山崎氏は、10年までアメーバピグ全体のプロデューサーを務めた後、12年8月には、スマホ向けの“新感覚”ひとりごとコミュニティ「きいてよ!ミルチョ」も立ち上げ、現在はアメーバ事業本部ママ事業部の事業部長として、数多くの新規事業の立ち上げに携わっている。
そんな山崎氏に、
「サイバーエージェントの正体とは?」
「同社が斬新なサービスを数多く生み出し、ヒットさせる秘訣はどこにあるのか?」
「プロデューサーというお仕事とは? そしてその魅力と難しさとは?」
などについて聞いた。
--サイバーエージェントに入社された動機について教えてください。
山崎ひとみ氏(以下、山崎) 学生時代、広告代理店にはある種のあこがれを抱いていました。それで、何社か会社訪問をしたのですが、実は就活を始めた頃はずっと気が重かったのです。気が置けない友人たちと楽しい生活を過ごした学生時代から、堅苦しい社会に出ていくわけですからね。でも、会社説明会などで出会ったサイバーエージェントの社員の方々は、自分が抱いていた社会人のイメージとはかなり違っていました。みんな若く、イキイキとしていて、“仕事ができる人”という感じで、格好いい会社だとすごくポジティブな印象を受けました。それで、「こういう人たちと一緒に仕事ができたら、すごく楽しいだろう」と思ったわけです。
--実際に入社されてからの印象はいかがでしたか?
山崎 「若手を抜擢する会社」「若い力とインターネットで日本を元気に」という看板に偽りはありませんでした。というか、それ以上でしたね。
--その新規事業がアメーバピグですね。
山崎 藤田晋社長から、「ブログ用に着せ替えができるアバターをつくってほしい」と依頼されたのがきっかけでした。チームでいろいろ議論していく中で、「アバターを動かすための仮想空間をつくろう」というように構想がどんどん広がっていって。結局、その構想を実現するためのプロデューサーを任されました。
--具体的には、プロデューサーとしてどのようなことをされたのですか?
山崎 サービスのプランニングの責任者として、まずはチームのメンバー全員の声をまとめながらプランニングを行いました。開発が始まってからは、プロジェクトマネジメントですね。アバターのキャラクターイラストを制作するためのコンペを行ったり、法務室とサービスの利用規約をつくったり、サービスリリース後はプロモーションのプランを考えたり。「事業としてどのように大きくしていくか」というような中長期での事業計画も練りました。プログラミングやデザインなど、技術的な領域以外はすべて、ということになりますね。
--2年目の新人がチームを引っ張っていくことのやりにくさ、つらさはありませんでしたか?

山崎 新規のサービスを立ち上げるということ自体、どういうことかまったくわかっていませんでしたからつらい時もありました。ただ、ありがたいことに、私以外のチームメンバーは、エンジニアもデザイナーも、サイバーエージェントを代表する精鋭の方々でした。そういうキャリアも実力もある強力なメンバーの中で、右も左もわからない自分にできることは何かを考えた時に、皆さんがしっかり作業できるようなチーム環境をつくることだと思いました。それで、チームの環境づくりを軸に、わからないなりにも、とにかくがむしゃらに頑張りました。
●収益よりも「ユーザーファースト」--アメーバピグは今や利用者数が1300万人を超えるサービスへと成長していますが、当初ここまで成功することは、ある程度予想していたのでしょうか?
山崎 当時はユーザーサービスを企画・開発するプロデューサーでしたので、ひたすらユーザーに対して「どのようなアバターサービスを提供したらおもしろいと思ってもらえるのか」ということに向き合っていました。しかも、お恥ずかしながら、当時の私は事業の収益見通しのような部分まで十分に管理できていませんでしたので、社長の藤田をはじめ、周りの事業部メンバーが力強くサポートしてくれたのではないかと思っています。ですから、会員数や収益がこれほどの規模にまで成長するとは、当時はまったく想像もしていませんでした。
--通常は、収益計画を軸に事業化を検討するのではないのですか?
山崎 Amebaのサービスづくりの基本方針は、マネタイズ、つまり収益事業化できるかということを考えずに、とにかくユーザーに対しておもしろいもの、楽しめるものを提供しする、そこに人が集まってくれば後からマネタイズの方法はいくらでもあるというものです。ですので、アメーバピグもユーザーがアバターをつくり、着せ替えて楽しめる最低限の着せ替え数を用意しただけでサービスを開始しました。部屋に家具を並べるという仕組みはつくりましたが、最初から商品ラインナップが豊富だったわけではありません。徐々に人が集まってくるのを確認し、ユーザーの要望を採り入れながら、商品ラインナップを増やしていきました。
--貴社はほかにも、一般の人が思いつかないような奇抜なネットサービスをたくさん生み出していますが、秘訣は何でしょうか?
山崎 徹底的に「ユーザーファースト」にこだわって商品企画をしているということではないでしょうか。
このサービスの企画に際しては、「今、ユーザーがおもしろいと思うサービスは何だろう?」「これを出したらユーザーは使ってくれるだろうか?」というところからスタートして、最終的に「ひとりごとをひたすら言えるというサービスがおもしろいのではないか」というところにたどり着いたわけです。つまり、企画の時に、それを事業としてどのように大きくするか、そこで収益を上げられるのかというような話はまったくしませんでしたね。
--振り返ってみて、これほどまでにアメーバピグが成功した理由はなんだと思いますか?

山崎 既存のAmebaのユーザーに対してどういうサービスを提供したら興味を持ってもらえるかということは、すごく意識していました。つまり、提供開始時点でのアメーバピグのターゲットユーザーはあくまでもAmebaの既存ユーザーだったので、Amebaとどういう機能連携をするか、しっかり向き合って設計をしたというところは大きかったのではないかと思います。つまり、「Amebaというプラットフォームと癒着したサービス」というところが、アメーバピグがこれほどまでに成功した大きな要因だと思っています。そして、それは他社にはできないことです。
●「きいてよ!ミルチョ」という分岐点--現在、新たな事業の立ち上げに関わっているそうですね。
山崎 プロデューサーとしてもやっていますが、2013年4月、子どもを持つ母親向けの事業を強化するため、アメーバ事業本部の中に設立された「ママ事業部」の事業部長として、新規事業の立ち上げに携わっています。
--これまでに数々の新規事業やサービスを立ち上げられた中で、最も印象に残っている経験はなんでしょうか?
山崎 やはり12年8月にサービスを開始した「きいてよ!ミルチョ」ですね。入社2年目に立ち上げたアメーバピグは、すごくいい環境を会社に用意してもらって、自分の実力を超えた部分、はっきり言えばラッキーパンチ的な要素がすごく多かった。つまり、成功したのはメンバーの方々のおかげだと思っています。そして、その後も新規事業やサービスの立ち上げに関わってきましたが、実は「きいてよ!ミルチョ」の開発を始める直前に、ある新規事業の立ち上げに失敗して、ちょっと落ち込んでいる時期だったのです。そういう時期に声をかけてもらったこともあって、そこから一念発起し、責任者としてゼロからすべてを立ち上げました。ですから、プロデューサーとして再度ヒットを出せたという意味で、すごく印象に残っています。
--プロデューサーという仕事の醍醐味は、どこにありますか?
山崎 入社早々のプロデューサーであっても、いろいろと仕事を任せてもらえるような社風や仕事環境があるということは、醍醐味のひとつではないでしょうか。ただ、立ち上げに関わった新規事業や新規サービスが毎回必ずうまくいくかというと、それは非常に難しいですね。だから、経験を積んで、その確率を上げていくことが大事だと思っています。
それから、立ち上げまでの期間はすごく苦しいですけれども、サービスを開始して、その成果、つまり多くのユーザーに利用してもらえるようになったときには、プロデューサーとしての醍醐味を感じます。そういう挑戦をさせてもらっているということは、すごく幸運だと思います。
--プロデューサーに一番求められるスキルは何ですか?
山崎 「このスキルひとつだけを極めればいい」というものはありません。
それから、これまでに失敗もいろいろと経験してきましたが、ポジティブな性格なので、「あの時にあれをしておけばよかった」というような後悔はしません。私のようなポジティブな性格は、プロデューサーに向いているのかもしれませんね。
--最後に、将来の夢について教えてください。
山崎 周りから“仕事ができる人”と呼ばれるヒットメーカーになりたいといつも思っています。私がサイバーエージェントに会社訪問した時に社員の皆さんに感じたような、“仕事ができる人”になりたいですね。
--ありがとうございました。
(構成=編集部)