ジャニーズ事務所の創業者、ジャニー喜多川さんが亡くなられたというニュースが飛び交っています。郷ひろみ、たのきんトリオ、SMAP、嵐をはじめ、多くのタレントを育てただけでなく、日本のエンターテインメントの礎をつくりあげ、進化させ続けた方だったと思います。
かつて僕がロサンゼルス・フィルハーモニックの副指揮者を務めていた頃のことです。ある日、ロサンゼルスの中心にある日系人の街、リトルトーキョーで買い物をしていました。目的の物を買い終え、ブラブラと街を散策していると、日本の寺が目に入りました。看板には「高野山真言宗別院」と書かれてあります。ロサンゼルスは日系人が多い街なので、浄土真宗や禅宗の寺をはじめとして多くの仏教寺院があり、東本願寺ロサンゼルス別院の建物などは、本願寺系ならではの大きな瓦屋根の堂々とした寺院です。実は、僕の家は真言宗です。僕自身は、勤勉な信者というわけではありませんが、父方の叔父が真言宗の僧侶でした。
海外で、自分の宗派の寺を見つけたことはとても嬉しく、すでに閉館時間を過ぎていましたが、ご厚意で中を見せていただくことができました。寺院の中は、真言密教ならではの仏像、装飾物、仏具が揃えられていましたが、本堂にステージがあることに気づきました。案内をして下さった僧侶の話では、「このお寺にはステージがつくられているので、以前は、日系人の方々が集まるエンターテインメントの場所となっていました。日本から来た歌手もこの本堂をコンサート会場にしており、美空ひばりさんも歌いに来られました」とのことでした。
実は、この寺がジャニーさんの活動の原点だということを、今回の訃報を伝えるニュースの中で知りました。
ジャニーさんの父親は、和歌山出身の真言宗の僧侶でした。実は、ロサンゼルスの日系人には和歌山出身の方が多く、和歌山には高野山があるだけに、真言宗の信者が多いのです。ジャニーさんの父親、喜多川諦道さんは、高野山真言宗別院第三代主監。つまり、ロサンゼルスの寺の住職だった父から昭和6年にジャニーさんは誕生したのです。
そして、この寺のステージに美空ひばりさんが立ったのは昭和25年。その時、19歳のジャニーさんは、そのステージ運営を統括し、美空ひばりさんの知遇を得ることで、日本の芸能界に足がかりを得ました。
ジャニーズの楽曲と真言宗の教え僕はクラシック音楽の指揮者ではありますが、美空ひばりさんの素晴らしさに魅せられているひとりです。そして、SMAPや嵐の歌を聴いていても、同じように惹かれるのを感じます。美空ひばりさんの一番の魅力は、もちろんその歌唱力にありますが、楽曲と詩も素晴らしい。何がほかと違うかといえば、人を共感させることはあっても、悲しませることがないという点です。むしろ、前向きにさせてくれるように感じます。
ついつい、魅力的な音楽に引き込まれるのですが、詩をしっかり読んでみると、なんだか法話を聴いているように思えてきます。ちなみに、仏教にとって大切な教えは、「慈悲の心」です。「慈」とは、「苦しみを抜いて、楽しみを与えてやりたい」という意味があります。
「太陽抱きしめて 信じているんだ あきらめないんだ 独りじゃないさ
蒼い蒼い地球のため そう皆のため」(Hey! Say! Jump !『Ultra Music Power』より)
「果てしない 愛しさは この心に 確かに生まれる」(Hey! Say! Jump !『Star Time』)
「世界にひとつだけの花 一つひとつ違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい」(SMAP『世界に一つだけの花』より)
「一人ひとりの人間が、時空を超えた宇宙の一部である」という真言密教の教えを聞いているようです。その真言宗の僧侶の子供として生まれたジャニーさん。彼の生い立ちを知ることで、ジャニーズのグループの歌の独特な秘密がわかったような気がしました。
アメリカ生まれのジャニーさんは、生まれて2年後の昭和8年に、父親の帰国に合わせて日本の地を踏みます。そして、第二次世界大戦後の昭和22年、アメリカ国籍を持った子供たちだけでアメリカに戻ります。当時の日系人には、第二次世界大戦前の日米関係の悪化により、日本に帰国した方も多かったのですが、特にアメリカで生まれ育った日系人にとっては、日本はルーツであっても生まれ育った場所ではなく、「敵国・アメリカで生まれた」として日本国内では嫌なこともあったようです。そして、終戦後の焼け野原を目の当たりにして、アメリカに戻る日系人も少なくなかったと聞きます。
戦時中、アメリカ合衆国政府によって強制収容所に送られ辛酸をなめた日系人からすれば、日本から米国に戻った日系人は「あいつらは日本に逃げ帰ったくせに、今になって戻って来た」として、アメリカに帰って来た日系人という意味の“帰米日系人”と呼ばれ、日系社会から差別を受けることにもなったと聞きます。そんななか、“帰米日系人”のジャニーさんは、日本から来た美空ひばりさんの歌声を自分が生まれた寺の本堂のステージで聴き、音楽が人々の心をひとつにする「音楽の慈悲」に、何かを感じたのかもしれません。
その後、堂々と日本に帰国し、アメリカ大使館の通訳の仕事や、野球チームのコーチをしていたジャニーさんに事件が訪れました。それは当時、アメリカで流行っていたミュージカル「ウエストサイド物語」の映画を見て、大きな衝撃を受けたのです。そして、彼は本格的にエンターテインメントの道に進むことになりました。
この「ウエストサイド物語」については、また改めて書かせていただきますが、日本のエンターテインメント界に大きな衝撃を与えた大事件となりました。
日本に居ても「アメリカ生まれ」と言われ、アメリカに行けば「帰米」と言われたジャニーさんですが、彼の苦労と努力のおかげで、我々は国境を越えたエンターテインメントを楽しむことができるのです。
(文=篠崎靖男/指揮者)
●篠﨑靖男
桐朋学園大学卒業。1993年アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで最高位を受賞。その後ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクール第2位受賞。
2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後、英ロンドンに本拠を移してヨーロッパを中心に活躍。
2007年にフィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者に就任。7年半にわたり意欲的な活動でオーケストラの目覚ましい発展に尽力し、2014年7月に勇退。
国内でも主要なオーケストラに登場。なかでも2014年9月よりミュージック・アドバイザー、2015年9月から常任指揮者を務めた静岡交響楽団では、2018年3月に退任するまで正統的なスタイルとダイナミックな指揮で観客を魅了、「新しい静響」の発展に大きな足跡を残した。
現在は、日本はもちろん、世界中で活躍している。ジャパン・アーツ所属
オフィシャル・ホームページ http://www.yasuoshinozaki.com/