〝笑い絵〟といいました。嫉妬や好きなどの感情を表現する〝書入れ〟も、アーティストのメッセージとしてウィットたっぷりです」

色摺中錦 12 枚。障子の穴から覗く目と鼻が見える。 机に向かって墨を磨る前髪姿の若者と、突っ伏し ている娘の姿勢が、なんとも思わせぶりだ。「春画」は世界が認めたほんとうの芸術作品
世に浮世絵春画の三大傑作といわれるのが細長い柱絵版にクローズアップを描いた鳥居清長『袖の巻』(天明5年/1785頃)、巨根の代名詞〝UTAMARO〟の元になった喜多川歌麿『歌満まくら』(天明8年/1788頃)、背景を豪華な雲母摺にした葛飾北斎『浪千鳥』(幕末)。
このほか、鈴木春信『風流艶色真似ゑもん』(明和7年/1770)とか、菱川師宣の『若衆遊伽羅之縁』(延宝3年/1675)、歌川広重『春情八重桜』(出版年不明)、渓斎英泉が淫斎白水の名で描いた『 美多礼嘉見』(文化12 年/1816)など、有名な浮世絵師はもちろん、それほど知られていない絵師もさまざまな春画を残している。そして、無名の絵師も素晴らしい作品を描いているのだ。
「そういう春画のことも知ってほしいですね。
現在、浮世絵春画は1200作品を超える点数が見つかっているという。それぞれが10枚から12枚の図を組物にしているから、おそらく1万5000点以上の春画があるだろうと。

墨摺大判一帖。紐を引いて景品を当てる「宝 引き」という屋台の遊びがある。この春画では、 立派な持ち物の男性が景品だ。
江戸時代、裕福な商人は絵師たちのスポンサーとして、肉筆春画を描かせ
た。錦絵が発達すると贅沢な色摺の「笑絵」も多くなる。まさに芸術品だ。
セックスを明るく描いた春画は、男女どちらにも喜ばれた。警察官や検事、
裁判官の嫌うような、猥褻な禁断の絵画ではない。
「春画は、人生を幸せにしてくれる美しい芸術品なのです」
現代、春画本の購入者は若い女性のほうが多いのだという。