――今日はよろしくお願いします。
高橋 お願いします。
――本を拝読したんですが、テレビでお見掛けしていたイメージがあったので、まさかこんな壮絶な半生を送っていたとは想像していなくて、衝撃を受けました。
高橋 はい(笑)。
――ただ、すごくポジティブに書かれていてそこがもっとびっくりしたんです。本当に「不幸」だって感じられることはなかったんですか。
高橋 はい、思わないんです。試練だな、とは思うんですけど。
――わたしがひねくれてるからかもしれないんですけど(笑)、同じ経験をしたとしたらすごく自分に対して「不幸だな」とか劣等感を持ったり……もしかしたら不幸アピールをしたくなっているかも、と……。
高橋 そうなんですか(笑)。
――だからそういう雰囲気がなくてすごいな、と。
高橋 ありがとうございます。
――代弁している感覚ですか。
高橋 はい。だから病気のことも軽くは言えなかったですし、書けなかったですし……勘違いもされたくない。ただ「わたし、これだけ大変だったんです」っていうのは好きじゃないですし、そういう気持ちはありませんでした。
――そのお気持ちがあったからか、本の中に幸せな感じがあふれていて、その秘訣が知りたいです。闘病も傍から見たら大変なんですけど、闘病があったからこそこんなにいいことに気付けたとか、幸せに気付けたと書かれていて、どうやったらそうなれるんだろう、と。
高橋 秘訣ですか(笑)。実際にそう感じる経験があったって言うことが大きかったですけどね。なんでしょう……。
――例えば、「ありがとうっていう言葉をよく言うよね、と友人に言われる」とありましたけど、実は「ありがとう」とか「ごめんなさい」がストレートに言える大人ってあまりいないなと思っていて、そのマインドってどこで形成されてきたのでしょうか。
高橋 それは両親の存在が大きかったと思いますね。「ありがとう」と「ごめんなさい」はちゃんといいなさいってよく言われていました。
――小さい頃から。
高橋 はい、小さい頃から。「ありがとう」って言わないと怒られました(笑)。ですから、気心が知れたきょうだいであっても、たとえば何か取ってもらったら「ありがとう」って言う癖はついていて。「ありがとう」って言うことができると「どういたしまして」も自然と言うようになるし……それが染みついていて友人に言われたんだと思います。
■家族の結束力が強い理由――ごきょうだいのことも含め、ご家族の結束力がすごく高い。一般的には齢を重ねるごとに家族との関係は希薄になることが多いと思うんですが……逆のような雰囲気がありました。
高橋 父の会社の倒産など困難を一緒に乗り越えようとしたときに、家族全員がお互いをお互いに守ろうと思えたんですね。その経験があったからかなと思います。なぜ守ろうと思えたか、といわれると言葉にはしづらいんですけど、ひとつ言えるのは両親の愛がすごく伝わっていたからかなと思います。
――両親のせいでこんなに我慢しなきゃ、とはならないですよね(苦笑)
高橋 ならなかったですね(笑)。
――一番共感したのは、選択肢が少なくなるから幸せに気付ける、という言葉でした。
高橋 はい、そう思います。かけがえのないきょうだいがいて、家族がいて、遊ぶのだって確かにモノは買ってもらえなかったけれど、それなら「なんとかゴッコ」をしようって楽しめました。遊ぶ知恵っていうんですかね。
――遊ぶ知恵とは例えばなんですか?

高橋 本当にくだらないですよ(笑)。覚えているのは、家族で元旦に京都の八坂神社に行ったことがあったんですけど、すごい人で入るまでに2、3時間待たなきゃいけなかったんですよ。暇じゃないですか。だから4人でストーリーを作ろうという話になって。ひとりが一文を言って、次の人につなげていく遊びをしていました。順番で一文を作って、ストーリーを繋げていく……。
――リレー小説みたいな。
高橋 あ、まさにそれですね。
――面白そうです。
高橋 楽しくて、待った感覚もほとんどなくて。ほかにも、ボール遊びをするときには〇〇になりきって遊んだり。
――なりきる?
高橋 大人になった今でもきょうだいでやるんですけど……、たとえばボーリングで、みんなが何かになりきって投げるんです。わたしは「最悪なことがあって落ち込んでる人」、妹は「酔っぱらってる人」とか。ノリノリで、四人で爆笑してます(笑)。
――ノリノリで!
高橋 周りから見たら何が面白いんだって感じなんですけど、両親も笑っていますね。
――どの遊びも想像力がすごいですね。
高橋 そうそう、モノがなかったぶん、想像力を使った遊びをすることが多かったですね。
――その想像力が演技に生きているのかもしれないですね。
高橋 今、話をしていて生きてるなって思いました(笑)。役作りの場合は想像というより妄想なんですけど、自分の出番がないシーンでも、この間「役であるわたし」は何をしているんだろう、っていうことをよく考えています。
――その場面にはいないけど……
高橋 いないけれど、このシーンとこのシーンの間に自分は何をしていたのかっていうストーリーを作るのが好きなんですよね。
■救われた武田鉄矢からの言葉――へえー。それはすごい。演技といえば、香川照之さんや綾野剛さんの言葉に励まされたというエピソードがあったんですけど、一番印象深い言葉ってありますか。
高橋 これはよく言うんですけど武田鉄矢さんの言葉ですね。「女優を続けなさい。ハーフを気にしているかもしれないけど、ハーフとしても、女性としても魅力的だから自信を持って女優を続けなさい」っておっしゃっていただいた。
――純と愛ですね。
高橋 はい。(武田さんが)義理のお父さん役だったんです。
――デビュー作でしたね。毎朝欠かさず観ていました。
高橋 ありがとうございます。
――なぜ武田さんは続けなさい、とわざわざ……?

高橋 デビューしたての16歳の頃にメディア関係者の方に「女優顔じゃない」と言われたことがあったんですね。それから「わたしに女優という選択肢はないんだ」とずっと思っていました。以来、モデルを中心に仕事をしていたので、偶然、純と愛のオーディションの書類が通ったと知らされたときも「女優顔じゃないから、行っても落ちるのにな」と思っていたんです。しかも絶対、朝の顔じゃないって(笑)。
――「女優顔じゃない」という言葉がひっかかって……
高橋 というより、女優業なんてできるわけがない、と。選択肢にすらなかったんです。でもモデルをしながらもずっと演技練習はしていたので、やりたいという気持ちを封じ込めていたのかもしれないですね。
――選択肢になかった、ですか。
高橋 一番なかったことでしたね。それが役をいただいて、役柄が自分の母に似ていたんで(編集部注:日本人とフィリピン人のハーフで、家族を支えるためにフィリピンから出稼ぎで日本にやってきたマリヤという役)、母にセリフを一語一句読んでもらって、フィリピンのなまりとかもぜんぶマネして。だからすごく思い入れが強かったんですよ。たまたまやる最初の役が、母を演じるつもりでやったので、すごく楽しくて。
――そこからのめり込んだ。
高橋 でも、それもハーフの役だったので、これっきりかなと思っていました。そもそも「女優顔じゃない」と思っていたので。それが、クランクアップまでもう少しというタイミングで、武田さんに「女優を続けろ」というお言葉をいただいたんです。ものすごく響きました。本にも書いたんですけど、他にも若村麻由美さんや風間俊介さん、夏菜ちゃん、おなじハーフの城田優さんと、たくさんの方が「続けてね」ということを言ってくださったことは今でも忘れられないですね。
――とはいえ、それからも順風満帆ではなかったのでは。女優という仕事を続けてきた中での挫折はありましたか。
高橋 「るろうに剣心」の駒形由美役をいただいたときに「なんでハーフなんだよ」ってすごい反感を買ったんですけど、あのときはちょっとつらかったですね。気持ちは日本人なんですけど……でも確かにハーフで得していることもたくさんあるので、こんなときだけ「わたしは日本人」ですって言うのも違うよな、って考えたり。
――そんな紆余曲折があって、乗り越えられたからこそ「幸せな言葉」にあふれているんですね。最後に、本に込められたメッセージをいただけますか。できればわたしのような同世代の女性に。
高橋 本のタイトルの言葉はすごくわたしのなかで大きくて。「Difficult? Yes.Impossible?…No.」って、例えば100人中100人が「できないよ」って言ったとしても、自分が少しでもできると思ったり、光を感じるのであればそれが正しいと思いますし、いまどんなにつらくても幸せになるために生まれてきているとわたしは思っているので、幸せになることを絶対にあきらめないでほしいです。この本を読んで幸せな未来を生きてほしいなって。あと、子宮頸がん検診にもすごく行ってほしいし。あのとき行っておけばと思ってほしくないから……なんかたくさんあります(笑)。
――いいお言葉をいただきました。ありがとうございました。これからも演技、言葉に注目していきます!
高橋 ありがとうございました。
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