死に近い場所で見える風景
本題に入る前に、ある人の話をします。これまで30年近くものあいだに、数え切れないほど遭遇してきた瘦せ姫のなかでも、一番というほど印象に残っている人です。
交流した期間は5ヶ月ほどの短いものでしたが、Yさんは心に残る言葉を数多く残してくれました。そのなかのひとつに、
「できるだけ死に近い場所で生きていたい」
というものがあります。そのために「不健康を維持する」のだということも言っていました。
当時、彼女は大学生。数学を専攻するかたわら、アルバイト的に文章を書く仕事も始めていて、想いを紡ぐ言葉ひとつひとつは、彼女の豊かな才能を感じさせたものです。その一方で、深い厭世観(えんせいかん)を抱き、若くして自ら命を絶ったアイドルの話をしたと きなど、
「18歳で人生のときを止めることができたことをうらやましく思います。ものすごく不謹慎ですけど」
という感想を漏らしていました。人一倍、死への憧れが強かったわけです。
ただ、ここで「人一倍」という表現をしたのは、この「死への憧れ」が人類共通のものだからでもあります。心理学者の植木理恵はあるテレビ番組のなかで、こう言いました。
「人はみな死にたいんです。
この発言に出会ったとき、目からウロコという気分になったものです。というのも、人がみな「死にたい」と「生きたい」のあいだでせめぎあっているのだとすれば「自殺」というものも誰にでも起こりうることなのではと。すなわち、いくら「生きたい」と願っていても「死にたい」がそれを上回ってしまえば、自殺するよりほかありません。日頃から、自殺もまた病死のようなものであり、人の最期のひとつのかたちとして肯定されてほしいと考える者としては、大きな援軍を得たような思いがしました。
そして、摂食障害です。この病気はときに「緩慢なる自殺」だともいわれます。それはたしかに、ひとつの傾向を言い当てているでしょう。食事を制限したり、排出し たりして、どんどん瘦せていく、あるいは、瘦せすぎで居続けようとする場合はもとより、たとえ瘦せていなくても、嘔吐や下剤への依存がひどい場合などは、自ら死に近づこうとしているように見えてもおかしくはありません。
しかし、こんな見方もできます。瘦せ姫は「死なない」ために、病んでいるのではないかと。今すぐにでも死んでしまいたいほど、つらい状況のなかで、なんとか生き延びるために「瘦せること」を選んでいる、というところもあると思うのです。
たとえば、自殺をしたい人のなかには、致死量の睡眠薬などを常に持ち歩くことで「死にたくなったらいつでも死ねる」という安心感を得て、そのおかげで自殺をしないで済んでいるような人がいます。この場合、死にいたる毒が「お守り」代わりになっているわけです。
摂食障害の人のなかにも「瘦せること」で安心感を得られるのだという人がいます。その安心感には「だんだん死に近づいている」という気分が含まれていることも少なくないようですし、また、だからこそ、Yさんも「できるだけ死に近い場所で生きていたい」と願ったのでしょう。
もっとも「瘦せること」で得られる安心感はそれだけではありません。生きづらさのもとになっている勉強や仕事、友情、恋愛、家庭といったもののストレスから逃れるためにも、それはときに有効だからです。
Yさんの場合も、そういう側面がありました。彼女が摂食障害を発症したのは高校 時代の後半。制限型(『瘦せ姫 生きづらさの果てに』本文中22頁参照)の拒食症になり、卒業の時点で体重が28キロ(身長は156センチ)に落ちたため、進学した大学を1年間休学することとなります。
その背景には、両親の不仲という問題が存在したようです。以前から別居状態だったものの、Yさんの高校卒業を機に、離婚することに。つまり、彼女は家族が完全に崩壊してしまうという不安から発症し、一時的にせよ、自らの病気に家族の関心を引きつけることでせめてもの安心を得ようとしたとも考えられます。
ところが、大学3年の初夏、母親の再婚が決定。この時点で彼女は、休学中の入院で45キロまで増えた体重を34キロまで減らしていましたが、そこから再び、制限型の拒食がエスカレートします。2ヶ月弱で8キロ瘦せ、緊急入院。当時、彼女は母親の再婚を受け入れ、家族から自立することで納得しようとしていたものの、家族のさらなる崩壊を望まない心が病気のぶり返しに関係していたことは想像に難くありません。
ただし、彼女にとって、最初の瘦せと二度目の瘦せは似て非なるものでした。というのも、最初の瘦せには相応の達成感がともない、細くなっていく体を強調するようなファッションもできたといいます。が、二度目の瘦せではその感覚が希薄で、手足を露出することもできなくなったと。その違いについて、彼女はこう理由づけしました。
「瘦せることでは何も解決しないことに、今はもう気づいてしまったから」
そう、摂食障害の根底には、この世に生き続けることのどうしようもないつらさが あり、それは瘦せることによって部分的もしくは限定的に軽減できたりするものの、根本的な解決にはいたりません。おそらく、その生きづらさに耐えられる、あるいは受け流せるような自分に変化することでしか、解決はできないのでしょう。
実際、Yさんはその後、ある転機を迎え、生きることをもっと好きになろうと模索し始めます。それがなかなかうまくいかず、彼女はそのもどかしさを「この世への片想い」だと表現していました。
そのためにも、彼女は摂食障害を必要としていました。不健康を維持して、死に近い場所で、それなりの「安心感」を得ながら、この世を、生きることを好きになろうとしていたのです。
はたして、彼女はその試みに成功したのかどうか、ということについては終盤で語るつもりです。ただ、前もってひとつ言っておくなら、彼女はいつの頃からか、こんな願いも抱くようになっていたそうです。
「23歳までに死にたい」
母親の再婚が決まり、二度目の瘦せがエスカレートしていた夏、彼女は22歳の誕生日を迎えました。死への憧れと「この世への片想い」との狭間で揺れ動きながら、人生最後となるかもしれない季節を生きていたわけです。
そんな当時の彼女の姿は「末期の目」という言葉を思い出させます。自殺した作 家・芥川龍之介の遺書でもある『或旧友へ送る手記』のなかに、こんな一節がありました。
「唯自然はこう云う僕にはいつもよりも一層美しい。(略)けれども自然の美しいのは僕の末期の目に映るからである」(註2)
Yさんもまた「死に近い場所」にいる人だけが持つ「末期の目」でこの世の風景を見つめ、その本質を言葉にしていました。そんな姿勢は多くの瘦せ姫にも共通するものであり、彼女たちの言葉を紹介することもこの本の目的です。
瘦せ姫だけが見ることのできる風景―それはあなたにも、どこか見覚えのあるものかもしれません。
(註1 )『英雄たちの選択』2014年4月17日放送(NHKBSプレミアム)
(註2) 『芥川龍之介全集第9巻』(岩波書店)
※次回も『瘦せ姫 生きづらさの果てに』(KKベストセラーズ刊)本文中から抜粋します。
【著者プロフィール】
エフ=宝泉薫(えふ=ほうせん・かおる)
1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』などに執筆する。また健康雑誌『FYTTE』で女性のダイエット、摂食障害に関する企画、取材に取り組み、1995年に『ドキュメント摂食障害—明日の私を見つめて』(時事通信社・加藤秀樹名義)を出版。2007年からSNSでの執筆も開始し、現在、ブログ『痩せ姫の光と影』(http://ameblo.jp/fuji507/)などを更新中。
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