生活雑貨から衣類、食料品、インテリアまで幅広い商品を開発・販売する無印良品。2001年度上期に初の赤字に陥ったが、13年3~11月期決算では過去最高益(純利益)を上げ、現在では国内外で計585店舗(13年2月時点)を展開し、今後も積極的に出店するなど勢いに乗っている。


 そんなV字回復を成功させたカギとなったのは、無印を展開する良品計画が全社的に取り組んだ「儲かる仕組みづくり」だという。今回はこの仕組みづくりを主導し、昨年7月に『無印良品は仕組みが9割』(角川書店)を上梓した同社会長・松井忠三氏に、

「V字回復の舞台裏と無印の強さの秘訣とは」
「無印が継続的に取り組む、仕組みづくりの秘密とは」
「なぜ徹底したマニュアル化が利益を生むのか」
「積極的に他社と交流し、知恵を取り込む方法」

などについて聞いた。

--無印の強さの源である店舗運用マニュアル・MUJIGRAMについて、ご説明いただけますか?

松井忠三氏(以下、松井) 売り場のディスプレイから接客、発注まで、店舗運営に関するすべてのことがとにかく細かく、具体的に書いてあります。合計で13冊、2000ページちょっとになります。その中でもポイントは、「その仕事をなんのためにやるか」という定義が書かれているということです。目的がなければ、仕事はただの作業になってしまいます。作業になれば飽きてきますし、飽きればモラルは守られなくなります。原理原則を示しつつ、その通りにやることで、店舗オペレーションを確実に実行することができるのです。

--日本では、マニュアルというとあまりよくないイメージがありますが、なぜマニュアルづくりに着目したのですか?

松井 以前、こんなことがありました。ある新店舗がオープンする時に、さまざまな店舗から店長が応援に来ていました。その人たちの行動を見ていると、並べられた商品を自分が良いと思うかたちに次々と並べ直していたのです。そのやり方は、まさに100人いれば100通りのやり方でした。

彼らは先輩社員の背中を見て、そのやり方を踏襲してきたのです。その結果、開店当日未明になっても店舗の陳列は終わりませんでした。この時、「基準がないということは、良いオペレーションを実現できない」と感じました。

 マニュアルという言葉が悪いイメージを持たれる理由は、「画一的であり、創意工夫は排除される」という冷たい印象を与えるからではないでしょうか。多くの企業や店舗でマニュアルを作成していますが、時間とコストをかけてマニュアルをつくっても、半年~1年もたてば経営を取り巻く環境は変わっていきます。すると現行のマニュアルでは対応できなくなり、使われなくなります。結果、マニュアルは会社の中で埃をかぶっているだけになってしまいます。

 MUJIGRAMの内容は、社員の創意工夫やお客様の意見を受けて、どんどん変わっていきます。スタッフが日々の業務の中で改善が必要だと思ったことは、店長に伝わり、そこから地域の店舗をまとめる営業課長に上がり、最終的に本社で採用可否を決定するかたちで常に進化していっています。店舗の現場では「自分ならこうやりたい」という意見が社員から生まれ、そうした意見を会社の中で生かす仕組みになっているのです。

 つまりMUJIGRAMとは単なるマニュアルではなく、会社のオペレーションの仕組みであり、標準なのです。100人いたら100通りのやり方ではなく、1つのやり方が決められていて、もっと良いやり方があれば、それが新しいやり方になっていくのです。

 現在、2000ページちょっとのMUJIGRAMですが、毎月22~23ページずつ更新されていきます。割合でいえば全体の約1%、1年に直すと12%になります。芯を定めつつ、「見える化」「標準化」したものがMUJIGRAMなのです。

無印良品の強さの源、徹底した仕組みづくりとマニュアル化の秘密~松井会長に聞く
●経験主義との決別

--MUJIGRAMは、01年に初の赤字に陥った良品計画の再建策としてつくられ始めたのでしょうか?

松井 実はこのMUJIGRAMは、1994年に無印良品事業部長時代の私が声を上げてつくり始めたものでした。私は01年に弊社が大きな赤字に陥った時に社長へ就任しましたが、社内を見渡すと経験主義がまん延していました。それでは進化していくことはできません。市場にはライバルとお客様しかいません。ライバルに勝ち、お客様に喜ばれるには、企業は進化していくしかありません。進化し、レベルを上げていくためにオペレーションの仕組みをさらに強化していこうと、積極的にMUJIGRAMを活用していくことにしました。

 経験主義では、ノウハウなどは属人的です。どんなに優れたスタッフがいても、辞められてしまえば会社としての財産が失われます。しかしMUJIGRAMで標準化することで、優れたスタッフのレベルにまで、すべての人たちが到達することができるのです。


--実際に、01年から大きく業績は回復しましたね。

松井 おかげさまで、その後順調に業績は回復し、05年には過去最高益を達成することができました。社員一人ひとりの力量勝負では、実は企業間でそれほど差は生まれません。一人ひとりの力量を一本にまとめる仕組みを持つことで、企業として競争力を発揮することができるのです。もちろん赤字に陥った時にリストラなども行いましたが、人を削ったあと、いかに競争力を上げるかが問題なのです。「負けた構造」をいかに「勝つ構造」に変えられるかが、一番の勝負なのです。

--具体的にMUJIGRAMを活用して、どのような経営改革を行ったのですか?

松井 例えば、以前では10店舗出店しても、計画した売り上げを達成できているのは2店舗くらいでした。店舗出店担当者は「この店舗だったら5億円くらいの売り上げはいくだろう」と思いそのまま提案しても、5億円では本社から出店許可は下りないため、「だったら6億円で申請しよう」となってしまうのです。その結果、正確な計画が立てられないという状況でした。そこで新規出店に関するさまざまな要素を点数化して、その基準に合わなければ店舗は出さない、という仕組みにしたのです。

 ここで重要なのが、それを社内だけではなく、社外にも公表した点です。例えば家賃の上限は売り上げの12%までと定めています。

それを公表することで、人の判断の入る余地がなくなり、自動的に出店可否が決まるため、テナントの貸主などとの交渉に無駄な労力を割く必要もなくなります。その結果、04年から新規店舗の売り上げ計画達成率は90%と、以前とはまったく逆の結果となりました。

 また、店舗での業務の仕組みも見直しました。以前は各店舗でベッドや自転車などが売れると、閉店後に梱包し、お客様へ発送していましたが、これが大きな手間となっていたのです。これをなくそうと各店舗で在庫データを見ることができるようにし、物流センターから直接お客様へ商品を発送する仕組みに変えました。その結果、業務の効率化を行うことができました。

 こうして細かい改善の積み重ねにより、従来では一店舗当たり20人の店員で運営していたものが、15人でも回せるようになり、さらに一人ひとりの負担は楽になります。今でも半期に10項目くらいは、こうした店舗の業務改革を進めています。

 人を単純に削って利益を出す、というのでは続きません。仕事を減らし生産性を上げていく、そのためには常に変えていく、という姿勢が大切だと思います。

●アイデアを他社から得る仕組み

--そうした改善のアイデアは、どうやって見つけるのですか?

松井 他社から借りる、ということが多いですね。ただ、それも仕組みづくりが重要でした。

以前、私が西友【編註:無印は1980年に西友のプライベートブランドとして誕生。89年に良品計画が設立され、無印の展開を移管】にいた時も、さまざまな企業を見学する仕組みはありました。ただその頃は「見に行っておしまい」ということもたくさんありました。弊社の社外取締役にファッション小売りのしまむらの方に入っていただくことで、両社の役員同士が会食をしたりして情報交換を行っています。この交流を部長同士、次は課長同士と下に広げていくことで、両社の社員が気軽に電話で情報交換できる関係が構築されていきます。

 このように、会社は社員が他社の知恵を取り入れられる仕組みをつくることが大切だと思います。

--業務改善の一環として、現在本部では、18時半でほぼすべての社員が帰宅するようになっています。ノー残業に取り組む企業が多い一方、なかなか実現できないケースが多い中、御社はなぜ達成できているのですか?

松井 もちろん実現するのは大変でしたよ(笑)。94~95年くらいは、社員は終電で帰るというのが当たり前で、社員は疲れ切っていました。すると意識がどんどん内向きになり、会社は危機的状況に向かって突き進んでいくのです。

 そこでまずは週1日のノー残業デーをつくることにしました。仕事の生産性を1割上げようと号令をかけ、しばらくたってから週2日に増やし、そしてタイミングを見て全日残業禁止にしたのです。

 仕事の効率を上げるために、「仕事は太い幹と枝だけにしなさい。葉っぱの部分はやらなくていい」としたのです。逆に言えば、それだけでよいように仕組みをつくり、それを社風と風土にしていきました。以前は残業をして夜中まで仕事をすることが、良い評価に結び付いていましたが、その価値観を変えていきました。

 仕組みづくりを通じて社風そのものを変えてきた結果の上に、現在の弊社が築かれたといえます。
(構成=編集部)

無印良品の強さの源、徹底した仕組みづくりとマニュアル化の秘密~松井会長に聞く
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